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【真相に至る深層】第二話 過去からの螺旋

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【真相に至る深層】第二話 過去からの螺旋

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【紫煙のごとく肺を蝕む妄執】



 一万という長い年月を隔てた、エリュシオン帝国ペルム領海、水面の下、深く光の揺れる海中。
 頼りないと思えるほどの薄い空気の膜に守られた、箱庭のような、鳥籠のようなその都市ポセイドン。
 終焉に近付くその最後の燐光のように瞬く、人々の営みがそこにはあった。


 ビュウ、と空を切り裂く音、一声。
 現代であれば砲撃が通ったかと思う程の圧が真っ直ぐに突き進み、過たず的を射抜いた。
 その直線上にあった小型の半魚人はそれで滅し、最期に射抜かれた大型の半魚人は首から上を失って地響きと共に崩れ落ちる。ただの弓の一撃でこれだ。コーセイの弓の冴えは一段と増したようだ、と隣で見ていたリディアは思った。無駄な肉のない引き締まった身体は、つっかえる胸も無くその弓を正確無比にしている。
 勿論彼女にして、その体格に不釣合いなほどの大剣を携えて、射角の外にあった半魚人を一刀に伏しているのだが、効率でいうなれば彼女を上回るのは中々に難しいだろう。
「ヒュー、さっすが」
 そんな彼女等が群れの粗方を倒してしまった後で、暢気な声を上げたのはビディシエだ。拍手まで叩いて見せながらおどけるこの男が、二人の所属する藍色の騎士団の団長である。
「ちょっとは働きなさいよ、団長」
「ボクは指揮がお仕事なの」
 冗談めかすビディシエは、幼馴染の気安さでリディアがその頭にチョップを食らわしたのに大袈裟に痛がりながら、はたから判らない程度の警戒と共に、半魚人たちの群れに襲われていた男へと手を差し伸べた。
「大丈夫かい。怪我は……してないみたいだけど」
 追い詰められていたのだろう、壁に背を押し付けるようにしていた、紙のように色素のない男――「龍器」とも呼ばれるエルドリースは、妙にぼんやりとした目でビディシエを見やると、こくりと言葉なく頷いた。大丈夫、と言う意思表示だろうか。焦点の合わない目が不意に淡い光と共に見上げてくるのに、ビディシエは貼り付けたような笑みを浮かべて恭しく頭を下げた。
「ここはまだ危のうございますよ、ポセイダヌス。その器はか弱いです故、神殿までお戻りください」
 その言葉をどこまで理解したものか。答えず、ふいと視線を逸らした後は、すんでの所で自分を助けた相手でもあるコーセイを一瞬じっと見たものの、何の反応もしないまま、エルドリースはふらりと遠ざかって行ってしまった。
「――なんでしょう、あれは」
 ビディシエのつけた部下を伴って遠ざかるその背中に、コーセイが呟くように言うのに、ビディシエは肩を竦めた。
「あれは『目』だからね。ボクらがあんまり男前なんで見惚れてたんじゃないの」
 冗談めかしているが、声のトーンが少し堅いのに気付いて、リディアが軽く眉を寄せると、ビディシエはその頭を軽くぽん、と叩くと「二人とも、ちょっと付き合ってくれるかい」とその場を他の戦士たちに任せ、向かったのは蒼の塔だった。
「どうしたの?」
 リディアの声にも答えず、コーセイの戸惑ったような顔にも構わず、ビディシエは塔の中を深く潜っていく。本来ならここは、官吏しか立ち入れない筈の場所だ。族長の弟であるビディシエだからこそ入ることが許されているが、二人はそうではない。落ち着かない心地を抱えたまま地下へ辿り着いた二人に、ビディシエはまるで鼓動を刻むように輝きを放つ、球体とそれを支える台、というチェスのポーンのような見た目の台座を示して「あれが、この塔の心臓さ」と目を細めた。
「ここに降りてくるまでに、壁に血管のような紋様を見ただろう? 龍から力を吸い上げて、あれに力を流しているのがこれだ」
 そうしてビディシエが説明したのは、この塔に眠る機能だ。”楔”――龍の体内の魔力を吸い上げるそれと、”解放”――龍を都市からの接続の解除、その名の通り、一時的解放を行うという二つのその機能と、その起動方法を説明すると、その掌を台座に這わせて「一応これ、機密だからそのつもりでね」とビディシエは笑う。
「あと、機能は同時には起動しない。真逆の機能だからね。キミ達二人を権限者として登録しておくから――……」
「ちょっと、待ってください」
 コーセイが慌てたようにビディシエの声を遮り、リディアも「一体どうしたのよ突然」と不安を隠せない様子で眉を寄せた。普段何かと面倒くさがりで、のんびりしているビディシエのこの性急さは何なのか。心なしか見える焦りの気配に、同じ戦士としての危機感が二人の口を開かせた。
「何をそんなに、焦っているんですか?」
 その言葉に一瞬言葉を切ったビディリードは、幾らか自覚はあったのだろう、ふうっと深く息を吐き出すと、普段のように困ったような笑みを浮かべて肩の力を落とした。
「あんまり時間が無い……からかな。兄上が、焦っているから」
「焦ってるのはビディシエじゃないの?」
 リディアが言うのに、ビディシエは首を振った。
「ボクより多分……兄上は危険なほど、焦ってる。ボクらの望みは同じ「龍を倒す」こと、なんだけど……兄上のそれはボクとは少し違うからね」
 顔を見合わせるリディアとコーセイに、ビディシエは苦笑を浮かべながら続ける。
「ボクが欲しいのは、龍を倒すことで得る、都市の未来だ。それが誰の手で成し遂げたかなんて興味ない。でも……兄上が欲しているのは、龍を倒すこと、その結果だけだ。だからもしかしたら……」
 そこまで言いかけて、ビディシエははたと気付いたように言葉を切ると、首を振って「いや」とそれ以上の説明を留めた。それが言いたくなかったからなのか、言うべきではないと思ったのかは判らないが、それ以上を語らないまま「まあそんなわけで」とはぐらかすように明るい声が言った。
「万が一のことがあったら、頼むね、二人とも」
「……万が一って?」
 それを信頼と言っていいのだろうか。殆ど全権を託したかの様な物言いにリディアが不安を顔に表しながら言ったが、にっこりと笑うばかりで、ビディシエはついに答えようとはしなかった。


(……矢張り、弟君は下手をすればビディリード様の障害になりかねませんね)
 心中で呟いたのは、蒼族族長ビディリードの手足の一人であるマヤール・オルセウロだ。遠巻きのビディシエの様子の可笑しさから物陰で会話を伺っていたのだが、今聞いた会話を主へと報告すべく離れようとしたマヤールに、ふと伸びる手があった。パッセルだ。
「奇遇じゃん、マヤール?」
 そうは言ったものの、実際には奇遇ではなく、同じく物陰に潜んで待ち伏せに等しい状態で待っていたのだ。貧民街「外周」出という身の上であるパッセルにとって、そういった芸当は難しいことではない。相手が同じくあまり声を大きく出身を語れない人間あることも手伝って、パッセルは普段の猫を捨てて首を傾けて見せた。
「ちょいと聞きたいことがあってね――先代の、蒼族の族長について、サ」
 その言葉に暫く黙り込んだマヤールだったが、相手がビディリードの異母妹ということもあってだろうか、僅かに息を吐き出した後「病死ですよ」と口を開いた。
「ビディリード様の父上とは思えない程線の細い方だったと言います。晩年は殆ど床につかれていらっしゃったとかで……」
「本当に、そうか?」
 穿ったような声に、病死ということへの強い猜疑が見えて、マヤールは口を一度噤んだ。他の族長に比べて、若過ぎるほどの年での死だった。疑うな、というのも難しいとは判りつつ、マヤールは「本当ですよ」と続ける。
「ただ、病床での先代は狂ったような有様であったそうで。龍の打倒は一族の悲願であり、長き屈辱からの解放である、と……御子息方に呪いのように言い聞かせていらっしゃったとか」
 都市の最中枢である神殿を司り、巫女の直系に当たる黄族、魔力の高さもあり、都市の管理を担う紅族に比べて、戦士を輩する蒼族はどちらかと言えば下に見られてきた一族だ。勿論権限の上では対等ではあるが、権威となるとそうはいかない。それ故にか、蒼族は古くより龍を倒すことを常に意識してきた一族だった。特に先代の族長は、その体の弱さからかその劣等意識は相当に強かったと言う。
「蒼族族長の血筋は、龍を倒すためだけに、血を繋ぎ、育て上げられたようなもの。ビディリード様の妄執に等しい執念は、恐らくそこでしょう」
 ビディシエは性格がそうさせるのか、もっと自由な思考の持ち主のようだが、ビディリードはそうではない。残された時間が削れらていく中で、自らが先んじて成功せねば、と、ビディリードが追い詰められていないといいが、とマヤールは意味深に目を細めた。
「貴方もせいぜい、飲まれぬように」
 そんな、忠告とも知れぬ言葉を残してマヤールは去り、パッセルはその背中を見送って肩を竦めた。
「相変わらず、何考えてるか分かんないヤツ……」
 そう、呟いたその時だ。
「妄執……とはまた厄介じゃの」
「……っ、アンタ、聞いてたの……ですか」
 振り返った先にいたのは、茜色の騎士団最年長であり、アジエスタの祖父ノヴィムだ。警戒も顕なパッセルに「偶々じゃよ」としれっと答えたノヴィムは、先ほど耳にした言葉を頭で反芻させながら、さて、と難しい息をついた。
「龍を倒す……その目的は同じじゃが……さて、意思が違えば、どうじゃろうの」
 ビディリードが「妄執」であるとすれば、ビディシエから見えるのは「反抗」だ。その動機は恐らく、歩み寄るのは難しいだろう。
「龍を倒す……その目的は同じじゃが……さて、意思が違えば、どうじゃろうの」
 思わず独り言のように漏らしたノヴィムに、不吉な預言を聞かされたような気がして、パッセルは眉を寄せた。
「……何言ってんだ、ジジィ」
 だがその回答が返って来るより早く「客人か? パッセル」と声がかかった。
 アンリリューズを伴ったビディリードだ。今日は蒼の塔に予定は無かった筈なのに、とパッセルが内心で首を傾げていると、今度は塔の中から「おやあ、珍しい」ととぼけたような声がかかった。丁度地下から上がってきたらしい、ビディシエたち三人だ。
「お客さんですか? すいませんねぇ、入れ違いでお茶も出せませんで」
 そう言いながらも、何処となく固い三人がすれ違っていくと、その背を見送りながらビディリードは「ふん」と鼻を鳴らした。
「相変わらず、何を考えているか判らん男だ」
「良く似た兄弟ね」
 アンリリューズはからかうが、ビディリードは妙に厳しい顔で弟の背を見送っている。首を傾げるアンリリューズに、殆ど独り言のようにビディリードは声を漏らした。
「あれは聡過ぎて、腹の内が読めん男だ……その内、障害になるやもしれん」
「……」
 その言葉にパッセルが複雑な顔をしているのに、ビディリードは僅かに表情を緩めてその頭を撫でた。そうやって身内に向けられる愛情は本物だとわかるのに、今はそれが酷く胸を騒がせる。何しろ、血を分けた兄弟にこの物言いだ。この男が、自分に向けられた愛情を疑えばどうなるのか。同じ何かを感じたのか、アンリリューズがビディリードの腕に自らのそれを絡めてその意識を散らそうとする中、その場に残っていたノヴィムが「しかし」と空気を変えるように口を開いた。
「ビディシエ殿は、ビディリード様と志を同じくしておるのではないのですかの?」
 その言葉に、各々がそれぞれの意味で目を瞬かせたが、ノヴィムは構わずに続ける。
「足並み揃わねば、相手はあの龍……倒すのは容易いことではありますまい」
 その言葉を、ビディリードがどこか面白がるように聞いている様子に、ノヴィムはなおも続ける。
「龍を倒す――……ビディリード様は、何の為に、とお考えなのですかな?」
「語れば、貴様は足並みを揃えるとでも?」
「それは、お言葉次第ですかな」
 空気をちりちりと鳴らすようなそのやり取りにふん、と鼻を鳴らして、ビディリードは「知れたこと。都市の支配権を人の手に戻すためだ」と力強い声が言った。
「龍を偽って時を稼ぐ? 龍の魂を縛る? 愚かな判断だ。あの二人は恐ろしいのだ。龍が。この鳥籠に一つの綻びも作らぬように人を見張り、心を禁じ、閉じた世界で龍のための腐った餌を作り続けている屍人よ」
 自分は、そんな腐った奴らから人々を解放し、正しく人が権威を取り戻すべく剣を取っているのだ、と。恐らく本音のつもりなのだろうが、その中に先ほどマヤールが指摘したような妄執……「蒼族」がそれを成し遂げる、という淀んだ意思が見て取れた。なおも続く演説めいたセリフを半ば聞き流しながら、表面に出さないようにノヴィムは僅かに苦さを飲み込んだ。元々、そのような振る舞いを見せる男ではあったが、焦っている、というのは恐らく正しい。刻限はすぐ傍に迫って居るのだ。当然といえば当然だろうが、追い詰められることで何か酷く、恐ろしい歪みを生みそうに感じるのだ。
「成る程」
 熱を帯びたビディリードの声を、ノヴィムの一言が鎮める。
「そうすれば、儂の孫や媛巫女が犠牲になることも無い、と」
「そうとも。あのように儚く悲しい者達を作らずにすむのだ」
 返答は簡潔で、だからこそビディシエとの違いが良く判る。彼は約束を守るだろう、だがこの男は恐らく意に沿わねば「切る」。例えそれが、自らの手下であろうと、或いは家族であろうとだ。ノヴィムは騎士団の中に紛れ込まされた彼の手の者のことについて問おうとしたが、それがその人物へ危険を与えるように思えて、言葉を飲み込んだ。
「……お言葉、お心、しかと承りました」
 そうして、ノヴィムは表情を変えないまま深く頭を下げて誤魔化したのだった。


「良かったの? 随分熱っぽく語っていたけれど」
 そうして、他が去った後。こちらもまた台座の有る地下まで降りたアンリリューズの問いに、ビディリードは「構わん」と低く笑った。
「手駒は増えるに越したことはない。従わぬなら……消せば良いだけのこと」
 そのぞくりとするような冷たい声に、アンリリューズは顔色を変えた。それをどう思ったのか、ビディリードは痛ましげに鍛えられた体をそっと抱き寄せると、その指を腹部へと這わせた。
「お前には、可哀想な事をした」
 そう囁く声は優しいが、アンリリューズはその事故……流産に至る経緯をビディリードが悲しみよりもっと別の暗い想いを持っているのを知っていた。負い目、憎悪、それ以外の何か。一つ一つが積み重なって、鈍い何かがこの男を支配しようとしている。
「案ずるな、アンリリューズ。この腐った都市は私が変えてやる。我が一族の悲願は、必ず、この手で……!」
 アンリリューズはその腕に抱かれ、語る情熱のまま体を貪るビディリードの熱を感じながらも、その奥底を何かが這っているような昏い何かに、ぞくりと震えたのだった。
 そして。
「……」
 チャチャは青ざめた顔で、台座の下で身を縮こまらせていた。ビディリードから話を聞くために忍び込んだのだが、そのままビディシエの話を聞いている内に出られなくなり、その上この状況である。息を殺して、物音を立てないようにと神経を尖らせていたが、それでも尚、耳に残る言葉が頭を離れなかった。
(ビディリード様は……龍を倒すためなら何でもするつもりだ。ビディシエさんよりも、もっと強引に)
 ビディシエは得体が知れない所があっても、利用するつもりが明らかでも、どこか一線があった。自らの主であるアジエスタを利用しようとしているのだけはいただけないが、この男は根本的に違う。オーレリアやティーズの思惑より先んじることを何より重要視しているように見える。
(アジエスタさんは、ビディシエさんと協力関係にある筈……でも、ビディリード様の思惑はお二人と少しずれている……)
 アジエスタとビディシエが結んでいる協力は、塔に関することだった。先程までの彼等の会話を繋ぎ合わせると、ビディリードはビディシエの行動をあまり良く思っていないように思える。だとすれば、どこかの段階でビディシエが排除される可能性があり、それは彼の協力者であるアジエスタにも可能性があることを示しているように思えた。そうでなくとも、アジエスタは巫女を殺す「絶命」であり、オーレリアとティーズの手駒である。二人に先んじようとしているビディリードにとって邪魔な存在なのではないだろうか。
(もしかして……アジエスタさんが……危ない……!?)
 過ぎった危機感に、チャチャは自らの体が震えだしそうになるのを、歯を食いしばって耐えたのだった。