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ありがとうの日

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ありがとうの日
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○     ○     ○


 船着き場から近い場所で、宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)は、手紙を送った相手の到着を待っていた。
 立場的に、気軽に誘うようなことが出来る相手ではないけれど。
 彼は今日、この祭りの視察に訪れることを、祥子に教えてくれた。
 平和になった今だからこそ、彼に、伝えたいことがある――。
「あ、団……様」
 船から降りて、街中へと向かおうとするその人物に祥子は近づいた。
 目立たない格好で、お忍びで訪れていることから、今日は名前では呼ばず『ダン』と呼ぶようにと、言われている。
 その人物は――教導団団長の、金 鋭峰(じん・るいふぉん)だ。
「こんにちは」
 彼に付き従っている教導団員のうちルカルカ・ルー(るかるか・るー)が、祥子に挨拶をする。
「こんにちは。僭越ながら、同行させていただきます」
 敬礼はやめて、軽く礼をして祥子はかつての仲間達と一緒に、祭りで賑わう街へと向かい歩き出す。
 団員の数名は先を歩き、ルカルカは少し後ろから団長と周囲に注意を払いながらついていく。
「手紙の解読はもう少し待ってくれ。竜族は目立つからな、少し離れさせてもらう」
 言い、カルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)は、とある人物の手紙を手に、空へと浮かび上がる。
「お願いね」
 ルカルカが見上げながら言った。
 空から周辺を見下ろして、カルキノスは警備にあたる。ドラゴニュートの彼の軍服姿は、ちょっと違和感がある。
 でもその違和感が、祭りになじんでいた。
「祭りを妨げないよう、注意をしていこう」
 ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)は、金団長をはさみ、ルカルカと対角線上に位置する。
「些細なもめ事より、団長の安全を優先するぞ」
 神経を研ぎ澄ませ、スキルで警戒を払っていく。こちらに注目している者も、害意も今のところ感じることはなかった。

 パレードを見ても、楽しいイベントを見ても。
 籤やゲームの屋台を目にしても、はしゃぐことなく治安を気にかけながら、一行は街の中を歩いていた。
「お茶にしませんか? 屋台ではなく、街が見える喫茶店で」
 そう提案をしたのは、祥子だ。
「そうですね。あそこにあるお店はいかがでしょう」
 塔の展望台にある店をルカルカが指差す。
「そこで構わない」
 金団長はいつも通り、言葉少なくそう言い、すたすたと歩き出す。
 祥子は恐縮しながら、隣を。
 ルカルカ達も警戒を怠らず、団長についていく。

 団長に話したいことがあるという祥子を尊重し、教導団員達は先にテーブル席につく。
 団長と祥子は、ひとまず窓際のカウンター席に並んで腰かけていた。
「平和はいいですね」
 そんな雑談から、入る。
 金団長は、それは多くの民にとって当たり前のことだ、と。そっけない返事を返してきた。
 でも、どんなに固い表情をしていても、冷酷と思われる言葉を吐いたとしても。
 本当に冷淡な人ではないと、祥子は解っていた。
「『少年老い易く学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず』は朱熹でしたか」
 かつて祥子は教導団員だった。その後に、教員課程の履修の為に空京大学に入学し……今は、マホロバ史を学ぶために、葦原明倫館に留学している。教員になるための勉強もおろそかにはしていない。
 忙しい、毎日を送っていた。
 教導団を辞めてもう1年以上経つ。
 遅すぎる気もするけれど、ずっと気にしていたことがある。
「建国の戦いの最中、教導団がシャンバラの民衆から信用を失い失地回復に全力を上げる中で……私は、大学に進学しました」
 団員として全力を注ぐべき時だった。
 でも、団員であっては、大切に思う人の力になれない状況が訪れて。
 だから、進学を前倒しして、教導団を辞めた、ことを……。
「家出してシャンバラへ身一つで渡った私を受け入れてくれた教導団に……不義理をしてしまいました」
 団長の方に体を向けて、祥子は深々と頭を下げる。
「敵前逃亡や任務放棄に等しい行為をしたこと、お詫びしたいと思っていました。申し訳ありませんでした」
 それから頭を上げて、彼の目をまっすぐに見つめながら言葉を続ける。
「そして、お礼を申し上げたいのです。ありがとうございました、と」
「何に対する礼だ?」
「……私を拾って、育ててくれたことに、です」
「……」
 金団長は表情を変えずに、祥子を見ている。
「今後は……あの人の想いをより多くの人に伝えるため。一人一人が自分を……引いては周囲の人や国を守れるようにするため教師として頑張ろうと思っています」
 残っていた紅茶を飲み干して、祥子は立ち上がる。
「団長、本当にありがとうございました」
「礼を言われるようなことはしていない。お前が勝手に恩を感じていただけだ。今の生き方は、団に入るしか生きる術がなかったお前が、シャンバラで見つけた道なのだろう。ならば、団を辞めたのではない。卒業をしたと思うが良い」
「はい……」
 胸を詰まらせながら、祥子は敬礼をする。
 今後も軍と関わることもあるだろうけれど、今、祥子は軍人ではない。
 だけれど、軍隊式の敬礼をしたくなった。彼女の心の、教導団卒業式だから。

 祥子が話を終えて、帰った後で。
 教導団員達はテーブル席の上座に、団長を招いた。
 景色もよく見える位置だ。
 賑やかな音は、さほど響いてはこないけれど。
 飾り付けられた街や、盛大なパレード、派手な服を纏ったとった人々の姿は良く見える。
 それは、平和と喜びを感じる風景だった。
「ダン様、今週のご予定は? 視察でも内勤でもお供させていただきます」
「近日……返還が行われるが、そちらはいいのか?」
 勧められて甘味を食べながら金団長はルカルカに尋ねる。
「そちらには、同行いたしません。交渉を円滑に進める為……帝国側の感情に配慮して、です」
 ルカルカの言葉に、金団長は訝しげに軽く眉を寄せる。
「私は軍人です。気持ちより命令や国益を優先する覚悟で行動していますが、ある件で、全体の安全より適法性よりも人は時として感情を優先させると知りましたので」
「……ルカルカ・ルー」
 重い声で名前を呼ばれ、ルカルカは身を固くする。
「相手側の代表者もまた軍人だ。誇り高きエリュシオンの軍人達だ。渡り合うこちらの代表もまた、『軍人』であらねばならない。同行者、例えば百合園の学生であるロイヤルガードの隊長が、感情に流されて相手国の遺族への謝罪等、勝手にこちらに不利な言動をするのであれば、国軍の我々が否定し、シャンバラは如何なる謝罪要求にも応じるつもりはないと、毅然と示さねばならない。同行者に非難されてもだ。交渉場を荒げた責任を取ることになってもだ」
 ルカルカは真剣に金団長の言葉を聴く。
「故にお前のその理由は、お前が冷徹な軍人であるのなら理由として不適切だ。だからこそ行かねばならぬからだ。……ただ、今回の交換には多くの団員が同行すると聞いている。都築達に任せて問題はないだろう」
「はい。申し訳ありませんでした」
 ルカルカは素直に謝罪をした。
 そう、今回は状況が違う。
 大荒野の戦いで、敵であった軍人に自分達が挑んだ時。
 そして、試作機の援軍の作戦も。
 軍人としての策があったからこそ、痛み分けで済んだのだから。
 ルカルカとしては、そんな自分の軍人としての姿勢が――戦争で自分が成した事を考えると、帝国の人間が心安らかに交換に従事できないかもしれないと。
 自国の戦時功績は相手国には損害だからという気持ちがあった。
 そんな彼女の気持ちを察してか、金団長は口調を和らげてこう尋ねる。
「お前は、関羽が団を出奔した時のことを、覚えているか」
「……はい、勿論です」
「ならば、良い」
 金団長はその件に関して、それ以上何も言うことはなかった。
「小さな犯罪はあるようだが、大きな問題はない。こちらに目を留める者も今のところは存在しない」
 建物の外を警備しながら、解読にあたっていたカルキノスがルカルカの元に戻った。
「これは、団長宛てのようだが……」
「うん、そうだと思った。ありがと」
 訳された手紙を、ルカルカが受け取るとカルキノスは再び警備の為に外へと戻っていった。
「団長をお手伝いしている理由は、それだけじゃないんですよ」
 ルカルカは淡く微笑んで、中は確認せずに、手紙を金団長へと差し出す。
「土御門さんからです。彼女の代理をさせてもらってます」
 差し出された手紙を、金団長はすぐに受け取って、もどかしげに乱暴に振って開いた。
 途端、挟まっていた何かがコロンと床に落ちた。
 すぐに拾おうとしたルカルカだが、金団長に手で制される。
 自分の手で拾い上げて、それが何であるのか確認した後。
 金団長は手紙に目を走らせる。
 手紙には、こう書かれていた――。

金鋭峰団長

ご無沙汰しております、土御門であります。


熱い中お忙しい毎日でありましょうが、
体にはどうか気を付けてくださいです。


自分は、こちらで何とか頑張っておりますです。
この度はヴァイシャリーで素敵なお祭りが開かれるとのことで、
是非ともお誘いしたいなと、思っていたのですけども


今回は、どうしても都合が合いませんでした……
申し訳ありませんです。

代わりに、ルーンのお守りを同封いたしますです。
イルミンスールで学んでいる最中ですし、
更に自作ですので効果は薄いかも知れませんけども……
「新たな始まりに必要な勇気や意志」等をもたらしてくれる
文字なのであります。
必要なければ捨ててくださって構わないのですがその、
気休め程度でも何かお役に立てれば  と。


どうか無茶はしないでください。
では、お元気で。

土御門 雲雀(つちみかど・ひばり)


 筆が迷ったのか、文字と文字の間に不自然な空白があったり、行間に不要な空白がある手紙だった。
(手作りのお守りかな? 本当は傍にいたいんだろうな……)
 ルカルカはそんなことを考えながら、団長をそっと見守る。
 金団長は厳しげな表情で手紙を確認した後で、丁寧に折りたたんで、内ポケットの中に手紙をしまった。
 お守りの方は、胸ポケットに入れていた。
(おお、すっごく大事にしてるって感じ? 秘密文書並の扱いのような?)
「ゴホッ」
 金団長が咳払いをする。
 その姿が、照れ隠しに見えて。ルカルカは思わず笑みを浮かべてしまい。唇を噛んでうつむいて平静を装う。
「お前の方こそと伝えておけ」
 短くそう言うと、金団長は湯呑を口に運んだ。
「これも彼女の代わりに、と言えば、受け取っていただけますでしょうか」
 言って、ルカルカは金団長がカウンター席にいた時に、こっそり買っておいたものをテーブルの上に置いた。
 それは、藍色の花の、飾りだった。
「ポケットの中の物を守るために、どうぞ」
 そう差し出すと、金団長は無言で受け取り、胸ポケットに挿した。
 花が胸にあるだけで、なんだかいつもより、彼が優しく見える。
「今日は重役の方はご一緒ではありませんが……。参謀はまだ辞任したと主張されているので? 書類、決裁保留なのでしょう?」
 終戦を理由に恩赦(して職復帰)も方法かと思うと、ルカルカは自分の考えを口に出してみた。
「今後適切なタイミングで復帰することも考えている」
 金団長のその言葉に、ルカルカはこくりと頷いて。
 後は、他の団員達に、会話のリードを任せることにした。
 短く言葉を返す団長の言葉に、全身の神経を研ぎ澄まして。
 彼の求める事、意図する事をくみ取れるように、心掛ける。
 今日はどんなに楽しそうでも、知り合いの姿を見かけたとしても。
 ルカルカにとっては、仕事の、日。軍人である日だ。