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終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア

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終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア
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リアクション


●2024年秋の新婚旅行

 秋、麗しき紅葉の季節。
 食物も美味な季節。
 目に楽しく、舌にも愉しいこの秋に、新婚旅行に出たのは坂下 鹿次郎(さかのした・しかじろう)エメネア・ゴアドー(えめねあ・ごあどー)の夫妻だ。
 新婚旅行ともなれば浮かれるなというほうが無理な話だが、ご多分に漏れず鹿次郎も浮かれきっている。開口一番、
「花嫁姿も素敵なれど、やはり巫女姿が一番似合って極上に可愛いでござるな!」
 などと言い、往路でもずっとエネメアに、ベタベタしっぱなしのスイートスイート極惚れ状態ハネムーンなのである。
 エメネアのほうも負けてはいない。
「そんな鹿次郎さんも格好いいですよぉ〜! なんだか周囲の景色を楽しむ余裕がないくらい鹿次郎さんに夢中なのですよぉ〜」
 といった感じでこれまたベッタベタなのだった。なんだか彼らの周囲だけ、温度が摂氏にして数度高いように思えるのも致し方ないところだ。
 こんな感じなので鹿次郎の財布の紐もすっごく緩くなっており、世間にとってはかなり高い経済効果を発揮していた。ひょっとしたら世界の平均株価にちょっとした変動が出ているかもしれない。
 なおふたりの行き先は、『安全で食べ物が確実に美味く宿の質も良く、エメネアが好きなバーゲンが頻繁にある地域しかない』という条件を検討した結果、日本は北関東日光のあたりと決まった。パラミタからすればこれでも立派な国外旅行である。
「さてさてまずは日光にある時代劇村というところに到着でござる!」
 タクシーから降りて、鹿次郎は観光ガイドブックをパラパラとめくっている。ちなみに鹿次郎は西日本出身であり、この付近に足を踏み入れるのは初めてだ。広義の日本は故郷とはいえ、箱根関を超えた向こうは未体験ゾーンなのでなんとも新鮮である。
 さて彼らの目の前に、なんとも面妖なゆる族が立っていた。
 猫のようである。二本足で立っているが猫モチーフらしいのである。
 だが頭がチョンマゲである。これは一体……!? どうもサムライ階級と見たほうがよさそうだが……。
「ふぅむ、あれが有名な、丁髷猫のゆる族でござるか。ダッシュして飛びついても大丈夫ということでござるが……むむむ」
 鹿次郎は唸りながら、扇子を開いてパタパタとやっている。
「抱きつくのですかぁ?」
 新妻エメネアが訊くが、鹿次郎は首を振った。
「拙者が抱きつきたいのは可愛いエメネア殿だけでござるよ」
 できれば今夜も是非――というところまでは口にしないのが武士のたしなみ。
 ところがその思念の言葉を読み取ったのか、ピキーン! と直感的な音を(心の中で)立てた姿があった。
「あ……っ、今、鹿次郎殿が猥雑なことを考えました!」
 それは、鹿次郎&エメネアから少し離れた後方のタクシーから降りた三人連れ……その一人姉ヶ崎 雪(あねがさき・ゆき)である。雪は姉妹のエメネアのことを案じるあまり、人知を越えた超反応を見せたのである。
「どうしてこの距離でそこまで……というかそれはそもそも勘ぐりすぎでは?」
 その巨躯を、雪らが鹿次郎から身を隠すための遮蔽物(ありていに言って『壁がわり』)にされつつ、山中 鹿之助(やまなか・しかのすけ)が唸った。なお、ここは時代劇的テーマパークゆえ、鹿之助の時代がかった装いもあまり目立たない。
「いいえ、わたくしにはわかります! ドヘンタイのドヘンタイ的思考は筒抜けです!」
 その発言の迷いのなさに、思わず彼女の父にあたる白犬ゲルバッキーも尻尾を垂れるほかなかった。
(……まあ、雪がそう言うのなら、そうなのだろう)
 テレパシーで告げる。なんだかそこには、うかつに否定したら大変なことになりそうなので仕方なく――といった雰囲気があるのは否めない。
 それとは対称的に、岡田 以蔵(おかだ・いぞう)は懐手してかんらかんらと笑うのである。
「しょうえいしょうえい。勘ぐりもまた一興。それにしたち、おんしらとおると退屈しやーせんな」
 どうやら途上で手に入れたものらしく、以蔵は片手に日本酒の徳利を下げており、今も袂から手を出して、ぐっと一口呷って口元を拭っていた。
 雪たち三人と一匹(ゲルバッキー)は、鹿次郎たちには秘密で新婚旅行についてきているのだ。これはすべて、雪がエメネアの身を案じるあまり断行したものであった。鹿之助らはその道連れというか巻き添えというか……つまり、そういうことだ。
「おっと、ふたりが移動します!」
 ピカっと雪の目が光った。然り、鹿次郎はエメネアと手をつないで歩き出したのだ。
「その……なんだ。新婚旅行は夫婦水入らずと聞いておるのだが」
 鹿之助が実に常識的なコメントを洩らしたのだが、もちろん彼女は聞いてなどいない。
 こうしてここから一日と半分、雪らの珍道中は続いた。
 新婚夫婦を絶妙の距離をとって尾行しながら、気づかれないよう配慮するというのはなかなか神経のすり減るものだ。ただ、場所が場所だけに鹿之助や以蔵の服装が特に目立つことはなく、しかも観光地ゆえ色々と、美味いもの美味い酒ついでに紅葉なども、大いに楽しみながらのストーキングとなった。

 そんなこんなで二日目の昼前となった。
「わたくしの直感によりますと、昨夜はふたりとも旅疲れで早々に就寝、猥雑なことは行われなかった気配です」
 雪は満足げにつぶやいた。なお、彼女の右手にはみたらし団子の串が握られている。
(猥雑……いや、何も言うまい……)
 ゲルバッキーにはこれ以上のコメントはないらしい。
 なお以蔵はもう午前中から出来上がっていて、
「こじゃんとええのう。酒の味の進歩はたまらんちや」
 などと、土産物屋で入手した銘酒をキュッとやって上機嫌の様子だ。
「これが七難八苦に含まれるかは流石に疑問が湧くな……」
 この面々で一番疲労の色が濃いのは鹿之助だった。いちいち遮蔽物がわりに使われ、ふと鹿次郎が振り向くようなことがあれば、大きな体を曲げるようにして物陰に飛び込んだりして、緊張の連続でくたくたなのである。
 日光から出た新婚カップルさんは、タクシーでデパートへ向かった。目指すはバーゲン会場、秋物が最大八割オフという状況にたどり着く。
「さあさ、エメネア殿、日光では拙者の趣味に付き合っていただき恐縮至極、ここからはエメネア殿のためにショッピング三昧といくでござるよ!」
 なんとも勢いこんだ鹿次郎の口調だが、妻たるエメネアはもっと勢い込んでいた
「もちろん日光も楽しかったのでご心配なくですよぉ〜! でもバーゲンとなれば、血がたぎる思いなのですよぉ!」
 目がきらきらきらとダイヤモンドのように輝きまくっているのである。
 エメネアがそこから、大デパートの婦人服売り場を中心に服選びだの試着だのを満喫したことは言うまでもない。
 鹿次郎がそれに応じて、エメネアの着飾った姿を鑑賞し試着中の彼女ののぞきを楽しんだ(のぞき部だし!)ことも、言うまでもない。
 鹿次郎が『のぞきタイム』を堪能するたび、尾行中の雪が匕首を握って飛びだしそうになり、それを鹿之助が全身で止めて、横で見ている以蔵はなんだか笑っている……という図式が何度も繰り返されたことも、言うまでもないったら、ない。
 なおすべての場面において、ゲルバッキーは達観したようにただの犬と化していた。
 さてその後、食べ歩きから遅めの昼飯となった。デパート内の和食の名店をチョイするする。
 羊羹や饅頭やゆば、蕎麦など、このあたりの名物には地味めの物が多い。とはいえエメネアはいずれも、美味しい美味しいと喜んで食べた。派手派手ピンピカリンの食べ物もいいが、こういう素朴で滋味のある名物も好きなのだという。
「それにご飯って、誰と一緒に食べるか、が一番大切だと思うのですよぉ〜♪」
「エ、エメリア殿……」
 感極まって、鹿次郎は目頭に熱いものを覚えるのであった。
「それではぁ、鹿次郎さん。あーん♪」
「あーん♪」
 さてそんなやりとりが行われている十数メートル後方では。
「うーむ噂には聞いておったが日の本も随分と様変わりをしたものよな……しかし栄えておる」
 鹿之助はようやく人心地ついたようで、これまで見てきたものを回想しているようだ。窓の外を眺めながら、
「あの銀行の一端がそれがしが子孫の流れを組むとは実に奇なり」
 などと、某大手銀行の看板を指して言う。
 やや鹿之助が元気になってきたのは、テーマパークから出れば彼曰く、
「エメネア殿の巫女装束が実に目立って追跡し易い」
 状態になったからであろうか。といっても、ギンギンに目立っているのは彼ら一行も同様なのだが。
 それはそうとしてゲルバッキーは『動物の持ち込みはお断りしております』とのことで(……)デパートの外につながれていた。以蔵は例の如く酔っ払って、テーブルを前にしてうつらうつら船を漕いでいる。
 そんななか、
「さて次はどこへ行くのでしょうか……そろそろ悪い予感がしてきました……」
 雪は油断なく、鹿次郎らの動向をうかがうのである。
 結果から書くと雪の予感は的中した。
 カップルを乗せたタクシーが、郊外にさしかかったところで何やら、奇妙なお城に向けて方向転換をしたからだ。
 お城といっても西洋風のキャッスルである。パステルカラーに彩られていたりしてどうにもメルヘンだ。こんなものが田んぼ立ち並ぶ中にずどんと建っているあたりは、まさに不思議の国ニッポンの面目躍如といったところ。
 タクシー運転手に指示を出した(運転手は黙って応じた)のは鹿次郎、一方で、いっぱい買い物して上機嫌のエメネアは城を見てはしゃぐと、
「あれはテーマパークですかぁ〜?」
「ああっ、えっと、あの洋風のお城っぽいのはテーマパーク等ではなくラブ……いやテーマパークでござる! ご休……いや短時間プランでちょっと入るでござるよ!」
 ところが後方から追っている雪(の乗るタクシー)から見ればこれはまさに非常事態!
「ちょっ、な、なんて場所に入ろうと!」
「何を言いゆうがぜよ」
 以蔵が口を挟むが、雪の怒りは収まらない。
「いくら結婚したとは言え行き過ぎた卑猥な狼藉があれば許すわけには!」
「夫婦んなったら卑猥じゃろうが何じゃろうがしまくるに決まっちょろうがヤボじゃヤボ」
 しかし雪は聞く耳ゼロだ。
「前の車を止めて下さいませ!」
 と叫びタクシーの運転手を急かすと、例のホテル入口まで先回りしてがっちりガードさせたのだった。
 ひらりタクシーから飛び降りると、鹿次郎らのタクシーのボンネットに着地して歌舞伎役者のような見得を切り、若いふたりを睨め付ける。
「はいここまで! ご休憩は禁止です!」
「なななな、なんでここに皆が……っていうか、き、奇遇でござるな……」
 混乱する鹿次郎は、怒るべきなのか誤魔化そうとするべきなのか立ち位置を決められず、ただおろおろとするばかりであった。
「雪殿……こっそり尾行という計画はどこへ……」
 鹿之助は頭を抱え、その足元で、
(まあ、ある意味楽にはなったな……)
 ふっとゲルバッキーは悟ったようなことを呟いた。

 かくして危機は回避され、一行は拡張高い民宿へとなだれ込んだ。
 若いふたりは別室、あとは『その他』という大部屋である。
 ただそのふたつの部屋が隣同士というのは、どうにも居心地の悪いものではあるまいか。(鹿次郎にとっては)
「どの時代でも宿んもんの行き付けの店を聞くのが一番のコツじゃのう」
 といった塩梅で以蔵は外飲みから帰ってきて、さらに部屋で一杯やりながら、ふと雪の様子に目をやった。彼女はコップを壁に当てて、なんとか隣室の会話を盗み聞きしようとしているではないか。はたからみれば、かなり間の抜けたポーズである。まあ一途というか、迷いがないとは言えるが……。
「カカッ他人や姉の色恋ばっか気にしちょったらいき遅れるぜよ? それともあの馬鹿のこと好いちょって愛人にでもなる気で嫉妬でも焼いちょるがかえ?」
 と笑って、以蔵は雪のヒップに手を伸ばしてみる。
 ごす。
 これは以蔵が、雪のバックハンドの拳を顔面で受けた音である。
 畳の上に伸びてしまった以蔵を介抱しながら、鹿之助は鹿次郎夫婦の行く末を案じる。
 ――どうやらあの夫婦(めおと)にも、まだまだ七難八苦がありそうだ……。
 ところで残念! 雪の努力虚しく、旅館の壁は厚くて、鹿次郎とエメネアの会話は聞こえない。
 だがたとえ聞かれていようと、鹿次郎は気にしていなかった。
 晴れて夫婦になったのだ。なんの遠慮がいるだろう。
 このとき、電気を消すこともなく鹿次郎はエメネアににじりより、
「エメネア殿……っ!」
 と彼女を布団に押し倒し、旅館の浴衣に手をかけたのだった。
 あとは夫婦ふたりきりの秘め事、なのである。