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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に

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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に
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SCENE 10

 さてこちら戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)の店は、目を見張る利益率になりそうだ。
(「縁日といえば食い物屋台と思われるが、利益の事を考えると思ったよりも器具や材料に原価がかかってしまい、売り上げは高いかも知れないが儲かるものではない。だからといって材料費をケチるとダイレクトに味に反映されるので、繁盛とは程遠いものになってしまう……」)
 彼はシャンバラ教導団の所属、蒼空学園でもイルミンスールでもないので、純粋に高い利益を出そうという一心で頑張っている。
(「利益のみに主眼を置くならエリザベートの方がいいだろう。しかし、水風船ヨーヨーはそんなに売れるものでもないはずだ。ゆえに俺が選んだのが……これだ!」)
 小次郎の店、それはくじ引き屋だ。
「最小限の支出で最大限の利益を上げる! それを実現できるのはくじ引きしかない! 利益率は景品の数とくじの数で決まってくるので、目玉商品を絞ってある意味レアな商品を並べれば集客はできるはず」
 思っていたことがなんとなく口に出てしまっているが、彼は気づいていない。
 ふっ、と顔を上げて呼び込みに精を出す。
「刮目! 刮目! 当店の目玉はセイニィ人形にパッフェル人形、いずれも驚くほど本人に似ているという精巧なフィギュアだ。リーブラランジェリーに萌えるも良いだろう。他にもアッと驚く商品が揃っているぞ! しかも、空くじなしだ!」
 といっても最下位の景品は一口チョコだったりするわけだがそれは伏せておく。
「当方は今夜限りの店だからな、当たりを入れないなどというインチキは無しだ。さあ来たれ挑戦者たち! 引かなければ当たらないぞ!」
 一回当たりの金額が安いこともあって、いつしか店には人だかりが。小次郎は含み笑いした。利益最大店という名の栄誉、どうやら手に入れることができそうだ。

 小児用プールに浮かぶのは、ラベルの無いペットボトル。いずれも350ミリリットル用、プールには氷も浮いており、よく冷えているようだ。
 赤、黒、白、透明、紅茶色……五種のドリンクがあるようだ。ただしその正体はわからない。
「ようこそ、ロシアンドリンクの夜店へ」
 店主は毒島 大佐(ぶすじま・たいさ)だ。やけに芝居がかった口調で告げる。
「五色それぞれ美味なるドリンクが入っているのだよ。味は保証する……ただし『当たり』を引かなければ」
「当たり? それに、ロシアってどういう意味なんですぅ?」
 メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)は訊き返さざるを得なかった。
「説明が足りなかったようで失礼。ロシアンルーレットの要素が混ざっているから『ロシアン』なのだ。つまり、『当たり』は危険なブツが入っているということだ。赤も黒も、いやすべての色に、それぞれ一本だけ、他と見分けがつかないものの、楽しい夏の思い出となって未来永劫語り継がれるような特製ドリンクを混ぜておいた。まあ、楽しいのは傍らで見ている人だけという説もあるが、な」
 悪い予感がしてきたメイベルは、やめませんかと提案しようとしたものの、それより先にシャーロット・スターリング(しゃーろっと・すたーりんぐ)が声を上げていた。
「当たり外れがあるのもお祭の楽しみ、と聞きましたけど、こういうことだったんですね!」
 目が星灯りのように輝いている。シャーロットにとっては、これが初の夏祭り、目に入るものすべてが珍しいのか、もう今日はずっと浮かれっぱなしできょろきょろと、周囲を見回しては興奮気味な様子を見せていた。
「あー、なんていうか、屋台の食べ物を色々と食べるのは醍醐味だけどね……その、罰ゲームみたいなものに挑戦するのはどうかと……」
 セシリア・ライト(せしりあ・らいと)は苦笑いして、回避すべきだと暗に言うのだ。
 ところが、そんなセシリアを左右から挟むようにして小児用プールにしゃがんでいたイースティアとウェスタルのシルミット姉妹が、
「面白そう! やろうよセシリアお姉ちゃん」
「そうだよー、やってみようよー」
 と、二人して両側から腕を引っ張るのである。
 シルミット姉妹というのはイルミンスールの生徒、鮮やかなブルーの髪をした十二歳と十歳の二人だ。シャーロットたちとは色々と縁があり、今日も待ち合わせて、この会場を一緒に回っている。姉妹は二人して妙にセシリアに懐いており、ほとんど専有物のように、ぴったりと彼女にくっついているのだ。
「ちょっとちょっとこれ、ハズレ……いや、この場合『当たり』になるの? 引いたらかなり危なそうじゃない?」
 セシリアは困ったような表情でぐるりとメイベルたちを見回した。
 メイベルも、シャーロットも、そしてセシリアも、お揃いの浴衣姿だった。桃色の生地に花火を散らした柄、白銀色の帯という組み合わせだ。そっくりだがそれぞれ花火模様の散り方が違っており、メイベルのそれは儚げな雰囲気、シャーロットは流麗で、セシリアは力強いものとなっている。同じ姿の少女がもう一人、それはフィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)だ。
「さてさて、どうしたものでしょう? わたくしは別に、やっても構いませんわよ。まさか当たりでも、毒が入っていたりはしないでしょう」
 なお、フィリッパの浴衣の柄は、優雅という言葉の似合う雰囲気だった。
「ふふ、人生の刺激にはなるだろうが健康に影響はないだろう。いや、それどころか逆に、味はともかく一層健康になりそうな『当たり』もあるぞ」
 大佐はそう言って、プールにさらに氷を足した。
「メイベル〜、どうしよう〜」
 シャーロットは乗り気、シルミット姉妹にはせっつかれるし、フィリッパも構わないと言う。こうなってはメイベルに止めてもらうしかない! と一縷の望みをかけてセシリアはメイベルを見るが、幼い姉妹とシャーロットに希望されては、心優しいメイベルも断ったりはしないのだ。
「そうですねぇ……まあ、当たらないよう祈るとしましょうねぇ」
 くすりと笑顔で、メイベルは白いボトルを選んだ。各メンバー選択を終え、いよいよ実飲……の前に、
「いいですか、ここ」
 メイベルの隣の空間に、音もなく入った女性があった。
(「綺麗な人……」)
 メイベルは瞬時、見とれてしまった。年齢はメイベルよりやや上くらいだろうか。細身の、ぞっとするほどの美貌を持つ女性だった。長く伸ばした菫色の髪を、まとめることなく浴衣の上に垂らしている。切れ長の瞳には妖艶なものが感じられた。
 ……ただ、その美しさは、どこか人間ばなれしたもののように感じた。
「わたくしも、ひとついただいてよろしいでしょうか」
 大佐にお金を手渡すと、菫色の髪の女性は黒いボトルを選んだ。
「それでは、一斉に」
 シルミット姉妹もメイベルたちも、そしてその女性も、躊躇せず一気にドリンクをあおった。
「おいしい……」
 とメイベルがつぶやいたのは白いドリンク、これは乳酸菌飲料だ。
「炭酸飲料? 甘くておいしいです」
 シャーロットは赤のドリンクを選んでいた。これは、ラムネに食紅で色を付けたものだという。
「これはアイスティーですね。いいお茶です」
 フィリッパも危険物は回避できた模様。悠然と楽しんでいる。
「スッとする飲み物だよー」
「これ知ってる! ドクターヒャッハーっていう炭酸ドリンク! きらいな人もいるみたいだけど私は好きー」
 イースティアはトニックウォーター、ウェスタルはその炭酸ドリンク、共にセーフだ。
 ……で、
「ぶばっ! なんだよこれ! すっっっごく苦いんだけど!」
 舌に強烈な苦みを覚え、セシリアは咳き込んでいた。
「それはセンブリ茶だな。食欲増進、消化不良に効能がある漢方茶なのだよ。健康になれることだろう」
「もう! なんか僕こういうの当たる気がしてたんだー。唇にまで苦さが残ってるよー、ぺっぺ」
 セシリアの背を、シルミット姉妹がさすってくれていた。
「おいしくいただきました。それでは」
 菫色の髪の女性は、楚々と立ちあがり一礼して、その場を去っていった。ペットボトルは空である。
(「おかしい……?」)
 実はこのペットボトル、当たりかどうかはキャップの形状で見分けることができるようになっており、毒島大佐は誰が当たったかどうか一目で分かるようになっている。確かに、あの女性のボトルの中身は、炭酸水で割った醤油のはずだ。顔を上げて探すも、すでに彼女の姿は消え失せている。
 フィリッパがデジカメを取り出した。
「はい、そんな皆さんの去りゆく夏の思い出を写真に納めますね。ささ、皆さん集まって下さい」
 まだ苦い顔をしているセシリア、そんな彼女を囲むように、メイベル、シャーロット、シルミット姉妹が笑顔を見せる。全員がフレームに収まるようにして、フィリッパはシャッターを切った。