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【真相に至る深層】後日談 過去からの解放

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【過去からの結末――紅の塔より】



 空気があった時とは違い、海の中に沈んだ都市の光景は、青いフィルターのかけられたかのようにその遠景が海の色に霞み、崩れた壁や有機物の失われたその姿は、悠久の時を感じさせた。

「殆ど消えてしまっっていたな……」

 紅の塔へたどり着いたダリルが、道中の遺跡の様子を思い返して息を吐き出したのに、ルカルカが首をかしげた。
「感傷的になるなんて、珍しいね」
 その言葉に、ダリルは「残念だし惜しい気持ちだ」と素直に真情を吐露した。
「古代の都市は、多くの事を俺達に教えてくれるのに……」
 そんな呟きを拾って「“元々はこれが正しい姿だ”」と声が響いた。アジエスタだ。姿が見えないのは、その魂が塔へ縛り付けられているためだろう。他に比べて紅の塔の崩壊が緩やかなのも、そのせいかと思われた。
 その塔を見上げながら
「これで、良かったのかな」
 そんなルカルカの言葉に「私は良かったと思っている」とあっさりと声は返った。
「“本来はこの程度で済むような咎ではないんだが……少しでも、私のしたことを、償わなければ”」
「そう……」
 ルカルカは複雑そうな声を漏らしたが、口を出すつもりはないようだ。だがそれでも思うところはあったのか、軽い苦笑を浮かべる。
「せめて最後ぐらい……」
 もっと自分を優先して、幸福な時間を過ごせばいいのに、と続けようとした言葉は「“いや”」と首を振る様子のアジエスタの声が遮った。
「“今、私は十分幸せだし……我侭ならもう叶った。それに……別れの辛さはもう、味わい尽くしたよ”」
「……察してやれ」
 皆と違い、これから先を一人で過ごす覚悟を決めたアジエスタの判断は、ダリルにも理解できるものだ。その孤独をこそ罰としようとしている相手に、最後の逢瀬は逆に酷だ。残念そうなルカルカはアジエスタを見つめるように塔を見上げた。
(さようなら過去の私)
 心中で、自分の中から消えていこうとする魂へと語りかける。二度と会うことはないだろうが、過去とつながりシンクロしていた時、その想いは自分の想いだった。語った言葉も自分の言葉だった。
(貴方の魂に安寧が訪れることを、心から願っているわ……)
 失われると想うと痛む胸に、きゅと唇をかみながら、ルカルカは祈るように目を伏せたのだった。




 同じ頃、神殿から出て、調査団から借りた海中装備一式を纏って、彼らより幾らか早く塔へたどり着いていた清泉 北都(いずみ・ほくと)は、道中の美しくも儚げな光景を思い出しながら、紅の塔の壁をそっとなぞった。起動に携わったこともそうだが、その場所こそがこの遺跡の中でやはり、一番自分にとって意味のある場所だったからだ。
 案の定、都市と同じくこちらも殆どが崩壊していて、起動のときに訪れた時とは違ってまさに遺跡といった有様だ。構造そのものは大体記憶しているために記録を取るに不自由はしなかったが、流石に最地下への道は危ういようだ。だが、最初に訪れていた時よりはいくらか形も残っているし、は塞がっていた地下への道が開いているのが気になってそのまま足を進めると、ふわりとその横を長い三つ編みが過ぎた。
「……!」
 それが「彼女」だと判って、北都の足は自然その後を追って、下へ下へと向かって行った。錯覚に等しいとは判っているが、普段と違う足の感覚のまま降りていく最中、当時そこを降りていったのだろう同僚の官吏たち、そして一部の戦士の足音が聞こえてくるようだ。
 そうして最も深い場所へたどり着いた北都を待っていたのは、今まで表情を消していたのが嘘のように、淡い微笑を浮かべている少女だった。北都の唇が「アトリ」とその名を呼ぶと、少女は近づいてその手へそっと今までかけていた眼鏡を手渡した。目を瞬かせていると、振り返ったアトリの視線の先にいたのは、妖艶で泰然としたかつてのこの塔の主――オーレリアだった。思わず身構えた北都だったが、その目の中にはかつてのような狂気もなく、これが本来のものなのだろう、視線だけで威圧できそうな貫禄が覗いている。
「オーレリア様……」
 その前へと跪きながら、アトリの声は僅かに震えていた。繋がっていたから判る。自分がちゃんとその望みの通りに動けたのか、もっと望んでいたことはなかったのだろうか。そんなことが渦を巻くアトリの頭を、細い指先がすい、と撫でた。驚いて顔を上げたアトリに、オーレリアの口元は笑う。
「そなたは、良うやってくれた……感謝しておるよ」
 その一言に、目を大きく見開いたアトリに、オーレリアは指先で前髪を軽く払うとそっとそのまま頭部をなぞって目を細めた。
「嫉む心を……蝕むものを、止められなんだは妾の咎ぞ」
 変質し、変貌し、かつての自身を見失っていた。それは確かに邪龍のせいではあったが、それを許したのは自らの心の隙と弱さだ、と。苦い顔のオーレリアは、アトリに向かって笑みを深めた。
「……それを良う、最後まで信じてくれたの」
 最期の折、息絶える前ではあったが、自我を取り戻したオーレリアにすぐさま従ったのはアトリだった。取り戻してくれることを、オーレリア自身として命じてくれることを願って添った、信じて待った、少女。その意味をかみ締めるようにして、オーレリアが労いの言葉を向けるのに、アトリはくしゃりとその顔を歪ませた。眼鏡をかけて、見てみぬふりをしてきた。表情を消して感情を殺した。それらが溢れて、零れだす。それをなんとか泣き出さない程度に堪えて立ち上がったアトリは、北都を振り返って目元を軽く拭うと、嬉しげに微笑んだ。
「ありがとう、ございます」
 あなたのおかげだ、とそう語る眼差しに、伸ばされた手に、そっとその手を重ねると北都は目を細めた。実際に手が触れられるわけでは無いけれど、そこには確かに暖かさがあるように思えたからだ。
(――邪龍は因果は巡ると言った)
 今こうして、一万年という長い年月を超えて触れ合い、繋がりあった自分たちは、正にその巡った因果そのものだ。決して悪い結果ではなかったし、こういう因果なら巡っても良いのではないか、と北都は思う。悲しみや苦しみ、別れに至る、胸の痛みも含めて、この想いと記憶は、たとえ体が滅ぼうと、心が消えて溶けてしまっても、またどこかへと繋がって続いていく。いや、記録と記憶で繋いでいくのだ、と北都は目を細めた。

(一千年先の未来がどうなってるかは分からないけど……また別の存在として巡り合えるといいね)

 その心の声が聞こえたのかどうか、アトリは柔らかに笑みを深めて頷いたのだった。