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酷薄たる陥穽-シラギ編-(第2回/全2回)

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酷薄たる陥穽-シラギ編-(第2回/全2回)

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第2章 シラギとドゥルジ

 夜が明けようとしていた。
 藍色の広がる東の水平線を見て、シラギはうーんと伸びをすると、横の岩にたてかけてあった杖を取り、ひょこひょこと歩き出した。
 通い慣れた、いつもの道。ゆるやかな坂を上り、下って、海岸へと続くこの道を、10年歩いてきた。
 最初の2年は主にリハビリのため。あとの8年は仕事として。

 岩崖に隠れるようにして建つ小屋から、熊手を取り出して砂浜に埋もれているかもしれないゴミを掻き出す。
 石や漂流物を見つければ拾って回収する。
 終われば表面をならす。
 いつ・だれが来ても、ここを美しいと思ってもらえるように。
 それが、何もかもなくしたシラギにたったひとつ与えられた務めだった。

 昏睡から目覚めたあの日。
 親友たちが全員死んで、自分1人無様に生き残ってしまったことを知った日。
 愛した女性が目の前で死んでから、もう3カ月以上も経つのだと知った日。
 今さらあとを追うにはあまりに遅すぎると知った日だった。
 身も心も、限界までうちのめされた。もう戦うことはできない。
 故郷に戻ることも…。
「なら、ずっとここにいるといいわ」
 2年後。
 ようやく立てるようになったものの、生きる気力もなく、村でぼんやりと、ただ1日を過ごすだけだった彼に、そう提案したのは御神楽 環菜(みかぐら・かんな)という少女だった。
「ちょうど隠れ家的な良質のビーチが欲しいと思っていたのよ。だから、あの岩崖辺りを購入することにしたの。
 私があなたを雇ってあげる」
 まだ走ることもできない、寝たきりのシラギに「決まりね」と宣言して、さっさとツァンダに戻って行った。
 あのときは、死人同然の男に、とんでもないことを言うものだと思ったが…。

 だがたしかに、この地が、自分を癒してくれたのだ。
 この平穏で、ただ今日が明日へと続くだけの小さな村が。
 自分を救ってくれた。
 
 ドゥルジが再びやってくることは、うすうす感じていた。
 それがいつかまでは分からなかったが、彼が死んでいないこと、決してあの出来事を忘れないことを一瞬たりと疑ったときはない。
 帰神祭の夜、彼がこの村のことを考えているのを感じとり、それらしい予感に胸がざわついた。
 それはもしかしなくても、この体のどこかにある、あの破片のせいなのだろうが…。

 分からなかったのは、彼を見たときに自分がどう思うかだった。

 友を殺し、恋人を殺した彼への激しい憎悪でその身を打ち砕いた――あれほどの怒りが、今もまだこの年老いた自分の中にあるだろうか? それがまたよみがえるのか?
 友も、夢も、恋人も、健康な肉体も、家族も、何もかもを失った、あのつらさ、あの痛み、あの消失感。

 そして昨夜、ついに現れたドゥルジの姿を見てシラギが感じたのは、しかしそのどれでもなかった。

「強欲な人間どもめ! 返せ……返せ!」

 顔を覆ったその姿は、泣いているように見えた。
 村に火を放ったのは彼なのに。
 まるで被害者そのもののように泣いている。
 そして、自分を、その手で引き裂き殺してやると誓う姿に、彼の中には10年前と変わらない激しい憎悪が燃えているのだと、知った。
 
 もはやシラギの中に、ドゥルジを憎む気持ちはなかった。

 なぜなら、この村で幸せに過ごしてこれたから。
 幸せな人間が、だれかを心から憎むことなどできるはずもない。
 だが10年前と変わらない憎しみを持つドゥルジは、きっと、幸せではないのだろう。
 そう思うと、あの少年があわれに思えた。
 彼が望むのであれば、死んであげてもいいのではないかと思ってしまうのだ。

 自分はこの地で十分幸せに生きた。満ち足りている。もう十分。

 そう思い、明け始めた空を見上げたとき。
「あっ、いたー! いたよ、佑一さん!」
 小型飛空艇数艇を先導するように、ミシェル・シェーンバーグ(みしぇる・しぇーんばーぐ)が空飛ぶ箒に乗って現れた。



「えーっ! だめ! 絶対だめだよ、そんなの!」
 ひとまず落ち着いた岩崖の影でシラギの胸中を聞いて、ミシェルはぶんぶん首を振った。
 枯木のような体に、腕を回してしがみつく。
「ボク、これからもシラギさんと遊んだり、お話ししたいんだよ。シラギさんは来年も、再来年もここにいて、ボクたちを出迎えてくれなくちゃいやだ」
「ミシェルちゃん…」
 ぽんぽん、と肩を叩く。
「シラギさん」
 黙してひと通り話を聞いていたアイン・ブラウ(あいん・ぶらう)が、一歩前に出た。
「僭越ながら、言わせていただきます。
 あなたはドゥルジを救えるのであれば命を差し出してもいいとおっしゃいました。しかし、それならば昨夜そうできたはず。なのに木陰から出ることなく、その場を離れられたのは、おかしいではありませんか。
 シラギさんの中にも迷いがあったからではないですか。そうすることで彼が納得するとは思えないと。彼が求めているのは、つまるところあなたの使用したという石と体内にある破片です。もちろんあなたを殺したいという意思もあるでしょうが、求める石が手に入らなければ、あなたが死んでも彼は止まらない。それでは無駄死にと同じです」
「アイン! 無駄ってそんな…」
 横についていた蓮見 朱里(はすみ・しゅり)が、あわてて腕を引っ張った。
「いや、いいんじゃよ。その通りじゃから。
 わしが死んでも、あやつは石を手に入れるまで村の者をおびやかし続けるじゃろう。今はわしの指示でみんな隠れておるが、そういつまでも隠れてはおられん。いずれは見つかる。石が村にないと知れば、どんな怒りが彼らに向けられるか…」
「石は村にないと、なぜドゥルジに分からないのですか? それになぜ、昨夜そんな近くにシラギさんが潜んでいたのに、彼は気づけなかったのでしょうか」
 矢野 佑一(やの・ゆういち)の疑問に、シラギは肩をすくめて見せた。
「さあなぁ。わしは村が燃えておるのを見に行って、見つけただけじゃからなぁ。
 これは推測の域を出んのじゃが、おそらくあやつは、あの石はここにあるものと思い込んでおるんじゃろう。反応が鈍いのは、わしが隠したからと思うておるようじゃった。
 わしが感じておるぐらいにしかあやつも感じ取れんのであれば、それはもうぼんやりとした感覚でしかない。水の入った皿に数滴、血を入れたようなものじゃ。かすかに色がついておるが、あやふやで判然とせん。どこがその落下地点かも分からん。
 たしかにいると思うて探さねば、到底確信できるものでもないのじゃろう」
「ようは、直感と同程度というわけですね」
 はっきり石の有無を感じ取れるのであれば、ドゥルジは昨夜のうちにやすやすとシラギを見つけ出し、殺して去っていただろう。
 その点は幸いだった。おかげでこうして間に合った。
「とにかく、いつまでもこのような開けた場所にいては危険です。どちらかへ場を移してはいかがでしょうか?」
 周囲を警戒していた火村 加夜(ひむら・かや)が、ためらいがちに提案をした。
 なにしろ岩崖の影にいるとはいえ、周囲からは丸見えの状態だ。いざというとき、盾になる物もない。
「いや、わしはここにおるよ。ここで、あやつを待とうと思う」
 その言葉に、パッとミシェルの顔が上がる。
「シラギさん!」
「どこにいても変わらんよ、ミシェルちゃん。遅かれ早かれ、ドゥルジはわしの居場所を突き止める。
 それに、逃げてどうなる? 何も解決せんじゃろ」
 ミシェルの頭をなでながら、自分の周りに集った者たちを見回した。
 10年前、2人の間で生まれた確執が、10年を経てこの若者たちを巻き込んだ。これ以上さらに引き伸ばせば、ますます大勢の者を巻き込んでしまう結果になるのはあきらかだ。
 できれば彼らも遠ざけておきたいのだが…。
 朱里が、半泣きになっているミシェルを自分の方に抱きとった。
「大丈夫、ミシェルちゃん。私たち、ちゃんとこうして無事なシラギさんと会うことができたんだし。ドゥルジが来ても、みんなで一緒に守ればいいだけだから」
 そう言う朱里の目が、シラギさんの考えはお見通しだと言いたげに、ミシェルの肩越しに見返していた。
「シラギさんには安全な場に移動してもらいたかったが、居場所が分かってしまう以上、たしかに隠れる意味はない。ドゥルジと戦うのであれば、開けた場の方がいっそ戦いやすいというものだ」
 アインの言葉に、加夜と佑一も頷いた。
「ミシェル、ディテクトエビルで何か感じる?」
「ううん。この近くには何もないよ」
 目から涙をこすり落としながら言う。その左手は、しっかりシラギの上着の裾を握り締めている。
「そう。
 シラギさんは、彼がどこにいるか分かりますか?」
 佑一からの質問に、シラギは西の崖の方を指差した。
 その向こうには、黒々としたジャタの森が広がっている。
「森におる。距離までは分からんが、まぁおそらくこの周辺ではないな」
「そうですか」
 シラギが感じとっていたのは、それだけではなかった。
 いや、むしろ感じとれなかったのは、とするべきか。
 ドゥルジの気配がかなり薄れてきていた。まるで砂山に落ちた砂粒のように、ドゥルジの気配が混ざり、増えて、広がって……そのせいで薄まっているような…。
(森の大半からあやつの気配がする。何をしておるのか分からんが、何事かを企てておるのは間違いないな。
 じゃが、それを言うたところで是非もない。わしにも、この者たちにも、できることはないのじゃから)
 口にすれば、彼らは警戒するどころか反対に向かって行きそうに見えたので、シラギは口をつぐむことにしたのだった。



「それらしい海岸が見えてきたぞ。思ってたより全然近いじゃねーか」
 ヘリファルテの上で、向かい風に乱れる髪を押さえながら、蒼灯 鴉(そうひ・からす)が言った。エンジンのうなりや風音に負けまいと、ほとんど叫んでいる。
「村に向かうのではないのか? アスカ」
 アスカ運転のオイレに同乗したルーツ・アトマイス(るーつ・あとまいす)が訊く。
「聞いた話だと、村はもう壊滅しているそうですし〜、そんな所にシラギさんがいらっしゃるとは思えませんわぁ。とりあえず、海岸の向こうの草地に飛空艇を下ろして、それから徒歩で森に入りましょう〜」
 ヴォンッとさらに加速し、鴉のヘリファルテを抜いて先導に立つ師王 アスカ(しおう・あすか)
 自身の小型飛空艇を最後尾につけたオルベール・ルシフェリア(おるべーる・るしふぇりあ)は、前を行く3人の背を見ながら、ぼんやりと、昨日の出来事を思い出していた。
 攻撃を受けたことは覚えている。
 飛来する石に、この石を受ければどうなるかを瞬時に悟って、とっさに3人を校外へ逃がした。
 あれは自分たちを操るために飛ばされた物だと、なぜ、あんなにもはっきりと理解することができたのか?
 直後に起きた事件のせいで、アスカたちもオルベールを問い詰めることまで気が回っていないようだが、訊かれたところでオルベールにも説明がつかなかった。
 それに、昏睡中に見た悪夢のこともある。
(悪夢……あれは悪夢なのかしら…?)

 夢の中で、<オルベール>はメイド服姿で廊下を歩いていた。
 同じような服装をして、無表情で歩く人たちとすれ違いながら、ある一室を目指して進む。
 その部屋には、1人の少年が片ひざを抱いて、窓のへりに身を乗り上げていた。
 立てたひざにあごを乗せ、つまらなさそうに窓の外を横目で見ている。
「どうしたんですか? そんな所で」
 さらさらと、風に吹き流される銀の髪が太陽の光を弾くのを見て<オルベール>はきれいだと思っていた。
「アエーシュマさまは、もうとっくにお着きですよ?」
「知ってる。ここから見えてる」
 すねきった声でのつぶやき。
 歳相応どころか、幼い子どものようだ。
 <オルベール>は歩み寄り、その頭を超えて、外を見た。
 外には、1対の男女が楽しげに話している姿がある。
 銀の髪を短く刈り上げた男性は、そのたくましい腕に清楚な女性を抱き上げ、楽しそうに額を合わせて笑っていた。
「……俺が行くと、邪魔だろ」
「まぁ。そんなこと絶対ありませんわ。このシャミは、アストーさまからドゥルジさまの姿が見えないから探してほしいとおおせつかってまいったんですのよ?」
「母さんが?」
 パッとドゥルジの表情が明るくなって、抱いていたひざを放す。
「ええ。2人でアエーシュマさまにお会いしたいとおっしゃっていましたわ」
 アエーシュマの名を聞いて、とたん、ドゥルジはシュルシュルとしぼむようにまた自分の殻に戻ってしまった。
「俺はいいよ、べつに。会わなくても」
「ほらまた。そんなにすねないでください」
「すねてなんかないっ。……ただ、あいつと会ったって、何も話すことないし」
「まぁ。「あいつ」だなんて。ちゃんとお呼びしてくださいって前のときもお話ししましたでしょう? アエーシュマさまは――」

「ベル? どうかしたんですの〜?」
 すぐ耳元でアスカの心配する声がして、唐突に、オルベールは現実に引き戻された。
 オルベールの乗っていた小型飛空艇はいつの間にか着地しており、鴉やルーツたちはとうに降りている。
「う、ううん……なんでもないの…」
「ケッ。ほっとけほっとけ。どうせまだ半分夢ん中で、頭にピヨピヨ花畑が咲いてるんだろ」
「鴉!」
 アスカが叱り飛ばす。
「な、なんだよ?」
「ピヨピヨ鳴くのはヒヨコで、花畑の修飾語には間違いだ。
 それよりアスカ、本当に大丈夫なのか、ベルは」
 もう慣れたルーツが、険悪になる前にと、さっと間に割り込んだ。
「え、ええ…。それが、ときどきああしてぼーっとしていて…」
 ちら、と様子を伺ってくるアスカに、オルベールはにっこり笑って見せると駆け寄った。
「大丈夫! ただ寝てただけだもの。もう何ともないって」
「でももし具合が悪くなったら――」
「やーんっ、もうアスカってば。そんなにおねえちゃんのこと心配してくれるなんて! ベルうれしいっ」
 がばっとアスカに頭から抱きつく。
「そんっなにおねえちゃんの気分をよくしてくれたいって思うんだったら、あそこのバカを追い払ってくれるだけですむわよ?」
「んだとー? コラ!」
「はいはい」
 振り返って掴みかかりに行きそうになった鴉の向きを強引に前へ戻したルーツが、いいから前へ進めと背中を押す。
「まったくもう…。どうしても仲良くできないのねぇ。
 私たちはさっき人影の見えた海岸へ行きますけど、ベルは――」
「はいはい。アスカと一緒にいられないのは残念だけど、昨日みたいになるわけにいかないし。神社でおとなしく待ってるわ。シラギちゃんによろしくね」
 バイバイ、と手を振って、反対方向へ歩き出す。
「ベルも、ドゥルジには気をつけてねぇ〜」
 ドゥルジ。
 その名前が、ベルの胸をざわつかせてやまない。
(ドゥルジ……ドゥルジって、あのドゥルジなの? それともあれはただの夢?)
 部屋の窓から、幸せそうな母親を見下ろしていた銀髪の少年。
 子どものようにすねて、ふくれて……そして笑っていた、あの少年が、今度の事件を起こしたドゥルジ?
「分からないけど、でも、会えばきっと分かるわよね」
 会って、その姿を見れば。
 キュッと手を握り込む。
(ああでも、もしあの夢が本当にあったことだとしたら、ベルはどうしたらいいの? あの子が何を望んでいるか、知ってしまったのだとしたら…)
 かわいそうなドゥルジ。

 神社への道を進むオルベールの足は重く、歩みはだんだんとのろくなる。ついには立ち止まり、決意して、森の中へ駆け出した。
 この森のどこかにいる、ドゥルジに会うために。
 夢が現実であった場合、どうするかは、まだオルベール自身にも分からなかった。