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酷薄たる陥穽-シラギ編-(第2回/全2回)

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酷薄たる陥穽-シラギ編-(第2回/全2回)

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第7章 ドゥルジの石

「さーて。ついたはいいけど、どうすっかな…」
 森に入って早々出くわした、操られている村人を避けて上った木の上で、高柳 陣(たかやなぎ・じん)は考え込んだ。
 森の中にドゥルジがいるのは分かっているが、戦っちゃいけない村人たちも大勢いる。そのたびに木に上ったりして避けていては効率が悪そうだ。
「ティエン、大丈夫?」
 別の木の上で、ユピリア・クォーレ(ゆぴりあ・くぉーれ)が丸まって震えているティエン・シア(てぃえん・しあ)の背中をさすっている。
「う、うん……だいじょうぶ…」
 健気に答えながらも、声は棒読みだ。下を行く村人の石からの誘惑への抵抗に必死で、そこまで気が回らないようだ。
「だーっ、もう! だからついて来んじゃねぇって言ったんだよ!」
「陣!」
 憤然とする陣をユピリアが叱りつける。
「ユピリア、おまえもだ! 猫っかわいがりして、何でもしたいほうだいさせてるからだ!」
 自分だってティエンがかわいくて仕方ないくせに。だから結局今回も止めきれず、ついて来るのを許してしまったことを知っているユピリアは、棚に上げて怒鳴っている陣を見て、肩をすくめて見せただけで、あえて言い返そうとはしなかった。
 なんだかんだ口は悪いが、今だって苦しむティエンにあせっているだけだ。
「ごめんね、お姉ちゃん……でもボク、どうしても、知りたいんだ…」
 知ったところで、結局戦うことには変わりないかもしれない。それでも、相手の事情も何も知らないままただ単純に戦って、終わりにしていいのかと、考えずにいられない。
 そのことを疑問にも思わず、終わらせていい戦いに、どうしても思えなかった。

 自分たちは、戦うために戦っているわけじゃないんだから…。

「まぁティエン。気にしなくていいのよ? 一番つらいのはティエンなんだから。あの眼鏡ゾンビ男はティエンを心配して、いらついてるだけなの」
「だれがゾンビだ、だれがっ。オレは一度も死んでねぇっ!!」
 昨夜学園に戻ったとき、高柳 陣死亡説が広まっていたことに一番驚いたのは陣だった。だれも陣が助かったところを目撃しておらず、ドゥルジのエネルギー弾を受けて消滅したと思われていたのだ。
 おかげで不名誉な「眼鏡ゾンビ男」の称号をもらってしまった。
「せめて不死身の男とか、よみがえった男とか、もうちょっとかっこいい呼び名があっただろ…」
 ぶちぶち、ぶつぶつ。
 いまだに割り切れていない陣は、ぐちぐちつぶやきながら木を降りる。
「それにしてもあの方々、どこに行かれているのでしょうか?」
 同じく、反対側の木に隠れていたカムイ・マギ(かむい・まぎ)が、するすると木から降りてきた。
「単純に考えればシラギさんのとこだと思うけど。なんか、探してるって感じじゃなくて、目標定めて向かってる感じだよね」
 レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)が突然道の真ん中に現れた。光学迷彩を用いて、道の脇に潜伏していたのだ。
「ちょっと携帯で、朝から来られている方を呼び出してみましょう。何か事情を知っているかもしれませんわ」
「あっ、ばかばかっ」
 あわてて手の中の携帯をひったくる。
「ボクらと違って向こうは隠密してるかもしれないでしょ! 携帯は絶対禁止!」
「まぁ。そうでしたわ。すみません」
 本気でそう思っているのか疑わしかったが、とりあえずそれでよしとすることにした。
「オレはあっち行くわ。ドゥルジが目的で、あいつらじゃねーし」
 陣は村人たちが現れた森の中を指差す。
 これ以上ティエンを刺激したくないから、とは絶対に言わない。
「うん、分かった。ボクたちは彼らを追ってみるよ。助けたいし、それになーんかあの動きが気になるんだよね」
 じゃあと手をあげて、5人は別れて反対方向へと進んでいったのだった。



 海岸につながる1本道を歩き通した先に、神美根神社はあった。
 境内に人の気配はなく、神域としての静謐な空気だけが漂っている。
「ここにもだれもいなさそうですね」
 ぐるっと周囲をひと通り見渡して、クリス・ローゼン(くりす・ろーぜん)が言う。
「ほんのひと月前なんだよね、ここに来たのは」
 神和 綺人(かんなぎ・あやと)は、「みずうら」と書かれた水がめを見下ろしていた。
 ここに占いの紙を浮かべて、大吉が出たと喜んでいた瀬織の笑顔が思い出された。
「瀬織も連れてきてあげたかったな…」
「仕方ない。石を打ち込まれた身では、ドゥルジに操られてしまう可能性がある。そうなれば、一番つらい思いをするのは瀬織だ」
「うん。そうだね」
 ユーリ・ウィルトゥス(ゆーり・うぃるとぅす)の言葉に、綺人は頷いた。
「……いいえ、連れてくるべきだったかもしれないわ…」
 とはクリス。
 背中を向けていたし、距離もあったため、幸いほかの2人には聞こえていなかったらしい。
 クリスは、出発直前の瀬織との会話を思い出していた。

 神和 瀬織(かんなぎ・せお)は、3人と一緒に村へ行けないことを、とても残念がっていた。
「村の方やシラギさんには、わたくしも思うところがあります。わたくしもあの方々をお守りしたいのですが…」
 目覚めて以来、どこも異常は感じられなかった。だが再び石を受ければ敵に操られ、反対に彼らを傷つけてしまう可能性があるというのであれば、諦めざるを得ない。
「瀬織が会いたがっていたと、必ずシラギさんに伝えるから」
「はい。よろしくお願いします。
 ユーリも、わたくしの分まで村の人たちをお救いしてください」
「分かった」
 2人が離れたあと。
 こっそり、クリスは瀬織を引き寄せて部屋の隅に囲い込んだ。
「瀬織」
「まぁ、何ですか? クリス。ちょっとお顔が怖いですよ?」
「瀬織。私、あなたのこと信じてるから、あなたも私のこと信じてくれるわよね?」
「もちろんです。わたくし、クリスのこと信じてますし、心から信頼しています」
 にっこり。笑顔の瀬織に、クリスはこほんと咳をした。
「実は私、すっっっっごく怖い本を見つけちゃったの」
「まぁ」
「読んでいて、あまりに怖いものだから、何度か泣きそうになったくらい」
「クリスが泣きそうになるなんて……相当ですね」
「カバーも怖いから、別の、かわいい物に付け替えたの。だから瀬織、間違ってもそれを開いちゃ駄目! 昨日倒れたばかりですもの、また体を壊しちゃったらいけないわっ」
 がっし、と両肩を掴み、有無を言わせない迫力で押し切ろうとする。
 鬼気迫るクリスの目を見返して、瀬織はちょっと考え込んだあと、笑顔になった。
「分かりました。怖い本なんですね。見ませんわ」
 ユーリの代わりにお掃除したり、お洗濯したりしてみんなの帰りを待っていますね。

「瀬織は、そう約束してくれたのに……何かしら? この悪寒は。今、とんでもないことが起きている気がして、背筋がゾクゾクするんですけれど…」
 両腕に手を回してこする。
 クリスの第六感は正しかった。
 今、瀬織は洗濯機が回っている間の暇つぶしにと『クリスの日記』を開いていたからだ。
「これは怖い本ではないので、約束破ったことにはなりませんわよね」
 パラパラパラ、とページをめくる。
 それは、別名『アヤ観察日記』とも言うべき危険な乙女の妄想が、大スペクタクルロマン、大河ドラマ真っ青のシチュエーションでこと細かに書かれているものだった。
「これは…!」
 洗濯も忘れて思わず読みふけってしまう瀬織。
 やがてパタンと本を閉じ、ふーっと息をついた。
「クリス、約束を破ってごめんなさい。これはたしかに怖い本でした…」


「やっぱり、ここにはだれもいないようだね」
 念のためと、神社内を捜索したあと、綺人はそう結論づけた。
「村の焼け跡にもいなかったし、ここにもいないとなると、やっぱり森の中かな」
 広い森の中をあてもなく歩き回りたくはないけれど、探索スキルがない以上そうするしかない。
 それとも、だれかが何か発見したことを期待して、携帯をかけてみるべきだろうか?
 そう思案していたとき、先頭を歩いていたユーリが石段の下を覗いて手を上げた。
「2人とも、来てくれ」
「どうしたんですか? ユーリさん」
 ユーリのそばに駆けつけて、同じように石段を覗き込む。
 そこには、石段を上ってくる正悟たち3人の姿があった。


「分かりました。ここに操られた人たちをおびき寄せるんですね」
 正悟、真、左之助から事のあらましを聞いた3人は、手助けに同意した。
 もともと襲撃された村人を救うために来ていたのだ。操られた人を解放することに異論はない。
「ここなら広いし、どこから現れてもすぐに分かる」
 そう言いながら、正悟は石の入った箱のふたを開ける。それを、見晴らしのいい本殿の回り廊下の上に置いた。
「兄さん、大丈夫?」
 じっと石を見上げる左之助に、真が少し不安そうに訊いた。
「ああ。あれからは何も感じねぇよ」
「よかった。
 それで、もし何か感じたら――」
「石持ちの接近が分かったらちゃんと教えて、俺自身はここに待機してるよ。心配すんな。あんなのに操られるなんざ、俺だってまっぴらごめんだ」
「うん。そうだね」
 本殿の階段に腰掛ける左之助に、真は笑って離れていく。だがその笑顔は、払拭しきれない不安に、どうしてもぎこちなかった。
(兄さん……できるところまででいいから、無理だけはしないで…)
 胸の中でそっとつぶやく。
 真のその思いを理解できない左之助ではなかったが、これ以上何も言う言葉が見つからなかった。
 真の不安の中には、目覚めてから一度も昏睡していた間の悪夢について話していないこともあるのだろう。訊いてはいけない、話してもらえるまで待つんだと自重しているのも、感じとれた。
 だが、なぜあんなことを話せる?
 無抵抗な人間を切り殺しまくっていた自分。逃げる人間たちをひたすら切り、あるいは殴り殺していた。
 しかもその行為に、何も感じていなかったのだ。
 彼らが悪人でないことは分かっていた。
 ただ殺せと命じられたから殺していた。
 女性も子どもも関係なく、目の前で動く存在を、片端から始末していた…。
「あれも、悪夢と言やぁ悪夢だろうさ…」
 あの、銀の髪をした悪魔のような少年。
 夢の中の左之助は、彼に命じられるまま殺戮を続けるただのマシーンと化していた。
 頬にナイフで刻まれた「D」の文字。あれは「Death(死神)」のDか。
「話せるかよ、ちくしょうめ」
 左之助は丸めた背の下で、立てた片ひざを抱き込んだ。


「来たぞ、その林の向こうだ」
 自らの胸をわしづかみにしながら、左之助は苦しげな声で右手方向を指差した。
 どれほどの誘惑にさらされているのか……額に浮かんだあぶら汗が、彼の苦痛の程度を物語っている。
「次、そっちだ。それから階段を上ってきてるやつもいる。多分、2人……いる」
 左之助の出す指示に従って、真やクリス、正悟が組み伏せる。
 操られている彼らは動きが鈍く、石だけを求めて身を守ることもしない。それに、もともとがただの村人で、しかも年寄りが大半だ。武器や攻撃スキルが使えないとはいえ、到底彼らの敵にはなり得なかった。
 手足の自由を奪ったあと、綺人がサイコキネシスで傷口から石を取り出し、正悟が持っていた密封可能な箱に入れていく。石から解放され、正気に返った人の手当ては、ユーリが持参した救急セットで手早く行っていった。
「……くそッ」
 箱に入れられているとはいえ、石の数が増えるにつれ、誘惑がどんどん強まっていくことに、左之助は苦しむ。もう、息をするのもつらかった。
 欲しくて欲しくてたまらない。あれさえ手に入るのであれば、魂を悪魔に売り渡したっていい!
 何でもやる! 何を引き換えにしたっていいから、あの石をこの手に…!
 殺せ、殺せ。あいつを殺して奪い取れ! 石をおまえのものにしろ!
「――冗談じゃ、ねぇぜ!」
 そんなことを考える俺なんざ、認めるか!!
 震える手で、忘却の槍を自身に突き立てた。
「兄さん!?」
 左之助の暴挙に目を見張る真の横を、影がすり抜けた。
「あっ」
 1人の中年男性が本殿に置かれた石に駆け寄る。クリスと正悟はそれぞれ受け持った方角で村人を押さえ込んでいて、とても間に合わない。
 真が糸を放って止めようとしたとき。
「てーいっ!」
 レキのドロップキックが男性の背中に炸裂した。
「みんな、遅くなってごめんね! およばずながらお手伝いするよーっ」
 真はレキとカムイに自分の受け持ち方角を譲って、自身は左之助の元に駆け寄った。
「兄さん、しっかりして!」
 階段に伏している左之助の頭を抱き上げる。
 既にユーリのグレーターヒールによって傷口はふさがれていたが、意識が戻る気配はなかった。
「スキルで記憶封じを……兄さん…」
「彼のためには今の方がいい。精神的にまいっているだろうから」
 声もなく、真は頷く。
 極限まで追い込まれたあげくの行為だった。「てめぇでオトシマエをつけただけだ」意識があれば左之助はそう言っただろう。
(俺は兄さんを誇りに思うよ)
 真は左之助を抱きしめた。



「この人たち、このままここに置いておくと危ないよね。どっか移動させた方がよくない?」
 ひと区切りついたあと、レキがそう提案した。
 ユーリとカムイの治療を受けたあと、自分を取り戻した村人たちは本殿の中でひと固まりになっていたが、皆一様に疲れきった表情でうなだれてしまっている。
 ちらちらと綺人を――正確には綺人の手の中の箱を――盗み見ている者もいれば、完全に顔をそむけて震えている者もいた。
「石のそばに置いておくのも酷だし」
「そうだな。イチルたちの所に避難してもらうのがいいか。頼めるかな?」
「岩山の所でしょ。任せて」
 レキは大きく胸を張ってカムイに合図をした。
 カムイはこっくり頷いて、すぐ近くの村人にほかの場所へ移動することを伝える。
「じゃあ俺も兄さんを運んでくるよ」
 すぐ戻るから。
 そう言って、レキ、カムイ、真の3人は、村人8人を連れて神社を出発した。
 神社から岩山までは1本道だ。森を通ることにはなるが、遙遠から受けた場所とは離れているからドゥルジとの戦いに巻き込まれることはないだろう。
「操られた人たちに出くわさないとも限らないから、気をつけて」
「だーいじょーぶ。ボクたち石持ってないし。出会ったらむしろ救助できるからいいよね!」
 勇み足で先頭を行っていたレキが自信満々に言う。だが次の瞬間、左手の奥で茂みがガサガサッと葉擦れの音をたてて、びくっと飛び上がってしまった。
「なっ……なにっ?」
「――何も出てきませんわね」
 反射的、身構えてしまったレキの隣で、カムイが音のした方を覗き込む。
「ちょっとちょっと。危ないよ?」
「だれかいる気配もありません。きっと、何か森の動物が通りすぎたのでしょう」
「そっか……そうだよね! ここ、森の中だし!」
 レキは過剰反応してしまったことが急に恥ずかしくなって、ごまかすようにことさら元気よく歩き出した。
 最後尾を行っていた真だけが何か違和感を感じて、そちらの様子を伺う。一応確認しておいた方がいいだろうか? だが左之助が苦しげに呻くのを聞いて、真は再び歩き出した。



 危ういところで難を逃れることができたのを、彼が知ることはないだろう。
 道からはずれた奥、森の一角。
 そこでは、力を求めてやまない三道 六黒(みどう・むくろ)が、足元に伏せった村人から石をえぐり出していた。
「……これさえあれば、わしは最強になれるのだ…」
 血にまみれた手の上、転がる小さな石を凝視する。
「……むくろ、そのいし、よくない。このひとたち、おなじ。あやつられる」
 九段 沙酉(くだん・さとり)が両手に1人ずつ、気絶した村人を引きずって立っている。
「いし、だめ。むくろは、こんなのなくても、じゅうぶん――」
「うるさい! だれに物を言っているか分かっておるのだろうな! わしにはきさまごときの指図など必要ないわ! わしよりも賢いつもりか、うぬは!」
 激昂する六黒をじっと見て、沙酉は握っていた手を離すと、おもむろに背を向けた。
「……あやつられた、むらのひと、つれてくる。もっと」
「そうだ。きさまは黙ってわしに従っておればよいのだ」
 六黒はちらちらと振り返りつつ去っていく沙酉になど目もくれず、2人の体からドゥルジの石をえぐり取る。
「支配されるだと? わしをこのような者たちと一緒にするな」
 鼻で笑い飛ばし、3つの石を口の中に放り込んだ。
 こうすればだれにも知られず、奪われることもない。
「ドゥルジの支配なぞ、恐るるに足らん。そのようなもの、いくらでも跳ね返してくれるわ」
 血まみれの口で、血走った目で。
 石を飲み込むごとに体にみなぎる力を実感して、六黒は低く笑い続ける。
 その意識が既に変容しかけていることに、彼は気づけていなかった。