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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に

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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に
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リアクション



SCENE 01

 銀の輪が回転する。ときおり小石を弾き、金属片を跳ねて火花を散らす。
 回転しているのはバイクのホイールだ。丁寧にカスタマイズされた特注品、夕の陽差しを反射して黄金色に輝いている。
 ホイールの向かう先は、まだ宵闇も訪れぬ蒼空学園、人もまばらな会場に颯爽と乗り入れた。
 回転が止まる。エンジン音だけが、獲物を狙う獅子のように鳴動を続ける。
「少し早かったか」
 黒いフルフェイスのヘルメット、そのバイザーを上げて長原 淳二(ながはら・じゅんじ)は周囲を見回した。
「いえ、もう準備が始まっているみたいですよ。設営を手伝ってみませんか?」
 淳二の広い背を抱くようにして、後部シートに収まるのはミーナ・ナナティア(みーな・ななてぃあ)だ。彼女は緋色のヘルメットをしている。
「そうだな」
 車スペースにバイクを駐め、淳二は駐ヘルメットを脱いだ。漆黒の髪が、解放された喜びを全身で示すかのように風に躍る。
「……」
 そんな彼を見上げたまま、しばしミーナは呆然としていた。
「どうかしたか?」
「え? べ、別に何も」
 慌ててミーナもヘルメットを外す。押さえつけられていた桃色の髪が、滝壺から溢れる水のように拡がった。
「行こう。まずはエリザベート校長に挨拶しておこうか」
「はい」
 歩き出す彼の背をミーナは追った。
(「やっぱり似てる……かも……」)
 心の中で呟く。
 淳二――彼が示すふとした仕草がときとして、ミーナにある人のことを思い出させる。
 初恋の、あの人を。いまはもう亡い彼のことを。

「そういやぁ、今年はろくりんピックの競技参加だったからこういった祭はあんま参加してなかったんだよな」
 甚平姿で風情を感じさせるのが、ラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)の立ち姿だ。暦の上では夏は終わっている。けれども猛暑の本年は、まだ長い残暑の尾を曳いていた。
「だからこそこの祭りを精一杯楽しみてぇ!!」
 よく日焼けしたラルクが笑うと、見える歯はまぶしいくらいに白い。
「腹、空かせてきただろうな?」
 どん、とラルクはその太い腕で相棒の肩を叩く。
「聞くまでもねぇ! 背と腹が付きそうなほどだぜ!」
 秘伝 『闘神の書』(ひでん・とうじんのしょ)も歯を見せた。
「へへ……折角の祭りだ。ずらーっとならんだこの露店を使って勝負といくか!!」
 祭の会場のいたるところに、大小様々な夜店があった。十や二十なんてレベルではない。見渡す限り店、店、店だ。正統派の屋台はもちろん、プレハブ作りの小屋あり、スタンド状のものもあり、百花繚乱と呼ぶにふさわしい。
 まだセッティングの途中とはいえ、ぽつぽつ営業を開始したところもあるようだ。さっそく、空腹を刺激する香が漂いはじめている。
「勝負? 中々面白そうじゃねぇか。おぬしなんかに負けるかってぇんでぃ!」
 闘神の書は腕まくりして応じた。
 すなわち、二人してこの夜店の料理を片っ端から食べ歩くという食い道楽合戦をしようというのだ。飲食店だけを対象とし、ひとつの露店に一品のみ選んで食べる! 胃がはちきれるほど食道楽して、先にギブアップしたほうの負けというわけだ。資金はしこたまあるので払いの心配はないだろう。聞けば今夜は、蒼空学園とイルミンスール魔法学校の両校が、その威信をかけて夜店の売り上げ勝負をしているという。両校均等に食べて歩いて、その本気っぷりを確認して回るというのも悪くない。
「よーし! まずはあの辺行ってみるか!」
「おうよ! どんと来い!」

 看板に描かれた真っ赤な果実、それはリンゴだ。リンゴにとことんこだわったリンゴ専門屋台、ザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)の店なのだ。
「リンゴの味を知ってもらう良い機会ですからね、頑張りましょう」
 リンゴ飴、焼きリンゴ、リンゴの砂糖煮……ザカコの手によりどんどんリンゴ菓子が誕生していく。早めに会場入りして始めていたから、ほぼ作業は終わりに近づいている。
「こんな食い方もあるんだな」
 その多彩さに強盗 ヘル(ごうとう・へる)は舌を巻きつつ、これをせっせと手伝っていた。
「そろそろ開店する店が出てきましたね。我々もオープンするとしますか」
「ああ、今日はリンゴづくしの夜になるぜ」
 ザカコが問うと、ヘルは親指を立てニヤリとした。

 初々しい二人は星渡 智宏(ほしわたり・ともひろ)時禰 凜(ときね・りん)、恋人と呼ぶには至らない彼らだが、並んで歩く様は、仲睦まじげでいい雰囲気だった。
「鏖殺寺院に人事部はあるのだろうか。何処に頼めば連中に夏休みをプレゼントしてやれるんだろう」
 誰に言うでもなく智宏はぼやいていた。今年の夏は異様なほど忙しく、ほとんど遊ぶことはできなかった。
「何か言いました?」
「いや……」
 智宏は凜に顔を向け、溜息をつくように言葉を継いだ。
「すまないな、結局この夏は空京の観光ぐらいしか出来なくて……浴衣も結局今日で最初で最後か」
 されど凜は首を振る。
「仕方ありません。本格的にイコンの運用が始まって、海京も慌しくなりましたから……浴衣も今日着れただけで十分ですよ、とっても気に入ってますから!」
 白地に折り鶴模様の浴衣だ。上品ながら活動的なイメージもあって、よく似合っていると智宏は思った。
「そう言ってもらえると救われるよ。さ、どの店を見たい?」
「えーと……」
 と独言しながら凜はその手を、そっと智宏の掌に伸ばした。
 胸が高鳴る。
 握ろうとした凜の手を、先に智宏が握ってくれたのだ。
 凜は頬を染めた。動悸は明らかに加速していた。絡めた指先からそれが、彼に伝わらなければいいのだが。
「あ、あれっ! 結構美味しそうじゃないですか?」
 繋いだ手を放さずに、凜は開店したばかりの屋台を指さした。
「待て待て、先に食べ物を買ってしまうと手が塞がる。まずはゲームでも楽しまないか?」
「それはわかりますけど、見に行くだけ見に行きましょうよ」
 繋いだ手を意識しながら、凜は智宏を引っ張る。ようやく訪れた二人だけの夏、夏の夜。今日は一日、彼のことだけを考えていたい。
 切なくて胸が、張り裂けてしまいそう。