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【真相に至る深層】後日談 過去からの解放

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【真相に至る深層】後日談 過去からの解放
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【最後の記憶、最後の約束】



 遺跡の調査も五日目を迎えた頃。
 リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)は、「彼」と繋がっていた相手であるスカーレッドから聞いた通り、神殿の一角を訪れていた。龍器と呼ばれていた青年――エルドリースに会いに行くためだ。
 方々からちらほらと聞こえる歌声以外に、殆ど音のない静寂な廊下を歩きながら、リカインは本当のところ少し頭を抱えていた。
(ディミトリアス君のことを生きた伝説、なんて言ってられなくなっちゃったわね……)
 一万年も昔の人間と記憶が繋がり、現代に蘇った都市と龍、戦いと恋の物語。そう口にすると壮大なドラマのようだが、その正に当事者となってしまったことが、問題だった。聞いているだけならば、戯曲としてこれ以上もない題材となるのだが、変に主観や思い入れがそこここに混ざりこんでしまって、客観性の邪魔をし、上手い具合にまとめられないのだ。
 その気分転換もかねて、過去の自身がどうしても気になっているらしいエルドリースを訪ねたのだが、役目から解放されて何か変化はあるかと思った彼は、一万年経とうが何ら変わった所は無かった無いようで、まるでまた記憶の方に引きずれたのではないか、と錯覚するほど、神殿の影にひっそりと佇んでいた。
 全身に色素のないその姿は、そうしていると亡霊のようだ。
(実際死んでいるんだから、亡霊には違いないけど……他の人があれだけ生命感があるだけに……)
 このまま、時間が来る前に消えてしまうんではないかとすら危ぶみながら近づいていくと、そんなリカインに気付いたのだろう、エルドリースは僅かに顔を上げると首を傾げた。
「……君は」
「そうか、この姿だと始めましてよね」
 改めて名乗ろうとしたリカインに、エルドリースはゆるく首を振った。
「……気配がする。あの娘の……そうか、君がそうか」
 ぽつぽつと、抑揚のない声が独り言のように言ったが、何となく言いたいことを察してリカインは頷いた。説明の手間が省けたのは何よりだ。どこかぼんやりとした風情のエルドリースの腕を掴むと、リカインは廊下を渡り始めた。
「…………?」
 対して、エルドリースはされるがままに腕を引かれながら首を傾げるだけだ。ディミトリアスが彼の役割の代わりをしている今になっても、そういう受動的なところが変わっていない辺り、やはり素地なのだろう。
「だから、邪龍の意思にものまれちゃったんでしょうけど……」
 思わず漏れた独り言だったのだが、エルドリースは不思議と言いたい事を悟ったように頷いて「龍は、同じものだ」と口にした。
「ポセイダヌスも、リヴァイアサタンも、同じ……“もの”だ。海に生まれ、海に生きる。器は、それを選べない」
 その意味を噛み締めると、何かとんでもないことを聞いた気がしないでもなかったが、今重要なのはそこではない。ポセイダヌスの器はディミトリアスが果たし、邪龍リヴァイアサタンの消滅した今、エルドリースが本当の意味で「自由」だということだ。
「折角何もなくなったんだから、そんな風にぼんやりしてるだけなのはもったいないわよ」
「……?」
 首を傾げるエルドリースに、リカインは続ける。
「もう何かをしなくてもいい……何をしなくてもいいんだから」
 命令を待っている必要もなく、自分の行動を殺すこともなく、意思を委ねず、身体を渡さず、自分というものを自分で使うことが出来る。「しなくてはならない」ものが何も無くなるということは、不安を伴いながら自身を生きることの出来る「自由」ということだ。
 それをどこまで認識できたのかどうか「そうか」と小さく応じたエルドリースは、腕を引くリカインの手を僅かに握り返した。
 それ以上もなく、それ以下もなく、どこへ行きたいかも何をしたいかも、結局口にすることの無かったエルドリースの、それは、本当にほんの僅かな意思表示だったが、リカインは口元を笑みにしながら、その手を握り返して、彼が行きた遺跡の中を、あれこれと引っ張って歩いたのだった。






「流石に、残っちゃいないか」

 同じ頃、かつては美しい花に彩られていた庭園の今の有り様に、アルカンドは苦笑した。
 神殿の中はまだ当時の様子が大分残ってはいると言え、ゆっくりと力の失われいる中では、花がその姿をとどめておく頃は出来なかったようで、今は残骸しかなかった。それでも幾らか整備されているのは、リュシエルが根気よく手入れを続けているおかげだろう。
 ティユトスに想いを打ち明けた思い出の場所に重なる時の無情さに、アルカンドが僅かに目を細めると、その手をおずおずとティユトスが握った。軽く目を瞬かせるアルカンドに、ティユトスの微笑みは柔らかだ。
「確かに、あの時の光景は失われていますが、思い出に触れる事ができます」
 それだけで嬉しい、と綻ぶ顔に、心の中が淡く優しい物に包まれる半面で、アルカンドの中にはどうしても拭えない後悔が棘のように痛んでいた。それをどうしても謝らなければと、アルカンドは深く頭を下げた。
「……ごめんな。助けてやれなくて、俺は……」
「いいえ」
 言いかけた言葉を遮ってティユトスは首を振ると、その掌をぎゅっと力強く握る。
「謝らなければならないのは……私の方です」
 本当はあんな決意をする前に、行動に移る前に、話をしておくべきだった。もっと違う方法を、一緒に考えるという方法だってあったかもしれなかった。それでも、どうしても助かって欲しかったという想いが、ティユトスの心を突き動かしたのだ。
「私は……本当に、判っていなかったんです。私が死んで誰かが悲しむ……ということを」
 目を瞬かせるアルカンドに、ティユトスは悲しげに微笑んだ。物心ついたときから、死を望まれた生だった。家族は想ってくれたし、友人達も、巫女達も優しく、アジエスタも自分を愛してくれていたことは判っていても、彼女はその剣を捨てることは出来なかったし、どこまでもトリアイナの生まれ変わりという運命がずっと追いかけていた。そんなティユトスを、ティユトス自身を望んでくれたのは、アルカンドだったのだ。
「家族や友人とは違う愛情を、教えてもらえて、想ってもらえて……媛巫女ではない私になれて、本当に嬉しかった……」
 だから、失いたくなかった。守ろうと思った。その為に誰かが傷つく事だって本当はどこかで、わかっていたはずだったのに。
「今なら判ります。あの歌の、縛りの歌の意味が……ずっと一緒にいて欲しい、ただそれだけの……想いが、愛情が、こんなに苦しくて醜いものだなんて、思っていなかった……」
 苦しげに吐き出されるティユトスのその言葉の中にある、深い愛情に、アルカンドは目を細めた。淡くて拙いと思っていたその思いは確かに、恋として彼女の中にあったのだという実感は、幸せだとすら思えて、アルカンドは震えるティユトスの肩を掴んで「しょうがねえよ、それが好きだってことだから」と多少の気恥ずかしさを抑えながら自らに誓いを立てるように続ける。
「傍にいるさ、最後まで……一緒にいる。そして、いつか生まれ変わっても、必ずお前を見付けて、お前の力になる」
「はい……」
 ティユトスの瞳から嬉しさに溢れた涙を、アルカンドの僅かに震える指先が拭うと、自然に近付いた額が触れ、続けてどちらともなく唇が重なった。激しさもなく、稚くも見える重ねるだけの口付けはしかし、二人の心を幸福な約束に包み込んだのだった。