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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に

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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に
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SCENE 20

 さてナンパ禁止にされている緋山政敏であるが、お目付役のカチェアが姿を消したゆえ、安心(?)して活動を再開していた。
「さっきの二人連れも美女ばかりだったが、まさか片方がいわゆる『男の娘』だったとはな。それにしても広島弁ってのは迫力あるぜ……」
 要するにその二人連れが、姉川舞香およびルメンザ・パークレスだったということだ。
「あー、カチェアがいないとナンパがしやすいぜー」
 そんなことを言って両腕を伸ばし伸びをしてみたりもする。
「……」
 そろそろ来るか、と思いきや反応はない。通常ならこのタイミングで、カチェアからドロップキックのひとつでも飛んできたはずだ。
 ――なんだろう、この空虚感。
 政敏は愕然としていた。なんというか、『いつカチェアにガゼルパンチされるか!?』という緊張感のないままのナンパには、不思議なことにあまり燃えないのである。
(「俺、大丈夫なのか……どうしちまった!?」)
 ずっと一人で生きてきたという自負が政敏にはある。蒼学の生徒となってからもそれは変わっていないと信じていたのに、ぽっかりと胸に欠落感があった。傍らにカチェアがいて、怒ってくれないとどうにもつまらない。
「緋山君じゃないか」
 そのとき彼に声をかける姿があった。綺雲 菜織(あやくも・なおり)だ。有栖川 美幸(ありすがわ・みゆき)と二人連れである。二人とも政敏と同様、救護班の腕章を巻いている。
「どうしたんだ一人で? カチェア君は?」
 武家育ちらしく、しゃんと伸ばした背筋と姿勢が、礼儀作法テキストのお手本写真にしたいくらい美しい菜織だ。口調も明朗でその性格同様、一切曇ったところがない。
 だが美幸の言葉には、意地悪な色彩があった。
「おおかた、カチェアさんに愛想をつかされたとかそんなところじゃないんですか。緋山さんってだらしないところがあるから」
 髪はショートボブ衣装はパンツルック、ぱっと見少年のような美幸ではあれど、声はややハスキーな少女のそれだ。政敏に対する言葉に刺があるのは、今回、政敏が菜織に救護班のボランティア活動を提案し、彼女が受けたことに原因がある。つまり、
(「せっかくのお祭だというのに……。緋山さんがあんな提案しなければ、菜織様と楽しく見物できましたものを」)
 と腹を立てているのだ。敏感な菜織はいち早くそれを察して、右手を美幸の頭に置いた。
「そのように辛辣なことを言うものではない。私は、美幸と共に行動出来るだけで楽しいのだよ」
「本当ですかっ?」
「私がこれまで、美幸に嘘をついたことがあったか?」
 かすかに菜織が笑んだので、美幸もたちどころに機嫌を直している。
 その一方で政敏としては、心中穏やかではなかった。なぜなら――認めたくはないものの――美幸の発言が図星だったから。
「いや、むしろ俺がカチェアを切り捨てたという見方はできないかな? あいつごちゃごちゃ煩いから、ナンパも好きにできやしない。そうだ、二人とも、そろそろお役御免ということにして、去りゆく夏を俺と楽しまないか?」
「相変わらずだな。君も」
 ところが菜織は、眉を八の字にして苦笑したのである。
「カチェア君には私も一緒に謝ってあげるから、許してもらうといい」
「そうですよ、反省しなさい」
 二人とも容赦がない。
「そもそも我々には、リーン君が用意してくれた無線というものがあってな」
 菜織はインカムのスイッチを入れて話し始めた。
「リーン君、手間を取らせるがカチェア君を私の現在地点まで誘導してくれないか? 迷子が一人あってな。ご名答、迷子というのは緋山君のことだ。さすがだね」
「ちょ……なんだよその話の流れ! 俺はカチェアがいなくなって清々してるんだっての!」
 瞬時、ほっとしたような表情を表した政敏であるが、次の瞬間にはムキになって、
「だから俺は今からナンパで忙しいんだっての! 祭ハンターとは俺のことだ!」
 などと駆け出し、ちょうど角を曲がって姿を見せた女性に声をかける。
「突然だが君に一目惚れした! 君に捧げる言葉は『あいらびゅー』だぜ!」
 自分でも暴投気味と思いつつ、菫色の髪をした少女にひざまずいた。
「わたくしを、ですか?」
 少女――すでに読者はお気づきのことと思うがクランジΥである――は、背後をちらちらと振り向きつつ逡巡した。
「俺は緋山政敏、俺なら君を、どこへでも連れていってやれるぜ」
 すると意外にも、
「お願いします」
 彼女は政敏の手を取ったのである。
「え!?」
 その場にいた誰もが目を疑った……のだが、
「貴方という人は!!」
 衝撃からコンマ数秒の後には、突如現れたカチェアのガゼルパンチによって、政敏は右方向数メートルの先まで吹き飛ばされていたのである。
「おしおきの時間ですね」
 さっそく美幸も加わって、カチェアと共に緋山を踏んだり蹴ったりしていた。
「ま、待てっ、話を聞いてくれ、カチェ……」
 見事なまでに袋だたきにされつつ、政敏は必死で、あの手触りには記憶がある、と呼びかけようとするのだが上手くいかない。
 あの手触りは、塵殺寺院の秘密工場で出会ったクランジΨにそっくりだった。