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 最後のひとりのもとに駆けつけ対峙したのは、ロレンツォとアリアンナ。
 ロレンツォのトレジャーセンスもまた、禁書処刑人と同じようにこの場所(ハデスの露店)の近くにある何かに反応していた。それが何かは分からないが、いま大事なことは、禁書処刑人を止めることだ。
 その存在はロレンツォの目には、正当性のない強権の暴走そのものと映る。

 【疾風迅雷】で、禁書を求めて立ち去ろうとする処刑人の前にロレンツォが回り込む。不意を突かれた処刑人の動きが一瞬止まる、その間にアリアンナが【奈落の鉄鎖】で処刑人に重圧をかけて動きを止めた。
「禁書を処分する――何のためカ?」
 真正面から処刑人と相対して、ロレンツォは言葉をにじり出すように呟く。
 本にする――自分の考えや思索の結果を世界に向けて発信することの自由は、「考えること」や「思索すること」自体の自由の結果であり、その結果である「本」を焚書するのは、考える者や思索する者を実質上「殺す」のと同じこと。
「人間は、ものを考える存在、『コギト・エルゴ・スム』!」
 処刑人はロレンツォの言葉を聞くことはなく、自分の身の動きの自由を奪っている元を探して周囲に探るような目を走らせ、それがアリアンナであると悟るとそちらに向かっていこうとした。しかし、今度はアリアンナは【サイコキネシス】でその動きをも封じる。
 精神力での攻撃は、処刑人を包む強固な思念のシールドを、わずかにではあるが削いだ。動きが思うように取れないことに、処刑人の口から不満と怒りの唸りが漏れる。それはまるで獣のそれだった。

「貴方の言い分では、禁書って存在を許されないのよね?
 どうやってそれが禁書かどうかを知るの?
 判るって事は、貴方達の頭の中に、禁書の内容が存在するから照らし合わせられる……
 貴方も、じゃあ存在してはいけないわ」
 アリアンナが処刑人の動きを押さえたまま、言い放つ。

 人ではないのかもしれない。しかし、少なからず言葉を知る者に、人の思いや考えを表すことの重みが分からないということがあるのだろうか。
 ロレンツォは、【その身を蝕む妄執】とともに、自分の思念の剣としての言葉を、この存在に届かせたいと思った。どうしても容認することのできない、「『人々の自由な思念』の殺戮者」としてのこの存在に。

「ワタシは正しいと思った事を叫ぶ。能力と時間が許すなら、書物にもしよう。
 で『叫んだワタシ』を、テロリストとして、処刑する?

 ……どっちが危険な『テロリスト』か。
 判断するのは、ダレ?
 判断する『禁書処刑人』の判断力は、見識は、どれほどのものネ?

 ――そうやって、人々が考えを表す事を、推し進めては考えること自体を、禁止するつもりアルか?」

 人間性は喪われている――はずの処刑人の、狂信に囚われた目が、その眼路の先にあるものを見失ったかのように揺れた。
 その身を蝕む妄執とともに、ロレンツォの言葉は処刑人の精神の内に食い込んでいく。
 心を持たぬかに見える処刑人を苦しめる幻覚はあるのだろうか?


「オマエ、そんな権限、ない。」


 その言葉が響いた時。
 何かが炸裂したかのように、処刑人はカッと目を見開いた。

――我々は、正しい。

――ずっと、大義を貫いてきた。

――我々が悪書の邪悪な思惟から、人と世界を守って来たのだ。

――我々の正しさは、時代によって覆ることはない。

――我々の成し遂げた業は、暗黒の歴史になることなどない。

――我々は、絶対に。

――我々は。


 それは不気味な声だった。
 電子頭脳仕掛けの、何者かにインプットされた言葉が、エラーによって延々と繰り返されているかのような印象を受けた。
 ――妄執とも呼べる観念の虜。
 盲目的な狂信に身も心も囚われた存在。
 心はとうになかったかもしれない。ロレンツォの言葉が打撃したのは彼の心ではなく――信念だった。

 しかし、その狂信と妄執こそが、その異質な命も含めた彼を動かすすべてなのだとしたら。
 別の妄執による悪夢の幻覚とロレンツォの怒りの言葉にそれを砕かれ浸食された今、その末路はもはや明らかだった。
  

 幻覚に精神を食い尽くされた瞬間、処刑人の巨体は崩れ落ち……砂のように散って、消えた。




――我々は、正しい。……

 

 何者かに反抗するかのように繰り返されたその言葉は、空気に乗ってその場に満ちたのか。
 それとも、もともと3人の処刑人には精神的共振があったのか。
 思いがけないことに、ひとりの消滅は他の2人に影響を与えたのだ。


「宵一! シールドが弱まったわ!」
 ヨルディアが叫んだ。宵一は剣を構え直す。
「よしっ!」
 脆くなった狂信のシールドを砕き貫く【ソードプレイ】を鮮やかに放った。


「かぱっ!(お嬢、下がってください!)」
 【光学迷彩】で姿を隠しつつネーブルを支援していた画太郎が姿を現した。冷気が凝ってできた足枷から逃れようとしている処刑人の暴れようが酷くなったため、ネーブルの身を案じて彼女の前に飛び出したのだ。
 が。
「……か…ぱ?」
 暴れる勢いで冷気を破ってしまうかと思われた処刑人の体は、まるで下から凍り付いていくように動きを失い、固まっていく。
――我々は、正しい。
――我々は世界を救った。
――我々の信念は正しい。
 動く限りの体の部位で何事かを伝えようというかのように、突然、その口が感情のない声で忙しなく言葉を押し出し落としていく。
 そして、完全に凍りついた。

 身を守るシールドが消滅し、先のネーブルのアルティマ・トゥーレの冷気が、足元から浸食してその肉体を凍結させたのだ。



*******


 ――後になって、この様子を遠くから見ていたヴァニは、エリザベートに報告した時に、ガラになく真面目な顔で、こんな風に話した。

 たとえば。
 僕は画集で、いろんな画家の絵が載っている。有名な画家、無名な画家、生前は全く評価されなかったけど今は多くの人に愛されている画家。
 現代はもてはやされている画家の作品も、当時の権威集団――たとえばサロンとか? そういうのの評価が低かったばかりに見向きもされなかったものもある。
 それが、絵自体は変わらないのに、時代で評価が180度変わった。
 僕は時々思うんだよ。
 今の時代に、当時のサロンの権威とかが甦って、かつて自分たちがくそみそにけなした作品が世界中から絶賛されているのを見たらどう思うかな、って。
 世間の声を衆愚のものと見なして、自分たちの昔からの意見を意固地に貫くか。時代に迎合して評価をころりと変えるか。ってね。

 彼らは、それだったんじゃないかな。

 魔女狩りや異端制圧、宗教戦争。大義が名分にあって、その実人間の暗部が跳梁跋扈していた黒い歴史ってあるよね。
 今の時代から見れば、それは不当な強権の残虐な行いだと分かる。でも当時は、それが正義だと信じていた人も少なくない。
 その信じていた人たちが、かつての自分の行いが悪であるという、歴史の評価を知ったらどう思うんだろう。
 処刑人たちは何度も、我々は正しい、って繰り返してた。
 歴史の評価でそれが実は悪だった、という烙印ををされるのを、頑なに拒んでいるみたいに見えたよ。
 彼らを動かしていた妄執って、それだったんじゃないかな。

 時を経ても、禁書を消し去りまくった自分たちは正しかった、その反対の評価は認めない……っていう。
 自分たちの正当性を歴史の評価に侵害されまいと……うん、そうだね。バカげた妄執だと僕も思う。


*******

 

 3人の禁書処刑人を、確保することは出来なかった。
 彼らは倒れると、皆、砂のように崩れて消えてしまったからだ。
 観念に取り憑かれた、もともと実体のないお化けだったのか。
 禁書を処分するという、ただそのためだけに動くことを許された体だったのだろうか。


「まぁ、取り敢えず全員阻止できたんだからよしとするか」
 宵一が呟いた時、ヨルディアが、顔色を変えてやってきた。
「まだひとり、いるみたい」
 ヨルディアが密偵で放った2人の下忍のうち、1人が、裏庭に近いパーゴラのある方へ向かうのを見たらしい。
 宵一とヨルディア、そして数人の契約者が、パーゴラのある方へと走った。