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第7章 本も獣も契約者も


(……?)
 電子信号化してピーピング・ビーを操るダリルは、この書庫にいる他のどの動物よりも小さい機晶の体を駆使して、他の者が入り込めない隙間や穴を進んでいった。
 そうして、いびつな柱のように平積された古書がそびえる、その狭間の奇妙な空間に、明らかに他とは異なる空気を持つ場所を見いだした。
(あれは……結界か)
 機晶製の小型機械の体のままで、この結界を破れるかどうかは不明だ。ダリルは、物陰からでないよう移動しながら、天井のその空間を見渡せる場所に止まった。
 結界は、中にあるものの姿を完全には隠してはいなかった。ダリルの目からは、すりガラス越しの風景のようにその中の様子は見えた。
 数冊の書物。普通の書とは違う、異質な気配がする。その中の1冊の書は、細部までは見極めきれないが、パレットに教えられた『姐さん』の装丁とよく似ているようだった。とすると、その周りにいるのが、彼女を連れ去り閉じこめている、彼女に敵意を持つという書だろうか。
(しかし、妙だな)
 敵意を持つ書とその標的の書。――の割には、空気は静かで見たところも穏やかな様子だ。結界の中には緊迫感があるのかもしれないが、少なくとも派手な動きがあるようには見えない。
 取り敢えず、ダリルはルカルカにテレパシーを送った。一見しただけで判別できることでもあるまい。ここからどうするかはルカルカや鷹勢、それに――姐さんとは身内同然であろうパレットの意見も聞くべきだとダリルは考えた。

 その知らせをルカルカが受けた時、彼女と鷹勢たちは、離れた書庫の一角で身を潜めていた。
 そしてダリルのテレパシーが到達した少し後に、パレットの肩に一羽のフクロウが止まった。
「?」
「ベスティのフクロウだ」
 薄暗い書庫を、どこにいるかもわからない敵を警戒してなるべく静かに飛べるよう、ベスティが伝令に選んだ鳥はフクロウだった。その足に結ばれた紙を解いて開き、パレットは素早く読んだ。
「クラヴァートのところに、蔵書経由で入った情報だ。不穏な動きをしている書物がある場所も描いてある。
 あと、俺たちのところに来る前にベスティのところに寄ってるね。あいつらにも情報は入ったはずだ」
 そしてそれを鷹勢に渡した。鷹勢と、横から覗き込む形でルカルカが読んだ。が、
「この、“不穏な動きが見受けられる”蔵書の場所……2か所あるね」
「1か所は、ダリルが姐さんたちを見つけた場所と同じ部屋ね。でももう1か所、この離れた所は何かな?」
 そう言って2人は首を傾げた。
「ダリルは自分の目で確かめたんだから、確実な情報のはずなの。でも、こっちも気になるといえば気になるわ」
「……じゃあ、俺たちはこっちに行こう。念のため、ベスティとヴァニにこの場所を確認してもらうことにしようか」
 パレットはそう言って、紙の端にその旨をペンで書きしたためると、再びそれをフクロウの足に結んだ。
「放てば自然にベスティのところに戻るよ」
 フクロウは再び飛び立ち、一行はルカルカの指示で移動を開始した。



 ルカルカからこちらに向かうという連絡を受け、ダリルはそれを待ちながら、書物たちの結界を見張り続けていた。
(「襲ってくる本がいても、殺さず済ませたい」)
 ルカルカはそう願っていた。さて、どうするか。取り敢えず結界を解かなくては……と、それを考えながら。
 が。


 突然、積まれた書物を蹴散らさんばかりの勢いで何かが飛び込んできた。
(あれは!?)
 黒い獣だ。パレットの話を思い出す。揺籃が使役する魔力の具現化としての魔獣だ。
 その口には1冊の書。それを獣は、自分の足元にぽとっと落とすと、今度は前脚でぐっと踏みつけた。
「ひいぃぃ、やりますよ、やればいいんでしょう」
 書物の声が聞こえた。かと思うと、
(!)
 室内の魔力の力場が、内から弾けるように姿を変える、その衝撃が空中に迸るのがダリルにも分かった。
「こっちだ!」
「うわっ、何だ? 魔力がっ」
「何が起こった?」
 どやどやと、獣の来た方からそれを追って現れた影があった。アキラたちと、途中で獣を見かけたヴァニ、それに光一郎たちである。
(結界が解けた!?)
 それは、獣が運んできた書の力だった。
 自分が授けた術を解くのは、方角結界術論理にとっては難しいことではない。結界が解けると、その中にあった書物たちの姿も露わになる。
「姐さん! 無事だったんだ、よかった!」
 その本の姿を見て、ヴァニが明るい声を上げる。が……



 突然、全く別の魔力が、吹き込む嵐の先触れの如く、その場に流れ込んできたのだ。
 魔力は竜巻のように、部屋中に渦を巻いて荒れ狂う。その魔力は、文字の何やら書かれた紙の形に具現化し、渦巻く気流に乗って、結界の中にいた書物に襲いかかる。
「! おわ〜っと危なくね(薔薇的な意味で)!?」
 間一髪で、横っ飛びに吹っ飛んで、その勢いで姐さんを掴み、紙の襲撃を避けさせようとした光一郎だったが、結界内部にいた書物の周りには何かこれまた別の魔力の気配があったのと、ちょうどその瞬間に姐さんが人型に変わろうとしていたのとで、姐さんは光一郎の手の上で一度高くバウンドし、人になって、床に身を投げ出した光一郎の背中の上に落ちてきた。
「あっ痛……おや悪いね、あんた」
 床に尻餅をついた姐さんの投げ出した両足の、膝の下に横たわる格好になった光一郎は、その状況でも「ひゃっひゃっひゃ、なんの」と軽口を絶やさない。
「これは我らの力ではない、山羊髭夫人! 断じて、我らでは!!」
 結界内の書物が喚いている。
「分かってるよ!」
 姐さんが叫び返す。
 紙片となった魔力は、結界内の書物に向かっていくが、そこに残っていた残存魔力にぶつかって化学反応を起こし、飛び散り、ますます気流を乱して嵐と化していく。
(何だかよく分からないが、一気に収拾がつかない状態になったぞ、ルカ、今どこだ!?)
 天井で飛ばされるのに耐えていた機晶蜂のダリルが、テレパシーで呼びかけると、
「今着いたわ!」
 ルカルカ達はちょうどその時、部屋の入口に辿りついていた。
「この魔力の嵐は、拉致犯とは別の書物の仕業だ。とにかく避難するぞ」
 電子信号化を解いて元の姿に戻りながら、ダリルは叫んだ。天井から降下する勢いで、真下にいた結界内の書物たちを何冊か手に引っかけ、払うように飛ばす。そうすることで、紙片の嵐の標的から飛ばして外した。
 その書物を受け取ったのはルカルカ達だった。『聖獣:真スレイプニル』を出そうと思っていたが、その暇もないし、人が多くなりすぎて大きなものを出せば混乱に拍車がかかりそうだ。とにかく、飛ばされてきた本を拾う。鷹勢とパレットも1冊拾い、白颯も1冊咥えた。
「姐さん!」
 ヴァニが尻餅をついた姐さんに手を差し伸べて立ち上がらせた。
「皆、この部屋から取り敢えず出て!」
 嵐を巻き起こす魔力は、この部屋の外から流れ込んでいる。それは契約者たちが皆感じ取っていた。
 救出目的だった姐さんも、ヴァニと揺籃の獣に付き添われ、駆け出した。
 本も獣も契約者もてんでに駆けだし、速やかに部屋は無人となった。


 
 流れ込む魔力の源は、やや離れた所にある部屋の中にあった。
 それは――実をいうと、セレンフィリティとセレアナが一度訪問した書庫の一角である。
 そして……司書クラヴァートが蔵書から聞き出した、「何か騒いでいる本たちがいる」という2つの場所の内のもう1つである。



 ここに辿りついていたのは、グラキエスとエルデネスト、ロアだった。
 グラキエスが【ディテクトエビル】で周囲を警戒しつつ進み、エルデネストが【サイコメトリ】を使って情報を集めた。情報を辿っていくやり方で、多少遠回りはしたものの、この場所を突き止めたのだった。
「一体何をしているのでしょう、彼らは……」
 そこにある書たちの奇妙な『儀式』に、ロアは愕然としつつ目を狭めた。正しく儀式としか呼びようのない様子――書達が輪になり、その中から彼らの魔力を捩り合わせた力の一本の奔流が流れ出ていく。それらは途中で、何か書かれた紙片の吹雪となり、部屋の外へ出ていく。
「呪いの類と思われます。どうします?」
 エルデネストがグラキエスの指示を仰ぐ。
 グラキエスは【イヴィルアイ】【行動予測】【エセンシャルリーディング】を使って、その異様な儀式の様子を見極めようとした。
「――あの紙片に何か言葉の力で呪いを乗せて、それをどこかに送り込んでいるみたいだ」
「攻撃相手がよそにいるということは、ここには行方不明の魔道書はいないのでしょうか?」
 ロアが疑問を口にすると、そこに、新たにやって来た者があった。
「ここには多分、魔道書が一人いる。多分、彼らが隠す裏側に」
 セレンフィリティとセレアナである。
 2人は、自分たちが先に見聞きしたことを話し、姐さんはここにいなくても揺籃の行方は彼らは何か知っているはずだという推測を打ち明けた。終末思想の書達のいる辺り、自分たちの方から見て裏側には書棚と積まれた本の間に出来たスペースがあり、どうもそこには他者が立ち入れないよう、簡単な結界か見張りを付けた警備がなされているようだと、身を隠して観察した結果も話した。
 2人は何とか隙を見つけて、揺籃を救出するつもりだと話す。
 そのために今まで身を隠して、機を窺っていたことも。
「――エルデネスト、あの紙片の流れを止めて、呪いを消すことはできるだろうか」
「【清浄化】で充分でしょう。グラキエス様がお望みであれば、今すぐに」
 グラキエスは頷き、セレンフィリティたちを見た。
「それで隙を突けるだろうか?」
「多分大丈夫。ありがとう」


「大仰な“儀式”とやらだが、やってることは児戯に等しい……浮かれたおめでたい紙切れどもが」
 エルデネストは低い声で呟くと、全開で【清浄化】を紙片の吹雪に向けて放った。
 見る見るうちに、紙片に書かれていた文字が消えていく。そして、真っ白になった紙切れは、呪いの流れの反動からか、逆行して書物たちに向かっていた。
 「わー」「ぎゃああ」という叫びを上げながら、書物たちは次々に、紙片を浴びてひっくり返った。書棚から落ちた者もあった。
「!」
 書物たちが傷ついたのかと思い、慌ててグラキエスが駆け寄ったが、紙片からは呪いの気配は消えているのだから、何の力もない紙片を突然大量に浴びて驚いて倒れたにすぎなかった。すぐに、今度はグラキエスを心配してロアが駆け寄る。
「どうしてあなたたちは、こんなことをするんだ!?」
 グラキエスは声を荒げた。
「書物同士で争って修繕ができなかったらその内容が失われてしまうじゃないか。
 そんなもったいない事をしてどうするんだ」
 突然やってきていきなり怒り(?)をぶつけてきた見知らぬ人間に、終末思想の書物たちはただ茫然としてあんぐりとなっている様子だった。
「どうしても恨みを持っていたいならそれでもいいが、こっちは本が読みたいんだ。
 それができなくなったら、意味がないじゃないか!」
 元より精神が未発達で、好奇心が優先されてしまうグラキエス。自分が知らない貴重な書物を前に、それが損なわれることへの我慢ならない思いの方が先に出てしまうのであった。
「エンドの言う通りです。
 『記録された者を伝える存在』として、恨みや怒りを受け継ぐのは構いませんが、他の知識を傷付けるなんて……
 何より、その知識を読みたいと思ってエンドはここまで来たんです。それを悲しませる諍いなど言語道断――!」
 ロアも言い募る。
 その様子を、何よりグラキエスの幼い激昂の表情を、エルデネストは少し離れた所から楽しげに見つめていた。


 グラキエスの言葉で毒気を抜かれたようになっている書物たちの間を縫って、セレンフィリティは、目をつけていた棚と積まれた本の間に素早く駆け込むと、果たしてそこに置かれていた1冊の本を取り出してきた。
 真っ黒い本だ。――『暗黒の揺籃』である。
「大丈夫? 怪我はない?」
 セレアナが呼びかけると、やがて、本は一瞬身動ぎし、すぐに黒づくめの男の姿に変わった。
「……大丈夫だ。世話になったな」
「大したことはしてないわよ。災難だったわね」
「……。姐さんは、無事か……?」



 揺籃が危惧するまでもなく、この時もう、姐さんは救出されていた。