天御柱学院へ

なし

校長室

蒼空学園へ

Zanna Bianca II(ドゥーエ)

リアクション公開中!

Zanna Bianca II(ドゥーエ)

リアクション


●6

「見つけたぞ、化け物!」
 そのとき、震えながら彼――コヤタは、銃口を彼女に向けていた。銃を握るのは初めてじゃない。撃つのも初めてじゃない。だけど人に向けるのは、正真正銘初めてだった。
 相手は女だった。しかしその女が、人間でないのを彼は知っていた。黒い髪に白い肌、美人ではあるが冷たい視線の女だった。女は、彼を観察対象とでもみなしているかのように黙って見つめていた。
「や、山に逃げ込むと、思ってたんだ……もしやと思って、ここで待ち伏せてた」怖かった。悲鳴を上げてここから逃げ出してしまいそうだった。老ハンターの孫は、そんな自分を鼓舞するためにしゃべり続けた。「お前、蜘蛛の体から抜け出したな……でも、お、同じ顔だ。人間の振りをしたって騙されないからな! 爺ちゃんの仇!」
 最後の一言には力を込めた。しかし、言った途端、後悔に似た念がコヤタを包んでいた。
 その瞬間、女が哀しそうな目をしたから。
 彼女は足を引きずりながらこちらに近づいて来た。
「寄るな化け物! それ以上近づくと撃つ……撃つぞ!」
「見ろ」
 と女は言って、左腕を外した。そうとしか表現できない。投げ捨てた腕は義手のように、カランと硬質な音を立てて転がっていた。作り物だったのだろう。そして左腕があった場所には、ぞっとするような輝きを持つ刃が剥き身で出現していた。
「そうだ……私だ。私が、お前の祖父を殺した化け物だ。撃つがいい。だが外すなよ」
 女が微笑んだ。しかしそれは、哀しみのさなかにある人間が、『笑え』と命じられて無理矢理作った笑顔のようにコヤタには思えた。
「外すと、次の瞬間お前が死ぬ」女は目を閉じた。
 コヤタは、切り詰めた銃身を女の額に当てた。
 手が震える。
 震える。
 突然、熱いものが両眼からあふれるのをコヤタは感じていた。この女に同情したんじゃない。自分を哀れんでいるのでもない。祖父のイサジを、思い出したがゆえの涙ですらなかった。ただ、泣いたのだ。鼻水も流れ、もう止まらなかった。
「でき……ない……」本能的にコヤタは拒絶していた。撃てない。いくら片腕が刃だからといって、あの女は、あまりに人間に似すぎていた。それに、本当に冷酷な殺人犯なら、なぜあんなに穏やかな、覚悟したような表情を浮かべているんだ。
「馬鹿か! お前は!」
 目を見開いた女――後に、その名はΟ(オミクロン)であったと聞いた――は、炎のような強烈な怒りを吐き出していた。
「もう取り返しがつかん! お前の目にどう映っているかは知らないが私は兵器だ。塵殺寺院の作った殺人マシーンだ!」
 信じられないことだが、オミクロンも泣いていた。ぼろぼろと、目を真っ赤にして涙を零していた。
「お前は殺人兵器に銃を向けた。私は、敵対する者は誰であれ反撃するよう設計されている! 反撃すべく動き出しているこの体を、抑えるだけでもう精一杯だ……! たとえ加減しようが、契約者ならぬ通常の人間であれば、私の一撃を受けては決して助からん。もう手遅れなんだよ……! 撃て!」
「でも……でも……」
 銃を取り落としそうになったコヤタの手を、オミクロンはつかんで銃身を持ちあげさせた。血を吐くような声で叫ぶ。
「祖父の仇を取れ」いつしか怒声は、涙声に変化していた。「私にもう、これ以上手を汚させないでくれ……お願いだ……」
 オミクロンの頬を涙が伝い落ちた。
 オミクロンはコヤタの手に自分の手を重ねると、強くその引き金を引かせた。
 乾いた銃声が、地下道に谺した。
 どさっ、と人が倒れる音と、小さな金属音が続いた。
 機晶回路キーのネックレスが、彼女の死体の下敷きになる音だった。
 その空虚な音を、まるで演劇の一場面であるかのように、コヤタは立ち尽くして聞いていた。
「約束……果たせなかったな…………」オミクロンが何か呟いていた。「妹よ……いま……」言い終えるより先に、彼女は永遠に動かなくなった。

 *******************

 膝をかかえうずくまるコヤタのそばに、レジーヌ・ベルナディス(れじーぬ・べるなでぃす)が座っていた。彼女とエリーズ・バスティード(えりーず・ばすてぃーど)は少年の告白を聞いたのである。ぽつりぽつりとだが、コヤタはオミクロンの最期を物語ってくれた。
「……この話をするのは、私たちがはじめてですか?」レジーヌが問うた。
 こくりと少年は首肯した。
 以前、村を訪れたときはもちろん、避難キャンプでも、村に戻り仮設住宅でも、コヤタは心を閉ざし、誰ともうちとけていなかった。とりわけ、村がなくなってからはそれが酷くなっていたように思う。本当のことを言うとレジーヌも人付き合いが得意ではない。だがそれだけに、内にこもりがちなコヤタのことが気になったのだ。どうしても放っておけない――おせっかいとは思いつつも、日々の復興活動でも彼女は、なにかとコヤタを気にかけた。エリーズも協力して、祖父の思い出など、少しずつ、彼と会話を交わすようになった。そしてこの日、ついにコヤタは「大切な話をしたい」と、二人に呼びかけ、建物の裏でこのことを話してくれたのだった。
(「憎しみの連鎖が……生まれようとしているところだったのかもしれない。けれどオミクロンさんは、自分の体でそれを断ち切ったんですね……」)
 オミクロンと面識をもつことはなかったが、一度会ってみたかったとレジーヌは思った。
 エリーズは無言でレジーヌを見た。視線で「塵殺寺院がこのことを知ったら……?」と問いかけた。以心伝心の二人である。レジーヌはかすかに頷く。コヤタが、非常に危険な状態にあることは明白だ。
 次の瞬間、エリーズは怒った猫のように、毛を逆立てんばかりの勢いで振り返った。
 刃のような男だった。腰の剣には手も触れていないにもかかわらず、うかつに近づけば斬られるような鋭角的な印象がある。といってもそれは、どこか切ないような感覚を伴っているのだった。ひとつ明確に言えるのは、彼が決して敵ではないというところだろう。彼は、樹月 刀真(きづき・とうま)
「立ち聞きするつもりはありませんでした」と刀真は頭を下げた。漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)も一緒だ。「俺たちはここで、独自にオミクロンの足跡を追っていました。国軍の責任者……少佐の許可も得ています。さっきはちょうど、君に話を聞こうとしていたところでした」
 月夜が言い加える。「決して、このことを口外する気はないわ。ただ、これまでの経緯を考えると、今回の復興計画にも塵殺寺院が何らかの方法で噛んでくる可能性があると思う」
「あまり厳しいことは言いたくないのですが……」刀真は言い淀んだ。しかし、誤魔化してもしかたないと考え直し、口を開く。「俺も復讐者ですから、仲間を殺した奴が生きている事実が許せない……必ず殺してやる、って気持ちならある程度は理解できるつもりです」
「子どもにそんな言い方は……」
 レジーヌが抗議しようとするも、刀真は首を振った。
「彼の話はある程度聞いています。ひとたび仇討ちを志したのなら、そして、実際に銃をとったのなら、結果はどうあれ彼自身、復讐者としての道を歩み始めたことをわかっているはずです。覚悟はできているのでしょう?」
「わかってる。俺、今度は復讐される側になるんだよね……」少年は、すっくと立ち上がって告げた。祖父のイサジを知る者であれば、そのときの彼の表情は、祖父に酷似していることに気がついただろう。
「そんなこと、させないから!」エリーズはコヤタと刀真、その両者に向かって断じた。「塵殺寺院の好きになんか、させない!」
 真っ直ぐに、エリーズを見て刀真は応えた。「もちろん俺も、そんなことをさせるつもりはありません」そして彼は、「これはお守りです」と告げて少年の首に、銀の首飾りをかけたのである。この首飾りには『禁猟区』がかけてある。敵も巧妙になり、その効果も相対的に弱まりつつある昨今だが、確かにお守りにはなるだろう。
(「俺は俺の復讐を果たせなかった。俺は、君を羨むべき立場なのだろうか……」)刀真の胸に鈍い痛みがあった。
(「刀真……」)彼の心境を月夜は理解しており、それだけに、同じく胸に痛みを感じるのである。(「どうしても、環菜を喪ったときの敗北感から先に進めないでいるのね……。けれど、刀真の失敗も後悔も望みも一緒に抱えて先へ進む、それが私の在り方だから……私は刀真の想いを、せめて共有したい」)

 タニアと呼ばれた少女と瓜二つの姿が、崖下から姿を見せた。
 この断崖を登っていけば、現在復興作業が行われているポイントに出る。この崖にはところどころ天然の洞窟があった。その一つに彼女は隠れていたらしい。
 一度だけ洞窟の奥を振り返ると、彼女は黄金の仮面――目の部分に穴が開いている以外は、何の装飾もないもの――を自分の顔に填めた。