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 第10章 手紙の内容には気をつけましょう

「気持ちいいねー、ゼーさん!」
「ああ、いい感じに涼しいしな!」
 まだまだ気温の高い晴れた日の午後、シャウラ・エピゼシー(しゃうら・えぴぜしー)金元 ななな(かねもと・ななな)とヴァイシャリーでデートを楽しんでいた。湖に浮かぶこの街には水路が多い。ベニスのようにゴンドラもあり、2人は今、それに乗って水路から街を眺めていた。ゴンドラが立てる水音は涼しげ且つ爽やかで、左右に広がる景色は清廉で美しい。進む先には緩くアーチのかかった橋がかかり、その上を、身だしなみを整えた人々が背筋を伸ばして歩いていく。
「なあななな。橋の下でキスしたカップルは、幸せになれるとか願いが叶うとか言うらしいぜ」
「あ、それなななも聞いたことあるよ! じゃあさ、ゼーさん……」
「ああ。ちょうど橋も近いし……」
 シャウラはなななの背を軽く抱き、そっと顔を近付ける。ゴンドラが橋の下にかかったところで、なななの瞼がゆっくりと閉じる。
 ――幸せだ。これ以上ない程に、幸せだ。
 なななと付き合いだしてから、シャウラは幸せまっしぐらだった。教導団に帰ればなななに会える。そう思うだけでキツイ任務も頑張れる。
 喜び溢れて、家族にはなななの写真を送った。近況報告として手紙を書くついでに『恋人ができたぜ』と一言添えて。まあ、地球にいる時は沢山彼女がいたから今更珍しい話でもない。家族も特別驚いたりはしないだろう。
 写真を同封したのは初めてだし、手紙に恋人について書いたのも初めてだが――
「…………」
 2人の唇が触れ合うか触れ合わないかというところで、シャウラはぴたりと動きを止めた。ゴンドラの漕ぎ手が仕事をさぼってその場にしゃがみ、じーーっとこちらをガン見している。
(あの、気が散るからちょっと横向いてて欲しいんすけど……)
 そんな思いを目一杯表情に込め、無遠慮な漕ぎ手に顔を向ける。直後、シャウラは視神経を通して脳が認識した事実を前に思考停止に陥った。
「……………………」
 ゆるゆると、ゴンドラが橋の下を通過していく。
「……………………」
「やっほー」とでも言いそうな笑顔で漕ぎ手が手を振る。
「…………兄貴!!!!!!」
 シャウラの叫びに、なななが「ふぇ?」と目を開ける。そう、ゴンドラの漕ぎ手は彼の兄のリチャード・エピゼシーだった。外面は真面目だが実は我道驀進である彼のこと、この天文学的な確率でしか起こり得そうに無い偶然は偶然ではないだろう。
「よお、可愛い弟よ」
「なんで漕ぎ手やってんだよ!」
「いやあ、休暇で観光に来たんだけどな。ついうっかり」
「うっかりやることかよ! なんだよその顔!」
 どこかの洋菓子屋のオーバーオールを来た少女よろしく舌を出され、感情のままにシャウラは片端からツッコんでいく。
「あ、続きどうぞ」
「出来るかーーっ」
「ぜ、ゼーさん?」
 どこかのキレ芸タレントよろしくヒートアップするシャウラに、ぽかんとしたなななが声を掛ける。恋人の声を聞いてはっとした彼は、彼女の肩に手を置いて涙ながらに言った。
「とりあえずキスはお預けで。ゴメン、ななな」
 ――ああ、なななと楽しいデートの筈が……

(ふふふ……こうなったら死ぬほど高い飯を奢らせてやる……)
 反省のかけらもない笑顔の兄に、「まあまあ、詫びに飯でも奢るから」と言われてレストランを訪れたシャウラは、黒さの滲み出た怪しい笑みで立てたメニューを眺めていた。リチャードは現在33歳のエピゼシー家の長男だ。彼等兄弟の家はアメリカの大農場だが、後継者には次男がなり、彼は軍人をしている。
 一通り注文を終えたところで、リチャードはなななに自己紹介した。
「俺はシャリーの兄のリチャードだ。よろしくな」
「じゃあ、チーさんだね。なななだよ、よろしくね!」
「……チーさん?」
「リチャードだからリッチー。リッチーだからチーさん。だろ? ななな」
「そうだよ! さすがゼーさんだね!」
 目を点にした兄に少し得意気に解説すると、なななは嬉しそうに「正解!」と言った。割とぶっとんだ子だとリチャードが思っていると、シャウラが不服そうな顔を向けてくる。
「……って、兄貴、何俺の事シャリーって呼ぶんだよ。子供の頃の呼び名じゃないか」
「シャリー」
「! 女の子みたいだからやめろおおお!」
 笑顔で呼び直したら、弟は面白いように悲鳴を上げた。
「シャリー」
 なななもニコニコと続けて言って、ますます彼は頭を抱える。実を言えば、リチャードは父母からシャウラの恋人を見てくるように密命を受けている。変なあだ名をつけるしノリも良いしで、弟の彼女はなかなか頭の回転が早そうだ。
「お前、家に手紙くれたろ。ほら、これ」
「俺の手紙持ってきたのか!」
 がばっ、と顔を上げるシャウラの前で、リチャードは「ん」となななに手紙を見せる。やめろというので読み上げ出したら、弟は「読むなあああ」とこれまた制止した。なんともわがままな弟だ。
「返せ! ここで破って……破って……」
「お待たせいたしましたー」
 そこで料理が運ばれてきて、悔しそうに席に座りなおすシャウラの前で手紙を仕舞う。密名実行を兼ねてなななに話しかけたのは、弟が洗面所に立った時だった。
「ところで、金元嬢はあいつのどこを気に入ってくれたんだ?」
「うーん……ゼーさんがゼーさんなところかな!」
 食後のお茶を飲みながら、なななはあまり考えることもなくそう答えた。
「あと、こう、ガーときてドーン! っていう感じとか」
「ああ、さっきみたいな」
「そう、さっきみたいな」
 なななは真顔でこく、と頷く。先程の遣り取りがなければ意味不明な答えだったが、リチャードにはその擬音の意味が兄として手に取るように分かった。
「奴と結婚してくれる気ある?」
「あるよ! ねえチーさん、結婚しちゃだめかな?」
「え?」
 迷う暇もなく、なななは身を乗り出してリチャードに逆に聞いてきた。予測していたどの反応とも違う積極さに、リチャードは一瞬遅れを取る。だが、すぐに笑顔に戻って彼女に言った。
「勿論、こんな美人さんの妹が出来たら俺も嬉しいさ」
「何話してんだ? 兄貴……」
 洗面所からシャウラが戻ってきたのはその時だった。非常にもったいない言葉を聞き逃した弟に、リチャードはからかうように声を掛ける。
「遅かったな。う○こか?」
「違うわ!」

「楽しいお兄さんだったね!」
 レストランを出てリチャードと別れ、手を繋いで歩きながらなななは言う。
「そうか? サンキュー」
 彼女が兄の上手を取ったことを知らないシャウラは、寛大に思えるその感想に心の底から感謝した。