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空に架けた橋

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空に架けた橋

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「樹月、刀真さん……」
 落ち着きを取り戻したルシンダが、刀真の名を呼んだ。
 そして、近づいてきた刀真に、手の上にあるロイヤルガードエンブレムを差し出す。
「私にシャンバラで成すべきことはもうありません。私が何のために、スパイをしていたのかは……皆さんにも分かると思います。私自身に出来ることはもうありませんが、皆さんがそれを……パラミタの平和を勝ち得てくれると、信じています。だから、今、これはお返しします。あなたを、皆さんを頼りに、私はエリュシオンで生きていきます」
 未来を、頼みます。
 と、ルシンダは赤い目で微笑みを見せた。

 その後。
 彼女はレストに連れられて、別の部屋へと戻っていった。
「ルシンダは、ミケーレのことを本当に想っているようだったけれど、ミケーレだって、ルシンダのこと気にしてるよね?」
 月夜が刀真に問いかけた。
 ミケーレの今の言葉と態度と、刀真に語った言葉に違いがあったから。少し、不思議に思って。
「約束では『真実は、2人の愛だけ』なんでしょ? お互いを護るための約束なら、その前の『互いの命を守るために。互いの真の目的は話さない』だけでいい。最後の一文はミケーレの気持ちなんじゃないかな? そして、それに応えたルシンダの気持ちも含まれているんじゃないかな?」
 だから、2人は互いに好き合っていたのではないかな、と。そうだよね? と。
「そうだということに……しておくんだよ」
 刀真は低く、月夜にそう答えた。
「完璧、だけれど……なんか……むかつく。我慢できそうもない」
「何が? とりあえず、落ち着こう。落ち着こうな、円」
 何故かわなわな震えだした円の腕を、千歳が掴む。
 なんだか、円がミケーレに殴りかかりそうに見えた。
 ルシンダは、ミケーレの言葉を信じただろう。
 ミケーレも、ルシンダが退室するまでは、彼女への愛情を見せていた。
 だけれど、彼女が部屋からいなくなった途端。
 彼は政治家の顔となり、情報の隠匿について龍騎士と相談を始めていた。
「いくつもの甘い言葉と、優しい態度で、騙したんだ。彼女にスパイを続けさせるために。……エリュシオンの神を、誰にも悟られずに、自らのスパイとするために」
 刀真が小さな声で呟いた。
「……」
 月夜は眉を寄せながら、ミケーレを見る。
「ええ、いつでも切り捨てられる手駒として最適だったのでしょう。有事の際も全て彼女のやったことと、帝国の所為にできますもの。でも、ミケーレ様も好きでやっていたわけではありませんわ。シャンバラの繁栄の為に、です。それは疑う余地はありません。騙し合っていたのはお互い様。ミケーレ様の方が上手であったということ。そして、最後まで騙したのは彼の優しさでしょう」
 イルマはそう言いながら、ミケーレを見守る。
 自分達は記憶を消されるが、ルシンダの記憶は消されないだろうから。

 ヴァルとゼミナーは、面会の最中、口を挟むことはなかった。
「何事もなく、終わったな」
 ゼミナーの言葉に、ヴァルは無言で頷く。
 シャンバラとエリュシオン間でわだかまりを持つ者や、利用しようとする者の潜入に目を光らせていたが、そういった者もいなかった。
 それが判ってからは、ミケーレとルシンダが目指すものは何だろうと、何処だろうとヴァルは探りながら見ていた。
 スパイはスパイとばれた時点で、社会的な死を迎える。
 ここにいるメンバー以外でも、ルシンダは怪しまれており、シャンバラに関わり続ければ、暴こうとする者も出るかもしれない。
 両国の為に、平和を目指していく為に、此処で語られたことは表に出すことは出来ない。
(ミケーレは、人を使うのは上手い。だが――いつも独りだ)
 ルシンダが傍にいた時でさえも。
 彼女と真に心を通じ合わせていたわけではない。
(反目しながらも認め合うような、そしていざという時には頼れる対等なる存在がいない)
 ヴァルは、ミケーレを見ていた。
 龍騎士と会談を続ける彼を、強い目で、静かに見守りながらヴァルは彼という人について考えていく。
(それは、選んだ孤独なのだろう)
 自分が進む道を決め、そこから逸れぬ決心をしたからだろう、と。ヴァルには思えた。
(燕雀(俺達)には鳳(ミケーレ)の気持ちは理解されない。安易な手など差し伸べられても迷惑だろう)
 公人としてのミケーレはそうだ。
(だが、公私が一個の身体に収まっているのが人間だ。公人を、そしてその進むべき道を支えるのは私人たるミケーレ自身だ)
 人の孤独は、人によってしか救われない。
 己が選んだ進むべき道を、誰かが知ってくれている。
 何かの拍子に足が止まった時に、不思議とそれが力になる。
(君子の英断か、悪魔の所業か。ミケーレが目指すものは未だ見えないだろう)
 ヴァルは組んでいた腕を解いて、ミケーレの元に近づいた。
 ミケーレは、何かを見据えて歩んでいる。
 人に説明をしても理解されるかどうかはわからない。
 だが、自分の生まれや立場から、やらねばならぬこと知り、決意し歩んでいると。
 他人が口を出しても、彼は変わりはしない。
 まだ若くて……未熟であっても、彼が真の権力者ならば、下らない私欲ではないとヴァルは信じた。
「必要ならばそう生きればいい」
 会談を終えたミケーレに――契約者に目を向けようともしない彼に、ヴァルは手を差し出した。
「この帝王が、友になってやろう」
 ヴァルの突然の言葉に、ミケーレは不思議そうな顔をして尋ねる。
「俺、性格最悪だよ? 分かってる?」
「解ってる。想いを信じよう。で……まぁ、なんとかしようぜ!」
 にやりと笑ったヴァルに、ミケーレも笑みを見せて。
「よろしく。君は忘れても、俺は忘れないよ」
 握手を交わした。
「握手は忘れるかもしれない。だが、この気持ちは忘れぬさ」
 ヴァルの言葉に、ミケーレはただ微笑んでいた。
 誰が見ても、心底友好的に見える表情だった。

○     ○     ○


「そろそろ、皆が戻ってくる頃ね」
 夕暮れ時の街に出て、ローザマリアは最高級の地酒を1本購入した。
 それから港の西へと一人、歩いて。
 埠頭に佇んで海の向こうに目を向ける。
「エリュシオンの人々は……少なくても、この港町の人々は元気そう。今、は」
 かつての戦いを。
 隣国コンロンを巡る戦役をも思い浮かべながら。
 鎮魂の意味も込めて、ローザマリアは、西に向けて酒を流した。
「幸福ならざる事は繰り返してはならない――願わくば、未来(あす)の航路が平穏無事なものでありますように」

 船に戻ると、共に訪れた仲間達の笑顔があった。
 ルシンダと面会を果たした者は――記憶を失っているようだけれど、少し、複雑そうな表情をしていた。各々、心に感じることがあったらしい。
 ミケーレを睨んでいる者もいた。
「出発は朝よね。その前に、魚市場に寄りたいわ」
 その日は早々と休んで。
 朝一番に魚市場へと出て、新鮮な魚介類を買い付けて帰路についたのだった。