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魔道書はアレクサンドリアの夢を見るか

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魔道書はアレクサンドリアの夢を見るか

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第6章 今そこにある「異空」


 異世界の空を切り、『虚無の手』は一直線に、凄い勢いで伸びてきた。
 まるで、図書館を守る龍に対抗するもう1匹の黒い龍のように。

「気を付けるんだ!」
 立ち塞がったアルツールが、バハムートらに合図しながらパートナーたちに注意を促す。バハムートとサンダーバードは、伸びてくる黒い手の真正面からブレスを浴びせた。2頭同時の勢いに負けたか、黒い靄は一瞬、霧散する。
 再びそれが形を結集し始めたところへ、エヴァの【天のいかづち】が叩き落とすように直撃し、再び靄は宙に散った。




「――!!」
 書龍がハッと目を見開く。動きが一瞬止まった。

――我は……
 巨大な口から洩れる荒々しい息の間から、低い声が聞こえてくる。

(あんたらは、誰や)

――我は……我々は……


「どうやら、何とか話は出来そうな状態になったみたいやな」
 その様子を見ながら泰輔が言った。声に、しっかりと自我が宿っているのが分かる。
 龍の咆哮を聞いて駆けつけ、様子を見ていたクラヴァートとリピカも、ホッと胸を撫で下ろしたようだった。 
 空に伸びていた『虚無の手』の影も、ひとまず消えているようだった。
 書龍が、首を巡らせ、館の前に佇むクラヴァート達を見る。
――礼を言わねばならぬようだな、現世から来た御仁らよ。
「書龍よ、この方々は……」
 クラヴァートが進み出て、事情を手短に説明した。
「僕らは、あんたたちの敵やない。
 ただ、冷静になって、戦うなら正しく敵を認識してもらいたいて思てな」
 泰輔が言うと、書龍の険しくも大きな目は彼に向いた。

――……率直に言おう。敵は今や『虚無の手』だけではない。この館内に在るのだ。

「え……!?」
 全員が驚き、クラヴァートの顔が強張った。、
「まさか、館内の書物に中に、何か」
――いや、裏切り者がいるという意味ではない。
――虚無の手の力は、触れた霊的存在を消し去るというもの。それは今まで、我らが撃退してきた。
――だが、それでは終わらなかったのだ。
 書龍は語った。


 散らした虚無の手の力は、我らも知らぬうちに空気に運ばれて館内に入り込み、人知れず、奴らが呼ぶところの「修正」を進行させていたのだ。
 その結果、今館内には、幾つもの「小規模平行世界」が生じている。
 人の見た目には気付かないだろう。同じ書棚の右の端と左の端で、所属する空間が違う、といった具合だ。
 言葉で説明するのは難しいが……

 そうだな、たとえば、Aという書とBという書が並んで置かれていたとしよう。
 我らから見れば、同じ空間に2つの書は並んでいる。
 そしてそれとは別にCという書があるとする。これは同じ棚にはない、もしかしたらこの図書館にすらないかもしれない。
 同じ空間にあるように見えながら、Aは「Cが存在している世界」の1冊、Bは「Cが存在していない世界」の1冊、となっているのだ。
 つまるところ、同じこの空間内にありながら、2つは異なった次元に属する存在となり、見えない異空に隔てられてしまったのだ。
 これは一つの例にすぎないが……

 そのような、視覚では気付かぬ、小規模な異空が今、館内に幾つも偏在している。



「なんや……ややこしいことになってしもてるな」
 言葉を失うクラヴァートの隣りで、泰輔が呟く。
「その状態は……とても、まずいことになるのでは」
 リピカが恐る恐る声をかけると、書龍が溜息に似た深い息と共に返す。
――そうだ。このまま平行世界が増え続ければ、いずれ図書館が内部からばらばらになって砕け散りかねん。
――ゆえに我は、このように図書館に体を巻きつけ、内部からの崩壊を進めぬよう押さえつけている。
「包帯のように、亀裂が進行しないように……補強しているようなもの、なのかな?」
 フランツが口に出して考えながら、一人で頷いていた。
「せやったらなおさら、無駄に力を使てる場合ちゃうやん」
 泰輔が強い声を上げた。
 外からは『虚無の手』、内部からは平行世界の発生。危機は両面から迫っている、こんな時こそ冷静な判断力を持って、隙なく無駄なく戦えるように備えなくては。
 ……他に頼るものがなかったから、ひとり(自分たちだけ)で気負いすぎて、テンパってしまったのか……
「待って!」
 クラヴァートが、焦りのあまりか喘ぐような声を上げた。

「今、図書館内には契約者の方々が入っている……このままでは、彼らにも身の危険が……!」

 書龍は頷いた。
――下手に異空を越えれば、元いた時間に戻れなくなる可能性もある。
――館内の書の中で、異変を悟り、人と話す能と理性を持つ者なら、彼らに忠告を与えているかも知れん。
――だが、充分とはいえまい……そうでなくても内部は今混乱している。

 クラヴァートは、考え込むように沈黙した。
「あんたら、取り敢えず今は、図書館を分裂させないよう、とぐろん中に巻き込んどく方に集中した方がええ」
 泰輔が、書龍に呼びかけた。
「……虚無の手の方は、こっちからも戦い手が出てるしな」
 先程出現した虚無の手が撃退された方角を見ながら、そう付け加える。
 契約者の何人かが虚無の手撃退に回っているのを彼は察知していた。

 クラヴァートは沈思を続けていた。館内に入った契約者たちの安全を確保する手段を、図書館の責任者である司書として考えているらしかった。
 やがて、顔を上げ、きっぱりと言った。

「これから、私の権限で契約者の皆様を『夢幻図書館利用者』として登録し、証明書としてのカードを発行します

 その言葉に、泰輔とフランツは「え??」という表情で彼を見た。がくっ、とこけそうにすらなったのは内緒だ。
 利用者登録とは、いかにも図書館らしい事務作業だが、ここでそんなことをしている場合だろうか?
 だが、それを聞いて書龍は、我が意を得た、というような調子で言った。
――なるほど、それを中にいる契約者に持たせるのだな。
「それで何がどうなるん?」
――それを、要所要所で中にいる書物に見せて確認するのだ。

――現在の正しい「この空間」にいる書物なら、証明カードが示す「司書クラヴァート」の権威が理解できるから、相応な受け答えをする。
――だが、違う次元には「司書クラヴァート」は恐らく存在しない。
――そのカードを見てもピンとこない書物の在るゾーンは、危険として避けて回るのが良い。そこは異次元化しているからだ。

「そういうことです。早速作業に入ります」
「わ、私も手伝います」
 図書館の方へ駆けだしたクラヴァートを、リピカが追っていった。
「……。なんや悠長な気がするけど、大丈夫かいな……」
 2人の後ろ姿を見ながら、思わず呟く泰輔だった。




『うー、かつみのばかー。私だけのけ者じゃないかー。
 ……? 帰って……来てない。
 誰だ? ……! まただ。また誰か通った!
 誰だー勝手に通るんじゃないー、通行料取るぞー!』

 眠る者の意識が、偶然【非実存の境】に接触することによって、彼はその世界に一瞬、入り込むことになる。
 つまり、【非実存の境】に到達する者同士の夢また、非常に近付いているということになる。
 漂う、誰とも知らない睡眠者の意識が、たまたまノーンの作る夢の通路に流れて辿りつき、そのまま【非実存の境】に至る。
 そんな感じで先程から、ノーンの夢には不特定の様々な意識が掠るように出現したり消えたりしているのだった。

『私の夢は公共道路じゃなーい。ううーっ』
 眠りながらも夢の中でぐちぐち言っているノーンだった。



「? 先生の声が聞こえたような……気のせいですかね。
 それより……なんで、こっちの階段に出ちゃったんでしょう?」
 かつみらと共に蔵書整理をしていたナオは、隠れた本がないかと探し回っている間に、一同から離れた扉から違う廊下に出てしまったらしく、行きには使っていない下り階段の前に出てしまってぽかんとしていた。
(? やっぱり誰かの声が……もしかして、まだ出てきてない本が?)
 様子を見ようと階段を降りていくと。

「あ、開いた。司書はここ閉鎖しているっていたのに、開けちゃって大丈夫かな」
「大丈夫じゃないか? ここらへんの本たちがだいぶ態度が軟化して、開けても文句言わなくなったってことなんだから」
 そこにいたのは、〈東の塔〉の入口から入って西側へどんどん移動してきていた北都とソーマだった。
 『万象の諱』の手掛かりはなかなか得られなかったが、人との対話を望んでいない状態の書物たちと、根気強い対話で何とか打ち解けることに成功し、クラヴァートは閉鎖していると言っていた〈西の塔〉の扉を内から開けるまでになっていた。
 扉を開けたのは、やはり北都たちも、館内のそこはかとない違和感に気付いていたからだった。一度外に出てクラヴァートに話してみようと思ったのだった。
「! 皆さん、無事ですか!?」
 開いた扉の向こうから声がしたかと思うと、リピカが飛んできた。
「どうしたの!? そんなに慌てて」
「他の皆さんは!? 無事ですか?」
「え…と、僕ら、この中では他の人たちにはあってな……」
 言いながら部屋の中を見渡した時、階段下に降りてこちらを見ていたナオと目が合った。戸惑ったナオだが、リピカが招いていると知って、そそくさと扉の方へやって来た。
 リピカは、書龍が話した館内の「小規模平行世界」の危険を3人に説明し、クラヴァートに託されたカードをそれぞれに渡した。
 カードには、恐らくクラヴァートの署名と思われる古代文字が書かれているだけの、シンプルなデザインだった。
「あくまで臨時発行のカードなのですが、これを持つ者は司書によって入館を認められているという証明になります。書物にも分かるはずです」
「分かりました。ちゃんとみんなに渡しますっ」
 かつみとエドゥアルトの分も受け取り、ナオは、事態を彼らに一刻も早く教えるべく、階段をぱたぱたと急いで上がっていった。
「僕らも、他の人に会ったら渡します」
 北都はそう言って、何枚か余分にカードを受け取った。
「お願いします」
 リピカは頭を下げた。