校長室
蒼空サッカー
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第25章 後半――君を背負う者、感じる者 風森望の前で、レロシャンはうなだれていた。 「白13番、退場です」 「……はい」 頷いた。 「理由は分かっていますね?」 「……はい」 何だか現実感がない。 分かってるのは、「退場」その事実だけだ。 「審判……待って下さい!」 声。紅のプレイヤー、ミルディアだった。 「今のは……事故です……白のプレイヤーは、私に向かってスキルを使ったんじゃありません……私がスキルに当たりに行ったんです!」 ミルディアが立ち上がった。 「……私は、白13番の『遠当て』でのダメージなんて受けていません……! ですから、ルール違反は……!」 「紅の7番。審判への反抗と見なして、あなたもレッドカードを出されたいのですか?」 「……っ!」 ミルディアも黙り込む。 「『試合参加者は、相手チームのプレイヤーにダメージを与えるスキルを用いてはならない』。何でもありの蒼空サッカーにおける、最も大事なルールのひとつです。経過がどうあれ、これをないがしろにするわけにはいきません。 今後、スキル『遠当て』は危険と判断し、使用を禁じます。 白13番の立っていた位置より、紅側の直接フリーキックです。紅は早く準備を始めて下さい」 雨は、降り続けている。 さっきまで全然気にならなかったのに、途端に体が冷たくなってきた。 歩き出した。体が重い。たった今まで、風よりも早く賭け抜けていたのに。 ――あれ? ――そういえば、フィールドの外、って、どっち行けばいいんだろう? そう思って顔を上げると、目の前に蒼学サッカー部の人が立っていた。15番の人だ。 「ごめん」 とりあえず、謝った。 「無茶しちゃった」 「いいプレーだった。運が悪かったな」 「皮肉?」 「いや、本気でそう思ってる」 「……ありがと。案外優しいんだね」 笑えた、と思う。 また歩き出した。 どこかに向かって歩いているうちに、フィールドからは出られる。 (自分はここにいちゃいけない人間だ) いつの間にか、走り出していた。 それでも足りなくて、「軽身功」を使っていた。 呼吸が弾んで、心臓の鼓動が破裂しそうなくらいに早くなる。 (いっそのこと、本当に破裂して) レロシャンは思った。 (勝っても負けても、楽しけりゃいいじゃん――って思ってたけど) 雨の中に遠ざかっていくレロシャンの姿を見ながら、ミルディアは思った。 (ちょっと、楽しくなくなっちゃったなぁ……) ――気がつけば、白チームのテントの下にいた。 雨の中、1キロ近く離れた所で、何人ものプレイヤーが動き回っていた。 (遠いなぁ) 思ったのはそんな事。 ついさっきまで、自分があそこで走り回っていたなんて、想像できない。 「はい」 突然目の前に、紙コップが差し出された。ちょっと苦くて豊かな香りが鼻をついた。 差し出してきたのは、同じチームのベンチマネージャーの人だ。 (確か、クレア・シルフィアミッドさんっていったっけ) 「……どうも」 頭の中の醒めた部分が文句を言っていた。頭下げて「ありがとうございます」ぐらい言え。 「いいプレーでしたよ」 「……やめて下さい」 レロシャンは苦笑して、頭を横に振った。 「結局は相手プレイヤーにケガさせちゃいました。そんなつもりじゃなかったのに」 「スポーツにケガは付きものでしょう?」 「相手にケガさせるために、サッカーやってるんじゃありません」 「分かってますよ。あなたはスポーツマンシップに則って、正々堂々とサッカーをしていました」 喋っている内に、現実感が戻ってきた。 思い知る。自分は退場した。退場させられるような事をした。 もうフィールドで試合をする事は出来ない。 まだいくらだって走れるのに。どこまでだってドリブルできるし、誰に向けてもパスを出せる。SPだってまだいくらでも残っている。 なのに、もう試合に出られない。 「……!」 泣いた。口惜しい。こんなに口惜しい思いをしたのは、本当に久しぶりだ。 歯軋りと、嗚咽と、涙と鼻水が止まらなくて、何かもう、グチャグチャ。 「レロシャンさん」 クレアが話しかけてきた。 「レロシャンさん、大丈夫ですよ?」 「……何がですか?」 「泣く事なんてないんですよ」 「……どうしてそんな事言えるんです?!」 怒鳴った。 「クレアさんは最初から試合に出てないからそんな事が言えるんです! 私、もう試合出られないんですよ!? フィールドでサッカー出来ないんです!」 「私には、フィールドにいるレロシャンさんが見えるんですけど?」 「……はい?」 頭が真っ白になった。訳が分からない。何を言ってるんだろう、この人は? 「みんなが――白のみんなが背負っている、レロシャンさんの事がよく見えるんですよ。だから、きっと大丈夫なんですよ」 言われて、レロシャンはフィールドを凝視した。 遠くで忙しく動き回るプレイヤー達は、時折物凄いスピードで移動したり、異常な高さで跳ね上がったりしていて、見てて飽きない。 一瞬、白のプレイヤーのひとりと、確かに眼が合った。 16番。ネノノ。 (レロシャン) 声が聞こえた。確かに。 (ネノノ) (見ててね、レロシャン。ワタシ、ワタシ達、レロシャンの分まで頑張るから) (心配は無用です、16番さん) 別な白プレイヤーの声が聞こえた。2番。さっきのとは別の、蒼学のサッカー部の人だ。 (ちゃんと勝って来ます。だから見届けて下さい) (白の大砲、あなたの分も決めて来るよ) (勝ったら、一緒に焼き肉食べよーね) (勝って泣くのよ、いいわね?) ――気がついたら、また泣き出していた。 こんなの我慢できるはずがない。 こみ上げる嗚咽を飲み下したくて、手にあった紙コップの中身を一気に干した。 「……にがっ!」 「だってコーヒーですもの」 口に残る後味がおさまってから、「ごちそうさまでした」とレロシャンは頭を下げた。 「お礼は私じゃなくて、あちらの実行委員さんにどうぞ」 指さす方向を見ると、喫茶店のマスター然とした人が、こちらに向けてポットを掲げて見せた。 「あちらの実行委員の方からレロシャンさんに、伝言があるんですよ」 「どんな?」 「苦さの後に、心地よさと微かな甘みが残りませんか?」 「……言われてみれば、そんな感じもします」 「『それは、人生の味』だそうです」 しばしの間の後。 「私からも、あの実行委員さんに伝えたいがあるんですが」 「まあ、どんな?」 「『寒い台詞はモテませんよ』って」 「『キザ過ぎて鼻につく』って、私もさっき言ってやりました」 「あと、人生のおかわりください」 「いいですね。いくらでもありますよ」 クレアは答えて、手元のポットを持ち上げた。 「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」 ヴェルチェは立ち上がった。 「? トイレか?」 声をかけてきた近藤勇に、彼女は苦笑した。 「違うわよ。飛び入りしてくるっての」 「後半も大分時間が過ぎてるぞ。あんまり活躍はできんのではないか?」 「……まぁね。ただ、ちょっと来るモノがあってねぇ」 フィールドを見た。ついさっきまで白の13番がいて、今はもういないフィールドだ。 ――あれは事故だ。ヴェルチェもそう思った。 だが、事故を事故として審判にアピールする紅の7番の青臭さは、何と言えばいいのだろう? そして、号泣しながらフィールドから出て行った白の13番の痛ましさと言ったら。 (たかが球蹴り遊びでしょ?) ヴェルチェはそう彼女らに呼びかける。 勝っても負けても、何も変わらない。 それで何か強い武装なり特典なりが手に入るわけでもない。自分の所属する勢力がデカい面できるようになったり、対抗勢力の肩身が狭くなったり、なんて事もない。 ムキになる必要なんて、これっぽっちもない。この試合は、そういうものだ。 (だからこそ、みんなムキになるんだろうけどねぇ) 損得抜き、利害抜きだからこそ、試合参加者全員の力と心が試される。 そして、紅の7番と白の13番は、ヴェルチェに対してそれぞれひとつの答えを投げかけていた。 フェアプレーとか、一生懸命とかとか。言葉にすればひどく陳腐で青臭いけど、だから逆に心に響く。 (あたしにゃ、ないモノだからねぇ――) いや、昔はあったかも知れない。 だったらいつ頃なくしたんだろう? 「じゃあね、オジさん。一緒に観戦してて、楽しかったわ」 「うむ。健闘を祈る」 手を振り合ってから、ヴェルチェは観客席を下りて本部テントに向かった。 「飛び入りしたいんですけど」 「名前と所属、あと、どちらのチームかを教えて下さい」 「ヴェルチェ・クライウォルフ。波羅蜜多実業。チームは――」 少し迷った。が、本部テントからちょっと離れた所に、白チームのテントがあった。 テントの中で、がっくりとうなだれている女の子の姿が見えた。見えた瞬間、 「白」 とヴェルチェは答えていた。 ゼッケンを受け取り、着けながらフィールドに向けて走り出す。 こんなのは、自分のキャラじゃない。自覚はしている。 (――けど、たまには熱血してみようか?) 利害損得抜きで熱くなれるチャンスなんて、多分そうそう無いだろうから。