校長室
【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第3話/全3話)
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●ネクスト・ライフ 途上の階をカスパールは駈けていく。肩の傷はすでに止血しており、まさしく脱兎の走りだった。 契約者たちがどこまで自分たちの計画を見抜いているかは、もう解った。あとはこの地を捨てても構わない。 「やほやほー、おねーさん遊びに来たよー」 追いすがる声にカスパールは足を止めた。 知らない声だった。 聖剣ドラゴンスレイヤーをひょいと肩にかついだ状態で、牛皮消 アルコリア(いけま・あるこりあ)が姿を見せていた。 「『お話』ならご遠慮します。私、急いでおりますの」 言葉とは裏腹に優美な笑みを見せて、カスパールは軽く会釈した。 いいえ、とカスパールに負けぬ極上の笑みを浮かべてアルコリアは言う。 「話し合い? アレですよ、野菜が自我を持って『人間さん、腐葉土をあげるから僕たちを食べるのはやめよう、さもなくば戦いだ!』でどれだけ野菜と共存できる人間がいるかですよ」 「あら、私ベジタリアンですのよ」 「私はそうじゃないけど……よくわからない御託を並べる野菜については、話し合うより食べるほうが好みなんですよねー」 言うなり彼女は剣の鞘を払った。 「ロクでもない世の中ですのでね、こう正義とか愛とか無いんですけど、倒れてください」 「率直な方……連れのお三方もそうであればよろしいのですけれど」 その言葉を聞いて、シーマ・スプレイグ(しーま・すぷれいぐ)は少し苛立ったように答えた。 「言いたいことはそれだけか。無益な争いは好まんのでな、ここで降伏するならよし……さもなくば」 カスパールが首をすくめ、おどけたように体全体を『嫌』というように振ったのでシーマは頷いた。 「それが回答か。是非も無い、シーマ・スプレイグ、参……」 というシーマの台詞に被せて、 「シーマ風に言うなら、是非もございませんわ……といったところですわね」 狭い場所に滑り込む猫のように、するりとナコト・オールドワン(なこと・おーるどわん)が口を挟んだ。 「ナコト、真似をするな」 「あらごめん遊ばせ。決め台詞を口にしてみたくって。さあ、カスパール。命捨てる覚悟はございますか?」 「雑魚の信徒がいればどう処分するか考え考えしてここまで来たが……必要ないようで手間が省けた」 と言ったのはラズン・カプリッチオ(らずん・かぷりっちお)。彼女は宣告する。 「さぁ、苦しくて悲しくて痛くて辛い、それゆえに気持ち良い現実を生きよう」 このときアルコリア以下四人は同時に、カスパールへの包囲の輪を作った。 「バッドモーニン、悪夢が来たで」 このとき、軽口とともにさらなる来訪者があった。 「おや、取り込み中か?」 瀬山 裕輝(せやま・ひろき)である。 裕輝のパートナー鬼久保偲のことを思いだしてほしい。彼女は現在、八岐大蛇の精神世界で奮闘している。ところが裕輝のほうは、 「偲? 気付いたらいなかった」 と真顔で言ってしまうくらい彼女のことは気にしていなかったのである。 というわけで、彼は噂の(?)カスパール捕獲に来たのである。 「意地なんて持ってもしゃーないで。 意地汚い、意地が悪い、意地を張る……意地なんて通さん方がえぇで。ここぞというときの諦めが大事なんやからのぉ」 指の関節を鳴らしながら近づいて、 「なあ俺、仕掛けていい?」 とアルコリアに問いかける。 「待て」 だがカスパールに届いた最初の攻撃は、シーマの投擲したルーンの槍だった。イコンすら倒すという強烈な一撃。だが唸りを上げる槍は、カスパールの眼前で突然勢いを減じ、からんと乾いた音とともに床に転がったのである。 「妙な力を使うのですわね。弱点……?」 ナコトは鋭い眼光で、カスパールの急所を探った。 だが不思議なことしかわからなかった。カスパールは通常の人間と同程度なのである。心臓を貫かれれば死ぬし、脳を破壊しても死ぬ。ただの人体だ。つまり、弱点だらけなのだ。 「槍で襲われたことも、ありますのでね」 「なら拳はどうや!」 瞬間的に裕輝はカスパールの懐に踏み込んでいる。 股関節の脱力から、前に倒れ込むように重心を体の外に投げ出し、反射で足を前に出すという技術……落歩、それに、重力を使うと歩幅が広くなるところを二歩三歩と自然に歩けるようになる段階、井桁で迫り、さらに滑り足で進むかたちで縮地法と成し、一気に近づいたのである。 しかしそこからの拳は、見えない壁に阻まれて進むことはなかった。 「拳による突きも、無駄です」 その言葉が終わるより早く、カスパールの周囲に青白い火炎が渦巻く。 火炎は激しい勢いで吹きつけ、裕輝を横倒しにし、ラズンにもたたらを踏ませた。シーマも受けたが、後転してダメージを減らしている。 熱い。そして、強い。 「うーん、さすがにただのおねーさんじゃないってわけですね」 アルコリアも少なからず焼かれたが、むしろ嬉しそうな様子だ。床を蹴って荒鷲のように迅く、両刀にてカスパールに斬りつけた。 通常の人間であれば、一撃の下に斬り伏せられていたとしてもおかしくない。 それほどの太刀筋だった。一刀で両腕を切り落とし、もう一刀で頭蓋を両断できるほどの。 しかし、いずれの攻撃も空中で静止し、逆にアルコリアは胴にカスパールからの前蹴りを浴びていた。 蹴り飛ばした勢いで空中を舞い、両足を揃えてカスパールは着地した。 「酷い人生だったものでね……剣に斬られたこともありますわ。さて、私の実力がわかったのなら、諦めてお帰りなさいな。さもなくば」 「さもなくば、なんだって?」 カスパールに油断があったのだろう。 彼女は、シーマから羽交い締めにされていた。 「面白い戦略ですけれど、そこから何をしても、無駄と思いますわよ」 だがシーマはその言葉など聞いていなかった。叫んでいたから。 「ラズン! あれを!」 と。 「剣に斬られたことがあるなら、人型に噛まれたことは?」 ラズンが跳躍していた。顔を前面に出して……強食の牙で噛み付くために! 「ひっ!」 カスパールが悲鳴を上げるのを聞いたのは、彼女らがはじめてだったろう。 必死で避けたが肩の肉を食い千切られ、カスパールは紫の衣を真っ赤に汚している。だが彼女はシーマの腕を振りほどいていた。 「その下品な攻撃……予想外でしたわ。けれど、もうその方法は試せませんわよ。背後から組み付かれることだって……」 アルコリアが剣を手に、ゆらりと近づいてくるのが見えた。 「また剣ですか! 無駄と言ったでしょう。それに、剣で斬ると見せかけて姑息な魔法を使っても無意味ですと先に言って……」 ぼとっ、とワインの詰まった革袋が床に落ちるような音がした。 「言って……言って……」 以下は言葉にならなかった。カスパールが絶叫したからである。 床に落ちたのは、カスパールの左腕、その肘から下すべてであった。 「ちょっと浅かったですねー。では次は、この状態で魔法を使ったらどうなるか見て見ましょうか−。味方も巻き込んじゃうかもしれませんけど……」 ここではないどこかを見ているような焦点のあわぬ目でアルコリアは告げた。 通常の状態ではない。 レックレスレイジ。痛覚を遮断し戦鬼と化する禁断のスキル。混乱状態すらもたらすという禁断の技を、アルコリアは己に施していたのである。 「全力で魔法を放ったら、カスパールさん骨も残らないかも……」 「やめて……やめ……」 カスパールは余裕をかなぐり捨てていた。ぼたぼたと赤いものが溢れる部位を手で押さえ首を巡らすと、グラキエスとロアたちが駈けてくるのが見えた。 「おっと、もうやりすぎちゃう? もうあかんで、降参したらどや?」 裕輝の言葉はカスパールを気遣ってのものだ。 開場からも物音がする。会議室が開き、とじこめられていたメンバーが移動してくるのだろう。 しかし、壁際に追いつめられたカスパールは、凄絶な表情でにたりと笑った。 「ここまでのようですね……では、ご機嫌よう……!」 彼女は窓に向かって体当たりした。全身が青白い炎に包まれている。 「来世で会いましょう」 カスパールがぶつかるより早く、防弾ガラスが溶けた。 防弾用の強化プラスチックがドロドロになったのである。相当な温度なのだろう。 「来世で会いましょう」 カスパールは目を閉じた。 駆け寄った契約者たちは、紫と黒の衣装を着た彼女の姿が、小さくなっていくのを見守るほかなかった。 ビルの壁面を、重力を無視した格好で平然と歩いてくる人影があった。 獅子の面を付けたその人物は、おもむろにカスパールの体を受け止めた。 そして百八十度回転すると、今度は飛ぶような速さで姿を眩ませたのである。 こうしてカスパールは、彼らの前から姿を消した。