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第3章 癒しで修行だぜっっっっっっっっ!!

「ここは……?」
 気がつくと、ドクター・ハデス(どくたー・はです)は、ベッドの上にいた。
 白いシーツの上に寝かされて、額には湿ったタオルが乗せられている。
 妙齢の女性なら、貞操を奪われたのではないかと無意識に自分の身体をチェックするところだが、ハデスはそんな手順を踏むことなく、真っ先に周囲の状況を気にした。
「気がつきましたか? ウル子がここまで運んできてくれたんですよ」
 レイナ・ミルトリア(れいな・みるとりあ)が、そんなハデスにニッコリとした笑みを浮かべて、いった。
「お、お前は!? ま、まさか我に改造手術を!?」
 ハデスは、普通はしないような勘違いをした。
「改造手術? 大丈夫ですよ。ケガをしていたので治療しただけです」
 レイナは、気を悪くしたような様子もなく、質問にそのまま答えた。
「ケガ? はっ、そうか。我は、対立する悪の秘密結社ノロイノシロイタチの奇襲により……」
 ハデスは、やっと思い出した。
 ノロイノシロイタチ、などという組織は登場していないし、存在するかどうかも怪しかったが。
「おいおい、あんた、頭も打ったのか? 悪の秘密結社なんかないって!! 首狩り族に襲われたのに、首狩りの対象とさえ認知されず、捨てられて、踏んづけられて、気を失ったのを、このあたしが、ゆーレイ治療院に連れてきたんだよ」
 ウルフィオナ・ガルム(うるふぃおな・がるむ)が、ため息をついていった。
 ガルムも普段なら、「このあたしが連れてきたんだよ」などと、恩着せがましいことはいわないのだが、ハデスの話があまりにも痛いので、つい口を挟んでしまったのだ。
「そうか。お前が!! いや、失礼したな。それにしても、見事な治療技術だ。短時間で、我は驚くほど回復している!! この能力は、我が野望にも必要となるかもしれんな。よし、レイナとやら、我が秘密結社にスカウトしよう、オリュンポスのヒーラーとして、兵士たちの回復に努めるのだ!!」
 ハデスは、荒唐無稽なことをいった。
「はあ?」
 レイナは、ぽかんとした。
 と。
「断る」
 ガルムが、レイナに代わって返答した。
「組織に所属するつもりはないと? むう、後悔することになるぞ。我が秘密結社に、支配される側になってしまうということだからな」
 ハデスは、ブツブツいった。
「おや、おかしいですね。私も治療を手伝ったんですが、診断が甘かったでしょうか? 精神病はないという認識だったんですけどね。もう1度、精密検査した方がいいでしょうか?」
 高峰結和(たかみね・ゆうわ)が、首を傾げていった。
 博識な結和だったが、ハデスのような患者ははじめて、その「症状」が何なのか、すぐには特定できそうになかった。
 さすがに、統合失調症による妄想などの症状が発現していると断言するのは、飛躍しているように感じたのだろうか。
 もしかしたら、この人は、本当に秘密結社の一員なのかもしれない。
(って、そんなはずはないですね)
 結和は、自分の思考に自分で突っ込んだ。
 まあ、構成員が一人しかいない秘密結社の一員なのかもしれないが、それだと、妄想と変わらないことになりそうだ。
「うん!? そういえば、デメテールはどこだ? アルテミスは?」
 ハデスは、秘密結社の一員ということになっている、2人の姿を探した。
 が、この治療院にはいそうになかった。
(おや、いま、他にも構成員がいるかのような発言をしましたね。もしかして、この人の話は本当……って、そっちの可能性はやっぱり低すぎますよね)
 結和は、詳しく調べるまでもなく、オリュンポスの存在を否定した。
 まったく、健全な精神の持ち主であるといえた。
「倒れたときに頭を打って、器質性の精神疾患になったのでしょうか? うーん、それならそれで、検査したときにわかったはずなのですが。こうなったら、やはり、精密検査した方がいいですね。頭を開けて、よくみてみましょう。大丈夫、麻酔を使うから痛くありませんよ」
 そういって、結和はハデスの頭に手をかけた。
 いや、だから、麻酔を打ってからでは?
「ま、待て。治療はもういい。元気になったから、我は行かねばならない。偉大なる野望のため、時間を無駄にするわけにはいかないのだ。世話になったな。感謝しておるぞ!!」
 さすがのハデスも青くなって、結和の手をバシッと払いのけると、治りかけとは思えぬくらいの素早さでベッドから起き上がって、後ろを振り返ることもなく、レイナの治療院から大慌てで退出していった。
「なんだよ。スカウトとか、勝手なことばかりいって、いきなり出ていっちゃったな。はあ、まあ、いいや。元気になってよかった、よかった」
 ガルムは、ため息をつきながらも、ハデスの回復を喜んだ。
 そして。
 レイナ、結和ともに、ガルムと同じく、ハデスの回復を喜んだのである。
 もっとも、結和は、ハデスにはまだ症状がみられたと考えていたが。

「ふう。間一髪だった。あやつらめ、こともあろうに、脳改造手術をいきなり施そうとするとは!! 脳改造は最後の最後に行おうとして失敗するのだと決まっているではないか。まったく、改造人間の造り方の基本も知らないとはな。やはり、オリュンポスの最先端のテクノロジーには……」
 及ばない、という言葉をハデスは飲み込んだ。
 バールを構えたアヴドーチカ・ハイドランジア(あう゛どーちか・はいどらんじあ)が、殺気をぷんぷん漂わせながらハデスに近づいてきたからである!!
「どうもね! 通りすがりの医師のアヴドーチカという者だ。お前さん、ひどいケガをしてるじゃないか?」
 そういいながら、アヴドーチカはバールを振り上げた。
「む、むう。何をするつもりだ。無礼者が!!」
 ハデスは、またしても危機にあってしまった自分自身を呪いながら、何とか隙をみて逃げ出せないかと、脳内シミュレーションで逃走タイミング及び逃走経路を探った。
「いや、なに、このバールで殴って、治療してやるのさ」
 アヴドーチカは、意地悪そうな笑みを浮かべて、いった。
「わ、悪いが、そこまでしなくても大丈夫だ。悪の秘密結社オリュンポスとしては、その」
 何となくオリュンポスと絡めたセリフを吐こうとして、ハデスは、どう絡めればいいかわからなくなって、言葉に詰まってしまった。
「うん? 嫌なのか。じゃ、しょうがないな。まぁ、結和の修行になるからいいか」
 アヴドーチカは、ため息をつきながらも、パチンと指を鳴らした。
「アジン! ドゥヴァと連絡はとれてるな?」
 観測員に、アヴドーチカは尋ねた。
「OKです。治療院は、ちょうどベッドがひとつ空いたところだそうです。射出角度等、計算します」
 アジンは、レイナの治療院に待機してるはずの斥候と連絡をとったうえで、そう返答する。
「う、うん? 今度は何をするつもりだ!?」
 ハデスは、またも青くなった。
 アヴドーチカは、振り上げたバールを、まだ降ろしていなかった。
 むしろ、構えたまま、じりじりとハデスに近づいている。
 ハデスもまた、じりじりと後退して、アヴドーチカと距離をとろうとした。
「治療院に案内してやろう。気をつけ!! せーの!!」
 アヴドーチカは、バールを大きく振りかぶった。
「わ、わー!? 何ということだ、さっき治療されたばかりだというのに、またケガをするのか!?」
 ハデスは、思わず顔を覆った。
 心の中で、ダイイングメッセージとして「ハデス死すともオリュンポスは死なず」といってみようか、などとこの期に及んで考えていた辺りは、さすがである。
 もっとも、ハデスが死ねばオリュンポスの存在をいう者はいなくなるような気がしないでもないが。
 それはそうと、アヴドーチカは、ハデスの言葉にはっとした様子だ。
 フルスイングでハデスの身体を打ち出そうとしていたバールの動きが、ピタッと止まった。
「うん? もしかして、もう治療院で治療を受けた後なのか?」
 アヴドーチカは、やっと事態を理解することができた。
「それならそういえばよかったのだ。まったく。それじゃ、次の患者を探そう」
 そういって、アヴドーチカは、ハデスに背を向けると、もう全く関心がなくなったという様子で、バールを手にしたまま、とぼとぼと歩いていった。
 観測員が、慌ててその後を追う。
「な、何だ、何だ!? いまの者は、治療院の関係者か? ずいぶんイカれた治療方針を持っているようだが。まったく、こうなると、あの治療院も信用できないことになるな」
 ハデスは安堵の息をついて、冷や汗を拭うと、ふらふらとした足取りで、その場を去ろうとした。
 でも、どこへ行けばいい?
 というか、デメテールはどこだ? アルテミスは?
 と、ハデスは、治療院からいくらも離れていない場所に、温泉がいくつもわきだしていることに気がついた。
 硫黄の匂いと、もくもくとあがる湯煙。
 疲れた身体を癒そうと、温泉のある方角へ進んでいくハデスであった。

「ふう。なかなかいい湯加減になってきたぞ。苦労した甲斐があったというものだ」
 白砂司(しらすな・つかさ)は、温泉に肩までつかりながら、ふうっとお疲れさまの息を吐いて、自分自身をねぎらった。
「おう。なかなかいい物件を開発したようだな。どれ、我もつかって検分してみよう」
 白砂がつかっている温泉に顔を出したハデスは、思わぬ発見に笑顔になりながら、さっそく、疲れた身体を癒そうと温泉につかり始めた。
「うん? 誰だ?」
 白砂が、ぴくりと眉をあげていった。
「心配はいらぬ。悪の秘密結社オリュンポスの保有資産とするに足るかどうか吟味しているだけだ。晴れて、保有資産に認定された際は、お前も我が結社に迎えてやろう」
 ハデスは、偉そうな口調でいった。
「オリュンポス? そんなことばかりいってないで、お前も少しは肉体労働しろよ。この温泉は、俺が水路を掘って、近くのわき水にまで導いてつくったんだ。おかげで、適温になるように冷まされているというわけだ。ここまでやるまで大変だったんだぞ」
 白砂は、ため息をついていった。
 ハデスは、何かの遊びをしているように、白砂には思えた。
「なるほど。その土木技術は、我が結社に必要かもしれないな。なかなか、自分を売り込むのがうまい奴だ」
 ハデスは、勘違いして感心している。
 そこに。
「おやおや、もうお客さんがきたんですか。いいですね。それじゃ、私も!!」
 サラシにフンドシ姿という、目の保養としてはなかなかいい感じの姿で、サクラコ・カーディ(さくらこ・かーでぃ)が温泉の縁に腰かけてきた。
「な!? おい、何て格好してるんだ!!」
 白砂は、顔を赤らめると、目を慌ててそらした。
 サクラコに視線を向けると、どうしてもサラシや、フンドシの辺りにいってしまうのである。
「えっ? 何してるんですか。みてもいいんですよ。ほら、ここ、みて、みて下さい!!」
 酒を飲んでいるのか、サクラコはキャッキャとハイテンションに笑うと、自分のフンドシをしきりに指さしてみせた。
 上じゃなくて、下かよ!!
 だが。
「なるほど。戦闘員の新しいコスチュームを提案しているというわけか」
 ハデスは、例によって視点が独特すぎる状態だった。
 性欲を殺しているというより、普通の「性欲」という概念を超越した、すごい領域にいるのかもしれない。
「戦闘員? えーっ、何いってるんですか。エローイ!!」
 サクラコは笑って、お湯につけた足をばたつかせ、ハデスの顔にしぶきをかけた。
「むう。熱い!! 無礼者が!!」
 ハデスは、憮然とした。
「だから、女人禁制で、酒も禁止だ。わかってるのか?」
 白砂が、視線をそらしたまま尋ねた。
「わかってますよ。そーれっ」
 サクラコは笑いながら、サラシをほどく仕草をしてみせた。
「や、やめろ!!」
 慌てた白砂をみて、サクラコはまたしても笑う。
「……」
 またしても、ハデスは淡々としている。
 というか、無言だ。
「どうしたんですか?」
 サクラコは、笑いながらハデスの肩をぽんぽんと叩いた。
 ガクッ
 ハデスは、うなだれた。
 顔面が、お湯につかる。
「うん、いかん、のぼせてしまったか!!」
 白砂は慌てて、ハデスを抱え起こした。
 適温に調整したと思って、安心してしまっていた。
「だ、大丈夫ですかー」
 サクラコも、笑いながら、お湯に入ると、白砂とともにハデスを助け起こす。
 その太ももが、白砂に触れた。
「うっ!!」
 白砂の顔が、再び赤くなった。
「わー、もう、嫌ですね。フンドシがほどけちゃうじゃないですかー?」
 サクラコはニヤッと笑って、肘で白砂の脇腹を突っついた。
 そのとき。
 サクラコは、はっとした。
「あっ、本当にフンドシがとれちゃいましたー!!」
 サクラコのいうとおり、ほどけたフンドシが、ぷかぷかとお湯に浮いていた。
「な、なに!! 早く、締め直せ。この男は、俺が!!」
 白砂は、慌てて目をそらすと、ハデスを一人で温泉から引きあげてやった。
「あっ、いいですよ。私も手伝います!!」
 酔っているサクラコは、白砂に続いて温泉からあがろうとする。
「だから、フンドシをしてからにしろ!!」
 白砂は、かなりマジで怒鳴った。
「え、ええー? きゃあああ」
 あまりの剣幕に驚いたサクラコは、ふらついたときに足を滑らせて、仰向けの姿勢で、背中から温泉に沈みこんでしまった。
 ざぶーん
 お湯が飛び散った。
 フンドシが、もっと遠くにいってしまった。

「う、うおお!! ぐつぐつぐつぐつぐつー!!」
 天空寺鬼羅(てんくうじ・きら)は、すさまじい雄叫び、というか奇声を発して気張っていた。
 ちょうど、白砂たちが入っている温泉のすぐ側にある温泉であった。
 といっても、白砂が入っているもののように、温度調整などは行っていない、煮えたぎる源泉の温泉である。
 しかも、鬼羅は、その温泉のうえにわたした鉄板のうえに、全裸で土下座している状態だったのである。
 誰かがみたら、きっと、頭がおかしくなってしまったと思うだろう。
 だが、鬼羅は、大真面目に修行を行っているつもりだった。
「あ、熱い熱い熱い熱い!! 正直にいおう、熱い!! やせ我慢などはしていない、熱い!! 熱いと叫ばずにはいられないほど熱い!! だが、俺は耐える!! なぜなら、修行だから!!」
 全身を焼きこがすような高温に耐えながら、鬼羅はひたすら叫んでいた。
 誰にも、わかってもらえなくてもいい。
 何しろ、自分だって、自分のことをよくわかっていないのだから。
 ただ、これだけはいえる。
 いま、俺は、本気でこれをやっているんだ!!
「聞いている奴がいたら、聞け!! この土下座が何なのか、わかるか? これは、祈願だ!! そう、祈り。新しい技、この苦痛に耐える修行を乗り越えた先に得ることができる悟り、そのとき生じる熱い魂を得るための、祈りなのだ!! さあ、祈れ祈れ、祈るぞコラァ!!
 もはや何をいっているかさっぱりわからないが、鬼羅の様子は、狂ってるを通り越して、怖い感じさえするのである。
「う、うわああああああ、熱い!! だが、まだまだぬるい!! もっとだ、もっともっと熱く!! もっともっと!! ワオーン!!」
 鬼羅は、地獄の修行をまだまだ続けるつもりだった。
 その様子をものかげからみていたレイナ・ミルトリア(れいな・みるとりあ)は、思わずため息をついた。
「まったく、いつまでやっているつもりなんでしょうか。手遅れになる前に、失神してくれればいいのですが」
 いま鬼羅を連れていって治療しようとしても、きっと、抵抗するだろう。
 何より、相手の同意を得なければ、治療はできない。
 そのことが、レイナはもどかしかった。
 どうみても、健全な修行とはいえないのだ。
 また、しばらくしたら様子をみにこようと、レイナは思った。