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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

リアクション


●ACT2

 新宿であれ渋谷であれ、人の集まる場所に闇市がたつのは同じだ。当時としてはごく当然のことだった。
 ただし同じ闇市でも、その性格には地域差があった。
 渋谷の闇市が自由闊達で、どん底に貧しくとも奇妙な明るさがあったのに対し、新宿のそれはもっと整然としており、それでいて腹の底に暗い情念をたたえたような、欲望という名の赤黒い大蛇が横たわっているような、そうした得体の知れなさがあった。毒があった。
 毒の甘さ、そのむせ返るほどの芳香を感じながら、八神 誠一(やがみ・せいいち)は壁に背中を付け立ち止まった。
「何か用?」
 誠一が急に振り返ったことに驚いたか、四人連れの男たちはぎょっとしたように身を竦ませた。
「そんな人数でずらずら尾行されちゃ、気づかない振りするのも難しいよ」
 昨日の雨はからりと晴れ、この季節にふさわしい陽が差し込んでいた。
 まだ午前だというのに、太陽はもう灼熱の球のようである。
 誠一は殺気看破を発動していたが、そんなものがなくても十分すぎるほどに、四人の男からは棘のある殺意が感じ取れる。どす黒い意思が、肌にグサグサと突き刺さりそうだ。
「あんた、新宿(ジュク)の主について知りたいそうじゃねぇか」
 丸坊主頭の男が言った。
「そうだったかな」
「ガキが。舐めた口きいてっとただじゃすまねぇぞ」
 ぺっ、と足元に粘り気のある唾を吐いたのは、襟元から胸にかけて濃い入れ墨を入れた男である。
「目立たないようにしたんだけどなあ。一人を相手に一気にまとめて聞くのは避けて、一人一人から小出しに聞きだしていくようにして……」
「渋谷や他の土地じゃそれでいいかもしれねぇ」
 リーダー格と思わしき角刈りの男が言った。
「だがジュクにはな、広く警戒網が張ってある。テメェは昨日からその網にかかっていたのさ」
 ……の、わりには連中の尾行が始まったのが今日だということを誠一は知っている。広大なる新宿の闇市に警戒のネットワークがあるのはわかったが、連中が言うほどに立派なものではないだろう。とはいえそれに引っかかってしまったというのはうかつだったが。
「それで、どうしたいの?」
 誠一は平然と一同を見回して言った。バラック立ち並ぶ路地裏、他に人の姿はない。やろうと思えばバラックを乗り越えて逃げることも可能だ。
「新宿(ここ)じゃ人一人くらい消えても騒ぎにならねぇ」
「あっそ」
 平然とする誠一に、坊主頭は腹を立てたようだ。
「ただの脅しじゃねぇぞ!」
 次の瞬間にはもう、砲丸のような拳で殴りかかってきたのだ。
 ところが拳は宙を切った。そればかりではなく坊主頭は、どっと前のめりに倒れていた。舗装の割れた道に、顎から着地して昏倒する。
「僕、殴ったわけじゃないよ」
 誠一は両手を挙げてひらひらとさせた。単に脚を伸ばし、相手の軸足をすくっただけだ。
「ねえもうこの辺にしない? 情報収集は他でやるからさ」
 しかしその提案は受け入れられないようだ。ハンチング帽を被ったブルドッグみたいな顔の男がバラックから角材を拾う。入れ墨男はシャツを脱ぎ捨てる。そして角刈りは、腰からナイフを抜いたのだった。
「ああもう、めんどくさいなぁ」
 逃げるのは、やめた。
 入れ墨の拳とブルドッグの角材が同時に来た。まずはリーチのある角材を蹴り上げ、つぎに拳を受け流す。ブルドッグは自分の角材で自分の頭頂部を打ってしまい、ぎゃっと悲鳴を上げた。そのときにはもう、入れ墨男はバラックの一つに頭から突っ込んでいる。
 誠一は両脚を揃えて跳んだ。
 誠一がさっきまでいた地点に、ナイフがきらっと閃いて銀の軌跡を描いた。
 ぱっ、と両脚を開く。角刈りの側頭部を誠一の右足が蹴りつけ、呆然とするブルドッグの後頭部には左足が叩き込まれた。
 着地すると誠一は一跳びで入れ墨男に迫り、ようやく立ち上がった男を、背負い投げの要領で投げ飛ばす。虎を描いた入れ墨の模様が青空の下を舞い、どすんと落下したのはブルドッグの上だった。二人は「ぐえ」「ぎゃっ」と美しくないハーモニーを奏でて眠りの世界に落ち、かくて四人中三人が片付いた。
「ナイフは危ないよ」
 誠一は半回転して手刀を叩き込む。再度ナイフを振り回してきた手首――角刈りの腕に。
 土の詰まった植木鉢を高い場所から落としたような音がした。
「そんなもの持ってると、手加減できなくなるから」
 折れた右手首を左手で押さえ、半泣きで地面を転げ回る角刈りを、誠一は緩やかな笑みを浮かべて見下ろしていた。
「こんな子どもにやられたと知られたら恥ずかしいよね……。あそこで気絶してる手下三人に後で、『あのガキは俺のナイフにビビって逃げた』って言っていいから、かわりに教えてよ。溜まり場として使っている場所で、最近人の出入りが増えた場所って、ない?」
 角刈りの自白を聞きながら、ふと誠一は思った。
 ――手首まで折られておいて、『ガキは俺のナイフにビビって逃げた』って言っても説得力ないかも。
 まあ、いいか。