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第5章 謎の昂揚


 地下書庫は、フラットな階ではなく、何層かに分かれている。それも、普通の建物のようにはっきりとした階に分かれているのではなく、いきなり段差や小さな階段が現れて下がったところに新たな部屋が広がっている、そんな奇妙な空間だった。
 現世に存在しない者たちに溢れた世界、というのは、実存の仕方も現世世界とは何か違う法則によるものなのかもしれない。

 そんなややこしい空間で、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)が目的の場所に、大した障害もなく到達できたのは、予めその場所を司書クラヴァートのところにまで訊ねに行っていたからだろう。
 ――以前利用者登録をしたこの図書館に、久しぶりに顔を出したら、何やらどうも様子がおかしい。話を聞いて、2人の魔道書が行方不明になっていること、しかも話では『姐さん』はその過去で恨みを買いまくっているという……
(これは……下手をすれば焚書に遭いかねないなー)
 そう危惧して、捜索に加わることにした。
 当の姐さんの捜索は、彼女の仲間であるパレット、そのパートナーの鷹勢などを始め、他にも出ているというので、彼女と一緒にいるのかいないのかもわかっていない『揺籃』を捜すことにしたのだった。
(何故か姿を隠している理由が不明、とのことだけど、知らず知らずのうちに恨みを買っている可能性はあるだろうし……)
 話によれば揺籃は、「いっとき終末思想に関する書物のカリスマ的な立場」だったという。
「そこに根があるのかもしれない」
 セレンフィリティはその考えをセレアナに打ち明け、2人で話し合った結果、彼を知っているであろう「終末思想に関する書物」たちを訪ねてみることにした。それで、クラヴァートにそれらの書物が集まっている場所を聞いたのだ。
 未整理の書籍も多い中、何とか、それらしき一隅があることは確かめ、2人は教わったその一隅までやって来た。

 『暗黒の揺籃』という本を知っているか。セレンフィリティは、そこにいた書物たちにまずそう切り出すところから始めた。
 彼の行方不明は過去の遺恨が原因かもしれない、という点を思えば、聞き込みについてはその辺りも考慮して、できるだけ相手の感情を害さないよう、言葉や話の運び方を選ぶ必要がある。セレアナはそう考え、彼らとの会話を主導する格好のセレンフィリティを、傍らで注意深く見守っていた。
 2人が登録された利用者であると認識したためか、終末思想の書達は概して愛想はよく、
「『揺籃』って、あなたたちからはどんな書に見えた?」
 というセレンフィリティの質問にも、何のこだわりもなく口ぐちに答えた。
「揺籃さんは、すげぇ人気あったんすよ」
「終末思想にかぶれた人間が持つ終末のイメージのほとんどは、揺籃さんの内容から出たなんて言われてるんだぜ」
「実は俺の著作者も、揺籃さんに影響受けてるんだよ」
「クールでシャープだよな!」
 このように賞賛一辺倒だ。そこで、
「彼がカリスマリーダーだった頃ってどんな風に振舞ってたの?」
 こんな風に訊いてみた。たとえ揺籃に恨みを持つ者が、自分が怪しまれないように嘘をついて彼を称賛していたとしても、喋らせればどこかでぼろを出すのではないかと思っていた。
「とにかくクールでストイックだったっすよ」
「書かれたこと以上のことは語らない態度がイカすんだよな」
「読んだ人間が傾倒すればするほど無関心に突き放していく感じがまた、な!」
「永続するものは何もないと信じる、まさに終末を体現したあの佇まい!」
「クールでシャープだよな!」
 やっぱり賞賛ばかりだ。セレンフィリティは気を付けて反応をみていたが、引っかかるような言動は見当たらない。何だか安直な賞賛がバカっぽく映る者もいるが、それだけ純粋に憧れていたのだろうという感じで、何か隠しているとか偽っているとかいう様子ではない。
「その揺籃が、ここに来てるってことは……ない?」
 決め手が見つからないので、思い切ってそう訊いてみた。
「いやいや、あの書(ひと)は消滅してなんかいないっすよ」
 この図書館にいるか、という意味で訊かれたと思ったのか、そんなことを1冊が言った。
「すべてが終焉を迎える終末を描きながらその主演をも越えて生きてその知を残す、それが『暗黒の揺籃』ですよ」
「それでこそ世紀末第一の預言書、世界を喰らい尽くす黒き獣の記録書也!!」
「クール! シャープ!!」
 収拾がつかない。どうしたらいいかとセレンフィリティが首を捻った時、
「そう、ありがとう。それじゃ私たちはこれで」
 急にセレアナが口をだし、セレンフィリティを引っ張るように、部屋の向こうに連れていった。

「えっ、何? どうして」
「セレン、何か変だわ」
「え? でも、彼に敵意がある感じの書は別に」
「ないわ。それどころか彼に心酔し、熱狂している。
 ――けど、彼自身がどう振る舞ったかはほとんど触れていない」
 カリスマ的だというのは、彼が何かそういう振舞いをしていたのだと思っていた。
 だが、具体的に何か行動したという話は出てこない。
 「カリスマ的」なのは、彼が書として人間に与えた影響の大きさを指すのではないだろうか。その大きさが、同種の書の憧れとなり、引きつけている。
「まるで、崇めて祀り上げているみたい。……信者みたいに」
 奇妙な昂揚が、あの書達の中にあるのを、セレアナは見て取った。

 そういう集団は往々にして――傍から見ていて、不気味だ。

「それだけ熱狂しているのに、ここに来たことに気付かないかしら?」
 揺籃がこの書庫を訪れたことは、司書のクラヴァートが証言している。

「なんだか、あの本たち、まとめて妙だわ」



「うわ、この部屋も本がびっしり……凄い量だな」
 地下書庫で、アキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)は、高い棚の上まで詰まった書物を見て驚嘆していた。
 書物の感情が空中に、微弱な気配のように漂う独特の空気にも驚いた。

 この夢幻図書館の話を聞いて、イルミンスールからやって来たアキラは、最初はルシェイメア・フローズン(るしぇいめあ・ふろーずん)アリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)と共に、蔵書の整理をしていた。
 ……珍しい本をついつい開いてしまっては作業の手を止め、時折ルシェイメアに叱られたりしつつ。
(けど本好きのルシェイメアも時々手を止めて見入ってしまったりするので、あまり強く怒ってはこなかった)
 しかし。
(「エロい内容の魔道書が行方不明!? で狙われてるって!?」)
 姐さん行方不明の話を聞いて、捜索に参加することを決めたのだった。
 ……姐さんの書籍としての内容が大きな決め手になった、というのがなんともはや、という話ではあるが……
(無事発見して保護したら……何としても中身を……!)
 あと1冊のことはほぼ念頭にないらしい。
 ――というわけで、ルシェイメアには内緒で、アリスを連れてこっそりと書庫の奥へと進もうとしたが……
(「……どこにいくのじゃな??」)
 まんまとばれて、結局同行されてしまった。
(なんでばれるんだろう……)
(どうせろくでもない動機じゃろう……)
(やれやれデスネ)
 アキラの本心を聞かされたうえで同行を誘われたアリスは、心の中で溜息をつく。

「だいぶ奥まで来ましたヨー」
 アキラの肩の上からアリスが2人に知らせる。彼女がHCを使ってマッピングしながらナビの役割を果たしているため、一同は迷子にもならず、また書物だらけでよく似たような景色が続く中、一度捜索した場所にまた戻って無駄な作業を繰り返すということも免れている。
「ふむ……」
 『司書の眼鏡』を着用したルシェイメアが、その目を狭めて探るように辺りをざっと見渡す。
「何か見えた?」
「怪しいものはないようじゃが……本たちの感情が微妙にささくれ立っているような……落ち着けずにいるような」
「司書さんも、言ってましたヨ」
 アリスが口を開いた。アキラに誘われて書庫の奥へと足を進める前に、ざっと必要そうなことをクラヴァートに訊きに行っていたのだった。
「一部で何か五月蠅いことしてる書物がいるんデ、他の書まで落ち着かなくなって、感情が乱れてるトカ」
「うるさいこと、ねぇ」
 それが何か、魔道書の失踪事件と関わりがあるのだろうか。考えながら、書棚の間の暗がりに目をやった時。
「?」
 一瞬、何かいるような気配を感じた。
「アキラ?」
「こっち……何かいたような」
 細い通路だった。
「こっちにも部屋があるのか」
 何かがあるような、予感めいたものを感じたアキラは、その感覚に導かれるまま進んでいった。

 ――

「おっ!」
 通路を過ぎると、そこはまた別の書棚の並ぶ部屋だったが、そこには人影があった。
「ちょうどよかった」
 ソーマだった。アキラの姿を見ると、手に持った本を差し出すように掲げて持ってきた。
「この書なんだけど」
 その『方角結界術論理』を示して、ソーマは簡単に説明した。
 他の書物に乞われて、彼がその書に「強力な結界術」を伝授した、という話をしていたことを。今書庫内では何やら問題が起こっていると聞く、そのことに関連があるのではないかと考えられることを。
「結界周辺に近づく者の方向感覚を狂わせ、目的地に近付くことを妨げるという稀術じゃよ」
 方角結界術論理は、何の悪げもなく、得々として語る。

「特にこの書庫内のような、整頓が行き届いておらず、これといって目に立つ目印もないような空間内では効果的に働く術じゃ。
 いつまでも同じところをぐるぐる回ることになり、その上変わり映えしない景色のため、迷ったことにすら自身でなかなか気づかない」

 まぁこの術を使わなくてもこの御仁のような方は簡単に迷ってしまうがな、と半笑いで呟く書に、ソーマは心の中で「うるさい」と毒づくと、「俺は他に探す書があるから。問題解決の役に立つものなら」とアキラたちに書を託して去っていった。気まり悪さもあって、やや早足に。

「もしかして……『姐さん』の行方不明事件の犯人に、その術使われたんじゃあ……」
 思い当たったアキラが声を上げる。
「なるほど、その結界術で目に立たぬ場所に閉じ込めているのかもしれぬな」
 ルシェイメアが頷く。
「それを頼んだ書物はどこにあるか分かる?」
 アキラの言葉で、方角結界術論理はしばし考えた末に、「わしを少し高いところに置いてみてくれないかの」と頼んできた。
 ので、アキラはそれを、高い書棚の一番上の段に乗せてみた。
 すると、書の表紙に描かれた昔風の方位磁針が緩やかに動き出した。ゆっくりと、揺れて……


「!!」


 突然、書棚の影から黒いものが飛び出した。
 それはアキラたちの頭上を飛び越え、書棚に置かれた方角結界術論理へと――
「あ〜れ〜」
 影は、床に降り立った。その口に方角結界術論理を咥えた、黒い4つ足の獣だった。
 漆黒の闇を粘土のように固めて引っ張ったり捏ねたりして作ったのだろうかというくらいに、暗い黒の色の造形の獣だ。

「なんじゃこいつは」
 ルシェイメアが身構える横で、アキラは【召喚者の知識】でその獣を見た。
「これは……魔道書の獣だ。魔道書が魔力で使役する獣みたいだな」
 書を咥えた獣の目は、真っ直ぐにアキラたちを見据えていたが、そこに敵意はなかった。
 どう対処するべきか、アキラたちが考え込んだ一瞬の隙を突き、獣は駆け出した。書を咥えたままで。
「あっ!」
 音もなく、影も残さぬ速さで、書庫のさらに奥へと去っていく。「お〜た〜す〜け〜」という書の情けない声だけが聞こえてきた。
「待ってくれ!」
 アキラ(と肩の上のアリス)、ルシェイメアは、獣を追って駆け出した。