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【真相に至る深層】後日談 過去からの解放

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【真相に至る深層】後日談 過去からの解放
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【過去と今と 揺れる境目 繋がるものは】


「……お父様――お母様」
「やっぱり、ここだったか……」

 調査が開始されてから、三日目となった神殿。
 その中でも最も静謐な空気の満ちる、その中枢。
 「彼女」の最期となった場所へと新風 燕馬(にいかぜ・えんま)は足を踏み入れた。
 本当は、最終日に顔を出すだけ程度でよいかと考えていたのだが、ずっと引っかかって消せない気がかりが残っていた。そう「彼女」――ネフェリィのことだ。恐らくここにいるのだろうと思っていた通りに、自身と、その大事な人間が倒れた場所を守ろうとするように、消え入りそうな呟きを吐き出しながら、静かに佇んでいる姿を認めて、燕馬はその足を近づけさせた。
「こうして向き合うのは初めてかな。改めて自己紹介でもしようか?」
「あなたの事はすでに知っているから不要です――私の一番の理解者、そうでしょう?」
 その言葉に、余計な言葉は要らないと悟って、燕馬は傍によると、問うというよりまるでもう一人の自分へと話しかけるようにして、ほとんど答えのわかっている問いを、ぽつぽつと唇に乗せた。
「この都市の『外』に、興味は無いか?」
 望むなら案内するが、と続けたが、答えは予想通りのものだった。
「ありません。だって――」
「『見たら未練が残るから』、か」
 今こうして会話をしてはいるが、彼女の生命は、人生は既に終わってしまっているのだ。後はただ消えるのを待つばかりとなった身で、叶えられない望みが出来る事ほど残酷なこともないだろう。それに、今の彼女にとって、必要なものはここにしかないのだ。
 一度は孤独になったはずの自分に、両親が出来た。妹が二人も出来た。神殿の人々も家族のような穏やかさで繋がっていた。その中に包まれて、幸福だった。外の世界に、その代わりになれるものがあろう筈もない。ネフェリィはそれを燕馬が理解しているのを確信して、ふとその指を自分のリボンへとそっと当てた。
「このリボン……誕生日にこれを見立ててくれたのはお母様、だったんですね」
 最後まで自分の出自を知らなかったネフェリィだったが、最後の瞬間の二人――ティーズオーレリアの様子を見て「もしかして」と感じた。燕馬を導いてたどり着いた、ティーズの残した手記は、一万年越しの答えあわせだった。
「お父様にはこういうセンスが無いはずなのに、と疑問には思っていたんです。
「何気に根拠の無いヒドイ事言うね、お前」
 ネフェリィの言いように燕馬が思わずツッコミを入れたが、ネフェリィはしれっとしたままで燕馬の顔をふと見つめた。燕馬が首を傾げたが、それには応じずにネフェリィは心中にある最後の心残り――あるいは寂しさと呼ぶものに目を細めた。
 確かに、自分には家族がいた。優しい手があって、幸福だった。彼らを苦しめた龍、ポセイダヌスへの復讐もある意味で果たせたと言って良いだろう。だが、例えば父には母がいたように、姉――実際には妹だったがティユトスにはアジエスタがいるように、最後に寄り添ってくれる相手は、いない。
「テティユスはそういうのを気にしないだろうから、無視するとして」
「何の事かわからんが、また根拠の無いヒドイ事言ったね?」
 ぼそっと漏らしたネフェリィに燕馬が再びツッコミを入れたが、やはりこれも反応は同じで、その視線は燕馬から外れないまま、ほんの少し寂しげにネフェリィは目を細めた。
 誰か、最後そうして共にできる相手を得ることが、父親への真っ当な恩がえしのひとつになったのだろうか、と思わないでもないが、今となってはそれも叶わないことだ。燕馬という存在は確かに、自分を最も理解し、傍にいてくれるだろうと思えたが、一万年も時を隔てた、文字通り生きる世界が違いすぎる相手だ。
「……ままならないものです」
 小さく漏れた呟きは、燕馬には聞こえなかったようだ。
 それきり、思い出を手繰るようにぽつりぽつり、とネフェリィの漏らす言葉に、燕馬はただ静かに付き合ったのだった。




 一方、神殿を訪れたものの、どこかぼんやりとした様子だったのは千返 かつみ(ちがえ・かつみ)だ。
 調査の手伝いの方は何とか手違いも起こさずにすんでいるものの、頭の中を過ぎっているのは別のこと、別の誰かのことばかりだ。気がつけばため息をつきながら、あらぬところを見ているのに、エドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)千返 ナオ(ちがえ・なお)は顔を見合わせた。
「……会いに行っておいで」
 そう、口を開いたのはエドゥアルトだ。驚いたように目を瞬かせたかつみに、エドゥアルトは続ける。
「……もう会えるチャンスはこの1週間だけなんだよ。どういう結果になるかはわからないけど、気持ちにケリがつけばいいなと思う」
「…………」
 エドゥアルトの言葉に、迷いがちに視線をうろつかせていると、一応事情の説明は受けている割に、やはりあまり飲み込めていないらしいナオが、二人の顔を見比べて、わかった、とばかり手を叩いた。
「要は、かつみさんは、あの人とお友達になりたいってことですよね?」
 そうじゃあない。二人の頭で同時にそんなツッコミが過ぎったが、純真な顔で笑うナオにそれは言えるようなことではなかった。あいまいに笑っていると、ナオはにっこりと笑った。
「頑張ってお友達になってきてください!」


 結果。
 そんな二人に背中を押される形で、かつみが向かったのは神殿の中庭だ。
 ここもやはり全く当時の美しさは残されていなかったが、「彼女」……リュシエルは、やはりそこにいて、失われたものを嘆くというよりは、思い出を切なく辿るように、その指先で花壇の名残をなぞっていた。
「……あの、さ」
 躊躇いがちにかつみが声をかけると、リュシエルは振り返って目を瞬かせた。その不思議そうな顔に、理解する。そういえば、先の戦いの中でもリュシエルは振り返ることは無かったのだから、かつみのことは知らないのだ。好きかどうか以前に眼中にも入っていないことに既に心が曲がってしまいそうだが、そんな中リュシエルは少し微笑んだ。
「……あなたの声は、覚えがあります。一緒に、歌ってくださった方ですね」
 どうやら顔は見えていなくても、声は聞こえていたらしい。あれだけ全力で歌ったから当然だろうと思う反面、嬉しくて頬をかくと、警戒されている様子も無いのに、そっと距離を詰めるとまた更に躊躇いながら口を開いた。
「あのさ……おまえはさ、何かしたいこと……ないのか?」
 かつみとしては、最後に思い残すことは無いか、という意味で言ったのだが、リュシエルの方はそうは取らなかったらしい。首を一瞬傾げて「そうですね」と考えるような間を空けた後、その視線を花壇へとやった。
「力を使い果たしていらっしゃるポセイダヌス様に……癒しの歌を歌って差し上げたいです」
 それは願いというより、巫女という役割に忠実に添おうとしているだけに思えて「そうじゃなくて」とかつみは口にしたが、リュシエルは首を傾げるばかりで「他には」と問うかつみに、花壇の端をそっと撫でた。
「……面影はなくなってしまいましたが、せめて……最後まで手入れをしておきたいです」
 そうして最後まで穏やかに過ごしたい、と。願いとしては余りに味気なく、ささやか過ぎるものにかつみはため息を吐き出した。もっと我侭になっていいのに、もっと気持ちのままに動けばいいのに。
 そう思ったものの、それをたやすく口に出せるはずも無く。結局、リュシエルの望むままに、ただその手伝いに終始したのだった。
 



 同じ頃。神殿の最上階。

「こうしてみると、やっぱり狭い世界だったんだよねぇ」
 ビディシエの呟きにコーセイは頷いた。リディアを伴ってやってきたのは、神殿最上階のその屋根の上だ。
 行儀が悪い、とリディアと二人窘めたが、聞く相手でもない。結局いつものように諦めて三人でのぼったのだが、足元を確かめながら顔を挙げ、その景色を目にした瞬間、コーセイは息を呑んだ。
 どこまでも続くかのような海原は眩しい日差しにきらきら輝き、遠く見える陸地に青々とした緑が見える。空と呼ばれる外の世界の天井は、計り知れないほど高い。空気の膜という絶対の壁のない、境目なく広がる空間は、不安になるほどの開放感だ。
「凄いね、これが世界なんだねぇ」
 ビディシエも珍しく子供のように素直な感嘆を口にする。都市の殆どの人間は、都市から逃れたりしないように、外の事は知ることも禁じられていたため、そもそも外に世界があったことも知らない者もいたのだが、彼のような族長に連なる者はそうではない。口にはしないが、彼が掲げた閉塞と支配からの脱却を目指すのと当時に、ずっと、物語にしかないような世界を見ることに憧れていたのだろう。
 何時までも三人、飽きることなく眺めながら、コーセイは不意に口を開いた。
「……このまま、何処へ行きたいですか」
 その問いにビディシエが目を瞬かせていると、コーセイは小さく笑う。
「最後までお供します。あなたの行きたい所まで」
 そう言うと、ビディシエは少し考えるように「そうだねぇ」と呟くと、二人に向かって幾らか照れくさげに笑って見せた。
「あとちょっとだけ見て回ったら、蒼の塔に戻るよ」
 その言葉に意外そうに目を瞬かせたコーセイに、ビディシエは肩を竦める。
「ボクはやっぱり、キミたちと一緒にあそこで過ごすのが、何より大事だったんだ」
「都市の解放とか何とか言ってたくせに」リディアが茶化すのに、ビディシエは頬をかいた。
「だからさ、龍に決められてるからとか、しなければならないからとかじゃなくてさ……自分達の意志で、自由で、選んであそこにいたかったんだよ」
 戦いたい、守りたい、一緒にいたい。
 そう言う「生きる」と言うことそのものを、何かに強制されたからではなく、自分達で選ぶために。そして確かに自分達は自らの意志で生きていると証明したかった。
 そんな青臭い言葉を照れくさそうにぼそぼそと口にするビディシエに、リディアは笑ってその頭を気安げにかき回し、コーセイは笑みを深めると、三人は誰ともなく笑いあって、穏やかな時間を過ごしたのだった。