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春を知らせる鐘の音

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春を知らせる鐘の音

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 さて、そんな幸せいっぱいの空気が式場中に伝わったのだろうか。丘と低い山地が広がるルクセンブルクをモチーフにしたこのエリアも和やかな空気につつまれていた。再び走り出したエリオを追いかけていた人たちも次第にデートに夢中になったのか、小さなお客様が多くなる。
 なかでも嘉神 春(かこう・はる)は元気いっぱいに飛び跳ねて、無邪気に直へ飛びついた。
「仮面のウサギさん覚悟ーっ! あははっ、見てみてざっくん、ウサギさん捕まえたよー♪」
「あちゃー。エリオ、なんか1個投げたって」
 子供相手に本気で逃げ回るわけにもいかず、和やかに追いかけっこを楽しむ姿は春の陽気を楽しんでいるかのよう。しかし神宮司 浚(じんぐうじ・ざら)には都合が悪いのか、大きく手を振る春の腕を掴み直ににっこりと微笑んだ。
「ああ、すみませんねぇ。キミも結構お忙しいんでしょう? まあようするにですね……僕の春に触らないでもらえます?」
 春を引きはがすと同時に彼の耳を塞ぎ、いつもより幾分か低い声で直を威圧する。モノクルから覗く青い瞳は保護者的な庇護欲からくるものではなく、もっと静かで熱い炎をたたえているようだった。
「ざっくん、ウサギさんを捕まえるゲームでしょ? なんで離しちゃうの?」
「今度は春が逃げないと、ウサギさんに掴まったら卵にされるぞー」
 そんなゲームを始めた覚えはないのだが、目をキラキラさせている所を見ると春は簡単に信じ込んでしまったらしい。
「いよぅし、逃げるぞざっくん! ウサギさんに負けるなー!」
 きゃあきゃあと逃げる春たちに和やかな笑顔を零す直たちを、遠目から見る2つの影。
「……ふぅ、やっと子供は離れたか」
「今なら気を抜いている。次の場所へ向かう前に先手を――」
「ああ、きっちり取り返して……って、朔!?」
 気配を消していた椎堂 紗月(しどう・さつき)は、確かにイースターエッグを取り返すために全力投球で望もうと、準備運動をしながら機会を伺っていた。それは彼女も同じだと思ったのだが、同じように身を潜めていた鬼崎 朔(きざき・さく)はと言えば、このチャンスを逃してなるものかと、背後からエリオに向かって走り出す。
(あれは……私の想いそのものなんだ。何としても、取り返す!)
 デートのつもりで桜柄の着物を着付けてきたが、幸せな時間を邪魔するものは容赦しない。朔は足下がはだけるのも気にせず突っ込み右手に力を込め、静かに祈りの言葉を呟く。その気配にエリオが気付き構えるより早く、左手で印を組み間合いへ滑り込む様に足を大きく開いた。
「なっ……!」
「散れっ!!」
 パンッと左手へ右手の拳を突き当てれば金色の光を放つ。拳を中心として広がるそれには神々しすぎて恐れすら感じられ、出遅れたエリオはそのまま薙ぎ払われる右手から繰り出される光の刃を受けた。広範囲に広がる技は直も平穏に揺れていた花々をも巻き込みながら、服の切れ端や花びらを風圧で舞上げていく。
「つっ……まさか、ここまでされるとはなぁ。丸腰で来たんは失敗か」
「大人しく、私と紗月の卵を返してもらおうか」
 にじり寄ってくる朔を前に体勢を整える直は、戦闘モードの彼女をどう説得するか考える。もちろん大きな武器は置いてきてあるとはいえ、それらが無くとも応戦することは可能だ。しかし現実的に考えて、式場や他の参加者への被害を考えると、ここで戦うことに意味はない。
「朔っ、ストップストーップ! ウサギを捕まえるとは言ったけど、これって鬼ごっこだよな?」
「全力で捕まえないと、逃げられると思って……。紗月だって『やるならトコトン』って言ってた、し……」
 恋人に止められて落ち込む様子は普通の女の子で、落とした視線に着崩れた着物が映ると朔は慌てて裾を整え始めた。自分の口癖を引き合いに出されたら、怒ることだって出来ない。お互いに交換することを楽しみにしていたイースターエッグだけれど、彼女がこんなにも真剣になるくらい大事な思いを詰めてくれたと思ったらなおさらだ。
「それで、ここが壊れちゃったらどうするの? 朔のお嫁さん、楽しみにしてるんだけどな」
 簡単に彼女の戦闘モードを解いてしまうのは彼氏のなせる技なのか。恥ずかしそうに紗月の胸を叩く朔に安心しつつ、話しかけるタイミングを待ってて良いものかと直はまともに攻撃を食らってのびているエリオの介抱に向かう。
 しかし、そこへ再び殺伐とした空気を呼び戻す一声が聞こえてきた。
「ウサギがいたぞーっ! しかも、中身を取り出してる!!」
 大声で叫ぶスレヴィ・ユシライネン(すれう゛ぃ・ゆしらいねん)の指差す方向には、確かにウサギがいる。足下にいくつもの卵が転がり、中には食べかけのお菓子まで。この状況だけを見れば、確かに卵泥棒のウサギに見えるのだが――アレフティナ・ストルイピン(あれふてぃな・すとるいぴん)
はスレヴィのパートナーだ。
「それはあんたのためのお菓子じゃないっての! 何やってんの? うわっ、食べちゃってるよ。いけないんだー!」
「いったい何を言ってるんですかっ! これはスレヴィさんが集めて……って直さぁあああん! 違うんですぅうう」
 なんとか助けを呼ぼうと両手を振るも、まるっこいウサギの姿でアピールすれば愛くるしいだけ。いや、もしかしたら一部は……。
「随分余裕のあるウサギだな。さあ、今度こそ返してもらうぞっ!!」
「違うんですってばー!!」
 泣きながら逃げ惑うアレフティナを遠慮せずに追い詰める朔。そんな元気な彼女を見て苦笑する紗月は、ふと飛んで来た小鳥を見る。梢にとまるのかと思ったら、巣に帰ってきたところらしい。しかし、その中にははみ出るようにして並ぶ、黄色い星柄の卵と月と蝶の紋様が入った卵。裏側に桜の模様も入っていれば、間違いなくそれは自分たちのものだ。
「……さて、しっかり結ばせてもらいますか」
 いつから繋がっているのかはわからないけれど、運命の赤い糸はあると思う。前にもやったけれど、そのときと今では状況が違うから、再確認してみたい。自分の声に振り返るはにかむ彼女を、いつまでも繋いでいられますように。そんな願いをこめた卵が無事に見つかり、攻撃の手をやめたものの、アレフティナは走り去ったまま帰ってこなかった。
「真城、大丈夫か? 酷い目に遭ったな」
「それほど大事な物が入ってたんやろ。気持ちはわからんでもないし」
「いやいや。そっちもだけど、その耳も。もしかして、イエニチェリの間で流行ってんのか?」
 だとすれば、どれだけ心の負荷が軽かったか。なんの前振りもなく突然つけられた耳、もしイエニチェリで流行っていたら……。
「……それだけは、ない。何がなんでも僕が阻止する」
「ま、記念撮影って雰囲気でもなくなったし、機会があったら撮らせてくれよ」
「こーいう機会は2度となくてええわ、めっさ恥ずかしいし。せや、手ぇ空いとったら薬箱もらってきてくれへん?」
 任せろと言わんばかりに走って行くスレヴィを見送り、直は1人ため息を吐く。あれからかなりの時間が経ったと思うが、紛失した卵については何の報告もない。しかし、行く先々で本人の元へ戻っているような様子も見受けられる。
(やるとしたら……まあ、性格から考えても間違いないやろなぁ)
 犯人の目星をつけつつも問いたださなかったのは、まだ鬼ごっこの範疇であったから。今後も今回のように攻撃を受けるとなっては、こちらも対策を立てなければ被害が広がるばかり。直はもう1度、深い溜め息を吐いた。
 さて、直が追いかけてくると吹聴された春はといえば、追いかけっこから逃げるため、浚と共に人の気配がなく見つかりにくいところへと逃げ込んだ。
「ねえねえ、ウサギさん追いかけてきてるかな」
「なーに。春はウサギさんが気に入った?」
 あちらこちらにデートをしている人が溢れているが、エリアの境目になる高い木の下にはさすがに誰もおらず、2人は息を潜めている。けれど、何も起きないのは退屈なのか、エリオからもらったイースターエッグを手に外を眺めようとする。けれど、浚にしてみれば都合の良い場所に連れ込めてご満悦のようだ。
「んー。だってさ、ざっくんの分貰えなかったし。ざっくんはウサギさん捕まえなくて良かったの?」
「俺の腕は、春を捕まえるためにあーるの」
 抱き締めてキスをして。くすぐったいと笑い出す春に、妖艶な笑みを浮かべながら彼らしいスキンシップをとるのだった。
 騒動の大きかったルクセンブルクの庭園から逃れるように、邸宅内へと飛び込んでくる2人。天司 御空(あまつかさ・みそら)はしっかりと彼女の手を取って走り続け、室内へ入ると窓際に身を寄せて静かに外の様子を伺った。
 身を呈してまで守ってくれるというのは女の子としては嬉しいもので、水鏡 和葉(みかがみ・かずは)は穏和な御空が凜とした表情で気配を伺ってる様子を飽きずに眺めてた。
「どうやら、ここまでくれば安心みたいですね……っと」
 迷子になりやすい彼女を置いてくることのないように手を繋いだ記憶はあれど、守らなくてはという意識から抱き締めていたとは思わなかった御空は、思わず両手を離して1歩後ずさる。和葉もまた、ずっと眺めていたことに気付かれたのではないかと頬を赤らめて視線を逸らすから、御空は大胆なことをしてしまったのかもしれないと同じように顔を赤らめた。
『あのっ……!』
 なんとも言えない沈黙を払拭しようと、勇気を持って声をかける。しかし、タイミング良く重なった声と視線に赤味の残る頬がまた少し熱くなった気がする。互いに譲り合うようにして話を切り出せないから、御空は壁に飾られてあったポスターを小突いた。
「このような服がお好きであれば、見に行きませんか?」
 そこには胸元の開いた純白のマーメイドドレスを着て人形のように微笑む花嫁が映っており、シフォンのふんわりヴェールにちりばめられているラインストーンがキラキラと輝く様子に、和葉も憧れの眼差しで見る。こんな些細なことで嬉しそうな顔を見せるから、御空は早くドレスを見せてあげたくて、和葉の手を取り展示室まで歩き出した。
「綺麗ですよね、ウェディングドレス。やっぱりこう言うのって憧れたりするものなんですか?」
「そうだね……女の子は憧れるんじゃないかな?」
 呟くように添えられた「ボクも……ね」という言葉は御空にはまだ、聞こえなくていい。ふわふわと不確かなこの気持ちを、もう少し自分の中で見つめ合っていたい。
 長い廊下を歩く途中で御空が呟いた結婚式で唱えられる誓いの言葉。その考え方に共感を示しながらも、まだ手を繋ぐことで精一杯な2人は、ピンク色のチューリップが花開く瞬間のように初々しい笑顔を見せていた。