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リアクション
浦深益代の胸のうち
「魔女子さんじゃないか。浦深益代って、魔女子さんのことだったのか?」
毅にまっすぐ見据えられた益代は、その視線から逃れるように、帽子をぎゅうっと引っ張って顔を隠した。
益代の行動を反映したように、操られていた人々も、びくっと身を縮ませて硬直する。
「占いの館の主って、あんたの知り合いだったのかい?」
千代が素っ頓狂な声を上げた。
「ああ……そうみたい。本名は知らなかったし、顔もよく見たことないけど、でもよく知ってるよ。……なあ、魔女子さん?」
「しっ……しらない……。わっ、わたし、しらないっ……」
声を裏返らせながら、益代が言う。
先ほどまで戦いを続けていた全員が、武器を下ろし、息を切らして、益代と毅の間で視線を言ったり来たりさせた。
「知らないなんて、ひどいなぁ。図書室で、よく勉強教えてくれただろ? テストに出る問題とか、あと、バスケの試合のこととか、ぴたり言い当ててくれたりもして、俺ずいぶん助けられたじゃん」
「でたらめよ……そんな、そんな占い、でたらめよ」
「ほら、やっぱり魔女子さんだ。名前も顔も教えてくれなかったからわかんなかったけど、その格好と声があれば、いやでも分かるよ」
「う、う、う……」
益代が、ぺたんとその場にへたり込んだ。
瞬間、
「はくしょんっ!」
くしゃみとともに、部室の隅で一人の女子生徒が立ち上がる。
「あり……? 私、なにしてたっけ?」
「……!? どうして、わたしの呪いがそう簡単に解けるわけないのに……」
震える声で、益代がうめいた。
「呪い……? ああ、そっか、私、益代さんに……」
小谷 愛美(こたに・まなみ)は、まだぼんやりとした眼差しのまま、へたり込んだ益代を見据えた。
「益代さん?」
静かに、愛美が言った。益代の肩が、かすかに跳ねた。
「どうして、私や、ほかのみんなを人形にしたの? どうして、正々堂々話をしてくれなかったの? ちゃんと話してくれないとね、さすがに私でもね……――怒るよ?」
愛美の言葉は、どこか冷たく、部室に響いた。
益代は答えない。ただ帽子を深くかぶって、へたり込んだままだ。
「ただの嫉妬だよ、愛美さん。こいつは、告白する勇気はないくせに、梅木君を取られるのはいやだからって、みんなを人形にしたんだ」
ミルディアが、蔑むように益代を見下ろした。
「正々堂々なんて、こいつにできるわけない。臆病で、卑怯で、自分勝手で、横暴な――……」
「彼女を悪く言うな!」
ミルディアの言葉を、朔の叫びがさえぎった。
赤い刃の光条兵器を握り締め、朔はまっすぐミルディアを睨む。
「知りもしない相手を罵るのはやめろ。益代さん……もう、隠すことはないだろう。こいつらに、好き勝手言わせておくことない!」
「……」
益代は、朔に促されるようにして、ゆらりと立ち上がった。
エンシャントワンドを、窓に向ける。
ほとばしった炎が、暗幕だけを綺麗に焼き払った。
夕焼けの真っ赤な光が、部室を明るく照らし出した。
「……恵まれたあなたたちなんかに」
益代は、顔のヴェールをはずして、帽子を掴む。
「綺麗で恵まれたあなたたちなんかに、分かったようなこと言われたく……ないッ!」
益代は帽子を放り捨てた。
生白い益代の顔が、夕日にさらされて赤く染まる。
――じわっ。と。
益代の顔に、まるでミミズが這うように、緑色の文様が走り始めた。
朔が、痛みに耐えるようにうめいた。
毅が、ごくりと息を飲む。
「これが、わたしの顔よ。毅様」
顔全体におぞましい文様を浮かばせた益代は、泣きそうな顔で笑った。
血色の夕日に照らされて、どくん、どくん、と鼓動のように波打つ文様は、益代の瞳と同じ蛍光グリーンだ。
「なによ……なによ、それ」
ミルディアがつぶやいた。
「呪いよ。……もう、600年以上も前のことになるわ。わたしが、初めて不死の魔女になったとき、体中に浮かび上がってきたの」
益代はマントもはずした。
薄く透けるワイシャツ、露出した腕と足にも、ヘビが這うようにびっしりと、緑色の文様がうねり、脈打っている。
「気色悪いでしょう? おぞましいでしょう? 何言われても平気よ? 汚い言葉には慣れたもの。パラミタに来るまでの間、魔女は身を隠さなきゃいけなかったけれど、わたしはこの文様のせいで隠れられやしなかったから、出会うすべての人に忌み嫌われて罵られたわ。同族の魔女たちにさえ」
くすくす、と、益代は歯を見せて、壮絶に笑った。
「600年の間に分かったのは、この文様が、光の当たらない場所では浮き上がってこないってこと。帽子とマントとヴェールで身を隠して、あらゆる人の目を避けて生きるようになってからは、ほんの少し、生きるのが楽になったわね」
益代は、ふと口元から笑みを消し、ミルディアに歩み寄った。
ミルディアがかすかに震えた身体をこわばらせて、身構える。
「わたしを臆病者と言ったわね、あなた。そのとおりよ。わたしは臆病者。大好きな人に、ありのままの自分を見せることすら出来ない。告白なんか、できっこない。だって、わたしなんかを誰が選ぶというの?」
ぐっと、喉の奥で言葉を詰まらせて、ミルディアはうつむいた。
その後を継ぐように、千代が益代を見据える。
「ずいぶん冷たい連中にばかり出会ってきたんだねェ。たしかに、あんたが誰も彼もを恵まれていると思う気持ちは分かるさ。見た目の上では、確かに私たちは恵まれてる。……けど、見た目がどんなにおぞましくても、心がまっすぐなら、あんたを愛してくれるやつだっていたんじゃないのか? なのにあんたは……」
「そうね。まっすぐに堂々と、生きようと思った時期もあったわ。……迫害にあって、ひどい火傷を負って、命からがら逃げ出したときに、山小屋で猟師がかくまってくれた事があったの。彼は、わたしが魔女と知っても、わたしの文様を見ても、決してわたしを嫌いにならなかった」
益代は、文様のうねる右手を開いて、眺めた。
「彼はわたしに聞いてくれたの、ほしいものを言ってごらん、って。わたしは、抱きしめてほしいと言ったわ。わたしのパパもママも友達も、みんなとっくに寿命で死んでいたし、魔女たちはわたしを嫌っていて、もう何百年も、わたしは人のぬくもりを感じていなかったから。お安い御用、と言って、彼はわたしを抱きしめたわ。……そして、動かなくなった」
益代は、突然ミルディアの頭を掴んだ。
ミルディアはとっさに動くことが出来ず、そのまま、動くことが出来なくなった。
益代の手に這っていた文様が、見る見るうちにミルディアの肌に移っていく。文様はミルディアの身体を縛り付けるように広がって、やがて皮膚の下に浸透して消えた。
益代はミルディアから手を離した。いくばくか文様の減った右手には、すぐに新しい線が這い登ってくる。
ミルディアは、驚いたように目を見開いたまま、まるで人形のように固まっていた。
「わたしの呪いは感染するの。文様の浮き上がったわたしの肌に他人が触れると、呪いがあっという間にそいつに浸透して、人形に変える。わたしの意志で、呪いはわたしの身体に戻ってくるけれど……件の猟師は、わたしがなんとか人形化を解いた途端、猟銃でわたしを撃って追い払ったわ」
益代は自嘲気味に笑って、ミルディアの額を指で小突いた。
複雑な文様で編まれた、蛍光グリーンのヘビのようなものが、ミルディアの額からうねり出てきた。ヘビは益代の首に噛み付いて、無遠慮にその体をうずめていった。
はっと、意識を取り戻したらしいミルディアが、益代の前から飛び退いて離れた。
「そのとき撃たれて、死ねればよかったけど、魔女はそう簡単には死ねなかった。外で好きな人と会うことも、手をつなぐことも出来ないこんな身体、早くなくなってしまえばよかったのに」
「魔女子さん……っと、益代さん、そんなこと、言うなよ」
うめくように言った毅に、益代は微笑んだ。
「優しいのね、毅様は。顔も見せる気もないし、話す気もないわたしに関わって、「またな」なんて言ってくれたの、600年のなかであなた一人きりだったわ。占いもね、あなたに飽きられないために覚えたのよ。付け焼刃だけど」
くすり、と益代は笑った。
「そんな占いも……あなたに思いを寄せる女の子たちを心変わりさせるために……毅様とは相性が悪い、なんて嘘を吹き込むために使ってしまうだなんて……。我ながら見下げ果てたものだわ」
かぶりを振って、益代は愛美に視線を投げた。
「愛美さん、あなたは特に恨めしかったわ。あなたほどまっすぐに、物怖じせずに気持ちを伝えられたなら、はかない願いだけれど、あるいはわたしも……」
「私、物怖じするよ?」
愛美が、怒ったように言った。益代が目を見開く。
「私、物怖じするよ。私には確かに、益代さんみたいに迫害されたことはないけどさ、人と違う模様はないけどさ、それでも、いつだって怖いよ。この人のどこまで踏み込んでいいんだろうって、いつだって迷ってるよ」
つかつかと、愛美は益代に歩み寄った。
「でも、私は怖くたってぶつかるよ。ウザがられるかも知れないけど。ウザがられたことだってあるけど。でも、ぶつかるのをやめようとは思わないよ。私は、何かして後悔するより、何もしないで後悔するほうが、ずっと嫌だから」
愛美の手が、益代の手に伸びた。
周囲の誰が止めるより早く、愛美は益代の手を掴んだ。
「私には呪いはないけどさ、でも、好きな人に触れるのは怖いよ。傷つけるかもしれないし、傷つくかもしれないのは、私も同じだもの。益代さんは、私の何十倍、何百倍も、人生で悩んできたと思うよ。けど、梅木くんとの事に関しては、私、益代さんが悩んだのと同じくらい悩んだ自信、あるよ」
益代は、あわてて愛美の手を振り払った。
「でも……でも、あなたには毅様がいなくても、次の恋があるじゃない。それに、きっと失恋しても慰めてくれる人たちがいるじゃない。……でも、わたしには毅様しかいないの。毅様の「またな」が、たったひとつの、宝物なの……」
ふらふらと後ずさった益代を、後ろから朔が抱きしめた。
カリンが、のぞみが、綾乃が、益代の腕を掴む。マッシュまでもが、どこかつまらなそうに、益代の肩に触れた。
「益代さんが失恋したら、自分が慰めますよ。益代さんの気持ち、自分には分かる自信があります」
朔が、力強く言った。
「益代師匠ー。私、また蒼空に遊びに来ますよ? んでイルミン帰るときには、気が済むまで「またな」って言いますよ?」
綾乃も、気遣わしげに言う。
触れ合った肌からじわじわ広がっていく緑の線は、まるで益代の身体に引き戻されているかのように、広がるのが遅かった。
「いまさら……もう遅いのよ……」
益代が、絞り出すような声で言った。
「こんなに、悪いことしたんだもの。こんなに、いろんな人を傷つけたんだもの。もう、後戻りなんて出来ないのよ。毅様にも、きっと嫌われて……」
「決め付けるなよ」
毅が、声を張り上げた。
「俺は、魔女子さんにまた「またな」って言うぜ? たとえその文様を見たって、たとえ魔女子さんがどんな悪人だと分かったって、たとえ俺に恋人が出来たって、魔女子さんに恋人が出来たって、俺は会うたび魔女子さんに「またな」って言うよ」
「毅……様……?」
益代は、膝から下がなくなったかのように、その場にへたり込んだ。
綾乃と朔が、両脇から益代を支える。
「ごめんなさい……」
搾り出すように、益代は呻いた。
「ごめん……なさいっ……わたしっ……」
肩を揺らして、益代はしゃくりあげた。
「わたしは……わたしは、償えるかしら……。わたしが傷つけたすべての人に……」
「もっちろんですよ!」
綾乃が、明るく笑って言った。
「わたしは……わたしは、あなたたちや、毅様に、「またな」って言ってもらっても恥ずかしくないような人に……なれるかしら……」
朔が、ゆっくりと頷いた。
「もちろん、なれるに決まってる。益代さんが言ってたんじゃないか、「運命なんて、本人の心がけ次第でいくらでも変わる」って」
蛍光グリーンの瞳からエメラルド色の涙をこぼして、益代は弱々しく、けれどはっきりと、頷いた。