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まほろば大奥譚 第二回/全四回

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まほろば大奥譚 第二回/全四回
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第二章 鬼の子2


「大奥も騒がしくなって、品位の欠片もなくなったわ」
 大奥取締役の御糸は、自室で煙管をふかしていた。
 白百合女学院七瀬 歩(ななせ・あゆむ)が彼女の肩を叩きながら答える。
「奥医師様がいらしてるそうですよ。若くて、とてもかっこいい方々だそうです」
「お前は観に行かぬのか」
「あたしは……仕事を頑張りたいから。これでも掃除、洗濯、炊事得意だし、何でもござれよ」
「お前は変わってるな」
 きょとんとする歩に御糸は笑いかけた。
「これでも褒めておるのだ。今の大奥で、従に奉公勤めをやろうという者はほとんどおらん。花嫁修業の腰掛けもいる。誰もが明日の出世と我が身の保身だ」
「御糸様は? 初めて大奥にいらしたときもこんな感じですか」
「私の若い頃は……」
 御糸は思いあぐねるように言葉を詰まらせ、やがて自嘲するように答える。
「私のような、仕事はできても堅物な女では、先代の上様に見初められることもなかろう。もっと、可愛らしい女を多くご寵愛されていたのだから」
「その時のこと、よろしければ私にもお聞かせください」
 房姫付きの女官度会 鈴鹿(わたらい・すずか)は、織部 イル(おりべ・いる)と連れだってやってきた。
 イルの手にある品は貞継への見舞いだという。
「将軍のことが気がかりなのは妾だけではない。この鈴鹿がどうしてもというのでな」
「い、イル様ったら……」
 鈴鹿はみるみるうちに真っ赤になったが否定はしなかった。
 彼女自身が望んでいたことだ。
「貞継様のお母様のことをご存じでしたら、お教えください。私には、あの方の苦しみは、お母様に纏わることが起因しているように思うのです」
「貞継様の母……お密(おみつ)様か。懐かしいが、思い出したくなくもある」
「御糸様?」
 歩も聞いてはならないことだと思い、今まで尋ねなかったが、御糸が話そうとしていることは受け止めるつもりでいた。
 御糸はしばらく考えていたが、意を決したように顔を上げた。
「いいだろう、お前たちを信用しよう。そもそも大奥の秘密が、女たちの人生を狂わせているだから」
 彼女は途切れた糸を辿るようにぽつりと話し始めた。
「私の、この大奥で最初にできた友達がお密だった。私たちは親友だった」


 御糸が大奥に奉公に上がったとき、一緒の部屋だったのがお密という少女だった。
 彼女はこの大奥での辛い下働きにも耐え、明るく振る舞い、実によく働いた。
「そう、歩。まるで今のお前のようにな。そして、女の私から見ても羨むような美しい肢体の持ち主だった。鈴鹿、お前の胸だ」
 そう言われて、鈴鹿ははっと自分の大きな胸を意識した。
「それでは、貞継様は……」
「ああ、そうだ。お密は程なく先代の将軍に見初められ、托卵を賜り、子を授かった。しかし、あの無残な母親の死に方に、幼い貞継様のお心は耐えられなかったのだろう。胸の大きな女官を見ては、怯えるようになった。成長されてからは『牛鬼』と呼び遠ざけるようになってしまった」
「そのお母様の無残な死とは、一体どんな……」
「それは……私の口からはいえぬ。だが、女にとっては惨いとだけ言えよう。托卵により子を産んだ女は、死んだ方がましだという程の苦しみを味わうことになる。これは確かだ。お密はそれに耐えられなかったのだ」
 御糸はそっと目頭の涙をぬぐった。
 普段は気丈な大奥取締役とは思えない涙だった。
「御糸様は今の将軍様のこと、あまり大事に想ってらっしゃらないのかって思ってたけど、そんなことなかったのね」
 歩がもらい泣きしそうなのを見て、御糸は笑った。
「公方様は親友のお密が命をかけて残したお子だ。私にとっては息子も同然。だが、この血の鎖はかけられた。もう誰にも外せぬ。貞継様も背負う覚悟はされているはず」
「そんな、血の鎖って。貞継様ばかりじゃないわ。托卵を受ける女性だって、こんなこと知らないじゃないですか」
 鈴鹿はようやく、なぜ大奥にあれほど厳格な『大奥御法度』が定められているのか分かりかけてきた。
「托卵で生まれた者が将軍となるなら、そのただ一人の女性は……」
「鈴鹿、それは違うのだ」
 御糸に否定され、鈴鹿は驚く。
「托卵とは、将軍になる可能性があるというだけのもの。実際に、将軍継嗣とされるのはただ一人、その者がマホロバの統治者となる。だが、大勢生まれた中で、誰が将軍となるかはその時にならねば分からぬ」
「それはどういうことですか。将軍にご寵愛頂いた一人が、ではないのですか」
「そうだ。托卵候補の女は、犠牲になるものは、多ければ多いほど良い。しかし、本当のことが知れれば、誰も世継ぎを産もうとは思わぬ。それでは将軍家は困るのだ。だから托卵などと体裁のいい言葉を使い、本質を隠し、女たちを集め競わせる。考えてもみよ。ただ一人しか将軍の跡継ぎを産めないとするなら、その者か子が死ねばすぐに将軍家は断絶してしまうでないか」
 御糸は煙管の灰を落とし、三人を強く見つめながら言った。
「大奥はマホロバ統治のための世継ぎを作るという幕府の、鬼城家のために作られたもの。我々は、巨大な水槽に飼われている美しい魚と同じだ。だが、大奥は変わるときに来ているのかも知れないな。お前たちのような、真っ直ぐで純粋な女官たちの手で変えていく時代に……」