リアクション
ザンスカールの自由な一日 メニエス・レイン(めにえす・れいん)は、イナテミスにある病院を訪れていた。 いや、実際にはその前に立っていたと言うべきだろう。 その玄関をくぐる勇気を、メニエス・レインは必死に呼び出そうとしていた。 かつてのメニエス・レインを知る者が見たら、まるで別人だと思ったかもしれない。いや、実際に、その身体は今までと変わらないが、その精神は以前とは別物になっていたのだ。 本来は、この控えめで、どちらかと言えば臆病ともとれる性格が、メニエス・レインのそもそもの性格であった。それを今までのような荒々しい性格に変えていた枷が外れ、本来の性格に戻ったのだという。それは、まるで物々しい鎧を脱いで無防備になった少女そのものでもあった。 だが、ほとんどの人間は、そのメニエス・レイン本来の性格という物を知らない。それゆえに、元に戻ったとは見てくれず、変わったとしかとらえてはくれない。いつかは、またあの禍々しい性格に戻ってしまうのではないかと懸念してもそれは当然のことであった。 それは、誰よりも、メニエス・レイン自身が、そのことに怯えているのだから。 そして、この病院の中にあることこそ、過去の自分の所行の結果だった。それは、紛れもない事実だ。 正面から向き合わなければならない。 そして、今日は、その最後の機会かもしれず、最初の一歩でもあるかもしれなかった。 そんなメニエス・レインの迷いを知ってか知らずか、ティア・アーミルトリングス(てぃあ・あーみるとりんぐす)は、病室の入り口のドアをじっと見つめていた。 今日は退院の日だそうだ。 けれども、あまり実感がわかない。 ここに入院できたのは、主人であるメニエス・レインがアーデルハイト・ワルプルギス(あーでるはいと・わるぷるぎす)に懇願した結果であるとは聞かされている。 けれども、メニエス・レインは入院中に一度も訪れてはくれなかった。 だから、ティア・アーミルトリングスには入院していたという実感が希薄だ。 入院していたという感覚が希薄である以上、退院するという感覚もない。まして、退院してどうしろというのだろう。退院して、これ以上何が変わるというのだろう。 期待したとしても、何かがあるわけでもない。それでも、部屋の外へと続くドアを見つめてしまうのは、何かを期待しているからなのであろうか。あるいは、ドアのむこうから、期待そのものが現れるとでも言うのだろうか。 そして、ドアが開き、看護婦が入ってきた。 退院の時間なのだろう。 何かが時間切れになった気がして、ティア・アーミルトリングスは新しく始まる時間の、その先となるであろうドアのむこうを見た。 そこには、まるで看護婦の背に身を隠すかのように小さく縮こまっている少女がいた。何かを悔やんでいるように、その身をすべての者から恥じているかのように隠そうとしている。 「あっ……」 さあと看護婦にうながされた少女が、小さく声をあげた。 「その……、ごめん……なさい。あたし……」 それは声と言うにはあまりにも儚くて、微かな衣擦れの音よりも小さなものだった。 その声と姿に、ティア・アーミルトリングスは、自分の主人であるメニエス・レインだと信じた。 ティア・アーミルトリングスの記憶にあるメニエス・レインとは、とても遠い存在にその少女は見えた。だからこそ、その姿は虚飾のないものにティア・アーミルトリングスには思えたのだった。 「顔を上げてください、御主人様」 素直に、いつも通りの言葉がティア・アーミルトリングスの口をついて出た。そうしない理由があるのだろうか。 「私は、御主人様は、本当は優しい人だって、心のどこかで思ってました。信じていてよかった」 ティア・アーミルトリングスが、ずっと口にできなかった言葉を告げた。いや、今までは、口にしても信じてもらえなかっただろう言葉だ。 「ごめんなさい、ありがとう」 メニエス・レインは、やっとそれだけの言葉を口にできた。 「だって、あのころの御主人様が本当の御主人だったのなら、私みたいなのが契約できるわけないじゃないですか。私たちは、今でもパートナーなんですから」 お互いに駆け寄ってだきしめあうと、ティア・アーミルトリングスは、涙ぐむメニエス・レインの頭をそっと撫で続けた。 ★ ★ ★ 「うしょ〜♪」 弱体化して世界樹イルミンスールに住み着いた鷽は、今日も元気に奇天烈な鳴き声をあげている。人々の妄想を具現化する銀砂はないものの、その声は周囲の者にちょっと変な夢を見させてしまいそうに奇妙だ。 だが、その声をかき消すかのように、フローターの振動音を響かせながら、スカイブルーのイコンが、翅(し)のようなエナジーウイングを靡かせて、イコン用離発着枝にむかって降下してきた。 「誘導波同調。軸合わせよし」 「了解。フローター出力減衰するわ」 月崎 羽純(つきざき・はすみ)のナビゲートに従って、遠野 歌菜(とおの・かな)がアンシャールをイルミンスールの枝にあいた巨大なうろの中へと滑り込ませていった。 「対地速度、3、2、1、接地」 「接地確認。バランサー異常なし。ハンガーへとむかうよ」 ふわりと降り立ったアンシャールが、枝の奧に並んでいるイコン用のハンガーへとむかって歩行していく。 イコン格納庫には、センチネルタイプのセヴィヨルムや、シルフィードIIや、各種のアルマイン、ウルヌンガルなどがずらりと並んで格納されていた。 指定されたイコンハンガーに到着すると、遠野歌菜がイコンを静止させた。肩部バインダーが変形して収納され、エナジーウイングが消滅する。 背後に立つ生命樹のような形のハンガーから、緑の蔓草のような物がのびて機体に絡みつき、イコンをしっかりと固定していった。 「機晶ジェネレータ、オフ。全駆動系停止を確認。メインハッチ開くよ」 コックピット内の視覚透過がいったん解除されて薄闇になったかと思うと、アンシャールの胸部ハッチが何重にもロックを外して開いた。ほんのりと、世界樹の木の香りがコックピットの中に香ってくる。 「さてと、じゃあ、報告に行こうか」 「うん」 月崎羽純が手をとって立ちあがると、遠野歌菜がしっかりとうなずいた。二人してハッチの端まで進むと、しっかりとだきあう。ふわりと、熾天使化した遠野歌菜の光の翼が広がった。同時に、若い夫婦の姿が宙に舞い、羽根毛のようにゆっくりと床に降り立った。 ★ ★ ★ 「バリアーは、ちゃんと機能しているな。それにしても、こんだけ厳重に研究室を隔離するなんて、甲斐さんったら、なんの研究しているんだか……」 世界樹イルミンスール近くに浮遊させた三船甲斐拠点移動ラボの司令室で、猿渡 剛利(さわたり・たけとし)がぼやいた。 なんでも、新型イコンを開発するからと言って、厳重な機密保持状態に機動要塞をおいているらしい。とはいえ、イコンの開発など一からできるわけもないし、何を作っていると言うのだろうか。しかも、危険な状況とは……。 そういえば、ついさっき、葦原島から超特急で何かが届いたようなのだが……。 「最強のイコンを作るぞー!」 「こばー!」 何やら、ラボの方から聞こえてくる。 「ピカピカしている物なんかやっつけるぞー!」 「こばー!」 叫んでいたのは、三船甲斐と小ババ様だった。来る創造主との決戦にむけて、小ババ様専用イコンファイナルバージョンを制作中だ。 「にっしっしっ。さすがに、戦艦級の敵にはかなわないにしても、等身大の敵であれば大丈夫。いや、あえて言おう、雑魚であれば勝てると!」 なんだか、変な自信満々で三船甲斐が言った。 まあ、そりゃ、雑魚相手なら無双も可能だよなと、チラリとのぞき見した猿渡剛利が思った。 新型の小ババ様専用イコンは、ほとんど等身大の大ババ様と言ってもいい代物であった。まあ、とはいえ、言ってしまえば本来はイコプラなのではあるが。だが、そこは三船甲斐がねじ曲げて、実際には新型のパワードスーツなみの性能に仕上げている。それを操縦する小ババ様がちっちゃいので、実質はイコンと言って差し支えがない……という自己設定だ。 鬼鎧と機晶姫の技術を応用し、インテグラルナイトの細胞を使い、小ババ様の動きと完全にシンクロするように作られている。見た目は、ロボットと言うよりも、お肌すべすべの大ババ様そのものだ。さらに、背負っているランドセルには、定規ビームサーベル、ミサイルランチャー、もふもふビットなどが装備されている。 このもふもふビットこそ、小ババ様専用イコンの必殺兵器であった。もふもふの王から取ったもふもふによって、触れた者すべてをもふもふの虜にするという恐ろしい兵器だ。 「こばこばー」 凄いの作ってくれてありがとうと、小ババ様がお礼に三船甲斐と猿渡剛利に赤と青のキャンディーを一つずつ手渡した。 「これは……」 まじまじと、三船甲斐がそのキャンディーをモノクルでのぞき込む。 「ピヨ!!」 そのとき、ラボの中に閉じ込められていたもふもふの王ことジャイアントピヨが、一声大きく鳴いた。 「ま、まずい、フォースシールドが破られる……」 三船甲斐がそう叫んだときには、もふもふの王はすでにフィールド発生装置の並んだ枠を破壊して逃げだしていた。 「ピヨ!!」 もふもふの王が、目からビームを発射して脱出口を作ろうとした。それは外壁を覆うジャマー・カウンター・バリアーに防がれたが、開発用の機械はそうはいかない。ビームの直撃を受けて、いくつかの機械が誘爆を起こし始めた。 「あわわわわ、壊れる!?」 「こばっ! こばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばば!!」 爆発の衝撃波が三船甲斐と猿渡剛利を襲うのを、小ババ様専用イコンが小ババ様百烈拳で弾き返した。だが、その威力もあって、ラボの壁に大穴があき、もふもふの王はそこから悠々と逃げだしていったのだった。 |
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