First Previous |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
Next Last
リアクション
【彼等と悪魔と涙の理由】
「お酒が苦手で今度の酒宴をどう辞退しようか悩んでいる、そんな『破名』に朗報です」
「は?」
「楔の資格者は酔いません」
「待て『クロフォード』。何言ってるかわからないんだが?」
「楔持ちは絶対に酔いませんよ。そういう仕組なんです。一種の安全装置ですね」
「おい」
「だから自分だけ逃げようなんてしないでくださいね」
* * *
回想の中の“白衣の持ち主”はとてもとても爽やかな笑顔だったので、孕む苛立ちは既に限界に近かった。
(だからって、泣くのは変わらない上に、そもそも安全装置って一部意識の覚醒の維持っていうだけの機能じゃないか)
そもそもあの酒宴は断る予定だった。主賓の突然の入院で結局流れて開催されなかったが、今はそんな記憶はどうでもいい。思い出して何になろう。記憶は不必要で無駄でしか情報ばかりで、欲しい手がかり一つ入らない。楔の資格を得てから初めての酩酊状態に、何をどう対処すればいいのか、混乱が混乱を呼んでいる。
(あー……くそっ)
泣くこと自体好きではない。こんな姿の自分は傍目からさぞかしみっともなく映るだろうし、それが止められないのがまた歯痒くて、自然と悪態をついてしまう。理性が働いている為余計に自分の状態が恥でしかなかった。
まずはこの止め処もなく流れ落ちる涙をどうにかしようとクロフォードは両目を瞬いた。それで止まるわけもない。
アレクの善意により風通しの良い場所に移動させてもらい、被せられた上着によって周りから泣き顔は見られる心配はなく、あとは時間の経過を待つだけ。
しかし男物の上着は重くどうしても首が落ちてしまうから、傍から見れば薫の指摘通り正座する逮捕された人にしか見えない状態で、ただ流れ落ちる涙の先を眺めるクロフォードにエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は歩み寄った。
片膝を地面につけてエースが問う。
「クロフォード。大丈夫かい?」
「……」
エースの反対側に同じく膝を落としたダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)。
「そんなに気分が悪いのか?」
「(大丈夫だ)」
心配に顔を覗き込もうとしたダリルの耳の奥に、直接クロフォードの若干慌てた返答が返ってきた。
「本当か?」
正座しているクロフォードの腿の上には、涙が下衣にいくつもの染みを作っているし、こうして話している間にもぱたぱたと落ちていた。
大丈夫。という単語がとてもじゃないが信用できない。
「(心配ない。意識ははっきりとしている)」
どうだと問えば明瞭な返答が返ってくる。受信できるテレパシーにはノイズひとつとして無い。
「喋れないのか?」
「(ああ)」
「でも、大丈夫と?」
「(ああ)」
ダリルは、エースに視線を流した。
酩酊に意識が混濁して偽りを語っているようでもない。
「(アッシュブドウが酔いに似た状態にするのだろう? なら、今がそういう状態だ。成分が抜け切れば、体は動いて肉声の会話も可能になる)」
ただ、それだけの話なだけである。言葉が多少のきつい響きを帯びているのは、その状態を本人が歓迎していないだけだ。
「あ〜、まーがれっと、まーがれっと〜」
近くで声が聞こえたのでエースが顔を上げると、視線の先にはアッシュブドウの匂いに早くもあてられ頬を薄紅に染めたリース・エンデルフィア(りーす・えんでるふぃあ)が、酩酊した者の介抱に右から左へと奔走していたマーガレット・アップルリング(まーがれっと・あっぷるりんぐ)を手招いて呼び寄せている。
そうして合流した二人は、クロフォードの前までやってきた。
「皆良いところで休んでるねぇ。
ってあれれ、白くて長い髪の男の人――。もしかしてこの人、リースが前に話してた生き埋めの人?」
「ん? 知ってるの?」
エースが柔和な表情でマーガレットに問いかける。この笑顔の少女なら明るい雰囲気を運んできてくれるに違いないと踏んで、敢えて話を反らしたのだ。
「うん。荒野に埋まっちゃった竜の話はリースから聞いてたからね!」
「ああ、彼女に……」
マーガレットから視線を移すと、リースは良い気持ちでほやほやと上機嫌を顔に称えている。エースはなるほどと頷いた。
あの騒ぎは中々に不思議な体験であり、いくつかの疑問を残していた。
しかしあの話題は今は避けるべきだろう。この場で最良なのは恐らく『世間話』だ。エースが話題を思案している間にマーガレットは話を続けている。
「あんな岩だらけの中、擦り傷だけだって聞いて運がいいなーって。 ……て、泣いてるの?」
生き埋めの人。
その単語からあの砂色の竜を思い出したのは何もエースやリースだけではない。
当のクロフォード――『破名』自身も思い出していたのだ。止めることも力を貸すことも叶わず、ただ古い友を眠らせることしか出来なかったあの日の事を。
あれは、“起こしてはいけない事故”であり、例え事故が起きてしまってもそれに“対応”しなければいけなかった。それが破名に課せられた“役割”である。
しかし、それができなかった。あの日、契約者達がいなければ破名は『楔の資格者』たる自分自身の『存在意義』を失っていただろう。
「ちょ、ねぇ、どうしたのッ」
己の存在理由を失いかけたことを思い返し、涙を止める術の無いクロフォードは酸素を求めて喉を鳴らした。
「……ッハ、……」
息も絶え絶えに滂沱の涙を流すクロフォードに、ここに来る前にルゥルゥ・ディナシー(るぅるぅ・でぃなしー)とささやかな諍いに言い争い気が立っていたマーガレットは、カッとした。
ほっとくといつまでも泣き暮れていそうなクロフォードの様子に、元来陽気な性格のマーガレットはその湿っぽさに耐えられなかったのだ。
クロフォードの両肩を掴み強く握る。
「あぁもうッ! ウジウジすんなー! あたしなんか、好きな人に告白しないでフラれても泣かなかったんだからッ!!」
男のくせにいつまでもと叫んだ勢いでマーガレットが肩を揺らし、その動きについてこれず上着がクロフォード頭からずり落ちた。
覆いを失い現れたのは、顔も目も真っ赤に腫らし染まったものだろうという予想に反した、普段通りの肌色をしたクロフォードの顔だった。生理現象の赤みを帯びず涙を流す様子は目に目薬をさして嘘泣きをしている印象を与えた。そういった演出でないことは次から次へと溢れ出る涙が証明しているのだが、これはこれで異様であった。
だから、赤く腫れもしてない紫色の目を細め、自分の肩を掴むマーガレットににやりと唇を歪めるクロフォードはどこからどう見ても、
「……そうか、それは大変だな」
彼女をからかったようにしか見えなかった。
人を喰ったような笑みで言われ、一瞬「は?」と言いたげな顔をしたマーガレットは、我に返ると頬を赤く染めてそれを隠す様に声を荒げる。
「人が折角! もう、泣いてればいいじゃないッッ」
励まそうと思ったのに。その思いを逆手に取られたとマーガレットはぷりぷりと怒っていた。
マーガレットの言葉通り涙を流し続ける彼は、泣きながら少しだけ笑った。
と、白衣を掴む手に気づいた。
ぎゅむ、と袖を掴んで見上げてくるラグエル・クローリク(らぐえる・くろーりく)の「いじめちゃだめ」の眼差しにクロフォードは軽く唇を引き結ぶと、頷くように頭を上下に動かした。いじめるつもりは毛頭無い。失恋したと告白されたので感想を述べただけである。笑ったのは、反応がおもしろかったからだ。
クロフォードから争いを持ちかけはしない。
『感謝する。ありがとう』と、都度伝えていた言葉に、嘘偽りは無い。一度として“妨害”したことが無い故に、クロフォードにとって契約者は必ずしも排除すべき敵対者として認識されていないのだ。
「(すまないが)」
と、話しかけられてエースは首を傾げる。
「(名を。彼女にクロフォードと伝えてもらえないだろうか。呼び名が生き埋めでは少し情けない気分になる。
それから……上着は借り物なんだ。土や葉をつけたとあっては俺が罵られる……いや、蹴られるか……殴られるか…………)」
どんどん淀んでいく声にエースは上着の持ち主を想像して首を傾げるが、そこは苦笑で流しておいた。
「わかった。いいよ」
了解してぷりぷりと怒るマーガレットや警戒を解かないラグエル、そしてリース達に説明しながら、上着をとって土を払いクロフォードの頭に戻してやる。
クロフォードの薄い唇から、ほっとしたような息が漏れた。よっぽどこの上着の持ち主が怖いのだろう。
(泣いてる人を気遣えるのに、こんなに怯えるような反応をするように植え付けるとか……優しいのかそうでないのか分からないヤツだな)
そんな風に考えているエースの隣で、静かに控えていた彼の執事が動き出した。
「お水を用意しましょうか。飲みやすいようにハーブティをお作りしましょうか? それとも手っ取り早くお薬でもいかがでしょう?」
動かないし泣き通しだ。流石にこのままただ何もせずという気になれず提案したエオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)に、否とクロフォードは頭を振った。
「(自分の体は自分でメンテナンスできる。酩酊状態に陥るだけの様だし持続性も感じられないから放置してれば済むだろう)」
テレパシーを受け取るエースが間に入ってエオリアへクロフォードの現状を伝える。
「お水も?」
「(ああ。放置でいい)」
繰り返す悪魔にエースは呆れた。
「でも気になるよ。放置なんてできない。というかなんで放置なんて単語が出てくるんだ」
「そうですわ。せっかくお作りしましたのに」
涼やかな声音でエースとの会話に割って入ったルゥルゥはクロフォードの前に、上着に隠れて顔が見えない彼と目線を同じくする。
「リースが是非にと。私、横にできますよう寝床を作りましたの。放置してくれなんておっしゃらずに、そちらでお休みなさいませんか?」
メイドさん大行進により、風通しの良い場所には落ち葉が寝床型に整えられていた。流石メイドさんお仕事が早い。
「さぁ、クロフォード様。足が痺れる前にどうぞこちらでお休みになって?」
誘惑にも近い可憐さを振り撒いて誘い、そっとクロフォードの両手を両手で取って、ルゥルゥはきょとんとした。
手が、氷のように冷たい。
「クロフォード様、本当に、大丈夫、ですの?」
アッシュブドウが酩酊以外の変な作用を及ぼしているのではないだろうか。男がこの状態なのだ、ならば自分のパートナーはどうなのだろうかとルゥルゥはクロフォードの手を失礼がないように静かに離すとリースの方へ注意を変えた。
投げかけらた疑問に、多分安全装置という機能が関係しているんだなと心当たりのあるクロフォードは「問題ない」とルゥルゥの背に向かって心の内で答えた。
そして、僅か、クロフォードは考える。
「(なぁ、エース。俺は介抱されてるのか?)」
質問は、意思疎通に全く支障ない相手へ。
受けたエースは少しだけ驚いた。
「そうだよ?」
「(…………そうか)」
「どうしたの?」
「(否、特には。 ……ああ、でも、少し話をしたい)」
「いいけど。横にならなくていいの? 水だってあるし、症状改善だってできると思うけど?」
寝床もあるし、それなりに知識も、それをするだけの準備だってしてある。辛いのなら横になって、薬が欲しいならあげるのに。
「(気持ちだけで十分嬉しく思う。俺は『今の』薬にあまり耐性が無い。どうなるかわからないから、できれば控えたい。それよりも支障がなければ話し相手を願いたいのだが?)」
それぞれ体質の問題がある。好意を素直に受け取れず大変に忍びないが、無理して受けて要らぬ責任を負わすのはもっと気が引けた。
事情を話し謝罪し、代わりではないけれど、とアッシュブドウの成分が抜けるまで、他愛のない会話を要求する、それがクロフォードが選んだ選択肢だった。
First Previous |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
Next Last