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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に

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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に
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SCENE 23

 フリードリッヒ・常磐(ふりーどりっひ・ときわ)鷹野 栗(たかの・まろん)も、星空の下にて会話を交わす。
「偶然って、あるものですね」
「ああ。ちょうど学校の廊下で、今夜の祭のポスターを見ていたら」
「同じポスターを私も見ているところだったなんて……すぐ隣にフリッツさんがいるなんて思わなかった」
「僕もだよ。でも、偶然に感謝してる。……ここら辺で座らないか?」
 満天の星を眺められる位置に、彼らは並んで腰を下ろした。
 耳に聞こえるは、風や草木の音ばかり。星に満ちた天は、きらめくドームのようでもある。
「夏はもう終わりだね」
 フリードリッヒはぽつりと述べた。
「僕は秋が好きだ。とくにこの時期はいいね。遠方で雷音が轟いて、九月の雨が全てを洗い流すと、思い出の詰まった夏が終わる。すると秋の気配がそっと忍び寄る。心が静まり、深まってゆく感覚……」
「夏の終わり、秋の始まり。……好きですね、私も」
「いい夏だったね。暑かったけど」
「ええ。でも、だからこそ一層、夏を感じることができたように思います。
 夏は多くの命がみえるとき。子どもの頃は田舎に住んでいたので、蛍の光がよく見えました。他にも、一所懸命鳴いているセミ、うんと伸びたあさがお。靴も履かずあちこち駆け回って、夕方には縁側でスイカを堪能……懐かしい思い出です」
「かけがえのない子ども時代だったみたいだね。じき秋になるけど、秋にはどんな記憶があるのかな」
「秋は命が変化するとき。蛍もセミも姿を消して、木々も衣替えをする季節、赤に黄色に褐色に。
 綺麗な落ち葉を集めていたら、遠くの方に熊の子がいるのを見つけたり……今思うと、結構野生的な子供時代だったと思います」
 栗に頬に自然な笑みが浮かんだ。
 フリードリッヒは軽く緊張しながら、次の一言を囁く。
「年に一度のこの瞬間を、一緒に過ごせるのは幸せだな」
「ありがとう。そして、もう一つお礼を」
「もう一つ?」
「あのね。葉月の贈り物、とってもとっても嬉しかった」
 いつしか栗の口調は、やや砕けたものに変わっていた。
「……気づかれてたか」
 フリードリッヒは軽くおどけて、冷や汗を拭うような仕草をした。
「じゃあ、今日も一つ、贈り物」
 そう言って彼が、彼女の手に渡したのは一枚のタロットカード、図柄は『力』だ。
「これは栗のイメージだ」
 さわさわと、空気中の水分が氷結する音が聞こえる。フリードリッヒが氷術を使い、中が空洞の彫刻を作りあげたのだ。その中にキャンドルを入れ、光を反射させる。
「綺麗……」
 と栗が言ったのは、灯に対してなのか、カードの絵柄に対してなのか、それとも星と灯を反射する、フリードリッヒの瞳に対してなのか。
 あるいは、そのすべてにか。

「こんばんは環菜、来てくれてありがとう」
 丘で御神楽環菜を待っていたのは樹月 刀真(きづき・とうま)だった。
「エリザベート校長との勝負は楽しかったかい?」
 星灯りに照らされる彼の横顔は白く、この世のものでないようなほどに整っている。
「対決……そういやそうだったわね。売り子をするのに忙しくて、対決なんて意識している暇はなかった」
 でも、と環菜は言った。
「売り子、楽しかったわ。こんなに楽しいものだとは知らなかった。立ちっぱなしでくたびれたけどね」
 刀真の背に隠れるようにして、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)も控えていた。彼女は刀真に耳打ちする。
「来てくれたわね、環菜。良かったね」
 そして環菜に会釈して、
「環菜こんばんは。お仕事大変だったみたいね、私飲み物買ってくるね」
 演技っぽく見えないよう注意しながら、月夜はつづけて、用意していた言葉を口にする。
「あ、でも四人分運ぶには両手じゃ足りないな……。ルミーナ、手伝ってくれない?」
 と巧みにルミーナ・レバレッジの手を取って誘うのだ。例によって環菜の目付役たるルミーナは、環菜に顔を向けるも、
「大丈夫。行ってらっしゃい」
 体よく追い払われる格好となる。
 ところが月夜は、校舎の陰に陣取ると、そこに身を屈めたのである。
「他の人が来たら環菜恥ずかしいと思うし、見張ってよう」
「あの……ドリンクを買いに行くはずでは?」
「実はもう買ってあるの、ほら、これ」
 そこには、缶入りのコールドドリンクが入ったクーラーバッグが置いてあるのだった。
「環菜が心配でしょ? なら、私とここで一緒に見張るのが一番だと思わない? 二人の所へ戻るのは、ほどよいタイミングで、ってことで」
「……まあ、それが会長のご希望であれば」
 ルミーナは少々不服そうな顔をしたが、結局月夜の言う通り身を屈めた。

「環菜、座ろう」
 刀真は草の上に座し、環菜にもそうさせる。
 膝を崩している環菜に対し、刀真は正座だ。
「これだと、私が刀真を叱っているみたい。私が教師で刀真ができの悪い生徒、って感じかしら」
 環菜は軽く笑ったものの、刀真は決して笑ったりしない。それどころか環菜を……押し倒した。
「今日の事も含めいつも頑張っている君にご褒美です」
「強引ね」
 環菜は声を荒げない。だが多少、気に障ったようだ。乱れた髪を直す。
 なぜなら彼が彼女を、膝枕させたからである。
「今日は疲れてるから不問に付すけど、今度やったら退学処分ものよ」
 まるでそんな声聞こえないかのように、環菜の頭や髪の毛を撫でながら刀真は星空を見上げる。
「これだけ暗いなら誰も君の事はわからないよ、だから今の君は蒼空学園の校長ではなくただの環菜で、俺はいつも通りただの刀真だ」
「……」
「気に入らなかったのなら謝る。でも、君は常日頃から色々な物を背負っているけど、それを少しの間だけで良いから全て下ろして休んで欲しかったんだ……たまにはそんな時間があっても良いだろう?」
「許してあげる」
「えっ?」
「謝る、って言ったでしょう。謝罪を受け入れるわ」
「やっぱり環菜は、環菜だな」
 刀真は苦笑した。星を見上げたまま、視線を動かさない。
「こうして見ていると星の海に落ちそうだ……見上げた空に落ちる、か」
「…………」
 サングラスの下の環菜の目が、閉じられているのがわかった。軽く寝息を立てている。
 それに気づくと刀真は顔を近づけ、そっと、彼女のサングラスに手を伸ばした。
「駄目」
 だがその手を、環菜の手が押さえている。目も開いていた。
「君が今どんな表情をしているのか気になった」
「『やめて』って表情をしているわ」
「……そうしよう」
 刀真は手を放す。
「今、『それならよろしい』という表情に変わった」
 環菜は言い、そしてまた瞳を閉じたのである。
 環菜の頭の感触を膝に、髪の手触りを指に味わいながら、刀真は再び、吸い込まれそうな星の海を見上げる。
 二人はしばらく、そのままで過ごした。