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夢幻図書館のお仕事

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第1章 庭の緑


 【非実存の境】――茫洋とした地平にぽつんと立つ、アレクサンドリア夢幻図書館。
 その地平の姿は、限りなく荒野に近い。

 殺伐とした荒野に――緑があれば。


「きっと綺麗だよね」
「オアシスみたいになるかもね」
 『お嬢』(極意書『太虚論』)『リシ』(リシ著「劫の断章」)、“人化すると子供”の魔道書二人は、夢を語るような表情で話し合っている。 
 とはいっても、目の前の庭園はまだ、何も植えられていない、埃っぽい茶色の土の色なのだが……
「まぁ、イルミンスールからこれだけ苗を譲ってもらってきたわけだが」
 そう言って、『ネミ』(『森の祭祀録 ネミ』)は、持ってきた薬草、ハーブ類の苗の入った箱を、司書クラヴァートに見せた。
「素晴らしいです、思ったよりたくさんありますね」
「あそこは得体のしれない毒草薬草がうじゃうじゃ栽培されてるらしいからな……
 その中でまぁ、なるべく一般的で物騒な効用もない、ついでに世話もさほど難しくないのを見繕ってもらった」
 そう言いながらも、ネミはやや不安げに『キカミ』(『奇木紙見本 草子(きぼくかみみほん・そうし)』)を見やる。いつもの通り、胴に生きた蔦(つーたん)を巻きつけているが、その先端をふよふよ動かすつーたん諸共にどこか戸惑いがちな様子だ。
 というのも、イルミンスールにたむろする魔道書達の中で、「庭いじりが得意」というメンバーは厳密にはいない。「何となくできそう」という感じで選ばれたのが、森に関する記述があるからという理由で選ばれたネミと、常に蔦がくっついているからという理由で選ばれたキカミだった。お嬢とリシは、特に理由はないが先達者の指示に従って仕事をするために庭園に来たのである。
「まぁ、決まった以上は、出来る限りしっかりやるつもりだけどね」
 キカミが吹っ切るように言うと、不安の色は消せないままながらネミも頷く。
「すみません、私も一緒に作業ができればいいのですが……」
 クラヴァートは済まなそうに言う。彼は蔵書整理の方に向かうことになっていた。
「いいって。目録作り頑張ってくれよ」
「終わったら手伝いに行くねー」
 館の中に戻っていくクラヴァートに、ネミとキカミは手を振った。
「……さて、と」
 そして2人は、手伝いに来てくれた契約者たちの方を振り返った。


「じゃあまず、土を作るよ。植える前の準備として」
 清泉 北都(いずみ・ほくと)が、土いじりを前にやや心許なさそうな2人に、彼らを安心させるように気軽な調子で、あっさりと言った。
「どのくらいの面積を掘り起こせばいいのかな」
 先に口を切る人間がいたことに、ネミもキカミもややほっとした様子だった。
「イルミンスールで貰ってきた苗はこれくらいなんだが」
 ネミはそう言って、準備してきた苗の入った箱を北都に見せた。
「なるほどね。この量なら、2つに分けて……」
 そこに、佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)も来て、苗の顔ぶれ(?)に見入った。
「俺らは正直あんまり詳しくないから、イルミンに出入りしている造園関係者に簡単なメモも書いてもらってきてるんだが……」
「あぁ、これは全部ミント系ですねぇ。この辺りは僕にも分かりますよ」
 弥十郎はそう言って、緑の葉の先を指で検分するように少し触れた。
「いくつか種類が分かれているから、近くにまとめて植えておけば収穫する時に分かり易いだろうけど、混ざり合わないように区画をきちんと囲っておいた方がよさそうだねぇ」
「植え方は分かるか?」
「えぇ。大丈夫ですよ」
 薬学が趣味である弥十郎は、明るい表情で請け負う。
 ――というか、趣味に繋がる仕事への興味の強さでわくわくしすぎて、目が輝いている。余りにも期待が大きすぎて前夜なかなか寝付けなかったというくらいだ。
 大丈夫だろうか、とその目の輝きに、傍らで佐々木 八雲(ささき・やくも)が内心危ぶんでいる。
「これ……冬虫夏草」
 ネミが持っているのとは別の箱を覗き込みながら、お嬢が呟いている。
「高山の野草もあるみたいだね。ちゃんと育つのかな」
 リシも呟く。それを聞きながら、北都は、
「確かに、種類によって土や日の当たり具合も違うだろうね……」
 そう呟き、隣りに立つソーマ・アルジェント(そーま・あるじぇんと)に言った。
「ソーマ、図書館の書庫から、薬草に詳しい本を呼んで来てくれないかな?」
「えっ、俺が?」
「僕も一応【博識】と【薬学】の知識はあるけど、専門家の方が詳しいだろうからさ。
 いてくれたら、助かると思うんだ」
 ソーマは肉体労働には向いていないだろうし、と、北都が頼むと、ソーマは一度「面倒だな」とはぁっと息を吐いたが、とにかく頷いて承諾した。
「まあ本は嫌いじゃないし、殺風景なのよりはいいからな」
「傷付いていたら回復してあげて。
 いろいろ訳ありな子もいるっていう話だし、嫌がってる子には無理に強いないほうがいいけど、
 どうせなら一緒に協力して作った方が、きっと楽しいんじゃないかな」
「あー分かったよ」
 返事して、ソーマは館に向かっていく。
 その後ろ姿を見送りながら、館の壁の、こちらに向かっている窓を北都はちらりと見た。
 ――図書館は本を読む場所だけど、あの窓に緑が映ったら、より心地よく感じられるだろう。
(緑は目の疲れを取るって言うし、本は……紙は樹から出来ているのだから、本も心地よさを感じてくれるんじゃないかな?)
 庭園の風景が、訪問者に対しても良いものであると同時に、この館内に収まる書物たちに対してもよいものであってほしいと北都は思うのだった。
 気が付くと、横にお嬢とリシも立っていて、北都に倣って館の窓の方を見ているのだ。
「図書館の窓から、緑の薬草園が見えたら、きっと……いいよね」
 お嬢の言葉に、北都は微笑んで、「そうだね」と返事した。
 植物の種類による生長状態の違いも考慮に入れ、図書館の窓からの眺めを彩るように、綺麗に植えていこう。そう考えながら、北都は、敷地を整える準備を始めた。


「……というか、冬虫夏草なんてどうやって栽培するの??」
 お嬢が持ってきたそれを見て、キカミは途方に暮れたように呟く。
「うーん、それって虫に寄生するキノコだよな」
「やっぱり……でも、きちんと培養できれば、すごく栄養豊富で貴重な薬になるんだけど……」
「イルミンスールもえらいもの寄越してくれたな……」
 魔道書達は半ば呆れつつ諦めムードで話している、その隣で、
「いや、きちんと環境を整えれば、栽培できるかもしれませんよ」
 弥十郎だけが、妙に意気込んでいる。
「キノコ類も立派に薬草として役立つものですしねぇ。
 ……そうですね、他の植物と分けて、隅の一角に……」
 目の前の、種類別に分類した薬草の苗とキノコを見比べながら、ぶつぶつと考え込んでいる。
 ず、ずいぶん熱心なんだな、と気圧された表情でネミがキカミに耳打ちする。
「……ところで、これはどのような薬効が期待できるんでしたっけ?」
 その、薬学知識を深めたいという熱心な学究欲の一心からくる情熱である。
「あ、冬虫夏草……? これは……」


「……なるほど。それは使いようによっては万能薬と言われるわけですねぇ。
 しかし、タンク栽培ではその驚くべき薬効は得られないと。
 あくまで虫に寄生する、自然本来のやり方で栽培しないとダメなんですねぇ。
 それは栽培には手がかかる……市場価値も高騰するはずですねぇ。
 ところでそうすると、主な食用化は……」


(あいつ……また周りが見えてないな)
 興味のある話に夢中になるといつもこうだ、と、傍らで土を掘り起こしながら、八雲は苦笑している。



 こうして、多少の不安を抱えているにも拘らず、薬草園造りはかなり前向きに、わいわいと賑やかに始まった。