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曲水の宴とひいなの祭り

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曲水の宴とひいなの祭り

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   梅への想い
 
 
 
 雛祭りは日本に古来から伝わる女の子の祭り。
 そう聞いて興味を持ったミーナ・コーミア(みーな・こーみあ)は、行ってみたいと菅野 葉月(すがの・はづき)に頼んでホテル荷葉へとやってきた。
「琴子先生も企画に加わってるんだよね? 日本の女の子のお祭りってどんなものかな?」
「日本で良く行われているのは、雛人形を飾ったり、料理を食べたり……といったところでしょうか」
 今日は他にもやるようだけれど、と葉月が答えると荷葉へと向かうミーナの足は自然と速くなる。
「色々と中で皆が用意してくれているんだよね。楽しみだなー」
「ええ。ですが、パラミタに来ても日本の古来より続く文化にこうして触れることが出来るのはなんだか不思議な気分です」
 契約者がパラミタに来たことによって、地球の文化もパラミタに流入している。こういう雛祭りのような祝い事は特に受け入れられやすそうだ。
 地球側からパラミタへ、パラミタから地球へと、それぞれが培ってきた文化が流れ込み、あるものは拒否され、あるものは受け入れられて、やがてはその土地らしく変化してゆく。
 もし雛祭りがパラミタに定着することがあっても、それは日本で行われているものとは違った祭りになってゆくことだろう。
 けれど、それもまた文化交流なのだろうと葉月は思う。
 和風の造りになっているホテルの中を横切って中庭に出ると、そこはもう雛祭りの世界。
 遣り水の左右に敷かれた緋毛氈に座するのは、十二単や衣冠束帯の平安衣装をまとう人々。
 下流では流し雛が行われていて、楽しそうにはしゃぐ皆の姿がある。
 庭には七段飾りが鎮座し、そこから動き出したようにひな人形に扮した人々が庭をゆっくりと歩いている。
「ようこそ。甘酒はいかがですかー?」
 三人官女の衣装を着たミアが、長柄の銚子を掲げてみせる。
「ミーナ、どうしますか?」
「飲んでみたいなー」
「ではお願いします」
 葉月に言われ、レキはミアに合図した。
「ふむ、よかろう。何か願いがあれば言うが良いぞ」
 桃の造花を手にしたミアに聞かれ、ミーナはうーんと首を傾げる。
「やっぱり、葉月と一緒に毎日楽しく過ごしたい、かなー」
「おお、それはわらわの願いと同じ……いやいや、よし任せるのじゃ。魔女のわらわじゃが、呪いをかけたりせんから安心するがよい。逆に、滅多に祈りぬわらわが祈りを捧げるのじゃ。あの意味貴重じゃぞ」
 ミアはレキに言い含められている通り、できる限りしとやかに桃の枝をそれらしく左右に振ると、目を瞑って祈りを捧げた。
 それが終わると、レキが甘酒を注いで渡す。
「どうぞ」
「わ、結構甘い飲み物なんだね」
 他の飲み物とはまた違う甘みに驚きながらも、ミーナは甘酒を飲み干してレキに返した。
「ありがとう」
「雛祭り楽しんでいってね」
 また次の客へと甘酒をふるまいに行くレキたちを見送ると、葉月はミーナに尋ねた。
「さて、『お姫様』はどのようなことがご所望ですか?」
 葉月に言われミーナは悩む。
「美味しい食べ物もあるんだよね。でも何よりも葉月と一緒にいたいな」
 食い気も色気も両方欲しいけれど、そのあたりのバランスをどう取ろうか。
「葉月は行きたいところはある?」
「今日は雛祭り。僕としてはお姫様の望むまま叶えてあげたいですが……ただ、梅の花が見頃だそうです。せっかく綺麗に咲き誇っているものを見ずに済ますのももったいないことでしょう」
「だったら梅を見に行こうよ」
「良いんですか? ミーナの好きな場所でいいんですよ?」
「いいの。早く行こ」
 2人で楽しめるのなら、ただ一緒に歩くだけでも良いのだからと、ミーナは葉月と梅林に行った。
「白梅も紅梅も今が盛りですね。季節を楽しむには花というものは最適です」
「小さいけど可愛い花だよね」
 いつもは忙しい日々を送っているからこそ、日頃の雑事を忘れるこうした行事に参加し、そしてまた日常へと戻る。
 そんな緩急が頑張る力を与えてくれるのだろう。
 何気ない話をしながら梅林を歩き、疲れれば毛氈に座って休憩し。葉月とミーナはゆったりとした弥生の一日を過ごすのだった。
 
 
 
「梅の花がいっぱい咲いてるね」
 秋月 カレン(あきづき・かれん)は左右の手を葵とエレンディラに繋いで歩きながら梅を見上げた。
 派手な花ではないけれど、梅の花は春の訪れを待ち望むように可憐に咲いている。
「今年も梅の花、満開だね〜♪」
 葵はそう言って梅林を見回した。葵たちがここに来るのはちょうど1年ぶりだ。
「ええ、今年も綺麗に咲いていますね。清々しい香りもして素敵です」
 変わらず花開いた梅を見上げ、エレンディラも微笑んだ。
 あれから1年。本当にいろんなことがあったけれど、こうしてまた梅を見に来ることが出来た。去年と同じように……否、去年梅見に来たのは3人だったけれど、今年は周瑜 公瑾(しゅうゆ・こうきん)も一緒だ。
「ふふっ、相変わらず仲がよいですね」
 その公瑾は、手を繋いで歩く3人の後ろをゆっくりと優雅に歩いていた。すぐ前を歩く3人の姿は微笑ましく、早春の梅林によく似合う。
「カレン、あおいママとえれんママとこうやってお散歩するの好きなの」
 2人を見上げた後、カレンは急に走り出した。
「あ、大きな梅の木〜」
「カレンちゃん、そんなに走ると危ないですよ……」
 エレンディラがはらはらと注意するが、カレンは大丈夫だと笑って梅の木まで走ると、その太い幹に手をついた。
「この梅の木、お花がいっぱいなの」
「あら、そういえば去年はここで3人仲良く寝てましたね。今年もこの下でお花見しましょうか」
 葵と並んでゆっくりと追いついたエレンディラがシートを広げ、早起きして作ったお花見弁当の蓋を取った。
「お弁当の他に、今回はちゃんとした桜餅と日本茶がありますよ」
「わぁい、えれんママのお弁当おいしそう〜」
「さっそく食べようよ。エレンのお弁当見たらお腹すいてきちゃった」
 梅の木の下でピクニック気分のお弁当タイム。
 のどかな早春の風景だけど、吹く風はまだ少し冷たくて葵はエレンディラに身を寄せる。
「やっぱりエレンの側は暖かい〜。カレンちゃんもおいで〜」
「うん!」
 くっつきあってくすくす笑う3人を公瑾はゆったりと眺め。
「梅を見つつ親しき者との宴、これに勝るものなし」
 くつろいだ気分でそう呟くのだった。
 
 食事が終わると、カレンは持ってきていた荷物からフルートを取り出した。
「カレンね、周瑜先生に習っていっぱい練習したの」
 大好きなママたちに聞いてもらいたいからと、カレンはフルートを構える。
 それを見て、公瑾もおもむろに弦楽器を取り出した。
「では、私も君たちの為に奏でよう」
 カレンの吹くフルートにあわせ、公瑾も弦をかき鳴らす。
「何しても公瑾ちゃんは絵になるねー」
 葵は演奏に耳を傾け、終わるとカレンの頭を撫でた。
「カレンちゃん、凄く良かったよ♪」
「ええ。とても上手でしたよ」
 エレンディラにも褒められて、カレンは嬉しそうに2人に飛びついたのだった。
 
 
 
 断れない家の用事があり、ホテル荷葉で開かれた会合に出席したイーオン・アルカヌム(いーおん・あるかぬむ)は、疲れた顔つきで廊下を歩いた。
 形式だけの無為な会合。身体の疲れならば心地よいが、精神的疲れはただただ重いばかりだ。
 重い足取りで歩いていたのだが、下りたロビーではつるし雛が飾られ、十二単や衣冠束帯に身を包んだ生徒たちが歩いていた。
「何か催し物でもあるのか?」
 通りかかった桐生 円(きりゅう・まどか)に尋ねてみると、片づけものを持った円はちょっとおどおどした様子で庭を指した。
「えっと……雛祭りだから……」
「そうか。今日は3月3日だったか」
 そういう行事のことは知っていたが、今日の日付と結びつけることはしていなかった。どうりで華やかなはずだ。
「今からでも参加や見物が出来る催しはあるのか?」
 こんな重苦しい気分では屋敷にも帰りたくない。何か気が紛れることでもやっていないかとイーオンは聞いてみる。
「うーん、と、あの……曲水の宴っていうのは、参加はもう無理。けど、見るのはできるよ……です。それからえっと……流し雛……あ、料理とかもあって……」
 ちゃんとしようと思えば思うほど上手く説明できなくなって、円は視線を泳がせた。
 その視線を受けて、冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)がやってくる。
「どうかされましたか?」
 百合園女学院の生徒らしく、きちっと礼儀作法を守ることを意識しながら小夜子は尋ねた。
 円に言ったのと同じ質問をイーオンが繰り返すと、小夜子はてきぱきと答える。
「本日、遣り水の上流で行われている曲水の宴は、見学のみ可能です。下流での流し雛はどなたでも参加・見学していただけますので、興味がおありでしたら是非どうぞ。この廊下をもう少し進んだ先では、ひな料理のふるまいもしております。こちらも自由にお召し上がりいただけます。庭では雛壇に飾られたひな人形の他、ひな人形に扮した生徒によるおもてなしもございます。ゆっくりされたいのなら、庭を進んで行かれると丁度見頃な梅林もありますわ」
 客の案内や説明の為、小夜子は事前に会場のことは頭に入れている。
 よどみなく説明する小夜子に、円は感心のまなざしを向けた。
(すごいや、テキパキ働いてる……)
 これまで円はホテルと言えば、きっちりて静かな表の顔しか知らなかったから、裏の体育会系な労働に触れるのは初めてだ。覚えることも多く、片づけ物は力仕事。がんがん仕事しながらも、応対は丁寧に。
 見えない所でみんな頑張っていたんだと、改めて知る思いだ。
 そうして円が眺めているうちに小夜子はイーオンに会場の説明を終えた。
「そうか。少し見て行こう」
「はい」
 会議の資料を小脇に抱えたアルゲオ・メルム(あるげお・めるむ)はイーオンの誘いに頷く。
「どうか楽しんでいらして下さいませ」
 イーオンたちを見送ると、小夜子は円に頑張ってと声をかけ、また忙しそうに仕事に戻った。
 
 小夜子の説明を受け、イーオンはホテルの中庭に出た。
 日本風にしつらえた庭園には遣り水が流れ、曲水の宴や流し雛が行われている。
 参加している人々の顔は皆楽しげで、ささくれだっていた心を和らげてくれるようだ。
 足の向くまま庭を歩き、やがてイーオンは梅林までやってきた。
 紅梅白梅が今を盛りに咲き誇っているけれど、その風景は華やかというよりは静謐で、見ていると心が洗われる。
 風に乗ってくる薫りも、柔らかな日差しも、期待していた以上に会合がもたらした不快な気分を払拭してくれた。
 ふと背後を見れば、そこにはイーオンの花見に静々と付き従うアルゲオがいた。
 早春の光を受ける銀の髪、怜悧さを覗かせる赤い瞳。ひっそりと佇んでいるその姿はまるで、白梅紅梅の化身のようだ。
「……梅の花言葉は『高潔』や『忠実』といったものがあってな」
 ふと話し出したイーオンの言葉にはどこか独り言めいた響きがあった。
 けれど、彼が無駄なことはしないと知っているアルゲオは、それが間違いなく自身に向けられた言葉だと理解し、耳を傾ける。
 そんな様子にイーオンは再び視線をアルゲオから梅へと移した。
 梅は桜の華やかさはないけれど、凛と咲くその姿はやはり美しい。
 そんな梅の花の佇まいがそうさせるのか、あるいは春の日の優しさの所為か。封印を解いた当時……イーオンが幼かった頃からのアルゲオの忠節に改めて感謝したくなったその気持ちが、ひどく自然に口をついて出る。
「感謝している」
 普段口に出さない万感の思いをこめて。
 照れくささは無いけれど、視線は梅の花に注いだままでイーオンはそう言った。
「私のほうこそ……」
 アルゲオは短く応えを返した。詰まる胸にそれ以上は言えなかったけれど、どうにか震えはしなかっただろうと自らの発した言葉を脳裏でそっと繰り返す。
 その返事を聞くと、イーオンは気持ちを切り替えて屋敷へ帰ることにした。今日は幾分研究もはかどる気がする。
 眉間に深い皺が刻まれているのはいつもどおり。けれどその表情はいつになく晴れやかだ。
 アルゲオはその後をやはり静々と追従する。
 もう1つの梅の花言葉、『厳しい美しさ』を思い浮かべながら――。
 
 
 
 白梅には白梅の清楚さがあり、
 紅梅には紅梅の愛らしさがあり。
 そのどちらもが今満開を迎えている。
 そんな梅林の中を、袴姿の神崎 優(かんざき・ゆう)水無月 零(みなずき・れい)と手を繋いでゆっくりと歩いた。零は春にちなんだ薄紅の地に白の小花を無数に散らした着物姿だ。
 他のパートナーも、神代 聖夜(かみしろ・せいや)は薄い灰色の、陰陽の書 刹那(いんようのしょ・せつな)はいつも来ている着物に薄いピンクの花弁があしらわれたものを着、全員が着物姿での散策だ。
 白梅紅梅の咲き乱れる場所……去年零と共に訪れたところまで来ると、優は足を止めて梅の木を見やった。
「綺麗だな」
「ええ本当に」
 零はそう同意しながら、去年ここで梅を見た時のことを思い出す。
 あの時の優の梅を見上げる横顔の端正さ……それは今年も変わらない。
「去年ここで優が梅の話をしてくれて……その後梅の花を私の髪に飾ってくれたのよね」
 その時優が梅を挿してくれた位置に触れながら、懐かしく零はそう話す。
「梅の話? どういう話だ?」
 零の様子がとても嬉しそうだったので、聖夜も優がどんな話をしたのか気になって聞いてみる。
「どんな話だったかな……?」
 あの時もいろいろ話をした記憶はあるが、零が指しているのがどの話なのか分からず、優は首を傾げた。
「私も聞いてみたい……零、どんな話でしたか?」
 刹那も聞きたがるので、零はあの時優がしていたように梅を見上げた。
「えっと確か……誰に見せる為でもなく咲く花のこと……その美しさのこと……」
「ああ、そうだったな」
 零の言葉で優もその時のことを思い出す。
「梅は誰かに見せる為に咲いているわけでもないのに、こうして咲き誇っている。そして満開を迎え、すべての花が咲ききった後は風にのって散っていく。まるで名残を惜しむようだ、と」
 見る人がいなくとも、梅は己のすべてをかけて花を咲かせ、風にのってひらひらと散る。そんなあり方は潔いとも思える。
「とても儚いものだが、それ故に美しい。だから俺たちを含め人々は、その美しさに惹かれ、色んな想いを馳せながら自然と梅の咲く場所へと足を運んでしまうものなのだろう」
 去年と同じようにそこで話を止め、優は梅に視線を移した。
「優らしいとても素敵な言葉ね」
 刹那は優の話を胸のうちで繰り返して微笑んだ。
 優の話には誰かを惹きつける力と優しさがある、と刹那には感じられる。
 実際、刹那はそんな優の言葉に救われもしているのだから。
「ああ。少し難しいがお前らしい話だな」
 聖夜も頷いた。聖夜には優の話は難しいけれど、何となく言いたいことは分かるような気がする。
「私も去年聞いた時は、難しいと思ったの。でも……」
 今なら理解が出来る、と零は思った。そして優が語ってくれる話には惹かれるものがあり、優しさを感じられる、とも。そんな優だからこそ、自分は好きになったのだろう。
 さあっと風が吹き抜けて、梅の花びらを散らす。
 それを見て聖夜は、成る程そう言うことかと呟いた。
 刹那は梅の花びらを追う視線を優の上で止め、これからも彼のパートナーでありたいと願う。
 そして零は花に見惚れている優の名を呼び、花に留まる蝶々のようなキスをした。
「あの時のお礼……」
「ありがとう」
 照れながら優は礼を言うと、まだ蝶々の感覚の残る頬に手をやるのだった。
 
 
 
「この辺がいいんじゃないか?」
 曲水の宴も無事に済み、アキラたちは本来の目的……タダ飯と花見にやってきた。
 眺めの良い適当な場所に陣取ると、もらってきたひな料理を広げる。
「この太巻き、いろいろ具が入っててうめえな」
 さっきの曲水の宴でのことが頭にあるのだろう。照れくささを隠すように、アキラは普段以上に料理を次々に口に放り込み、飲めないのに白酒をぐびぐびと飲む。
「そんなに飲んで大丈夫ですか?」
 セレスティアは心配顔だけれど、いつもなら説教をしてくるルシェイメアは何も言わず、アキラのしたいようにさせてくれた。
「あら? 寝てしまったみたいネ」
 腹もいっぱいになり、ほろ酔いのアキラがすっかり眠ってしまったのに気づいて、アリスが顔をのぞき込んだ。
「放っておいてやるのじゃ」
 今日くらいはくつろいでも良いだろう、とルシェイメアはアキラの寝顔を肴に白酒を飲む。
「おやすみなさい……」
 セレスティアは優しくそう言うと、眠るアキラにそっと上着をかけてやった。
 
 
 控えめに咲く梅の花も綺麗だけれど、その下をそぞろ歩く皆もまた綺麗だ、と若松未散は思った。
 和風の行事だからだろう。和服姿の人々も目につく。
 その中で自分だけが似合っていない気がして、未散は小さくため息をついた。と。
「似合ってますよ」
 何も聞いていないのに、ハルがそう言った。
「え……?」
「心配いりません。とてもよく似合っています」
 長いつきあいだ。ハルには未散がずっとぐるぐる悩んでいたのが分かっていたのだ。
「あ……ありがと」
 不覚にもきゅんとしてしまったのを隠すように、未散は頭上の梅を見上げた。 
 雛行事らしく着飾っているそんな様子を見ながら、シャーリー・アーミテージ(しゃーりー・あーみてーじ)天王寺 沙耶(てんのうじ・さや)に尋ねる。
「せっかくの日本庭園ですし、やっぱりホテルで和服を借りてきましょうか?」
 沙耶はいつも通りの普段着……Tシャツにジーンズにフライトジャケットを羽織り、足下はブーツ、という格好で梅見に来ている。
「綺麗だとは思うけど、動きにくそうだもんなー。ボクはいつものこの格好で良いって。シャーリーこそ、ああいうしとやかな衣装、似合うんじゃないかな?」
 普段からワンピースを着ているシャーリーなら、和服姿も決まるだろうと沙耶が言うと、そんな、とシャーリーは照れた様子を見せた。
「ねーねー、そんなことより向こうにある料理、早く行かないとおいしいのからなくなっちゃうんじゃない?」
 アルマ・オルソン(あるま・おるそん)にとっては、風情ある梅の花より雛料理の方が気になるらしい。
「さっきちらっと見たら、カラフルなお菓子がいろいろあったわ。味を確かめてみたいの」
「そう言えば、やたらと色とりどりな料理が並んでたよね。あれ食べ放題?」
 クローディア・アッシュワース(くろーでぃあ・あっしゅわーす)も、梅より団子のようだ。
「じゃ、食べにいこーか」
 梅の花は綺麗だけれど、それを愛でるのはまた今度。
 風に揺れる梅にまたなと呼びかけると、沙耶はホテルの方へと歩き出した。
 ちょうどその沙耶たちとすれ違った時、
「あら?」
 メールの着信音が聞こえ、シャーロットは携帯を開いた。
 メールの内容を見ると、やったとばかりに携帯を持っていない方の手を握りしめる。
 待ち人来たる。
 彼女が来るまでにはまだ時間があるけれど、待ちきれない思いでシャーロットは梅花の下を小走りに急いだ。
 
 
 凛と咲く白梅。
 可憐な紅梅。
 寒さにも負けずに満開の花。
 まだほんのりとつぼみを緩めかけただけの花。
 どの梅の花も彼女に見せたくて、橘 カオル(たちばな・かおる)は次々に梅花を携帯で撮っていった。
「メイリンと一緒だったらよかったけどなぁ」
 何枚写メを撮っても、この梅林の様子は伝えきれない。
 共に肩を並べて歩くことができればどれほど良いか、と思いつつ、カオルは撮った梅の花を彼女にメールで送る。
 一緒に来たかった、という想いは伏せて、梅の画像にこんな言葉を添える。
『メイリンって名前、梅の文字があるけど、誕生日に関係するのかな?』
 共に居られない時も、花を見上げる時も、彼女のことを思う。
 いつか並んで梅を見られる機会が来るのを楽しみに。
 そしてまた、のんびりと歩こうとやってきた音井博季も梅を見て呟く。
「綺麗だなぁ……うん、1人も思ってたほど悪くありませんね」
 梅林をひとりそぞろ歩き。それは気持ちの良いことではあったけれど、周囲にはやはり恋人同士なのか仲良さそうに寄り添って歩く人たちがいて。
「……ああ、こんな綺麗な梅の中、2人でいられたらな……わあああ! もうー!」
 さっき自分で、1人も悪くない、って言ったばかりなのにと博季は慌てて手を振り回した。
 ままならないことも多いけれど、そんな立場にいると知っていて恋人になったのだから。
「ふう……」
 深呼吸して気を落ち着けると、博季は今度2人で来られた時のために、良い場所を探すことにした。
 ひとしきり梅林を歩くと、博季は近くの梅の幹に手を触れる。
「綺麗に咲いてくれて、有難う」
 彼女と一緒に来る時にも、梅は綺麗に咲いていて、2人の目を楽しませてくれるだろう。きっと――。
 
 
 お雛様の衣装を脱いで普段の格好に戻ると、やたらと身体が軽く感じる。
「毎日あんな衣装を着ていたなんて、昔のお姫様は大変だったんですね」
 綺麗な衣は嬉しいけれど、あれで生活するとなると考え物だと伊礼悠は衣装の重みを思い出しながら言う。
「あぁそうだろうな。だが、その価値のある姿だった」
「それって……」
 ディートハルトに聞き返しかけて、悠はその先の言葉を飲み込む。どんな返事が返ってきても恥ずかしいような気がしてしまったから。
 ほてる頬を風にさらせば、清らかな梅の香が漂う。
「いい香り……もうすぐ春らしくなりますね」
 少しずつ、人々の関係を変えながら季節は流れゆく。
 やがて来る本格的な春、そして夏秋冬。
 来年の今頃はどうなっているのか……今はまだ分からないけれど。
 
 
 ひな人形となっての甘酒配りを終えたレキとミアも、ひと休憩する為に庭にやってきた。
「ミアもお疲れ様。ちょっと休んで行こうよ」
 梅林から少し離れた位置にある縁台に座ると、レキは約束通り持ってきた白酒をミアの杯に注いでやった。
 見た目は12歳のミアだけれど、実際は十分過ぎるほど成人している年齢だ。
 美味しそうに白酒を飲むミアを見ながら、レキは甘酒を飲む。
 どこからか、お囃子の音が聞こえてくる。誰かが演奏しているものか、ホテルが流しているものか。
 風が運んでくるその音が、のどかな雰囲気をいや増してくれる。
 激動を迎えているパラミタだけれど、今このひとときはとても静かで穏やかだ。
「平和なひととき。続くといいね」
「そうじゃな……」
 レキとミアはそう言って、共に風に揺れる梅の花を眺めた。
 ゆらりゆら、ひらりひら。
 春先の風に乗り、梅花が揺れ、梅花が降る。
 皆への着付けを終えた藍澤黎は、そんな梅や人々の様子を見ながら中庭を歩いた。
 遣り水まで来ると、去年恋の悩みに揺れていた親友のことを思い出す。
 あれからもう1年が経つのか。
 水の流れに目をやれば、誰かが取り損ねたものか、曲水の宴の盃が小川の澱みに留まっている。中身はどこかにこぼれてしまったその盃を黎は水面から取り上げる。
 そして、『 年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 』との呟きを載せて、再び遣り水に放した。
 いつも何もかも、どんなに愛しい日々も、留まってはくれないのだと思いながら――。