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リアクション
●2
細腕にもかかわらず、力を込めると両肩の筋肉がぐっ、と膨らむ。踏ん張った両脚は地面にめりこみ、気合いが湯気のようになって全身から立ち昇っていた。噛みしめた歯がめきめきと音を上げて軋んだ。
引っこ抜く。
絶対に引っこ抜く。
「でえええええ…………りゃあ!!」
姫宮 和希(ひめみや・かずき)は渾身の力を込め、雪中深く埋まった台車を引っこ抜いた。木製の車輪がガラガラと音を上げて回転している。台車は浮き上がり、そのまま投げ飛ばされそうな勢いで飛び出したのである。見守っていた村人たちは沸いた。驚愕と称賛の歓声に包まれながら、ざっとこんなもんよ、とばかりに和希は両手をパンパンと叩いた。
「これでまた一台、台車が使えるようになったよな。じゃんじゃん資材を運ぼうぜ」
和希が告げると、彼女の活躍で活力を得たかのように、村人たちは散らばって復興活動に戻っていった。
「ありがとな」
勢いで落ちた和希の帽子を、村の子どもが拾って渡してくれた。見たところ五、六歳の少年だ。生意気盛りといった風貌である。
「お姉ちゃん格好いい! お姉ちゃんはヒーローだね!」
少年が、そう言って称賛の目を向けてくる。ところが和希は喜ばず、しゃがみ込んで少年と目線の高さを同じにして告げた。
「そいつは違うぞ、坊主。俺みたいなのはな、ヒーローじゃねぇんだ。ただの力自慢の風来坊だ」
「でも、ロイヤルガードなんだろ? 偉いんじゃないの?」
「まあ確かにロイヤルガードだがな。だけど覚えておいてくれ、本当のヒーローってのはな、ここみたいな厳しい自然環境の世界に暮らして、不平の一つも言わず、他の場所に移り住もうともせず、真面目に一生懸命働いて子どもを育ててる人たちのことなんだよ。つまり、おまえの父ちゃんや母ちゃんこそが本当のヒーローなんだ。偉いという意味でも、俺なんかよかずっと偉い」
「……よくわからないや」
「ま、いずれわかる日も来るだろうぜ」と少年の頭をなでて、和希は言った。「さあ、父ちゃんたちとメシ食ってきな。それから、教導団の人たちにもちゃんと感謝するんだぞ。今のメシの大半は、教導団がわざわざ届けてくれてるんだからな」
駆け去る少年を見送っていた和希だが、弾かれたように立ち上がると慣れぬ敬礼をしようとした。といっても右肘が肩より下という、正式の敬礼の技法ではなかった。
「きみは教導団員ではない。そのような礼は不要だ」
シルエットだけでは、枯れ木のような印象を受けるかもしれない。壮年のその軍人は、背がひょろりと高く、痩せているように見えるから。しかしその四肢は鋼のように締まっており、歩き方ひとつとっても強いエネルギーが感じられた。首が太いのも、今なお強烈に自己を鍛えている証拠であろう。顔面の右半分に赤黒い火傷の痕を残す彼は、ユージン・リュシュトマ少佐、復興活動の指揮官である。数人の部下を連れ、和希の眼前に立っていた。
「協力に感謝する。鋭鋒団長は不在だが、これは団としての共通見解と思ってほしい」
「いやなに、この村には恩義がありますモンで……」
「慣れぬ話し方をする必要はない。楽にしたまえ」
「あー、それでは失敬して……、俺は前に山で遭難して、ここで一命を取り留めた経験があンだ。それに、村が滅んでも諦めず故郷に戻ろうとする村人たちを見てると、校舎がつぶれても頑張るパラ実生の姿が思い出されるんでね。他人事って気がしねえんだよ」
「しかし、教導団のフォローまでしてくれているではないか」
「ま、まあそれは、あれだ。できれば、教導団と村人の橋渡しにもなりてぇ、って要らぬお節介心を働かせてるだけさ。あんたらが一方的に悪者にされる理由もねぇと思ったんでな」
いいってことよ、と手を振って和希はその場を離れた。(「あの少佐さん、おっかない軍人って聞いてたが、案外話せるじゃねえか」)そんな印象が残った。
和希と入れ替わるようにして、若い軍人が現れた。リュシュトマの前に立つ。
綺麗な男であった。顔がどう、姿勢がどう、といったパーツの話にとどまらない。無論、顔の美しさ姿勢の美しさはあるが、全体としてのたたずまいが綺麗なのである。華があるのだ。長く伸ばした蜂蜜色の髪、切れ長の瞳、飄然としていながら、まるで隙のないたたずまい、軍服が似合っていないようでいて、しかし抜群に似合っているようでもある。どんな服装であれ、着こなしてしまう体ということだろう。作業を済ませて来たところらしく、軍服の袖や胸に汚れはあるものの、それですら彼にとっては、コーディネートの一部のように映えていた。名はシャウラ・エピゼシー(しゃうら・えぴぜしー)、教導団の勧誘パンフレットのモデルに使いたくなるような美青年だが、彼自身はそれほど、団への忠誠はないのだという。そのパートナーのユーシス・サダルスウド(ゆーしす・さだるすうど)を、影のように伴って少佐に敬礼した。
「シャウラ・エピゼシー、ならびにユーシス・サダルスウド、西方面の防柵構築作業完了の報告に参りました」
シャウラは微かに緊張していた。少佐との面識はもちろんあるが、こうして眼前で報告を行うのは初めてだ。射貫くような少佐の視線に、畏れを感じないと言えば嘘になる。しかし逆に、自分とはまるで違うタイプであろう彼と話すことについて、奇妙な興味をシャウラは感じてもいるのだった。
「ご苦労。昼食がまだだろう。食堂にでも入って休め」
「えっ……昼がまだだってご存じだったので?」
「それくらい把握していなければ指揮官とは言えん。昨日からずっと手作業、重機を使わない方針で苦労をかけたな」
「いえ、住民の心情を斟酌した結果です。それに、住民に混じってシャベルを使い汗を流したことで、いくらか交流を持つこともできました。まだまだ教導団への風当たりは強いものの、融和のきっかけにはなったんじゃないかと、おこがましくも思っております」
というシャウラの報告を傍らで聞きながら、ユーシスは思わず頬が弛んでいた。(「軍隊なんて、と常々ぼやいているシャウラが、団と村との融和について口にする日が来ようとはな。シャウラも少しずつ団に馴染んできたということか、それとも例の気まぐれか。さてさて……」)
「ならば食事も住民に混じって取るといい。活動に期待する」
「ハッ」きびきびした軍人というのはどうも性に合わないつもりのシャウラなのに、つい口調が畏まってしまう。
「だが、女性への声かけはほどほどにしておくことだ。貴君の行動は常に教導団を代表するものであることを忘れるな」
「ハッ! って、あの……そんなことまでご存じでしたか」
いわゆるナンパ師のシャウラなのである。といっても礼儀の範囲は守っているのだが。
「作戦参加の団員については、ある程度資料に目を通している」にこりともせずにリュシュトマは言うものの、ほんのわずか、その口調は軽くなったようにシャウラは感じた。「紳士であるように。以上だ」
リュシュトマは立ち去った。
「いや参ったね。この寒さなのに、ちょっと汗かいたかも」ふう、と防寒着の一番上のボタンを外しながらシャウラは苦笑した。
一方でユーシスは声を上げて笑った。「慣れぬ力仕事の連続で筋肉痛になっていたが、今のやりとりの愉快さでいくらか軽くなった気がするな」
「愉快、っておい、まさか女の子のことまで言われるとは思わなかったんで、俺はびくびくモンだったよ」
「その割には堂々としてたじゃないか」
「いやあ、見た目はそうかもしれないけどな……あ、そうだ、女の子といえば」
「いえば?」
「少佐の補佐官って女の子かな? 女の子、それも可愛い子だったら嬉しいな。スキーでも誘おう」
「……そのブレのなさはある意味尊敬に値するよ」
「お褒めにあずかり光栄だよ。ははっ、補佐官の子と親しくなれたら少佐の覚えもめでたくなったりして……そんなことないかな?」
「その補佐官というのは」そのときシャウラの背後から声がした。「自分だが」
ダークヘアの男性である。冷ややかな色彩があるものの、力強い声質だった。怒っている風ではない。
「クローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)、先日、少佐の正補佐官に任官されたばかりだ。よろしく」
軍装の立ち姿が美しい。目鼻立ちも整って、怜悧な印象があった。だがその沈着な外面の内側には、熱いものを秘めているような瞳(め)をしていた。シャウラとはタイプが異なるが、やはり不思議な魅力を感じさせる姿であった。
「あ、さっき少佐と一緒にいた人……」握手すべく差し出された手をシャウラは握った。残念な気持ちが思わず顔に出てしまう。
「女の子じゃなくて残念だったかい?」あはは、とクローラのパートナー、セリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)が笑った。セリオスも名乗って、シャウラ、ユーシスと自己紹介しあう。
「いや男でもいいや、復興すんだら温泉とかスキー行こうぜ」
しかし俺は……と言いかけるクローラを制し、セリオスが言った。「行こう行こう! ついでに雪割りの花を見つけられたらいいな。待ってる人へのお土産にしたいんだ」
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