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第6章 処刑人来襲


 ロレンツォ・バルトーリ(ろれんつぉ・ばるとーり)は、禁書処刑人の噂を聞いて腹を立てていた。
「『処刑」とかいう暴力で、本を処分することは、およそ文明人のする所業ではないネ」
 禁書の存在を強権で押さえつけて処分――「ないことにする」なんて、一時代前のことだと思っていたが、ここにきてこんな者が出てくるとは。それは人としての「思索」「発信」の自由を踏みにじる、傲慢な恣意だと思われた。
「その自由が侵害されることがあってはならナイ!」
 パートナーの怒りを目の前にして、アリアンナ・コッソット(ありあんな・こっそっと)は、
「まぁ何にせよ、他人の所持品や財産を勝手に壊したり処分したりするのは、よくないわよねぇ。
 確かに『アナタ何様?』って気はするわよ」
 と、退治に付き合う意志を表した。
 特に危険な書を嗅ぎつけてやってくるという噂なので、【トレジャーセンス】を使い、彼らが特に近寄りそうな書の在り処を探すことにした。



「なにっ? 『森羅万象の真名が記された本』を消そうとしている『禁書処刑人』だと?!
 ――くっ、まさか、この俺の『オリュンポス真名辞典』を狙う者が現れるとはっ!」
 ハデスがひとりでパニクって、並べられた商品の山を前に、来てもいない敵からそれを守ろうとあわあわ右往左往している。
「……いやそれ狙われてないと思うでー」
 泰輔が平常心そのものの真顔で冷静にツッコむ。
 ちなみにアキラやノーンもこの店に立ち寄って、ハデスの力作(?)を立ち読みしているが、平常心そのものである。
「何を言うか! 奴らの狙いは『秘術を極めた者のみが解き明かせる暗号で』『頁一杯に言葉が羅列された』『森羅万象の真名が記された本』……
 ということはどう考えても、この俺の叡智の結晶たる真名辞典以外に考えられんだろうが!!」
「いやいやいや、そんな下手クソな字の叡智の結晶あるかい」
「人の字のことを五月蠅く言うなあああ!!!」
 禁書処刑人の影に勝手に怯えながらも結局、泰輔のおちょくりにムキになっているのは数十分前から変わっていない。



 その頃、セレンフィリティとセレアナもまだ、最初に男爵に紹介された店にいた。
 意外と店主や双子の魔道書との会話が弾んでいたのだった。
「その木箱、何?」
 さっきから気になってたんだけど、とセレンフィリティが尋ねると、双子のゼンとコウ(店主にそう呼ばれているらしい、前編と後編だから)は、顔を見合わせてくっくっくと笑った。
「これねー、『本の虫』」
「本の虫?」
「オッチャンが仕入れた禁書の中に隠れてたの。本と一体になっちゃう虫。捕まえたんだよ。ねー」
「ねー。全部で17匹。ねー」
 楽しくて楽しくてたまらないというように、ゼンは木箱を握りしめ、コウはそれをじっと見て、時折くすくす笑う。
「一体になるって……どんな風に?」
「見たい?」
「見せてくれるの?」
「1匹だけならね。えーと……オッチャンの売り物を使うと、怒られちゃうんだ」
 見本にするのに使う本を探そうというのか、ゼンとコウは店のテーブルの仕切りの外に出て、辺りをきょろきょろ見回した。

 その時。

「危ない!!」
 飛んでくるミサイル状の火炎に、いち早く気付いた人物が、小さな2人の襟首を同時にひっつかんで引き戻し、火炎は2人への直撃を妨げられて、店の間の石壁に直撃して消えた。
 二人を咄嗟に助けたのは、近くをたまたまぶらついていたヴァニだった。火炎に気付き、咄嗟に2人を捕まえて助けたのだ。
「大丈夫!?」
 セレンフィリティらも駆けつける。だがその頃には、周囲の店は「火炎を飛ばしてきやがった!!」「本が焼かれる!!」とパニック状態で、多くの商人たちが自分の商品を護るために魔法の防火シートを広げたり、本を奥に運ぼうとしたりして大騒ぎになった。
「怪我はない?」
 セレアナの問いに、双子はこくんと頷いた。ヴァニは何か思うところあるのか、騒ぎが大きくなっている方へと走り去る。セレンフィリティらは迷ったが、
「悪いが嬢ちゃんたち! 覆いをかけるの手伝ってくれねぇか!?」
 と店主に頼まれ、緊急避難の手伝いの方に走ることにした。



 火炎を避けた拍子にゼンが手放した木箱は、放物線を描いて宙を舞い――落ちた。

 ハデスの商品の山に。


「どわあああああっ!!!!????」
 結果、十数冊の、黒い装丁の(著者曰く)魔道書に無数の足が生え、石畳の上をカサコソ走り回り出した。
「うっわ! ゴ○ブリやん!!」
「気持ち悪〜〜〜!!」
「何だこれ!?」
 周りの人間まで巻き込んで予想外の騒ぎに発展する。
 そこに現れた――人影。

 ゴオオオオオォォ――
 熱を孕んだ風が渦を巻き、積まれた書のページを激しくめくりながらそれ自体をも撒き散らす。



「ねぇねぇ、和輝〜」
 本を選んでいる和輝の後ろから、アニスが小さな声で呼びかけた。
「どうした? 何かあったのか」
「…さっきの人、ちょっと変わった感じだった」
「……星耳男爵のことか?」
 アニスはこくんと頷き、呟くように言った。
「あの人……何かが『寄ってくる』人だと思う」
 アニスの高い感受性は、人とは違ったものを感じ取ることがある。それが具体的にはどういうことなのか、和輝には分からなかったが、取り敢えずアニスに尋ねた。
「怖かったのか?」
「ううん。“皆”もあの人を怖いと思ってないから、大丈夫」
 アニスはさっきから和輝の後ろで、人ならざる“皆”と密かに話をしていた。
 和輝が、男爵について詳しく訊こうと思った時、突然アニスはぶるっと身震いし、顔色を変えて和輝にしがみついた。
「どうした?」
「何か、怖いものが来るよ……“皆”も怖がってる……!」




――禁書はどこだ。存在してはならぬ書はどこにある。
――存在してはならぬ書は、存在してはならぬ。人のため、大義のため。

――我らは、人の世の大義に尽くす者也。


 巨漢が現れた。
 徒手空拳ながら、禍々しいオーラを纏い、何とも言えぬ不気味な威圧感を持って。
 その目はこの世にある何も見ていないかのように、表情がない。
 その腕を一振り上げると炎が、もしくは黒いオーラを纏った風が飛ぶ。
 それによって巻き起こる恐れと混乱の声にも、全く無感動の様子で、ただ歩いてくる。
 巨漢が――3人。

――禁書は、どこだ。


 何故か3人は、ハデスの出店を目指してやってくる。
 何かに引き寄せられるように、感情のない目で真っ直ぐに。




「誰じゃい、ごてくさと! ここは運動場やない!」
 突然場をめちゃくちゃに荒らしながら現れた何者かに、泰輔が怒鳴った。
 商品の本の山がばらばらに散ってしまった中で、当の店主であるハデスはといえば、強風にやられてすっ転んで倒れている。さらに、そのハデスの上に本の山が崩れてきて埋まってしまった。泣きっ面に蜂とは正にこのことで、早々に戦力外確定である。
 レイチェルが、仮想される来襲者の攻撃からハデスを守ろうと彼の前に庇い立った。


「わっ」
 3人のうちのひとりが巻き起こした黒い風は、たまたまそこで立ち読みしていたノーンをも巻き込んだ。それは辺りの本を巻き上げながら――書の真の姿を暴き出す。
「ノーン!」
 かつみが駆けつける。
 が、いきなりノーンの姿は消えた。
「!?」
 驚き、たじろいだかつみの目の前に、ひらひらと一枚の紙が落ちてくる。
「これ……?」
 片面には何やら詳細に書き込まれ、片面には子供が描いたような落書きがある一枚の紙。
「ふふふ、ナイスキャッチだな、かつみ」
「――ノーン!?」
 かつみは目を見開き、ちょっとの間言葉が出なかった。
 ノーンのこの姿を見たのは初めてだったのだ。

 気が付くと、風を起こした処刑人は、その風で散った本をつぶさに見ているようだった。
 そして、かつみとノーンを見た。
 ノーンを持った手を隠すように後ろに回し、かつみは距離を取りながら処刑人を睨みつけた。
 緊張感が走った。――だが、ふと処刑人は目を逸らし、この場に興味を失ったかのように歩き出した。
 どうやら、禁書の内容を確認していたようだ。結果、ノーンはその対象には入らなかったらしい。


――どこだ。禁書は、『万象の諱』はどこだ。


 歩き出した、その足を冷気が縫い止める。
「処刑人さん……動かないで……」
 ネーブルの【アルティマ・トゥーレ】だった。
「魔道書さんを……傷つけちゃ、ダメ、だよ……?」
 人間性のない処刑人には、ネーブルの精一杯の制止の言葉は響かない。
 ただ目的を遂行するためのだけに、その動きも思考も働くのだ。
 そして今、彼が認識しているのは、「目的の遂行を妨げられている」という現状だけだ。 
――禁書を……
 処刑人は、足の自由を取り戻そうと。氷に囚われた足をごそごそさせる。
「動かないで……」
 呟くような制止は虚しく消えると知りながら、ネーブルはその巨漢の前に立ち、万が一彼がアルティマ・トゥーレの冷気の枷を破れば第二撃を繰り出すつもりで構えている。
 この様子では長期戦も免れまい、という予感に襲われつつ。



「こっちだ!!」
 残る2人のうち、1人の相手を買って出たのは、ヨルディアの密偵による追跡で辿りついた宵一だった。
 ネーブルが動きを止めた1人以外の2人もまた、何か目的があってハデスの店の本を狙ったようだったが、今はもうそこから関心が外れたようで、散らかされた本には目もくれず、どこかへ向かおうとしていた。その1人の前に、宵一は立ち塞がった。別の場所でもこんな風に騒ぎを起こし、いずれ何かの魔道書を消し去るというのなら、放ってはおけない。
 宵一の【プロボーグ】による挑発は、目的を遂行することしか眼中にない処刑人の、注意を向けることには辛うじて成功した。行く手を塞いだのも効果的だったかもしれない。目的遂行のため、妨害物は排除する。その意識が戦意となって、宵一に向かった。
 屈強そうな肉体は、肉弾戦で脅威を発揮しそうに思われたが、意外にも処刑人の戦法はほとんど火炎だけだった。火炎を放つ際に風も巻き起こすが、ほとんど動きを妨害する程度の威力で、殺傷するほどの力はない。
 宵一は『女神の右手』を使ってわざと防戦に徹し(つつ進路を妨害することで相手が戦闘から離脱するのを防いで)、時間を稼ぎ、その間に少し離れた所にいるヨルディアに弱点を探らせる戦法を取っている。
(頑丈そうな体は、耐久力だけなのか?)
 聞く話では、目的を遂行する前でどれだけ妨害しても倒れないタフな相手らしい。
「宵一、これはちょっと難しそうよ」
 下忍と共に処刑人を観察していたヨルディアが、宵一に向かってそう言った。
「体を思念のような、精神的なものから発する力で覆い尽くしている。それは何者かのものではなく、本人の意志の力みたい。
 この手の力のシールドを壊すには、相手の精神的な動揺を誘うしかないけど……」
 どうやって、動揺させればいいのか。
 処刑人は禁書を処分するという目的しかその頭になく、他の事には基本的に見向きもしない。人の言葉は届かない。その、頭でっかちで盲目的な――自分の使命を盲目的に信じる「狂信的」な信念があるからこそ、鉄壁の思念のシールドを張り巡らせられるのだ。
 狂信者の信念を揺るがせる方法とは?

「くそっ」
 宵一は『神狩りの剣』を構える。本当なら弱点を見つけ次第これで一気に攻勢をかけるつもりだったが、長すぎる防戦でジリ貧負けするのは避けたいだ、やむを得ない。最大の防御としての攻撃でしのぎながら、効果的な一手を探るしかない。