校長室
【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第3話/全3話)
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●幽霊(ゴースト) 整然とグランツ教支部から出て退避行動に移る信者たちを見て、ロア・ドゥーエ(ろあ・どぅーえ)は目を丸くしていた。 「なんだ!? とすると黒幕が一人、あのビルに残ってるってわけかよ」 「僥倖と言うべきか。敵の本拠地で戦力を分断することを覚悟していたのだがな……やれやれ」 胸に抱いていた少女をぽいと放してレヴィシュタール・グランマイア(れびしゅたーる・ぐらんまいあ)は肩をすくめる。 少女はグランツ教の一般信者のバッジを身につけていた。逃げる信者からレヴィシュタールが人知れずさらって、吸精幻夜と誘惑の技術を合わせた技術で口を割らせたのである。 彼女の情報によれば、もう支部にはカスパール以外の人間は残っていないということだ。高層ビルの一部フロアがツァンダ支部になっているのだが、ビルに入っている他のテナントからもすでに人は避難し終えているので、建物全体が無人と言うことになる。 「さて少女、貴公にはもう用はなくなった。そのまままっすぐ安全なところまで退避せよ。安全なところについたら、この記憶は消えるだろう」 ほら、とレヴィシュタールが背中を押すと、少女はどこかへ駈けていった。 そこにウルディカ・ウォークライ(うるでぃか・うぉーくらい)が戻ってきた。 「探したが、やっぱりグラキエスはいない、って顔だな」 ウルディカは無口なのでいちいち口を開かないが、ロアは彼の様子から大意をつかんでいた。 八岐大蛇とその眷属(一般情報では謎の生物群)が出現したとの報が伝わるや、グラキエスは姿を消したのである。 「やはりエンドは先走ったようですね。おそらくは、グランツ教の支部に入った……単身で」 苦虫を噛み潰したような表情でロア・キープセイク(ろあ・きーぷせいく)(※ロア・ドゥーエとの混同を避けるため以下『キース』と表記する)が言った。 「エンド(※グラキエス)はあそこを潰す気です。早く追い付かなければ」 キースにはわかっている。グラキエスが、己をかえりみない性質だということが。 「とりわけ、魔剣『玄武』の支配を退ける程強い自身を識った今では、その傾向が高まっているはずです」 あの経験で改めてグラキエスは、自分の性質が破壊にあると実感したであろうから。 「もともと黒幕を曝いたのもグラキエスだしなあ! よっしゃあ! なら追おうぜ、一般の信者もいないってんなら遠慮は無用だ! この事件、あいつ一人に背負わせてたまるか!」 「……エンド、これ以上一人で行かせませんよ」 キースも首を縦に振った。 グランツ教支部に視点を戻す。 会議室を後にしたカスパールは下り階段へと急いだ。 「……そうですか、これが」 だが、エレベーターを見て彼女はこれが破壊されていることを知ったのだった。扉は開閉ボタンがきかない。黒い煙すら上がっている。どうやら、執務室にいるときにザカコと感じた振動は、これが爆破されたときのもののようだ。 このとき、カスパールですら思い至らないことがあった。 エレベーターを使用不能にするのなら、動力を切ればそれで済むだろう。 それなのにあえて、機晶爆弾をタイマーでセットし、破壊したのはなぜなのか。こうやって黒い煙が吹くほどにさせたのは。 理由は二つだ。 一つは派手な騒ぎを発生させ、信者たちの動きからカスパールの所在を調べるため。 そしてもう一つは、カスパール自身の足止めをするため。彼女に隙を作るため。 戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)の狙いは的中した。 「……!」 暗がりから飛びだし、小次郎はさざれ石の短刀でカスパールを刺した。 「あなたが下手人……!」 一方、その小次郎ですら思い至らないことがあったのも、事実である。 短刀の刃はカスパールに刺さらず、その皮膚数センチのところで停止してしまった。見えない壁でもあるかのように、そこから進まない。なにもできない。 「どういうこと……!」 こうなれば芭蕉扇で大風を起こす――と、小次郎が動揺から立ち直ったとき、すでに彼の首筋にはカスパールの強烈な手刀が叩き込まれていた。 「なんという手練れ……この私を、策にはめたとは」 動悸を鎮めるべくしばし、カスパールは自らの胸に手を置いて息をついた。 彼女が通路側の窓の前を通りかかったとき、執務室にあったとき同様、窓に突然亀裂が走った。 それも、カスパールの行く手を予測するかのように、一枚、二枚、と的確にひび割れていく。 すべて銃弾によるものだった。防弾ガラスゆえか砕けることはないが穴は開き、朱い空をした外の世界が、一瞬にして亀裂の向こうに見えなくなる。 「まるで幽霊ですわね。姿を見せずどこからか襲ってくる存在……」 弾丸はすべてカスパールに止められ、彼女の足元に落ちた。 「そしてあなたが、幽霊の正体ですか?」 穴の開いたまどからビル風が吹き込み、カスパールの長い髪を躍らせていた。 このときカスパールの目前には、昔日の貴人のごとき風格の女性が立っている。 いや、貴人どころではない、王者だ。 イングランド女王エリザベス?世の本霊……グロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)である。 「否。だがこれまでのことは妾の意を受けてのもの。妾はグロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダーと名乗っている」 「そしてわたくしは」 すっと音もなくライザの陰から、上杉 菊(うえすぎ・きく)が進み出る。 「菊媛大姉(ひえんたいし)と名乗りし者です。以後お見知りおきを」 一礼する菊にかわってライザは言った。 「あのマヌエルとかいう枢機卿といい、其方といい、宗教家という手合いは耳に快く響き渡る美辞麗句を並べ立て、容れられぬと悟るや旧き体制を排そうとする。妾が、斯様な手合いを最も敬遠するがゆえんよ。ゆえに、其方を探らせたまでのこと」 カスパールの強烈なカリスマ性を目の当たりにしても、ライザは一歩も退くことはない。 「手厳しいこと」 お手並み拝見、とでも言うかのように、カスパールは微笑した。 負けじとライザは圧す。 「過去(かつて)や現在(いま)を断罪する事など容易い。結果を論じれば善いだけのこと。しかし、それらの結果として未来(あす)がある。過程を己が都合の善いように曲げた末の結果など、誰も救われはせぬよ」 「姿を見せぬあなたがたの主……あの『幽霊』様もそう思っておいでなのかしら」 「主、だと?」 「お二人はその方の代理……そのように思えますの。違って?」 菊はカスパールの問いかけを無視して告げた。 「それよりも、ライザ様の言葉に対してはどうお答えされます?」 「単純な話ですわ。過去を否定し現在を貶める論法は、大衆受けがよろしいものですの。 現在を実際よりずっと悲観的に言うことによって人びとの不安を煽ります。そして過去の伝統を徹底に断罪することによって、力の強い者へすがるほかないという気持ちを植え付けます。卑怯とお呼びになる? いいえ、これは古今、あらゆる権力者がやってきたことですわ」 「歪んだ自己正当化だ。そのような手法に騙されるほど民衆は……」 だがライザの言葉をカスパールは遮る。 「そうでしょうか? 騙されているからこそ、グランツ教はこの短期間でこれだけの支持……それも熱狂的な支持を集めたのではありませんか。 グロリアーナ様、菊様、せっかくですので今回は、大衆について本当のことを教えて差し上げましょう。彼らは『騙されたい』のです。『グランツ教による革命』というお祭り騒ぎに乗りたいのです」 カスパールの口調は、小動物に絡みつく蛇のように危険な、されど抗いがたいものを帯び始めた。 「改革の御旗のもと過去を裁き現在を破壊して、正義の側に立ちたいという欲は大衆が潜在的に持つもの……そうすれば、自分の生活が苦しいのを現在の社会や、過去に社会を作ってきた者たち……つまり他人のせいにできますものね! 私たちは求められて彼らの欲望を体現しているだけですわ。ご存じですか? あのアドルフ・ヒトラーは、民主的な選挙によって選ばれたということを」 「問題があるとわかっていて、なぜこのような手段を用いる!」 「なぜなら私にとって、今のシャンバラがどうなろうと、特にどうということはないからです」 「言い切ったか……!」 「このこと、よければ大衆に広めようとしてみなさいな。誰も信じませんわよ。なぜって彼らが『信じたい』のは、私たちの教義であり改革ですから」 通して下さい、と言ってカスパールは、二人を押しのけて先へ進んだ。 「止めないのですか……」 「戦う意思がないものに攻撃を仕掛けるわけにもいくまい」 それに……と、ライザは口惜しげに言う。 「風上から、それと悟られぬようしびれ薬を散布した。だが効かなかった。その原因も分からぬのに手出しするのは自殺行為だ」 グランツ教ツァンダ支部より、ずっと離れたビルの屋上。 ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)はスナイパーライフルを置いた。 「カスパールという奴、底知れぬところがあるな……」 ローザを守るべくその傍らにはフィーグムンド・フォルネウス(ふぃーぐむんど・ふぉるねうす)の姿がある。 ローザマリアは首肯した。 しかし、理解できない存在ではない――という主旨のことも彼女は言ったのだった。