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【カナン再生記】すべてが砂に埋もれぬうちに

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【カナン再生記】すべてが砂に埋もれぬうちに

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 ユトに住む人々
 
 
 
「やはりこれは使えませんね」
 井戸の水質を調べ、水原ゆかりは肩をすくめた。
 飲むには問題ないレベルだけれど、医療用として使うには不純物が多すぎる。新星本隊が到着すれば、蒸留水等も届けられるだろうけれど、それまではこの水を何とかしてしのがねばならない。
「井戸水の浄化設備があると良いんだけど、カナンの文化レベルでは望むべくもないわね」
 マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)は背嚢いっぱいに塩と活性炭を持ってきていた。それを使用し、井戸水を濾過すれば安全な水が手に入る。
 安全な水を入手すると、マリエッタは今度はそれに一定濃度の塩を加え、生理食塩水を作り出した。
 体力の弱った人々、脱水症状を起こしかけている人々に飲ませて身体のバランスを取り戻させる他、砂で炎症を起こした眼を洗ったりするのにも使用できる。
 不用意に井戸水を使用すれば感染症を引き起こす恐れがあるけれど、この水があればその心配をしなくて済みそうだ。
 グリゼルから聞いて、ゆかりは町の病人の家を回ってみたが、緊急手術を必要とする重傷・重症患者はいないようだった。
 栄養失調が原因の不調がほとんどで、次いで眼病。それ以外は年齢によるものや、ちょっとした風邪や怪我、といったところだ。これならば、持ってきた救急キットで持ちこたえることが出来るだろう。
 医療知識も不足しているようだから、主立った町の人々に水を含めて衛生の観念を知ってもらったり、栄養についての知識を得てもらったりするのも良いかも知れない。そうすれば、今後町に発生する病人自体を減らせる可能性がある。
「真人、薬はこれでいいの?」
 セルファ・オルドリン(せるふぁ・おるどりん)も真人を手伝って、病人の家を回っていた。
 病気で動けないというのは心身共に弱るもの。希望があっても、そこに向かう為には笑顔と元気が必要だからと、現状辛い状態にある人の回復を優先して行っているのだ。
「ええ。それを飲ませてあげて下さい」
 誰かに看護してもらうと元気がでるものだけれど、男の看護じゃ効果が薄いかと、真人はセルファに頼んだ。
 病で死ぬかもしれない未来を、生きて明日を迎える未来に変えてゆく。そのことによって希望の種を蒔く土壌が出来たら、と。
 セルファも一生懸命な様子と共に、大丈夫という笑顔を見せる看護によって、真人の気持ちに応えた。
「人が歩みを止めるのは絶望ではなく諦め。人が足を進めるのは希望ではなく己の意志。ユトの人たちも早く元気を取り戻して、進めるようになってくれるといいわね」
「そうですね……」
 はりきって走り回っているセルファに真人は微笑を向けた。
 どんな苦境でも足掻き続ける。何度倒れても起きあがる。それさえ出来れば絶望に負けることはない。けれど、誰もがそんな風に生きられるわけでもない。
「誰もがセルファのように強くはないんですよ。だからこそ、俺たちのような人間が手を差し伸べ、背中を押し、明日を照らす灯火を持つんですよ。……ただし、その手を握るのも、道を歩くのにもその人の意志が必要なことには変わりありませんけどね」
 自分たちにできるのはきっかけ作りだけ。ならばそのきっかけを作れるように動くまでだ。
「小難しいことは私にはわかんないけど」
 とにかく今は自分にできることをするだけだと、セルファは一層はりきってユトの町の病人の元を訪れた。
 
 
 ユトの町の人の多くは家にこもり、外にいる人々はうつむきがちに歩いている。
 それでも、コントラクターたちが来たということでいつもよりは明るいらしいから、普段の様子は推して知るべしだ。
 それは大人ばかりでなく、子供たちも同じだった。
 砂害の為なのか、それとも遊ぶ余裕がない為なのか、ユトでは外であまり子供の姿を見かけることがない。そして見かける子供は大人と同じように陰鬱な面持ちでとぼとぼと歩いていた。
 このままではいけない。子供建ちの笑顔こそが希望の未来への鍵だ。
 そう考えた風森 巽(かぜもり・たつみ)はユトの町にいる子供たちの所を回り、食べ物を配っていった。
 持ってきたのは食べやすいお粥状のもの。あまりに弱ってしまっている子供にはティア・ユースティ(てぃあ・ゆーすてぃ)が癒しの力を使って回復させる。
「ありがとう……」
 子供は食べ物を受け取ったが、いっこうに食べようとはしなかった。
「それ嫌いだった? 他のもあるんだよ」
 ティアが別の食べ物を出したけれど、子供はううんと首を振る。
「あとでみんなでたべる」
 食べずにいる子供を、巽は抱きしめた。自分の心臓の音を聞かせるように、胸に抱いて頭を撫でる。
「安心して……もう、我慢なんてしなくていいんだ」
「でも……」
「泣いたっていい。泣いて……いっぱい泣いて、お腹がすいたらご飯を食べよう。ご飯を食べて元気になったら……皆で遊ぼう、沢山お話をしよう」
 知らない人に抱きしめられた子供は最初身を固くしていたけれど、何もされないと悟ったのか次第に緊張を解いていった。
「みんながたくさん食べ物を持ち込んでくれてるから、今は食べても大丈夫。これからもきっと生活は良くなるから、もう安心していいんだよ」
「うん……」
 促された子供は親の方をちらっと見てから食べ始めた。
 食べ終わると、巽とティアは子供にいろいろな話をした。
「何の話をしようか……そうだな……シャンバラにはヒーローってのがいてね」
 巽はシャンバラで活躍しているヒーローの話をしていった。子供の様子を見て、ティアも適宜説明をつけ加える。
「ヒーローって凄いんだよ! 困ってる人がいたら、必ず助けに来てくれるの。カナンだったら……正義のアドベンチャラーって感じかな」
 はじめは分からない様子だった子供も、聞いているうちにヒーローがどんな存在なのか自分なりに理解したのだろう。
「シャンバラはいいね……カナンにもいるといいのに」
 羨ましそうにそう呟いた。
 
 
 笹奈 紅鵡(ささな・こうむ)はリュックいっぱいに、町に不足していそうな物品を詰め込んで持ってきていた。
 ビニールシートや薬、食料に古着。どれもこれも不足していそうだと種類を入れた結果、どれも少しずつしか持って来られなかった。けれどそれを大切に町の人に手渡してゆく。
 具合の悪そうな人には薬を。自分の古着が着られそうな人がいる家には古着を。そうでない家には食料を。
「これ、良かったら使って下さい」
 疲れた顔をした人に直接手渡しするけれど、頑張って、という言葉はかけずにおく。
 たぶんユトには頑張って来なかった人などいないだろうから。
 イナンナの恵みが満ちていた頃は、ユトは温暖で緑豊かな土地だったという。
 そこに砂が降り、畑や町に降り積もり、風景を砂漠へと変えてしまう間、ユトの町の人はその運命と闘い続けてきた。砂を掻き、農作物を育てようとし、ネルガルと戦う為の男手を出し。
 それでも何ともならないこの状況に疲れ果ててしまうまで、どのくらいの努力と落胆を経てきたのだろう。
「きっと疲れてしまったんだよね……。ボクにはこれくらいしか出来ないけど、ちょっとだけでも楽になるといいな」
 家の中に座り込んでいる人に向ける紅鵡のまなざしはいたわりに満ちていた。
 
 
「町の人、疲れきった顔してるよね。思った以上に毎日の生活は大変なんだろうね」
 病気ではないけれど、心の疲れが身体にも影響して元気を無くしている住民も多い。ミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)はそんな人たちの為にと、持参してきた布を張って簡易的なテントを設置した。
 地面にも布を敷いて横になれるようにする。急ごしらえの休憩所だ。
「町の人も手伝いに来たみんなも、良かったらここで休憩してね」
「軽食とお茶、お水も提供いたしますので是非いらして下さい」
 そう言う和泉 真奈(いずみ・まな)は、いつものローブ姿ではなくメイド服を着ている。地方は結構宗教関連で問題になりやすいものだからとミルディアに言われ、その助言に従ってミルディアが用意してくれてあった服に着替えたのだ。
 ユトの町の人々は地球の宗教のことなど知らないから、たとえ真奈がローブを着ていたとて、それを宗教とは結びつけて考えないだろうけれど念のため、だ。
「でもミルディ、どうしてメイド服なんですか?」
「復興作業に疲れてる『ご主人さま』をもてなすには、やっぱりメイドさんだよ♪」
「そういうものなのでしょうか……」
 分からないけれど、他に着る物は準備していない。仕方ありませんねと呟くと真奈はメイド服姿で、休憩所に入ってくる皆に料理や飲み物をふるまった。といっても、料理も飲み物もあらかじめミルディアが準備したものを出すだけになっている。真奈が作ったものを出して、町の人が泡を吹いて倒れでもしたら大変なことになってしまうから。
 ミルディアの方は、メイドの勉強の時に習った疲労回復のマッサージを無料で行うことにした。
 後々のことを考えると、自力で何とか動ける程度には心も身体も回復してもらいたい。コントラクターには他にもやらなければならない復興があるから、ずっとユトの町にばかりかかり切りになってはいられないのだから。
「良かったら中で休んでいってね♪」
 外を通りかかる人、誰彼なしにミルディアはそう呼びかけた。
 コントラクターたちは気軽に休憩所として使ってくれるけれど、町の人は恐縮してなかなか入ってきてはくれない。
「ありがとう。でも自分の家で休むから……」
 逃げ腰でそう言うと、そそくさと行ってしまう。ユトの町の人にしてみれば、コントラクターが休んでいるところに自分が入っていって休憩するというのも気が引けるし、ましてやマッサージをしてもらうなんてとんでもない。
 入ってきてと呼びかけるたび、余計に町の人は遠ざかっていってしまう。
「うーん……気にしなくてもいいのにな」
 おいでおいでと手招きした子供にも逃げられて、ミルディアは苦笑した。
 ユトの町の人々にとっては、コントラクターたちは町を救いに来てくれた勇者のようなもの。尊敬されつつも、その分どこか遠い。
 いつか一緒に歩んで行ける日が来るといいのにと思いながら、ミルディアは町の人々を招き続けるのだった。
 
 
 
 コントラクターによってふるまわれる料理で腹を満たし、絶望的だと思っていた状況に明日への光が見られるとなると、少しずつ町の人の表情も明るくなっていった。
 このまま砂に埋もれて死んで行くしかない。そう思い詰めていたところにもたらされた未来への展望は、大きく町の人々を揺り動かしたのだ。
 特に、直接コントラクターと手を取り合って、町の状況改善に動いている者は急速に希望を取り戻しつつあった。
 けれど、そのことを知ろうともせず家にこもり続けている人々もまだ多い。
「次はこの家か」
 神崎 優(かんざき・ゆう)は関谷未憂から預かった住人の名簿を元に、家々に水と食料を配り歩いていた。
 住民台帳というほどしっかりした名簿ではないし、家々にも住所や表札があるのでもないけれど、おおよその見当がつけられるだけでもありがたい。
「では隣の家には俺たちが行こう」
 手分けした方が効率が良いというイーオン・アルカヌム(いーおん・あるかぬむ)に優は、その家の割り当て分の配給を渡す。
「ああ。だったらこの水と食料を頼む」
「分かった」
 出来る限り均等になるようにと割り振った物資を手に、イーオンは隣の家に入っていった。
 コントラクターたちが訪れた際、町の人の示す反応は様々だ。驚いたり感動をあらわにする人がいるかと思えば、イーオンとセルウィー・フォルトゥム(せるうぃー・ふぉるとぅむ)が訪れても、光のない目でぼんやりと座り込んでいる人もいる。
 反応が良い人々は問題無い。コントラクターがやってきて、町の為に動いていることを知り、既に希望を取り戻しかけている。
 問題なのは、すべてに無反応になっている人々だ。
 諦観は停滞を生み、停滞は生命を濁らせる。時に死という形をすら取って。
 その恐ろしさをイーオンは知っている。
 諦めはすぐに生命を奪う危機ではない。けれど緩やかな毒となって、心身をじりじりとむしばんでゆくものなのだ。
「失礼する」
 声をかけてもはかばかしい返答の無い家に上がると、イーオンは死んだような瞳の住人に持参してきた栄養ドリンクを飲ませた。
 セルウィーは傷ついた者にはヒールをかけて癒し、心が凍えてしまっている者はその胸に抱き。
「都合のいい神はいません。しかし、あなたは、私はここにいます。あなたがまだ頑張れなくとも、私達は頑張ります。だからどうか……どうか……」
 生きて下さい。
 そう言ってセルウィーは抱きしめる腕に力をこめた。
 たとえ言葉が届かなくとも、自分たちがここにいて、その人が生きてくれることを願っているのを伝えたい。
 イーオンもまた、強い願いと思いをこめ、しっかりと住人の手を握りまっすぐに眼を見て語りかける。
「諦めてはいけない。目の前の水や食料に手を伸ばす気力がまだあるのなら……まだ生きたいと思うなら、どうか俺達を信じてくれないか。生きていてくれないか」
 明日が無いかも知れないのに、もがき続けることは苦しい。
 いっそ諦めて溺れてしまった方がどれだけ楽か。そんな風に思ってしまったとしても、誰が責められようか。
 けれど、そのままにはしておきたくない。
 止め処なく押し寄せる絶望の脅威は底知れないものだけれど、グリゼルは諦めずにエルシャに手紙を託し、エルシャもまた諦めずにそれをコントラクターへと繋いだ。今度は自分たちがそれを町の人に繋ぐ番だ。
「俺たちが必ず元凶を取り除く。復興にも尽力しよう。だから……もう一度でいい。もう一度だけ立ち上がってくれ。この届いた物資で動く分だけでも良い」
 優から預かった物資を見せて、枯れて渇いた細い手に力を呼び戻そうと上下に揺する。
「……助かるのか? オレたちは……」
「もちろんだ。その命を俺たちに預けてくれ。諦めない者がいる限り、俺たちも決して諦めたりはしないから」
 不屈。その高潔な生命は誰の中にも備わっている。それを呼び起こそうとイーオンは握りしめる手に力をこめる。
「さあ、この水を飲んで下さい。そして出来れば一口だけでも食べ物を……」
 セルウィーが差し出した水をその男性はゆっくりと見た。そして、イーオンに握られていない方の手をカップにのばす。
「そうだ。生きるんだ!」
 セルウィーの手を借りながら水を飲む男性を、イーオンは力強く励ますのだった。
 
 そしてまた優も、物資を届けに入った家の人々にユトにコントラクターがやってきていること、町の状況改善につとめていること、そして何より、カナンの各地で多くの者たちが領主に協力してネルガルの支配から解放される為に動いていることを伝えていった。
「体調はどう? 痛むところがあったら言ってね」
「もう心配いりません。これからカナンの理は正されていくのですから」
 水無月 零(みなずき・れい)陰陽の書 刹那(いんようのしょ・せつな)は家の人に優しく声をかけ、治療が必要な人にはヒールや応急手当を施した。会う人すべてに微笑みかけ、話しかけ、思いをこめて手当てして励ます。
「俺たちは全力でカナンを救うことを諦めない。だから皆も諦めずに共に頑張ろう」
 神代 聖夜(かみしろ・せいや)も1人1人の瞳をしっかりとのぞき込み、全体ではなくその人個人に声を掛けて励ましていった。
 そうして誰かが自分のことを目に留めてくれるのだと、救われる中に自分も入っているのだと知ってもらうことによって、町の人たちの心に再び希望の光が灯るようにと祈りながら。
 町にコントラクターが来たと聞いた時には、驚きはしたけどどこか遠い話のように思っていた。けれどこうして自分の家に来て、自分に話しかけてくれる。温かい手を当ててくれる。そのことによって、希望は間近に来ているのだという実感がユトの人々の心に湧いてくる。
 暗い穴のようだった人の目に迷いながらも希望の光が浮かび、話すうちにそれが強くなってゆく。逆にその様子に励まされもしながら、優たちは家々に物資を配布してゆく。
 けれど中には既に諦めきっている者もいた。
 物資だけを無感動に受け取ると、生気のない目のまま転がってしまい、優たちの働きかけにも応えようとはしない。助けてくれるというなら勝手にそうしてくれ、と言わんばかりの態度の相手に、優は苦言を奏す。
「……何時までも、このまま何もしないつもりか? それでは何も変わらないだろう」
「オレなりにしてきたさ。けど無駄だった。何をしたって砂が降って全部埋めちまう。何かするだけ損なんだ」
 だったら動かずにいた方が良い。そう自嘲する男に、優の表情は険しくなる。
「本当に何をしても無駄なのか? 自分たちに出来ることを全て試したのか?」
「そりゃあ試したに決まってるだろう。だけど何にもならなかった。オレたちの苦労がひょいと来て施しをしてゆくあんたたちに分かるのかよ」
 分からない、と優が答えると男はホラ見ろと笑った。けれど優はにこりとも笑い返さずに続ける。
「だが、町に住む人なら分かるのだろう? なら何故、この町に未だ諦めずに行動している人がいるんだ? 皆を励まそうとしてる人がいるんだ?」
「それは……」
「この町にも希望を捨てずに努力してる人がいる。そしてこの町に来た俺たちは誰一人このカナンを救うことを諦めてはいない。たとえどんな困難が見えていても、仲間たちと助け合いながら自分たちに出来ることを探して行動し続けている。……あなたは何をしているんだ?」
 優の指摘にばつが悪そうに俯いた男に、零がそっと手を添える。
「ごめんなさい。でも優のこと、悪く思わないでね。優はほんとうはとても優しいの。だからこそ、自分がどう思われようとも伝えなくてはならないこと、言わなくてはならないことを言うのを躊躇わないのよ」
 いくらコントラクターが尽力したとて、カナンの民が諦めてしまっていたら何の為になるというのだろう。ネルガルを倒し、イナンナを救ったとて、それを民が望んでくれぬのなら意味がない。
「俺たちと共に互いに出来ることをして、助け合いながら緑豊かだったカナンを取り戻そう」
 カナンの明日を掴み取るのはカナンの民自身でなければならないのだから。
 優の熱意に打たれるように、男はすまんと小さく詫びた。
「オレたちがしっかりしないといけないってのに……」
「そう思ってくれるのなら、どんなに小さなことでもいい。明日への希望を持って諦めずにいてくれ」
 それがユトの町に住む人の出来る戦いなのだから、と優はなおも男を励ますのだった。
 
 
 緋山 政敏(ひやま・まさとし)はユトに着くとすぐ町の現状を確認しに回った。
 人が住んでいない家は既に砂の重みで傾いでいる。家の周囲もすっぽりと砂に埋まり、戸口も厚く積もった砂に邪魔されて開けることも出来なかった。
 まだ人がいる家には砂下ろしをしている形跡が見られるが、丁寧に下ろしている家とかなりおざなりに砂を払っているだけの家の差が大きい。しなければ家ごと潰されてしまいかねないけれど、重労働だけに、人手が無かったり気力を失っていたりする家はどうしても手が回らないらしい。
「カチェア、家がどんな具合なのか調査してくれ」
 砂の堆積が多い家から順に、政敏はカチェア・ニムロッド(かちぇあ・にむろっど)に調査を依頼し、下からでは見られない傷み度合いも、ヴァルキリーのカチェアなら上から確かめられる。
「了解です。目印にシールを貼っておきますね」
 カチェアが調査する間、政敏は音を立てぬように気を付けながら厚く積もった砂を屋根から下ろしていった。
 調査がある程度進むと政敏はカチェアの指示に従い、家屋を修理する。砂が侵入する隙間を接合剤で埋め、必要な箇所には木材で添え木して補強する。その間もカチェアは次の場所の調査を続けてゆく。
 多くのコントラクターがユトの為に復興に携わり、作物や水が回復することによって多くの住民は希望を取り戻すだろう。けれど政敏は『人を信じない』のが信条だ。
 人の心は弱いもの。一度萎えた心は、何か理由を見つければまた萎えてしまいがちだ。希望を持ちたいと思うからこそ、逆にそうでない箇所を探し、希望を打ち砕くものを見つけようとしてしまうこともある。
 この復興でユトの人すべてが希望を持って強く進めるとは、政敏は信じない。技術屋は人が失敗するだろうと疑い、それを補うように物を作る。信じないことこそが、人に対する愛に繋がるのだ。
 砂が家の隙間から入り込めば、休むべき場所にまで侵入してくる砂に心も沈む。コントラクターが町を去った後、再び日常をおびやかす砂に心が折れてしまわぬようにと、政敏はできるだけ気づかれぬように家の修理をしていった。
 気づいてもらう必要はない。
 ふと心の隙間に絶望が入り込んでしまわぬように、外堀が埋められたらそれで良い。
 政敏のもう1人のパートナーであるリーン・リリィーシア(りーん・りりぃーしあ)は、町の家々を回り、納屋においてある農機具の様子を確かめに歩く。
「農機具を見せてもらっても良いかしら?」
 砂に打ちのめされているユトの人々の心を表すかのように、鋤も鍬も砂にまみれている。犁はもう長く牛に牽かせていないのだろう。すっかり錆が浮いていた。
 ひどく傷んだ農機具は、畑に積もった砂との闘いを如実に表している。
 リーンはそれらの砂を落とし、錆落としで丁寧に錆を丁寧に落とすと、火術も併用して農機具を修繕していった。
 修繕が終わると納屋の砂をきれいに掃き出し、整理整頓しておく。主の心が再び畑に向いた時、すぐにでも迎え入れられる場所であるようにと。
 目に見える場所、見えない場所。
 そのどちらも支えられてこそ、復興となるのだろうから。
 
 
 
 コントラクターの働きかけで、それまで家にこもりきりだった人々も少しずつ外に出てきた。
 砂にまみれた外は今まで絶望だけを呼び起こすものだったけれど、明日に希望があることをコントラクターたちが教えてくれたから。
 町の広場にある女神イナンナの像からも砂埃が取り除かれ、町の人々は再びその前で祈るようになった。
「イナンナ様は今頃どうしてるんだろうな」
 像を見上げて呟くユトの住民の前に、今坂 朝子(いまさか・あさこ)今坂 イナンナ(いまさか・いなんな)を引きずり出した。
「あんたが不甲斐ないあまりにこのざまだ!」
 そう言ってイナンナを平手打ちする。
「何が女神だ? 何がご加護だ?」
 言うたび朝子は平手打ちをみまったが、今坂イナンナはただ虚ろな表情を崩さず黙りこくっていた。
 遂に朝子は懐から匕首を取り出し、イナンナへと振り上げる。
「人々を苦しめる疫病神はいらない!」
 朝子の予定では、ここで町の人たちが女神様を殺すなんて狂ってる、と止めに入るはずだったのだが、町の人たちは何事かと遠巻きに眺めている。
「どうかしたの?」
 人々の後ろからやってきたエルシャは、朝子の振り上げている匕首に目を見張った。
「お願いだからやめて。イナンナ様の目の前で争いだなんて、きっと女神様が知ったら悲しまれるわ」
「だからこいつがイナンナだって……」
 朝子はそう言って今坂イナンナを示したが、エルシャの目はイナンナの像に向けられている。
 ちょうどそこに通りかかった女神イナンナは、像を見上げるエルシャに気づいて足を止めた。エルシャの視線を追うように自分の像を眺め、今の自分の姿に目を落として苦笑する。
 その様子にグリゼルは首を傾げ……次の瞬間、女神イナンナの前にひざまずいた。
「おばあちゃん、どうしたの?」
 エルシャが不思議そうに尋ねる。
「おまえには分からないのかい? この方がまとうオーラが」
「うーん……」
 エルシャはイナンナの姿を上から下まで眺めたが、さっぱり分からない様子だ。だが、町の人の何人かはグリゼルと同様、女神から何かを感じたのだろう。はっとしたようにひざまずく。
「女神イナンナ様、よくぞこのユトにいらして下さいました」
 グリゼルの言葉に、エルシャはええっとすっとんきょうな声を挙げた。
「でも……」
 そう言って、イナンナと像を見比べる。エルシャはもちろんイナンナを見たことはないけれど、この像がその姿だと教えられてきた。目の前にいるイナンナの姿はあまりにも違う。
「姿こそ違うが、この方は確かにイナンナ様だよ」
「そういえば……私が迷いそうになった時、道を示してくれたのは……」
 砂にかすむ目の前で行き先を示してくれたあの女の子が……と思い当たったエルシャは慌ててグリゼルと並んでひざまずいた。
「ご、ごめんなさい、私……」
「こんな姿になっちゃってるんだもん。分かんないよね」
 恐縮するエルシャにイナンナは笑った。
「でもね、あたしもシャムスたちも出来る限り頑張ってる。絶対にカナンをこんな状況にはしておかないって。こうして力を貸してくれる契約者の人たちもいる。だからね、大変だとは思うけどみんなも信じて欲しいんだ。カナンは必ずまた豊かな国として蘇るって」
 しっかりとそう言うイナンナの前に、町の人々は皆深く頭を下げるのだった。