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【真相に至る深層】後日談 過去からの解放

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【真相に至る深層】後日談 過去からの解放
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【迎える時――それぞれの思い】



 そうして、思い思いに過ごす間に時は流れ、気がつけばあっという間に、その日は訪れた。

 最期の調査を終えて撤収の準備にかかっている調査団と、遺跡の最期の見送りに来た者、そして彼らを警護するものたちとが、神殿へと集まっていた。
 漸く医者の太鼓判と共に退院した白竜も、その内の一人だ。
 先の邪龍との戦いの前、自身が倒れていた場所であり、かつての「彼」が倒れていたと思われる場所をじっと眺めて、そこに残されていた無念のこと、そして今に至ってはその無念が浄化されたのか、あの赤い血の幻影ではなく、しがらみから漸く解放されたとばかりに淡い光が見えるのに、僅かに目元を緩めていたのだが、不意にその視線が僅かに誰かを探すように動いたのに、世 羅儀(せい・らぎ)は意味ありげに目を細めた。
「クローディスさんなら後で来るってさ」
「そうですか」
 返答はそっけないが、気にしているのは判っている。どうせ後で会えるだろうからとそれ以上は言わなかったが、その視線がスカーレッドを見つけると、羅儀は複雑な表情を浮かべた。
「しっかしまぁ……三日目には、お見舞いに来てたんだって? 一番重症だったってのに」
 とんでもないな、と、感嘆と言うより若干呆れの混じったような言葉には、白竜も思わず苦笑した。怪我の具合は自分も酷かったが、スカーレッドは怪我以外にも邪龍からの負荷があったと思うのだが、結局最終日まで入院の続いた自分に比べて、あの回復力は流石としか言いようが無い。そんな風に思いながら見ていると、羅儀がぽつりと漏らすように声を漏らした。
「……まあ、生きてて良かった。クローディスさんも白竜も」
 その言葉に、心配をかけていたのだと思うと、白竜は小さくではあったが、感謝に頷いて返したのだった。

 そうして暫く、周囲に目を配り、あるいは調査団を手伝ったりしていたのだが、不意に羅儀が思い出したように「そういえば、あれ」と漏らした。
「何で直接渡さないんだよ?」
 羅儀が言っているのが、調査団の事務所に送ったクローディスへの花束のことだと判って、白竜は軽く眉を寄せた。本人はあくまでお見舞いだと言ってはいるが、お見舞いと言うには意味深なそれを、贈ることと、手渡すことでは微妙ではあるが、意味が違う。羅儀の探るような視線を向けたが、白竜は相変わらず無表情だ。
「そうできるようになれば、そうします」
「ふぅん」
 硬い物言いに、羅儀は目を細めると、ぼそりと口を開いた。
「スカーレッド大尉を制圧出来るようになるのとどっちが早いかね」
「…………」
 からかうような羅儀の言葉に、白竜が黙り込んだ、その時だ。
「……!」
 その姿を白竜が見つけたのと、クローディスが振り返ったのは殆ど同時だった。
 一瞬目を見開いた後、此方に近付く足取りも遅く、杖とツライッツに半ば支えられながらなのに、反射的に敬礼を送りながら白竜が僅かに眉を寄せるのに、クローディスは「これか」と杖を示して軽く苦笑した。
「ずっと横になってたから義足との整合が回復してないだけで、大したことは無いよ。こいつが大袈裟なんだ」
 軽く追い払われたツライッツが僅かに顔をしかめたが、反論がないあたり過保護にしている自覚はあるのだろう。羅儀が軽く肩を揺らした中、クローディスは小さく笑った。
「心配をかけた、かな、すまない。しかし、我ながら悪運は強いな、と……」
 そこまで言いかけたクローディスの体を、伸ばされた腕が包んだ。
 抱き締められたのだ、と一拍空けて気付いたクローディスが目を見開いていると、絞り出すような白竜の声が「良かった」と漏らした。その声の響きに、クローディスはふと眉を寄せると、記憶に生々しい鮮烈な赤色を辿って「……君こそ」と反論するように言って、自身の腕で抱き締め返し、ゆっくりと息を吐き出した。
「あの時、君が斬られて、気が遠くなるかと……いや、なったんだが……うん」
 言いかけて、その際の状況を思い出したのか言い直すと、気恥ずかしいと言わんばかりに顔に軽い朱を乗せながら、とん、と額を預けるように肩に当てて、クローディスは目を伏せた。
「……アジエスタには悪いが、私は……彼女のように、大事な人間を――君を失わなくてすんだことを、幸福に思うよ」
 深く息を吐き出すと共に漏らされたその言葉に、どちらともなく腕に力がこもったのを、いつの間にかやや遠巻きになった羅儀がツライッツに視線を不意に投げると、どこか安心したような眼差しで二人を見ていたツライッツと目を見合わせて、意味深に笑いあったのだった。





 そんな光景を目の端に拾って、かつみはぎゅう、と掌を握り締めた。

 思い返されたのは「彼女」のことだ。最後までそばにいられたら、それだけでいいかとも思った。けれど、それに意味が無いことを知った。「彼女」の思いは変わらない。一万年の時間の隔たりも、生者と死者との隔たりすら関係ない。彼女には他に好きな人がいて、だから自分の思いは叶わない。だったら――と、かつみは決意と共に踵を返して、そのまま中庭へと飛び込んだ。
「……どう、されたんですか?」
 そこにはやはり、最後だというのに相変わらず、ただ静かに花壇を整えようとしている「彼女」がいて、突然のかつみの接近と、その思いつめたような顔つきに目を瞬かせていた。もう既に輪郭もおぼろげになりつつある彼女に向けて、かつみは開口一番「好きだ」と口にした。
「俺は……君のことが好きだ」
 大きく目を見開いた「彼女」に、かつみは勢いのままに続ける。
「だから、このまま地上にさらってく。ポセイダヌスや、ディミトリアスに頭下げてでも何とかする! あの二人なら、本気を出せば一人ぐらい、何とかできるはずだ。ディミトリアスだって仮の身体だって言うし、出来ないことじゃない。君をここから連れ出せる。これが最後にならないで済む」
 肩を掴み、我ながらむちゃくちゃを言っているなと思いながらも、かつみは止まらなかった。怒涛のように口にしながらも、かつみの中では酷く静かなものが芯を持っていた。 一万年もの長い間「彼女」が言えなかった想い。淡く、けれど確かに募らせながらも、口に出されることも無く、届くことも無かった恋を、紡いでやりたかった。片思いであっても、その想いが間違いなどではなかったと、教えてやりたかった。そんな思いのまま、搾り出すように、胸の痛みをぎゅうぎゅうと押し殺しながら、かつみはその言葉を吐き出した。
「……嫌ならちゃんと言えよ、誰が好きなのか」
 本人には伝えられなくても、代わりに俺がその想いを聞くから。そんな真剣なまなざしに、戸惑っていた「彼女」はきゅっと掌を握ると、何度も躊躇い、申し訳なさそうに一瞬かつみを見つめ、そして――消え入りそうになりながらも、やっとその声は、思いを紡いだ。
「フェンラス様が……好きです」
「……うん、だよな」
 その言葉に、かつみは安堵するような心地と、胸をずきりと貫かれたような痛みとを同時に感じていた。そう、彼女が選んだのは自分ではない。判ってはいても突きつけられると痛い。けれど、彼女がずっと抱えてそのまま消えてしまわすに済んだ事が、素直に嬉しくもあった。
 そんなかつみに「彼女」は消え行く中で最後に、こう、告げた。

「ありがとうございます…………かつみ様」

 その言葉はいつまでも、かつみの中に、痛みと喜びをつれて、響いたのだった。




 同じ頃。

 面影の殆どを失ったとは言え、かつて自身が騎士として守ってきた街を見て回り、気付かなかったとはいえその死の原因となってしまったリーシャへの詫びも終え(ちなみに、代わりに殺されたこと自体は彼女自身の望みであり狙いでもあったらしく、咎めも恨みめいたものもそこにはなかった)、ジョルジェはその足を紅の塔へと向けた。
 面影を殆ど失った場所だが、それに沸くのが多少の感慨程度であることに、自分自身に苦笑した。結局自分にとって大事だったのはひとつだけなのだと、改めて気付かされる。
 アジエスタの方も気配に気付いたのだろう。姿は見えないが、傍にいるのがその空気で判る。それだけ長い間、副官として共にあったのだ。問おうとする言葉もわかっていたので、直ぐに「最後の時だからこそ、ここにきました」と先手を打った。
「私の行く場所が、他にあると思いますか?」
 押し黙ってしまったアジエスタに、ジョルジェは笑って塔の壁へと背中を預けた。そうしていると、かつてのように彼女自身に添っているように感じられたからだが、アジエスタのほうもそう感じているのだろうか、気配の和らぐのと同時「“あの時”」とアジエスタは躊躇いがちに口を開いた。
「“……あの時のことを……どうやって詫びたらいいか”」
「いいんですよ」
 沈むアジエスタの声に、ジョルジェの声は明るいと言えるほど、気負いの無いものだった。
「あれが、あの時私に出来た最良の手でしたから。心残りがあるとすれば……最後の瞬間まで、アジエスタの傍に立って戦えなかったこと、ですかね。ただ……」
 思い返すように言って、その肩が揺れる。不思議そうに「“ジョルジェ?”」とアジエスタの声が首を傾げたように響くのに、ジョルジェは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「あの時、私のために泣いてくれるアジエスタの顔を見れたから、満足ですよ」
「“ジョルジェ! もう。私が、どんな気持ちだったと……!”」
 アジエスタの声が僅かに上ずった。怒ったような声を出しているが、これは照れだ、とジョルジェには直ぐにわかった。くすくすと笑っていると、やがて諦めたように息をついて、拗ねたような声が「“泣くに決まっているだろう”」と呟いた。そんなアジエスタに「大丈夫ですよ」とジョルジェは宥めるように言った。
「今度は、最後まで傍にいます」
 その声に、息を呑んだ気配がするのに、ジョルジェは目を細めると、その姿がまるで見えているかのようにアジエスタの気配を仰ぎ、決意と親愛、そして漸く何も縛るものの無くなった素直な思いをその顔に浮かべて、騎士が誓いを立てる素振りで、胸元へ手を当てて見せた。

「私はアジエスタの鞘です。抜き身にはしておけませんよ」




 そんな二人の光景を、二人に気付かれぬように伺っていたノヴィムは、口元を緩めると穏やかに息を吐き出した。
 騎士団の中でも最高齢であり、都市全体で見ても上から数えた方が早い程の長さを、この都市で生きてきたノヴィムにとって、滅びた都市のその残骸も、その至る経緯も、胸の痛むのと同時にどこかでそんな日が訪れることも理解していたためか、不思議と深い悲しみに陥ることは無かった。
 勿論、無念に思っていることはある。大事な孫であるアジエスタを最後まで守り通してやれなかったこと。騎士として都市を守りきれぬままに生涯を終えてしまったこと。この結末を迎える前に、もっともっと以前に異変の兆しを捕らえていれば、自分であれば止めることが出来たはずではなかったか、と、後から後から滲んでくる後悔もある。
 だがそれも、無意味ではなかったのだろうと今なら思うことが出来た。
 都市は滅んだ。それは最早どうしようもないことで、現代の人間たちからは途方も無い昔のことだ。そんな中で、残された魂が漸く解放された今、叶う望みもあったのだ。重く背負わされた宿命から解放されて、絡みつくような因縁を越えて、今ああやって笑い、互いに本当の意味で寄り添う光景を見ることが出来た。いつも悲しげで苦しげだったアジエスタの声は穏やかで、彼女本来のそれが戻ってきている。
 巻き添えになった人々のことを思えば、そう考えるのは間違っているのかもしれない。魂を縛り付けられ、苦しみを架した張本人の幸せを願うのは罪深いことなのかもしれない。
 だがそれでも、と、ノヴィムはだんだんと輪郭を失っていく自分の魂の限界を感じながら目を伏せた。

(あの子が――満足であれば、それでいい)

 叶うことならば、孫の子供の顔ぐらい拝んでみたかったが。
 そう感じる自分に口元に笑みを浮かべながら、ノヴィムの魂はそこで、還ったのだった。