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【カナン再生記】すべてが砂に埋もれぬうちに

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【カナン再生記】すべてが砂に埋もれぬうちに

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 エルシャの帰還
 
 
 
 エルシャを連れた一行は朝に復興地を発ってユトへと歩き続けていた。
 地図がなくともエルシャの道案内があるから迷いはしない。
 町に向かう道すがら、エルシャは問われるままにユトのことを話した。
 砂が降るようになる前は、緑豊かな町だった。遊んで食べていけるようなことはなかったけれど、真面目に働いていればそれなりに暮らしていくことが出来た。
 そのころは町の人もよく歌ったり笑ったりしていたものだけれど……とエルシャは顔を曇らせた。苦しい日々が続くうち、町の人々は歌を忘れ、笑顔を忘れ、やがては明日を忘れてしまったのだと。
 励ましの類の言葉は苦手だから、天 黒龍(てぃえん・へいろん)は直接エルシャと会話はせず、高 漸麗(がお・じえんり)にエルシャと話させて様子を見ていたのだが、誰も歌を聴いても反応をみせてくれない、とエルシャが嘆くのを聞いて呟いた。
「……歌が届かない、か」
 歌では腹は満たさないしそれで緑が蘇ることもない。この事態を止めることも出来ない。何の解決にもならないとわかっているからだろうと、黒龍は町人の反応も当然なのかも知れないと思った。
 けれど漸麗はそんな黒龍の内心は知らず、エルシャを励ます。
「大丈夫、君の歌はきっと届くから。良かったら僕にもお手伝いさせてくれないかな?」
「お手伝い?」
「君の歌をこの『筑』で奏でるよ」
 漸麗は箏に似た楽器をエルシャに見せた。
「私にもユトの歌を教えてくれますかぁ?」
 メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)にもそう請われ、エルシャははにかみながら頷いてユトで良く歌われている曲を歌った。
 ゆったりとした子守歌、祭りの時に歌われるという弾むような歌、恋の物思いをしっとりと語る歌。
 どれも素朴で覚えやすい曲調だ。
 それを漸麗は筑で練習し、メイベルは覚えようと口ずさむ。
 エルシャは2人が覚えられるようにと、何度も何度も繰り返し歌を歌った。
 
 
 一行がユトに到着したのは午後になってからのことだった。
 先行した者たちによって話が通されている為に、町の入り口では町長をはじめとして幾人かの住民がコントラクターの訪れを待っていた。
 話は聞かされていたけれど、実際に多くのコントラクターがやってくるのを見ると、ユトの人々から思わずおおと歓声が漏れる。その中で、エルシャの名を呼ぶ声があった。
「グリゼルおばあちゃん!」
 エルシャは走ってグリゼルの広げた腕に飛び込んだ。
「良くやってくれたね、エルシャ」
 言葉を詰まらせて頭を撫でるグリゼルの胸で、エルシャもひとしきり泣きじゃくる。
 その間に町長は曲がった腰をより一層深く曲げ、コントラクターに頭を下げた。
「ようこそおいで下さった。わしは町長のサルモンじゃ。どうかこのユトのことをお願いしますぞ。わしらも協力できることは何でもさせてもらう所存でおるからの」
 最初の接触の効あってか、町長のサルモンを筆頭に、コントラクターたちを出迎えた町の住民は皆好意的なようだ。好意的であるからこそ出迎えているのだろうから、そうでなく家にこもっている人々がどうなのかまでは分からないが。
 エルシャが泣きやむのを待って、如月正悟は町の人に声かけをしてくれるようにと促した。
「心配かけてごめんなさい。でも、グリゼルおばあちゃんが諦めなかったから、私も諦めたくなかったの。砂鰐が出てきた時には、もうダメかも知れないって覚悟もしたけど……でも希望はちゃんとあった。これでみんなも……信じてくれるよね? きっともうすぐ、悪いことは終わるんだって」
 話し終えるとエルシャは不安そうにグリゼルを見た。大丈夫だと言うようにグリゼルが軽く頷くのを見ると、ほっとした顔になる。
「自分たちの町を守りたいなら絶望するのは早い。まずは足掻こう。この状況に負けずに足掻くというのなら、俺たちも協力は惜しまない」
 町の人のこれからを考えるなら、任せておけとは言いたくない。正悟が自発的に動いてもらえるようにとの声かけをすると、町の人々は顔を見合わせ……まだ弱くはあったが頭を頷かせた。
 
 
 到着すると早速、刹姫・ナイトリバー(さき・ないとりばー)たちは町の家の台所を借りてパンを焼くことにした。
 イースト発酵の時間が惜しいので、焼くのはソーダブレッドだ。
「しっかし、本当にパンを焼くとはなぁ」
 呆れ声の雪に、マザーは材料を入れたボールを渡す。
「はい、ざっくり混ぜて下さいね。小麦粉はどんな料理にも役立つし、重曹は色々なことに使えるんです。もちろんソーダブレッドにも」
「こんな感じか?」
「そうそう、よく出来ました」
 雪が混ぜた生地をマザーは天板に載せ、十字の切り込みを入れた。後は焼くだけの簡単さ。コツと言えば、混ぜたらすぐに焼くことぐらいだ。
「姉上、予熱はこれくらいでいいかのう?」
 火術も使って窯の火を調整していた黒井 暦(くろい・こよみ)が尋ねる。
「そうですね……温度計が無いのが不便ですが、これくらいで大丈夫だと思います」
 マザーは手を翳して窯の温度を推し量ると、天板を入れた。
「こういう窯を使うのは初めてですから、火加減の調整はお願いしますね」
 マザーに頼まれて、暦と刹姫はやや緊張した面持ちで頷いた。失敗して生焼けになったり丸焦げになったりしたら哀しすぎる……とはいえ、温度が表示されないものだから加減をみるのは難しい。
「グー姉さま、火はこんなものでいいのかしらー?」
「もう少し弱めにして優しく焼き上げて下さいね」
「少しとはどのくらいなのじゃ。料理は曖昧な表現が多くてわかりにくいのう」
 ぶつぶつ言いながら手伝っている暦と、案外真面目に手伝っている刹姫の様子に、雪はこっそりと思う。
(サキ姉もレキのヤツも随分と今回は大人しいな)
 いつもの病気が出ていないのは良いが、と眺めているうちにもパンが焼き上がる。
 網に載せて冷ませば、外側はカリカリ、中はしっとりもちもちのソーダブレッドの出来上がり。
 それを広場に持ってゆき、切り分けて町の人に配った。
「大したものではありませんが、これでも食べて皆さん元気を出してください。見た目はシンプルですが、結構栄養はあるんですよ」
 パンだけでは喉につかえるかも知れないからと、マザーはお茶も淹れてふるまった。
「ありがとうございます」
 嬉しそうに頭を下げてパンを受け取る町の人に、けれど、とマザーは釘を刺す。
「今は私たちがこうやって貴方たちに手を差し伸べることが出来ているかもしれません。しかし、いつまでも何かをしてあげられるわけではないのです。私たちにできるのは、貴方たちが自分の意思で再び立ち上がれるよう導くことだけです。この町の行く末を決めるのは『よそ者』である私たちではなく、この町に住む皆さんなのですから」
 手伝うのはユトの人々が生きる気力を取り戻すまで、とマザーは決めていた。それは厳しさであり、また優しさでもある。
 そんなマザーを見て暦は呟いた。
「姉上の気持ちも分からんではない。過度な親切心は、時として暴力以上に人を傷つけるからのう」
 困っている人に手を貸したい。それは人の優しさから出る行動だ。けれど、人に何かをしてあげることの心地よさに酔ってしまい、その人々が立ち上がる力を奪うようなことになれば、それは優越者による親切の押し売り、精神的な侵略と同じだ。
 人を助ける。その行為の裏には、助ける側にも助けられる側にも気を付けねばならない落とし穴があるものなのだから。
 
 
「さあ、どんどん食べてくれよ」
 アキラはサンドワームを焼いてユトの人々にふるまった。
 丸のままでは運べないから、サンドワームの身体はある程度のブロックに分けて持ってきた。細かく切って焼いてしまえば、その元の姿は分からない。
 肉の焼ける匂いにやってきた人々の前でアキラが率先して食べてみせると、最初はおそるおそる、けれど町の住民の何人かが口にいれるようになると安心したらしく、普通に食べるようになってくれた。
 不足しているタンパク質を取るにはサンドワームの肉は都合が良い。これで少しでも元気を出してくれるといいのだがと、どんどん肉を焼きながらアキラは思う。 
 けれど、広場でなされている炊きだしに来ようという人はまだ状態が良い方だ。
 そう見た相沢洋と乃木坂 みと(のぎさか・みと)は、外に出てくる元気のない住人の家を回った。
 長い間食べ物を口にしていないと味覚や嗅覚が衰え、食料そのものが減退してしまう。その為に食べ物が喉を通らず、無理に詰め込もうとしても胃が受け付けなくなったりもする。
 家を回って最近の食事状態を聞いてから、洋はその人それぞれに良いと思われる食事を用意した。
「まずはこれを食べるといい」
 消化器官が弱っていると思われる人には、固形物でなくスープを出す。しっかりしたものを食べたがる人もいたが、それに対して洋は謝ったが、相手の言いなりに食物を与えはしなかった。
「申し訳ない。だが、栄養失調状態を馬鹿にしてはいけない。いきなり無理なものを与えると、病気の人が体調を崩すという事例がある。最悪の場合、死すらある事例だ。本隊到着まで我慢をお願いします」
 胃腸の働きが弱り切っている人は、食べ物を消化吸収できず嘔吐や下痢、ショック症状に陥るのだということを、洋は補給が途絶した状況下での戦闘時、飢えと闘った経験から知っている。
 救援のための食べ物で身体を壊してしまっては何にならないからと説明して納得してもらうと、カレー風味のスープや砂糖菓子を少しずつ栄養失調状態の人に与えた。
 カレーの匂いは食欲を呼び覚ます。砂糖菓子はカロリーが高くて血糖値を上げやすい、との判断からだ。
 みとのバックパックには、軍用携行糧食以外に固形燃料も詰め込まれている。それを使い、温かなものを提供する。
「燃料もユトでは貴重なものかと思いますけれど、だからと言って火を通さなくても食べられる乾パンや干し肉のような食べ物ばかりでは、消化に悪いばかりか身体も心も温まりませんわ」
 胃腸にも心にも優しく吸収される食事であるように。少しでもユトの民が元気になってくれるようにと、2人は家々を回って行った。
 
 
 料理がふるまわれている間、リカインは運び込んだ資材等の見張りをしていた。
 ユトの人が破壊や強奪に来るとは思えなかったが、町に様々なものが運び込まれたのを、付近を徘徊している盗賊の類が見ていないとも限らない。
「資材の方は大丈夫?」
 そこに、ユトの町の警戒にあたっている茅野瀬 朱里(ちのせ・あかり)と レオン・カシミール(れおん・かしみーる)がやってきた。
「契約者の一団がユトの町に入ったという情報は、ネルガルの耳にも入っているだろう。希望を取り戻すきっかけを潰すため、必ず攻めてくるに違いない」
「ネルガルなんかにユトの復興の邪魔はさせないよ!」
 何かあったらぶった斬ってやると息巻く朱里に、その時は共にがんばりましょうとリカインは答えた。
 そうしてリカインが資材の見張りをしている間にも、料理の良い匂いが流れてくる。
「私も今のうちに何か食べておこうかしら」
 パートナーの誰かにしばらく見張りを変わってもらって……と見回してみたけれど3人とも見あたらない。
 どこに行ってしまったのかと思いながら、リカインは1人で見張りを続けた。
 その頃、リカインのパートナーたちが何をしていたかと言えば、三者三様にユトの人々に話しかけていた。
「我らはシャンバラの民だが、カナンの窮地と聞き、少しでも力になれればとやってきた。貴公たちはまだ全てから見捨てられたわけではない、そう信じ今一度立ち上がってはもらえぬだろうか」
 キュー・ディスティン(きゅー・でぃすてぃん)はそう訴える。
 キューはリカインと契約する前は毎日食にありつけることもなく、ただただいつ終わるとも知れぬ空腹と強さへの飢えを満たすため、さすらい襲うモンスターのようなものだった。当時はそれに疑問を抱くことすらなかったが、今はもう戻ることなど考えられない。
 そんな生活が不毛だからでも辛いからでもない。隣に立つ者がいるから……それが一番の理由だ。
 カナンの人々にも、そんな相手がいてくれると良いのだがと思いつつ、キューは人々に訴えかけ続けた。
「やれやれ、ここはまた一団と酷い有様だな。裸一貫で奮起していた奴がいると聞いて少しは期待していたのだが」
 禁書写本 河馬吸虎(きんしょしゃほん・かうますうとら)はひらりと一段高い場所に飛び乗ると、ユトの住民に呼びかける。
「いい加減目を醒まさんかこのエロ河童ども! 砂で覆われたからと貴様らまで枯れて何になるというのだ。思いだせ『せいの営み』を、あの喜びを。こういうときに勃ってこその生きる意志、本能と言うものよ」
 といっても、自分も口先だけというわけにはいくまい、と河馬吸虎自身も奮起する。
「せいふく王だか何だか知らんが、国中のエロ河童から愉しみを奪うような輩など、この河馬吸虎が葬り去ってくれる。そんな俺様を応援する意味でも、もう一度言われてもらおう。勃て、カナンの民よ!」
 力をこめて河馬吸虎は言い放った。けれどその周囲からは人が引いてゆく。言っていることには理があるのだが、その用いる言葉に耳を傾けてもらうのはかなり難しいようだ。
 空京稲荷 狐樹廊(くうきょういなり・こじゅろう)はユトの人々にこう尋ねていた。
「皆様にとって『神』とはどのようなものですか?」
「どのような、って、カナンで神と言えば豊穣の女神イナンナ様のことよ。お美しくて優しい方だって聞いてるわ」
 カナンにおける『神』というものは、実在するイナンナそのものだ。
「あなた方はその神を、一方的にすがり恩恵を受けるだけの相手だとは思っていませんでしたか? もしそうならば、それこそがこの事態を招いた元凶でしょう。ネルガルという男がイナンナ様の力を用い、この状態を引き起こしている。それが意味するところを考えれば自ずと答えは出てくるはずです。楽だけでなく苦も共にし、1人でも多く神と合わせ歩むのか。苦を拒み、神を見捨てたった1人の楽に沈むのか。選ぶのは皆様です。が、くれぐれもお忘れ無きよう。手前たちは苦を共にする覚悟で、ここを訪れているのですよ」
「はあ……」
 概念を語られても、少女にはさっぱり理解できないようだ。異国の人は難しいことを言うものだと狐樹廊の言葉に首を傾げ、少女は立ち去っていった。
 
 
「何で俺様が荷物持ちなんてさせられてんだぁ?」
 カナンにおっぱい狩りに来たはずだったのに、と文句を言いつつもゲブー・オブイン(げぶー・おぶいん)は肩に食い込む重みの荷物を揺すり上げた。
「何を言っている。カナンとはまさしく、オレがセイヴァーシードとして人々に農業を伝え、種モミを配る為にあるような土地! コレは既にオレの使命とも言うべきなのだ!」
 ゲブーを巻き込んだホー・アー(ほー・あー)はユトに来る道すがらも、荒れ地から種モミを発見し、それをゲブーの持つ荷物へと追加し続けている。
 砂に覆われた荒れた土地、と聞くだけで、セイヴァーシードの血が騒ぐというものだ。
「てめぇがやる分には好きにすりゃあいいさ。けど、なんで俺様まで……」
 ぶつぶつこぼしながらも付き合ってやるあたり、やはりパートナーというところなのか、単に付き合いが良いだけなのか。
 いざユトに到着すると、さっそくホーはセイヴァーシードとして覚醒した。
 ユトの人々に農業の大切さを説き聞かせ、共に鍬を持って立ち上がろうと呼びかける。
「さあ、これがカナンを再生させる種モミだ。立て! 農業戦士たちよ! ……って、あれ?」
 住民に農業を伝授しようと声をかけたのだが、ユトの人々は目を合わせないように気を付けながらさささと姿を消してゆく。
「あんたら、どこに行くんだ? 畑はこっちだろう!」
 懸命に呼びかけはするけれど……やはり、身長5mに近いドラゴニュートのホーと、ピンクのデラックスモヒカンが自慢のゲブーの組み合わせでは、押し出しが強すぎるらしい。
「てめぇら、逃げ足だけは速ぇな」
 こんなに重い荷物を担がせられた上に住民に放置され、ゲブーは切れる。
「何だかんだ言って、まだ命は惜しいんだな。生きる気満々じゃねぇか!」
 何が絶望だ、何が諦めだとゲブーは住人に怒鳴り散らした。