校長室
星降る夜のクリスマス
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●イブは終わり、クリスマスへ 大時計の針が十二を指した。 日付が変わった。 つまり……クリスマス当日になったということだ。 クラッカーが鳴る。参加者たちはメリークリスマスと呼びかけあう。 けれどもこの十数分前、そっと会場を離れる二人連れがあった。 綾原さゆみとアデリーヌ・シャントルイユだった。 「星空の見える場所に行かない?」 誘ったのはアデリーヌのほう。さゆみは多少首をかしげつつ、手を引かれるままに彼女に続いた。 先導されるのはいい。そのほうが楽だ。今回、彼女たちはイルミンスールへの道で猛烈に迷子になり、ほとんどパニック状態だったのだ。 幸いなんとか道がみつかり、宴の途中で会場入りできたのだが、危ないところだったと思う。見知った顔に挨拶もできないまま、とぼとぼと帰路につく可能性もあったのだから。ともかく、事前に道はちゃんと調べておこう、と心に誓う夜だった。 「この辺でいいかな?」 と言ってアデリーヌが止まった。 イルミンスールの一角、広場のような場所に出ている。 クリスマスツリーが見える。明るく光をはなつパーティ会場も。 そして頭上には、いっぱいの星空。光る砂を撒いたかのような。 吐く息は白いが、寒さを忘れるほど贅沢な光景だった。 澄んだ冬の空気のなか、パーティ会場から、クラッカーが鳴らされる音が聞こえてきた。 「クリスマスがやってきたんだね……」 そう呟くさゆみの手に、 「はい」 とアデリーヌが小箱を乗せた。 クリスマスプレゼント……と思ったが、それは半分だけの正解に過ぎなかった。 「さゆみ、お誕生日おめでとう」 その言葉で、はたと気づいた。 「あ……私、二十歳になったんだ……」 二十歳、それはつまり、成人ということ。 ――こうもあっけなくなっていいのだろうか。 誇らしいというよりは、なんだかそんな感慨を抱いてしまう。 だがこの誕生日という言葉は、自分にとってのみ意味のあるものではないと彼女は悟った。 アデリーヌを見たからだ。彼女の、どことなく寂しげな笑みを。 「私はあと数百年生きられるけど、あなたは……」 あの夏の一夜(※参照)、アディがさゆみの腕の中で言った言葉だ。これをさゆみは思い出していた。 アディが最愛の人を、自分の過失で亡くした過去をさゆみは知っている。 だからできるだけ長く彼女のそばにいてあげたい――そうは思っている。 でも、いつか必ず……その日が来るだろう。彼女を残して逝く日が。 「開けてみて」 アデリーヌは微笑んで、さゆみの手を取った。 うん、と小さく返事して彼女は小箱の包装を解く。 あらわれたのは、柊とキャストライト(空晶石)をあしらったペンダントだった。 柊はさゆみの誕生花、キャストライトはさゆみの誕生石。 「……ありがとう」 消え入りそうな声でさゆみは告げる。 本当は祝うべき自分の誕生日なのに、きっとアディは、笑ってほしいと思っているだろうに。 ――でも。 さゆみの黒い髪が、星あかりを浴びながら躍った。 さゆみが恋人の胸に、抱きついたのだった。 「……ごめん、でも、今はこうしていたいの……」 涙声。 アデリーヌは、その理由を察した。 祝うべき日が、避けられない宿命がまた一歩近づいたと宣告される日でもある。 一緒になって泣くことをアディは選ばなかった。少なくとも、今はまだ。 アディは白い冷たい指で、愛する人の温かい涙を拭ってあげた。 「ええ……私も、できればこのまま……」 静かに、これ以上できないほど静かに囁いて、 そっと彼女を抱きしめた。 日付が変わり、パーティは終了となった。 参加者たちは別れを惜しむように、互いに挨拶しながら最後の時間を過ごし、それぞれの帰路につく。まっすぐに暖かい自宅へ戻る者もあるだろう。クリスマスツリーを見に行く者もあるだろう。 「また来年」 と笑み交わす声がある。良いお年を、という普遍のフレーズも聞こえてきた。 山葉涼司と馬場正子が、なにやら談笑してるのが見えた。そのかたわらには加夜が、目立たぬように立っている。 パティとローラも別れの挨拶をかわしていた。パティには待ち合わせがあるようだ。(……いや、ローラも?) 「オッサン、ほら帰るぞ! いつまでも酒呑んでんじゃねえっつーの!」 と翠門静玖が、風羽斐の袖を引いていた。斐のほうは、 「もう終わりなのか……まだ呑み足りないのだが……」 などと名残惜しそうだ。「やかましい、酔っぱらい!」などと静玖に怒られている。朱桜雨泉はくすくす笑いながらそんな二人をなだめていた。 セレンフィリティ・シャーレットは、パートナーたるセレアナ・ミアキスの手を引いて、会場の外、人通りのない静かな場所に連れていった。 プレゼントを渡すなら、今だろう。 「日付も変わったんで……これ」 星灯りの下セレンが差し出した袋の中身は、フリージアのコサージュ。 「メリークリスマス、そして誕生日おめでとう」 去年はマフラーだったから、今年は何をしようかと悩んだとセレンは言った。 「もう帰路だけど……髪に飾ってみてくれない?」 「ええ……似合う?」 コサージュで飾られると、黒い絹のようなセレアナの髪はいっそう輝いて見える。 「じゃあ、こちらからもクリスマスプレゼントとして……」 取り出したものを見るなり、セレンは思わず「うわっ」と声を上げそうになったのだが、すでにセレアナはそれを予期していた。セレアナはセレンの唇に、そっと指を当てて黙させる。 小さくて、想いのこもったプレゼント。セレンの瞳の色に合わせ、エメラルドをあしらった一対のピアスだった。 セレアナはセレンの手を求めた。セレンは応じ、指と指とを絡め合った。 星の光を浴びたまま、二人はしばし、無言で時を過ごす。 胸と胸が触れあったまま、互いの吐息だけを聞きながら。 やがてセレアナは、潤んだ瞳で告げたのである。 「セレアナ……今夜は眠らせないわよ?」 月谷八斗と若松みくるのデートは、どうにかこうにか、クリスマスを迎えるところまで来ることができた。 外に出て、冷たい外気に触れる。もちろん寒いが、気持ちが弾んでいるからか 「星空も凄く綺麗だね。冬ってお星様がいつもより綺麗に見えるんだって、みくる物知りでしょ?」 「ああ、本当だね」 みくるちゃんと『みくるお姉さん』の問題は脇に置いたので、その後のパーティを八斗も素直に楽しむことができた。みくるもすごく満足な様子だった。それならそれでいい。こんなに綺麗なみくると一緒に美味しいもの食べて、こんなに綺麗な星を見られたんだから、今はこれ以上望みたいことなんてない。 「っと……」 いけない、忘れるところだった。八斗は明るい声で言う。 「メリー・クリスマス! 俺はサンタさんじゃないけど、プレゼントを持って来たよ!」 はい、と彼女に手渡したのはコサージュ、それも、金色のバラの造花のコサージュだ。世の中には『ゴールドローズ』という、バラを純金でコーティングしたという物もあるが、八斗の小遣いで買えるはずないので、こちらは単純に、金色の造花のバラが付いたコサージュだった。 「ええっ、こんな綺麗なものもらっていいの? ありがとー!」 さっそく身につけて、 「似合う? えへへ……」 なんて笑う彼女の可愛いこと、美しいこと。 「じゃあ、みくるからはこれだよ!」 取り出したのは手編みのマフラー、これには八斗も面食らった。 「作るの大変だっただろう」 驚くやら嬉しいやらだ。お裁縫は得意なんだよ、と胸を張るみくるだけあって、完成度は玄人裸足というやつだった。毛糸で暖かそうだ。これからの季節、きっと重宝するだろう。 「今日は八斗の意外な一面が見れて楽しかったな♪」 彼の手を握って歩きながら、みくるは言った。 「意外? どういうところが?」 「ひみつっ!」 「そうきたか」 楽しい嬉しい一日となった。 でも……とみくるは思わないでもない。 ――八斗はやっぱり大人の女の人のほうがいいのかなあ……? ちゃんとみくるのこと見てくれてる? 子供のままでも今日みたいに喜んでくれた? 次々と疑問符がわいてくる。 やっぱりいつものみくるじゃ駄目なのかなあ――なんて、思ったりもするのだった。 会場で一人、仁科耀助は立ち尽くしていた。 普段通り彼は笑みを浮かべているが、なぜだろう、一雫 悲哀(ひとしずく・ひあい)の目にはその姿が、なにか物悲しげに映った。 立ち去る友人や知人が、耀助に別れの言葉をかけていく。 「ありがとうございました」 と度会鈴鹿が頭を下げると、 「こちらこそ。良い2023年を」 耀助は彼女と、その連れである鬼城珠寿姫に手を振った。 彼の口調は軽いし、人によってはおどけてみせたりもする。 けれど何というのだろう……なにか演技をしているというか、笑顔の仮面を被って自分を守っているように見えるのだ。それは、那由他のことがあるから、そう見えるだけかもしれないが。 ――耀助さんのために、何かしたい。 自然に体が動いた。 「あ……あの」 悲哀は彼に話しかけていたのだ。 「悲哀ちゃんじゃないか」 やはり耀助は、薄笑みを見せている。 だからうんと明るく悲哀も言った。 「クリスマスなんて一度も御祝いしたことがなかったから……なんだか違和感を感じますが……ふふ、めりーくりすますですね」 「ああ、メリークリスマス。パーティの締めにキミからそう言ってもらえて、こんなに光栄なことはないよ」 「もう終わりなんですか……?」 無意識に悲哀の口を言葉がついていた。 「あのですね。耀助さんは今日どなたかとご予定はありますか?」 「いや、ないけど」 「もし、よかったらで構わないのですが…外に散歩に行きませんか? クリスマスツリーを一緒に見られたらいいなって思っていたのですが……」 自分がこれほど大胆になれるなんて――悲哀自身が驚いたほどだ。 「いいね。そうしよう」 耀助は二つ返事だった。 クリスマスツリーを見たいだなんて、ただの口実。 彼と一緒にいたい、それが悲哀の本当の気持ちだ。 クリスマスツリーの真下に着いた。雪が降ったのだろう。白いものがツリーを優しく覆っている。足元も雪だ。さくさくと踏みしだいて歩いた。 今日は一日良い天気だった。雪の気配はなかった。今は雪の姿はないが、つまり、ここだけ雪が降ったということだろう……そんな不思議な光景の下、悲哀は澄んだ空気を大きく吸い込んで言った。 「私、クリスマスツリー初めて見ました。凄く綺麗ですね……」 「オレも今日が初めてなんだよ、こんなに大きなツリーは。しかも雪の積もる中、悲哀ちゃんみたいな可愛い子と一緒に見るのは、ね」 「えっ」 悲哀の頬にぽっと熱がこもった。 言葉が出なくなる。苦しい。いままでそんなこと、言われたことがなかったから。 ところが突然、耀助は自分の額を、こん、と木の幹にぶつけたのである。 「ダメだなぁ……オレ……ああ……」 「あ、あの……どうしたんですか」 「ごめん。自分のことなんだけど……もうホント、頭で考えるより先に、ポンポンとこういう軽口が出ちゃうんだオレって。口説くようなのがね……悲哀ちゃんみたいな純真な女の子に、言うべきことじゃないのに……また困らせてしまった……」 「いえ、そんな、私、困ったりしてないですから……」 むしろ、そのお気持ちが嬉しいです――本当は、そう伝えたい悲哀だった。けれどどうしても、言葉にならなかった。 「ならいいんだけど」 と落ち着いた耀助の声は、さっきよりもずっと素直に聞こえた。 「ところで耀助さん……」 悲哀は真剣な目で彼を見た。樹に向けたままの彼の背を。 「那由多さんの事は人づてにお聞きしました。もし、ですが……何か怖いとか…そういう気持ちがあるなら、無理に明るくふるまわなくて大丈夫です」 「はは、そんなことは……」 振り返った耀助だが、悲哀の目を見て悟ったらしい。一度だけ下唇を噛んで、 「……そんなことは……あるかもね」 「今なら夜ですし、ツリーの明かりがなければきっと暗くて顔なんて見えません。せめて、今だけでも……」 悲哀は彼の手を取った。 このとき悲哀は、心臓が止まるかと思った。 「ごめんね悲哀ちゃん、今だけ、許してほしい」 彼が彼女を、胸に抱きしめたからだ。 「これはただのハグ……エッチな気持ちはないから……本当だよ」 耀助の声が上ずっていた。 すぐに悲哀は察した。ツリーの灯りに雪灯り、いくら屋外といっても、どうしても耀助の表情は見えてしまうだろう。だからこうしたのだ。 なので目を閉じて、悲哀は「はい」と言った。耀助に包まれるのは悪い気持ちではなかった。彼の体は、温かかった。 「弱音……吐いていい?」 耀助の肩が震えていた。 「オレ……怖いんだ。那由他のこと……ずっとからかっていたけど、あいつがどうにかなってしまうのが……還ってこないかもと思うことが……全部、怖い」 雪がまた、音もなく降りはじめた。