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第二章 賑やかなる日 6

 月詠 司(つくよみ・つかさ)は災難だった。
「いい? ツカサ。あなたはワタシの下僕としての自覚を持たなければならないわ。下僕は主人の言うことに逆らうことは許されないのよ。よって、あなたはワタシの荷物持ちをしながら、ワタシについてくることが宿命なわけ」
 無理やりアムトーシスに引っぱってこられたあげく、この物言いである。やけに偉そうなシオン・エヴァンジェリウス(しおん・えう゛ぁんじぇりうす)には、毎度のことながらげんなりとなる。ただし、いつものことなので、司はわざわざ反論するようなことはなかった。もし嫌がれば、首根っこ掴まれていくことになる。代わりに、司はこれからのことをたずねた。
「それで、シオンくんはどこに行くつもりなんですか?」
「決まってるじゃない! まずはいろんな食べ物とか服を見て回るの! ああ、安心して。ツカサにもちゃんと買ってあげるわ」
 そんなわけで、二人はまず買い物に出ることになった。
 大通りにはたくさんの店が並んでいる。シオンが興味を示した場所に次々と入り、そのたびに司の荷物は増えていった。「これはツカサの分ね」と言って、司用の服やお土産も買っているものの、全て支払いは司の財布からである。どんどん寂しくなっていく財布を見て、司の心も寂しくなっていった。
 やがて、一通り買い物が終わったころに、シオンが言った。
「せっかくだから、アムトーシスの名所に行ってみましょうよ」
「名所?」
「あら、ツカサ。知らないの? アムトーシスのそばには大きな湖があるでしょ? そこには大昔に建てられた神殿とか銅像があってね。そこで愛を誓い合ったカップルは永遠に幸せになれるというのよ」
「それって私とシオンくんの仲をとかいう……」
 どげしっと司は殴られた。痛い。
「そんなわけないじゃない。あるとしてもそれは主従関係ね。ま、冗談はさておき、その神殿とか銅像も芸術的価値の高いものらしいのよ。せっかくアムトーシスに来たんだから、一度は見てみたいでしょ?」
「そんなことだろうと思いました。でも、そこってアムトーシスからはすこし離れた場所にあるんでしょう? どうやって行くんですか?」
「馬車が出てるらしいわ。お金はかかるけど、良い機会じゃない」
 司も興味がないと言えば嘘になる。シオンくんにしては良いアイデアですね、と思いながらついていこうとした。が、その途中ではたと気づいた。
「そのお金ってどこから……?」
「ワタシのお金はワタシのお金、ツカサのお金もワタシのお金、よ♪」
 帰るときにはすっからかんになってるのだろうな。司はいろいろな意味で惨めな感じになりながら、ふんふんと楽しそうに鼻歌を歌うシオンの背中を見つめた。


 大通りから少し外れた静かな路地裏に、猫の看板のついた店があった。
 と言っても、まだオープンしてるわけじゃない。看板の下には準備中の文字があって、エプロンをしたエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)が店の前をせっせと掃除していた。すると、路地裏の入り口のほうから声が聞こえてくる。
「エース、ただいまー」
「ああ。お帰り、二人とも」
 メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)リリア・オーランソート(りりあ・おーらんそーと)の二人の姿があった。リリアは手を振って、ぱたぱたと走ってくる。メシエはそれにすこし遅れてきた。
「どうだった?」
「うーんとたくさん! 色んなケーキがあったわよ! エースやエオリアにも食べさせたかったわ!」
 リリアが元気いっぱいに答える。メシエが続いて補足した。
「とりあえずわかったことはメモしてきたよ。あとはオープンまでにちょっと考えよう」
「そうだね。じゃあ、店に戻ろうか」
 エースの意見に賛成して、三人は店の中に入っていった。
 店はねこカフェと呼ばれる、猫と戯れることのできる喫茶店のお店だった。せっかく観光局が出来たということで、町の発展も兼ねてこのたび開店予定になったのである。ニルヴァーナのアガルタや、中継基地に出店している店と同じようなコンセプトだ。名前は『にゃおカフェ』。町の人たちにもスタッフになってもらって、このしばらくの期間、お試しオープンすることになっていた。
 そこで、開店前にメシエとリリアが町のカフェ系統の店をいくつかリサーチすることになったのだ。こういうお店の経営は情報戦線を勝ち抜いてこそ。カフェで提供するケーキのことも、情報をもとに考えないといけないのだった。
 店の内装にも気を配る。メシエは町で売られているチェストや戸棚もチェックしてきていて、壁紙もこんなものがある、と教えてくれた。しばらく話し合いを続ける三人とスタッフ。そこに、エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)が試作のケーキを片手に、キッチンのほうから登場してきた。
「みんな、出来ましたよ」
 リリアが集めてきた情報をもとに考えたマドレーヌだ。他にもフィナンシェがある。ただ、どれも一風変わったデザインをしていて、味だけではなく、見た目で楽しめるようになっていた。角や翼のような形をしたデザインのマドレーヌは、店の看板猫であるニルヴァーナ猫をモチーフにしたものだ。猫の名前はクオーレ。角と翼を生やしたニルヴァーナ特有の猫は、スタッフたちの足元でにゃーおと鳴いていた。
「美味しそうだね。見た目でも、他の店に引けを取らないと思うよ」
「これなら、お客も集まりそうだ」
 エースとメシエの二人が満足そうに言う。エオリアはほっと胸をなで下ろした。
 さっそく、みんなで試食タイムとなった。スタッフの人たちもイスや腰掛けなど色んな場所に座り、談笑にふける。リリアは食べながら、足元にいる猫たちにマドレーヌを分けてあげて、戯れていた。
「いやぁん、かわいい。癒されるー」
「そうかい? リリアがそう言うなら、お客さんも喜んでくれるだろうね」
 メシエはリリアを父親のような目で見ながら、満足げにうなずいた。するとリリアは「クッキーも買ってきたのよ」と言って、テーブルの上に買ってきたクッキーを広げた。猫たちがにゃーにゃーと鳴く。どうやら欲しがっているらしい。少しぐらいなら……あげてもいいよね? リリアはクッキーをつまんで、猫たちに見せた。
「食べる?」
 冗談で聞いたつもりだった。だが、次の瞬間、「タベルー」という声が自然と聞こえた気がした。リリアの目がきょとんとなる。
「ねえ、いま、誰かタベルって言った?」
「……いや、誰も? そりゃ、クッキーは食べてるけどね」
 エースがからかうようなことを言って笑う。リリアは「違うわよ。そういうことじゃなくて、なんか、猫が喋ったような……」と、拗ねたように言い返した。エオリアがリリアに言った。
「リリアさん。猫の鳴き声は人の声と似ているから空耳しやすいって説があるそうです。もしかしたら、リリアさんにはそんなふうに聞こえたのかもしれませんね」
「空耳? そうかなぁ……?」
 リリアは信じられないというようにつぶやいた。
 だけど、猫のはっきりとした人の声はそれきり聞こえなくなった。にゃーにゃーと鳴いて、クッキーをおくれよーと足元にすり寄ってくるだけだ。リリアはまあいっかと気にしなくなり、猫にクッキーをあげながら、談笑の続きに戻った。
 エオリアはしかし、すこし考えた。
(でも……人語を介す猫の伝説や民間伝承はよく聞きますよね)
 ほんの興味本位の考えごとだったが、なんとなくそう思うと猫が喋ってもおかしくないような気がする。あれ? そういえば、クオーレの姿が見えないな。ふと気づいて、店を見回す。と、窓ぎわにいるのを見つけた。
 クオーレもエオリアに気づくと、口角をあげる。それはまるで、人間が微笑を浮かべるときのような……。そんな仕草だった。