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リアクション
第7章 短期決戦計画
地平の果てには、またしても黒い靄が湧き始めていた。
そして、それは、今度は幾つもの触手を形作っていた。
地平線にずらりと並ぶ、幾つもの虚無の手。
多方向から、図書館を狙ってじわじわと伸びてこようとしていた。
現実世界と時間が連携していないせいか、出発した時間はさほど変わらないのに一同より幾分遅れて、佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)と佐々木 八雲(ささき・やくも)、それにさらに少し遅れて通路役となった賈思キョウ著 『斉民要術』(かしきょうちょ せいみんようじゅつ)が出現した。
「へぇ、ここが【非現実の境】ねぇ。変わった場所だねぇ。向こうの空は真っ暗だし」
「あれ多分、例の敵だと思うぞ」
呆れつつツッコむ八雲をよそに、弥十郎は今度は図書館を振り返り見た。
「うわぁ凄く広そうな、城塞みたいな建物だねぇ。ここなら、きっと今まで見たことがないレシピがあるねぇ」
「確かに……」
『斉民要術』も同調して頷く。
「あ、斉民、さっき通ってきたあれ、もしかして斉民の故郷?」
「あ、ええと、あのまぁ」
夢の通路で見た風景のことを尋ねられて困惑している『斉民要術』と相変わらずマイペースな弥十郎に肩をすくめて溜息をつき、離れた所にいる一団の方へと歩いていった。
図書館前では、泰輔らと一旦地平線寄りの地点から建物寄りに下がってきたアルツールら、武器を手にしたネーブルが集まっていた。クラヴァートの手伝いはひと段落したのか、リピカもいる。いわば、図書館の「外敵」に対抗しようという者たちだ。その話し合いを見下ろす形で、書龍の頭が彼らの頭上にある。
彼らの話題は、書龍が泰輔やクラヴァートらに話した館内の平行世界のこと、そして、数を増して今にも再び襲いかかりそうな『虚無の手』への対抗策であった。遅れて会話に加わった形の八雲だったが、そのおかげで今この世界で起こっていることは大方把握できた。
「なるほどな。……おおい、こっちへ来い2人とも」
現れてすぐ消える通りすがりの幻影に話しかけようとしている弥十郎と『斉民要術』に声をかけ、呼び寄せる。
――虚無の手の数は、日々、増えている。まるで、館内の異空の数に比例するかのように。
書龍は言う。
「あれだけ多い数が一斉に来たら、向こうの認識を変えさせるにも、こちらの主張を聞かせる隙は作りにくくなるな」
アルツールがやや苦い口調で言う。
「書龍には正直、図書館の維持に専念してもらいたいんやけどな。そうすると……余裕がないか」
泰輔も渋い表情だ。
話を聞いた弥十郎、そして『斉民要術』も腕組みして考える。
「相手は歴史、ねぇ……」
魔道書達が死後の安寧を得られる場所を脅かす『虚無の手』と戦う、という選択をした『斉民要術』は、難しい表情で考え込む。
「でも『歴史』ってある意味、生き残った人達が自分の都合のよいように書いていった記録なのよねぇ。
都合が悪いものは消す。
それこそ、アレキサンドリア図書館、焚書、魔女狩りのような感じ。
それを正そうとしているのは、ただの妄想を書き込んでるだけじゃない?
……とすると、そんな妄想を消すには……」
「斉民、あんまり考えこんじゃうと、眉間に皺が寄るよ?」
横からあっけらかんと弥十郎に言われ、ぶつぶつ言っていた『斉民要術』はハッと我に返り、何となく眉間を指でこすった。
――何体か、来そうだ。
書龍の声に、全員が地平線を見ると、黒い靄は闇のプロミネンスのようにところどころ大きく吹き上がり、それがじわじわとこちらへ向かっていた。
全員が身構えた。
「! あれは……!」
地平線から湧き上がる虚無の手を、パレット、セレンフィリティ、セレアナの3人は空中庭園から見た。
まだ庭園に植える植物が入っていないらしく、石畳だけが整備された殺風景なそこは、閑散としていた。危険な分断した時空の間を渡って、入り口をふさいでいた空の棚をどかし、ここに出たのであった。【非実存の境】が一望できた。空中庭園は建物の屋上にあるが、横を見渡せば東西2つの塔は庭園よりもずっと高くそびえている。
「あれが虚無の手ね……」
「下で戦ってる人たちがいるわ。大丈夫かしら」
「書龍は……」
言いながらセレンフィリティは、龍がこの庭園よりも高い、2つの塔の先端にでも手をかけているのではないかと予想して顔を上げた。
ふと見ると、パレットが硬い表情で、やはり顔を上げて高みを見ている。その視線の先は、西の塔の最上部にまっすぐ向かっていた。
それに倣って同じ方を見たセレンフィリティは息を飲んだ。
塔の先端、人1人立つのがやっとであろう天辺に、人影があった。
「ねぇ、斉民」
弥十郎は、図書館に迫ってきた一体に【闇黒死球】をぶつけ、その進行を妨げると、『斉民要術』に声をかけた。
「そういえばさっきさぁ。歴史は生き残った人が押し付けた何とかっていってたよね。
という事はさぁ。
――その歴史の数だけ考え方が違う虚無の手がいるってことだよねぇ」
「……え?」
『斉民要術』、そして八雲までが動きを止め、弥十郎を見る。
戦っている間、弥十郎は【行動予測】で、虚無の手の動きを把握していた。
「動きが結構ばらばらだと思うんだよね。
もし、それが当たってたとして……その考えでいくと、考え方が違う虚無の手はそれぞれ相手を打ち消そうとしないかなぁ。
だって、違う歴史なんだもん。
それぞれの歴史が自分の歴史を正当化しようとして、違う歴史は否定しようとするよね」
そんなことがあるのだろうか。弥十郎の推測が正しいかどうか、判断を仰ぐように、『斉民要術』は何となく書龍を見上げた。
書龍は彼らの会話を聞いていた。
――『歴史』は絶対的な一つの流れ、為政者の判断によって変わる人の『史』ではなく、事実を紡いでできた膨大な記録と記憶である。
――虚無の手自体には思考能力はないはず。その大元の歴史が、手を動かすのだ。
――だが、今の話、着眼点は悪くない。当たらずとも遠からぬところがある。
――虚無の手の力の副作用で、今、館内には幾つもの平行世界が生じている。
――これを、「小規模な、修正された結果生じた『別の歴史』」と考えれば。
その歴史から生じる虚無の手は、修正以前の虚無の手とは僅かに質の異なるものになろう。
書龍の話す言葉は、図書館を背に戦う全員の耳に入る。
「じゃあ、違う種類の虚無の手が近くにいたら……楽しそうじゃない?
消す相手と認識して、お互いが消去しあう、とかならないかなぁ」
面白そうに提案をする弥十郎に、八雲は「恐ろしい事を考えるな…」と内心驚愕した。
ただ、それが上手くいくのなら、楽に事が進むように思えた。
可能性があるだろうかと、再び意見を求めるように書龍を見上げようとした弥十郎に、
「ですが、」
反駁するように切り出したのは、リピカだった。
「もしそれが上手くいったとしても、虚無の手の力が飛び散ることで、館内の時空分断が進むことにはならないでしょうか。
同士討ちによって数は減らせても、すべての手を消滅させられるとは限らない。
その前に、図書館が増え続ける平行世界に耐えきれず崩壊してしまうようなことになったら」
――いや、
遮るように、書龍が口を開いた。
――やってみる価値はある。
――同士討ちだけで、完全に『歴史』を撃退させられるとは思えない。
――だが、虚無の手には意思も考えもなくても、行為の結果を『歴史』にフィードバックだけはしているはず。
平行世界による時空分裂は、最近まで打ってこなかった手法だからな。
虚無の手だけでは力が足りぬと、判断した結果の戦法だったのだ。つまり、現状を知り、判断する。
――同士討ちを誘発して不毛な混戦を体験させつつ、それで揺さぶって、
――「歴史修正とは結局、別の歴史を作って上書きし、それによりまた新たな歴史をねつ造するにすぎない」と、
――つまりは「延々と『古い流れ』と『作られた新しい流れ』とがぶつかり続けるいたちごっこ」でしかないと
――『歴史』に認識させることができたら。
――『歴史』も手を引くかもしれない。
――その間、どれだけ時空分裂の動きが活性化しようと我が耐えてみせよう。
この館、守りきってみせよう。
――どうか頼む、契約者たちよ。
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