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リアクション
幕間『想いのチカラ』
「ふん、ふんふんふん……」
鼻をひくつかせた朝野 未沙(あさの・みさ)は、おもむろに、暗幕の奥へ顔を突っ込んだ。
薄暗い部室のなかで、またひとしきり鼻をひくつかせて、未沙は「うん」と頷いた。
「間違いない、ここだ」
「ビンゴですかーぁ?」
のんびりした朝野 未那(あさの・みな)の声に、未沙は振り返らないまま頷いた。
「待っててね、愛美さん。今あたしが助けるから」
部室に滑り込み、また未沙は鼻をひくつかせる。
未那がのんびりと部室に入ってくるころには、未沙は無数の人形の中から、愛美人形をあやまたずに見つけ出していた。
最終確認のために、未沙は愛美のうなじに顔をうずめて、栗色をした髪の匂いを嗅いだ。ふくよかでかすかに甘い、頭の芯がきゅんと痺れるような香りを、未沙は肺がいっぱいになるまで吸い込んで、「役得ぅ――……」とつぶやきながら吐き出した。
「おー。お手柄ー」
ぱちぱちぱち、と未那が手を叩く。
未沙はうなじから顔を離して、硬直した愛美の顔をまっすぐ覗き込んだ。
「愛美さん……こんなカチコチの表情にされて……。愛美さんは、まぶしいくらい笑ってなきゃ、愛美さんじゃないのに……」
「その人形ー、本物なんですかぁー?」
未那の問いに、未沙は力強く頷いた。
「間違いないよ、この匂いは愛美さんだ。……いや、舐めてみないとホントのところはわかんないかも?」
「姉さんー。動けない愛美さんを辱めるのはNGでーす」
「じょっ、冗談だよ。あはは」
ひとしきり笑ってから、未沙は表情を引き締めた。
「……ねえ未那。眠り姫ってお話、知ってる?」
「白雪姫でもー、いいんじゃないですかーぁ?」
「ふふ……そうだね」
微笑んで、未沙は硬直した愛美の頭に触れた。
自らは決して輝かない、笑顔の消えた愛美の瞳をまっすぐ見据え、未沙は息を潜めた。
「どんな呪いをかけられたかは知らない。もしかしたら、死ぬような呪いかもしれないよね。一生、人形のままの呪いかもしれないよね。喉にりんごを詰まらせたような、甘い呪いだとは思ってない。……けど、それでもいい」
意を決して、未沙は愛美に顔を寄せる。
「あなたにかかったすべての呪いを、あたしに頂戴。あなたがもう一度笑ってくれるのなら、あたしはどんな呪いだってもらうから。……愛してるよ、愛美さん」
目を閉じて、未沙は愛美にそっと口付けた。
テーブルに口付けるような、固く冷たい感触だった。
不意に、唇にぴりりと刺激が走った。緑の火花が、閉じたまぶたの裏でばちっと散った……気がした。
未沙は顔を離した。愛美の目は見開かれたまま、身体は硬直したままだった。
「だめ……なの……?」
震える指で、未沙は愛美の唇に触れた。
さっきまで、作り物のように固かったはずの唇。
けれど、未沙の指には、確かな弾力が伝わってきていた。
「愛美さん!? ほんの少しだけれど……呪いが解けて……?」
「そこまでよ。その人形から離れなさい。この子が壊されたくなかったらね」
背後からした隙間風のような声に、未沙はあわてて振り返った。
薄闇の中、蛍光グリーンの瞳と、生白い肌がぼんやりと浮かんでいる。
夏用の薄いワイシャツとミニスカートに身を包んだ益代が、人形のように硬直した未那を抱きすくめていた。
「未那ちゃん!?」
「うごかないで」
益代が、硬直した未那の頬に指を這わせた。
未沙は、駆け出そうとした足をひたと止めた。
「……あんたが、愛美さんのことをこんな姿に?」
「そうよ」
「何が狙いなの!?」
「手を出しちゃいけない人に手を出したから、お仕置きしたまでよ」
未沙ははっとした。
「……あんた、浦深益代ね!」
「そーよ。よく分かったわね。占い希望者じゃないんでしょう?」
「占いなんてどうでもいいけど、あんたが梅木に片思いしてたって噂なら知ってるわ。……じゃあ、あなたは愛美さんを梅木毅から引き剥がすために、こんなことしたの?」
「……ええ、そーよ」
不愉快そうに目を細めて、益代は言った。
未沙の頭の芯が、すうっと冷えていく。
「……じゃ、愛美さんが梅木毅と縁を切ったら、あなたは愛美さんを元に戻すの?」
益代が目を見開いた。
未沙はそれを「イエス」と受け取り、きびすを返す。
「梅木毅を呼んでくる。それで、あんたとの仲を取り持つよ。したら、愛美さんも未那ちゃんも元に戻してくれるんでしょう?」
「毅様を呼んでくる……ちょっと、まちなさい」
「あたしが帰ってくるまでの間に、愛美さんや未那に手を出したら……ひどいからね」
捨て台詞ひとつ放って、未沙は部室を飛び出した。
長い廊下を、未沙はスカートが翻るのも気にせずに走り出す。
「梅木毅のクラスはたしか……んっ!?」
未沙の両足が、まるで油の切れた機械のようにぎしりときしんだ。
あっと思う暇もなく、未沙は転んで床を滑った。
「い、つ、つ……」
起き上がろうと、未沙は床に手を着く。
肩も、肘も、指の関節一つ一つまでもが、きしぎしと不自然に軋んで、今にも錆びついて動かなくなりそうだった。
「く、そっ……」
無理やり身体を動かして、ゆらりと立ち上がっただけで、未沙は冬だというのに汗だくになった。
「なによ……これ……」
未沙は、ぎしりと膝に手をついた。
肌の露出した手や、太ももに、おぞましい緑色の文様が浮かび上がって、脈打っている。
「これ……愛美さんからもらった呪い……?」
それなら本望だ。未沙は微笑んだ。
口の端がびしりと引きつる。文様は、顔まで及んでいるらしい。
「……急がなきゃ」
動かすたびに折れそうなほど軋む足を無理やり動かして、未沙は汗を垂らしながら歩を進め始めた。