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第3章 商いの風景


「うーん、物が多いから目移りはするけど、これや! ちゅうのはなかなか……」
 端が変色した本ばかりの出店の前で、大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)が眉根を寄せて考え込んでいる。
 考え込んでいる表情で何か渋い心情になっているのかと思われそうだが、迷ったり考え込んだりするのも買い物の楽しみだと思っているので、つまり楽しんでいる真っ最中なのだ。
 そんな心情が分かっているらしく、隣りで自分も手に取った本をめくっているレイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)は時折穏やかに笑む目で泰輔を見る。
 泰輔は、店に並べられた山のような本をじっくり見ていく。特定の本を捜しているわけではないし、「滅多に『心惹かれる本』がガチンコせえへん」ので、買い物を平和に楽しむことに決めたらしい。商品の量は申し分ないので、じっくり見ているだけでもなかなか楽しい。
 装飾やレイアウトのセンスから、内容を推測したりするのも面白い。
 目次とあとがきだけ目を通して、あたりをつけるのも楽しい。
 本との出会いには様々なきっかけがあり、ロマンがある。それがいい。
 古書というのもいい。いい本はなるべく多くの人の目に触れるよう、流通させるのがいいと思っているから。
(知識、ちゅうのはありがたいことに、読んだりして伝えられても「減る」事はあらへんからな)
 手にした一冊の本を掲げ、裏や見返しまで丹念に見た後、泰輔は積み上げた商品の山の奥にいる店主に声をかける。
「おっちゃん! この本の値段はどうしてこうなってるん?」
 ――値引きの駆け引きだって、楽しみの一つだ。
「さっきの店でこれと同じのが、これより2割は安かったで」
「版が違うんだろ。そいつぁ初版だ」
「にしてもこの値段はさすがにエグいんちゃうか」
「この本の旅費の分だよ」
「旅費?」
「それだけ長い旅をしてやって来た本っつう意味だよ、お若いの」
 その説明に泰輔は納得していないようで、尚も値段議論を続ける構えだが、レイチェルは少しだけ、「長い旅」という言葉に感じるものがあった。
 書物により、人の思索の痕、ひいてはその人の「あったこと」は、永遠に近く残る事を許される……と考えれば、古い本というのは、今はいない大昔の人とお喋りができる、とても便利なツールである。古書が経てきた時、生まれた場所からの長い旅。それを経て人と出会うということには、(それをどのような基準で換金するかと考えれば個人差があろうが)確かに価値があると思える。
 その意味では古書市は、とても貴重な出会いの場だ。
(泰輔さんの好奇心をくすぐるような本との、良い出会いがあればいいですね)
 生き生きと店主とやり合っている泰輔を見ながら、レイチェルは思った。



 如何にも怪しげな、少々黴臭い古い魔術書ばかりの出店がある。
 商品である本や、どうもそれだけではない骨董品らしきものを入れた箱が、この店のスペースに外壁を為すかのごとく積み上げられているので、中にいる店主のスペースは昼間なのに薄暗い。ランタンを灯しているのが怪しげな雰囲気に拍車をかけている。
 だが、その隣でのんびりと男爵が腰かけているし、店の前にいるセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)は特に雰囲気にのまれた様子もなく、並べられた魔術書を物色している。
 深い魔術の知識を得るための本はどんなものがいいだろう。たまたま、マーケットの客たちに挨拶をしていた星耳男爵を見つけ、主催であり古書の造詣が深いという彼に、そんな風にお勧めを尋ねたのはセレンフィリティだ。
 最近メイガス(賢人)になったばかりで、色々と勉強しなくてはという自覚も意気込みもあるが、メイガスが学ぶべき多岐にわたるそれを系統立て、効率的に学ぶにはどのようにすればいいかは正直模索中なので、
「そういうことを学ぶのに役に立つような本を見てみたいんだけど……」
 と男爵に打ち明けて助言を求めたところ、この店に連れてこられた。
 確かに、相当年代物の魔術書が揃っている。
「なかなかディープなものもあるから、気を付けてね」
 男爵は店主が出した椅子に腰かけ、呑気な様子で2人に言う。曰く、生半可な技量では接するのも危険な「深淵」に触れる書も紛れ込んでいるとか。
「おいおい男爵、そんな迂闊なものは店頭には並べねぇよ。ちゃあんと筐に入れて、奥にしまってあらぁ」
 気安く男爵に話しかける店主は、一見普通の人のような妙齢の男性だが、眼光は鋭く、海千山千の商売人という感じをそれとはなしに放っていた。
「けどな嬢ちゃんたち、古い書を見る時には確かに気を付けるに越したことはないな。
 冒険ってのは見知らぬ野山でモンスターとドンパチすることだけじゃない。
 知識を求める時だって、魔物とやり合うのと同じような危険を冒す『冒険』をしなきゃならない場合もあるってこった」
「なるほどね」
 店主の話を聞いて頷きながら、セレンフィリティは次々に、気になった本の表紙を開いている。いや全然話聞いてないのでは、とセレアナはツッコむべきかどうか傍らで見ていて迷った。店主も男爵も、特に気にしてはいないようなので、余計にどうしたらいいかという感じである。
「こんな本って、どこから仕入れるの?」
 セレンフィリティが店主に聞くと、「この辺の本はコンロンの亡霊商人から買い取ったな」とさらりと答える。
「すごい、いろんな場所から本が集まっているのね」
 己のステップアップのために、いろいろな知識を吸収したい。また単純に古い本が好きでもある。その思いの向くままに、珍しそうな、自分の知らなかった世界の存在を示唆するようなタイトルの本を次々に手に取っていく。中には、ちょっと見ただけではピンとこないようなものもあるが、自分のレベルが上がればそれらの中にある貴重な知識が理解できるようになるかもしれないと思うと、すぐには棚に戻せない。
「これ以上無駄遣いするとスッカラカンになるわよ!」
 予算は限りあるのに、とセレアナが咎めなければ際限なく抱え込みそうだ。
「面白いだろ嬢ちゃん、その本」
「これ……難しくてよく分からないんだけど」
「いやいや内容じゃなくて。じっと見てると身じろぎするぜそいつ」
「……わっ! 本当、挿絵が動いた!」
「稀代の変人と言われた魔道仙人が、魔術書の評論家をからかうためだけに作ったっていう珍書だ。しばらく見ていると本文も全部語尾が否定形に変わるぜ」
「魔術の仕掛け絵本みたいなものかしら。可笑しなこと考えるのね、偉い人っぽいのに」
「というか、子供じゃないんだから……」
 セレンフィリティが目を丸くし、セレアナが呆れていると、売り物の間を抜けてとっとっとと、小さな男の子2人が走っていく。寝間着のようなローブを着、そっくりな姿をしているのを見ると、どうやら双子らしい。男爵に親しげに話しかけ、一人が手に持った小さな木箱を少しだけ開いて男爵に中身を見せ、3人で笑っている。
「もしかして、あの子たちって……」
 セレアナが気付いて店主に話しかけると、店主は頷いた。
「そう、魔道書だよ。2人で前編と後編さ。たまたま北方の古書蔵からの発掘品を買い取った時に貰い受けたんだが、おっかしな奴らで、俺の弟子を気取って行商の長旅にも喜んで付いてきやがるんだ」
 セレンフィリティは興味を引かれた。人型の魔道書と話してみたい、という好奇心もあったからだ。店主に呼ばれると双子はぱたぱた走って、2人の前にやってきた。ひとりはどこか悪戯っぽい目で、木箱を持っているのはこの子だった。もうひとりはちょっとおどおどした人見知りっぽい目をしている。
「あなたたちはどんな本なの?」
「本の虫だよ」
「えっ?」
「度を越した“本の虫”が本にのめり込み現実世界を忘れるあまりどんなことが起こったのかっていう奇談を書いた、奇想天外な本さ。
 実話に基づいてるらしいけどな。そいつらを最後まで読むと、自分も度を越した本の虫になって現実世界に帰ってこられなくなる、っていう都市伝説もあるんだぜ」
 店主が捕捉した。双子はちょっと不服そうな顔をして呟く。
「面白いのに」「面白いんだよ僕ら」
「……ちょっと読んでみたい気もするわ」
「念のためにやめてセレン」
 セレアナが止める。自分も精霊魔法の本などをじっくり選びたいのだが、如何せんセレンフィリティの興味の矛先がころころ変わるのが気になって落ち着かない。
「それじゃあ、訊きたいんだけど……強力な攻撃魔法の載ってる本を知らない?」
 止められたセレンフィリティが別の質問をしてみると、双子は顔を見合わせた。それから、人見知りっぽい方が背後の本の山からごそごそと探って1冊の本を取り出した。
「これ……」
 2人が見てみると、確かに強力な魔法が人を直撃する図が幾つも載った本だったが、あまり見ないタイプの古代文字なので本文が読めない。
「これ何の本? 魔法の専門書、とは少し違うみたいね……」
「それは、『魔法を使った拷問大全』……」
「セレン、しまいましょう」
 セレアナが即座に言った。



「フハハハ! 我が名は世界征服を企む悪の秘密結社オリュンポスの大幹部、天才科学者ドクターハデス!
 衆人どもよ、この俺の記した偉大なる“知識の書”に括目するがよい!!」

 マーケットの一角、平積みにされた大量の分厚い本の山を前に、ドクター・ハデス(どくたー・はです)が気炎を上げている。

「この書物には、はるか太古から未来に至るまでの、秘密結社オリュンポスの活動の記録が暗号の形で記されている。
 これを読み暗号を解読すれば、世間の者共も、我らオリュンポスの偉大さを理解できるはずだ!」

 他の店は大概静かに、来る客を待って商いをしている分、八百屋の叩き売りもかくやとばかりに声を張り上げるハデスの姿は否が応でも目立ったいる(悪目立ち?)。
 実は出店がギリギリになって飛び入りのような形で決まったため、回廊の中には割り当てられるスペースはなく、そのためハデスの店だけは回廊の真ん中の露天のスペースに、ワゴンセールのような格好で出ている。しかしハデスはお構いなしのようだ。むしろ壁を背にしない分「全方向から客が来られる!」と好都合に思ってさえいる。
 スペースに置いた商品棚一杯に、ハデス著の分厚い(自称)魔導書が並んでいる。黒い表紙で、一見それっぽい魔術書のようには見える。ハデス曰く「禁書『オリンポスの書』」というそれらの本は、山のように平積みにされ、在庫はばっちりである。
 そこに、泰輔とレイチェルがやってきた。
「なんやこれ。古書とちゃうみたいやけど」
(またこれ山積みやなー。ウソでもエエから、ばらけさせて売った方がええのにな。同人誌即売会の新刊売ってる訳ちゃうんやから)
 確かに、子細に見ればプロの装丁というわけではなくお手製感滲み出る大量の本を並べた出店は、同人誌即売会の様相を漂わせている。
「(ぺらり)……ほぉ……これは」
 内容も若干同人誌ノリだ。と思った。
 もっとも、細かい文字がびっしり並んでいるので、立ち読みで全部把握できるものでもないが。

「世界の知られざる叡智を記す、禁断の知恵の書物が、このマーケット限定でなんと今ならっ」
「禁断の英知を安売りするんかい!」
 ハデス当人が売り子と見て、思わず、そして遠慮もなくツッコミ(茶々?)を入れる泰輔。「ムムッ」という顔で彼を見るハデス。
「そんで何? 限定で禁断ストラップとかついてくるん?」
「何だ禁断ストラップとは!?」
「知らんわそんなん」
「(むきーっ)自分で言っておきながら無責任な!」
「この本字が汚いでー」
「なんだとっ!」
「あとで誤字脱字多いでー」
「そんなはずがないっ!! ちゃんと校正している!!」
「2頁に1文字の割合ー」
「そんなにあるわけないだろうがっ!!」
「まぁまぁ、そうカッカせんと値引きしてーや」
「っ! ふざけているのか貴様っっ」

 ……などと「客と売り手のやり取り」を2人(のうち、泰輔だけ)が(一方的に)楽しんでいる間に、何やら活気のある店だと思ったのか客もちらほら集まって来た。
「ふーん……まぁ、ある意味面白いかもね……ある意味、ね」
 などと、すました「上から目線」の意見を呟きながら、ぱらぱらとページをめくっている、ゴスロリ服の少年。
「……魔道書と呼べるかどうかは分からないけど」
 ヴァニである。
 彼は今、他の一般客と同じく、興味のおもむくままに古書を見て回っている。パレットとリピカは同行していない。
 自分は真面目な話し合いの場にはあまりそぐわないから、と、わざと2人から離れたのである。

 ――今、2人は何か、この市にパレットが来たいと思った動機に関する、重要な話をしているに違いないと分かっていた。