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学院のウワサの不審者さん

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学院のウワサの不審者さん

リアクション

 イコン・超能力実験棟は、上から見ると漢字の「口」の字をしているように建てられた施設である。その中心は吹き抜けとなっており、そこには研究対象となるイコンが収められ、周囲から研究を行うという構図になっているのだ。だが建物全体がすべて研究室――もしくはそれ相当のスペースでできているのかといえばそうでもなく、階ごとに微妙に構成は違うが、主に研究室が数部屋、資材を保管するための倉庫、徹夜で研究を行う者のための仮眠室、及び食堂兼休憩室――食堂とは言っても調理師がいるのではなく、コンロ等の機材を勝手に使ってもいいという程度のものだった――が存在する。
 その1階にある食堂兼休憩室に当たりをつけて調査を行おうとしていたのが、遠野 歌菜(とおの・かな)とそのパートナーである月崎 羽純(つきざき・はすみ)のコンビだった。
(な、なんだろう……。ちょっとさすがにこれ、怖すぎ!? ほ、本当に幽霊の1人や2人出るっていうこと!?)
 実験棟に入ってから、歌菜はしきりに体を震わせていた。その心の声からお分かりの通り、彼女は実験棟の暗すぎる雰囲気にビビリ上がっていた。
「ん、どうした歌菜。さっきから震えてるみたいだけど、寒いのか?」
「ふぇ!? え、あ、いや、その、う、ううん、別になんでもないよ?」
「そうか? だったらいいんだけどな」
 なんでもないと言いつつ、歌菜の震えは止まる気配を見せなかった。
 そもそもは歌菜のちょっとした悪戯心が原因だった。彼女の恋人である羽純はその儚げな印象とは裏腹に、中身は非常に気まぐれでクールだったりする。そんな彼の動じる姿が見たくて、半ば無理矢理という形でこの調査団に参加したのだ。何しろ幽霊が出るらしいとの噂。それが本当なら、さしもの羽純といえども動じるに決まってる。
(ま、私は幽霊なんてへっちゃらだもんね。それに、真相はきっと誰かの悪戯だろうし)
【イルミンスール武術部】で鍛えた腕っ節、【S×S×Lab】で身についた恐怖に対する威圧の技、そして【イルミンスール魔法学園 魔法実験部】で学んだ魔法に関する知識。それさえあれば、たとえ幽霊が襲ってこようともどうにでもなるという自信があった。実際に夜の実験棟に入るまでは。
(は、羽純くんの 弱点を探るつもりが……、なんだか私の方が怖がってる状態に!? う、ううん、大丈夫のはず。だって廃病棟とか廃校舎とかそういう所でゴースト兵とか十天君とかそういうのと戦ってきた私よ? ホラー耐性&スプラッタ耐性がついてるはずなのに、それがどうして怖がる必要が……。あ、でも、ここ……、凄く怖い!?)
 パートナー兼恋人を無理矢理連れてきた手前、怖いとも言えず、ましてや手をつなぎたいとも言えないまま、歌菜は最も幽霊が出なさそうだと判断した食堂兼休憩室を捜索することにしたのである。
 一方の羽純といえば、歌菜がやたら震えている理由に見当がついていた。歌菜自身は隠しているつもりだったのだが、残念ながらバレバレだった。その上で彼は気づいてないフリをしていたのである。
(出発の時はあんなに張り切っていたのに急に大人しくなった……。どう見ても怖がってるなあれは)
 恋人であるというのに彼が何もしないのは、ひとえに「怖さを隠そうと一生懸命な様子が面白いから」である。
 この男、意外と鬼畜なのかもしれない。
「う〜、参ったなぁ。思った以上に暗いね、ここ……」
「ああ、暗いな」
 明かりの用意をせずに実験棟に入った2人は、その暗さに辟易していた。通常ならば、長時間暗いところにいればだんだんと目が慣れてきて周囲の様子がわかるようになるものだが、実験棟の暗さはその程度のことで自由行動を許すようなものではなく、一向に目が慣れる気配がしなかった。羽純は剣の花嫁であり、その体内には個人が携行できる特殊兵装「光条兵器」が収まっている。いざとなればそれを取り出し、光条部分の明るさを調整すればちょうどいい照明になるはずなのだが、なぜか今日に限って彼は光条兵器を取り出そうとしなかった。理由はもちろん、上記の通りである。
「こ、こんなに暗いと、本当に何か潜んでそうだよね……」
「ああ、潜んでいるかもな」
 いまだに震えが止まらない歌菜に対し、羽純は適当に答える。
「ふ、不審者とか、隠れやすそうだね……」
「まあほぼ確実にいるかもな」
 ほとんど見えない足元に気をつけながら2人はゆっくりと足を進める。何しろ「事故」の影響で床や壁全体に亀裂が入っているのだ。壁の中に鉄筋が詰まっているとはいえ、下手をすれば今にも崩れ落ちそうだ。そしてそれは、今歌菜たちが捜索している食堂兼休憩室も同様で、近くのイスやテーブル、果ては電磁調理器の類さえも崩れ落ちそうになっていた。
 その時だった。歌菜の近くでテーブルの1つが物音を立てて一部が崩れ落ちたのである。
「きゃああああああ!?」
 物音に悲鳴を上げた歌菜は得意の武術を生かしたパンチをその方向に放つ。当然そこには何も無く、拳は空を切るだけに終わった。
「も、物音! 今誰かいた! っていうか不審者!? それとも幽霊!?」
「ああもうわかったから落ち着け」
 突然の出来事にパニックに陥る歌菜の背後から羽純が軽く抱きしめる。このまま放っておくと周囲に則天去私の拳をラッシュで叩き込みかねない――今の歌菜は槍を2本持っているため、もしかしたら拳ではなくその槍が振り回されるかもしれないが。
「まったく……、怖いんだろ?」
「へ?」
 恋人の声が耳元で小さく聞こえる。
「大体怖い癖にどうしてこんな所に来たんだ? 俺を驚かせて何が面白いんだ?」
「……えっと……バレてた?」
「それはもう思いっきり」
 羽純に計画が完全にバレていたと知り、歌菜の顔は見る見る内に赤く染まっていく。
「あう……、だって羽純くん、普段からずっと冷静すぎるから……」
「おいおい、俺は、歌菜が思う程に冷静ではないと思うぞ」
「……嘘?」
「嘘じゃない。今も……どきどきしているのが、伝わらないか?」
「あ……、ほんとだ……」
「全く……仕方ない奴だ」
 他に誰もいないのをいいことに、2人は暗がりの中、自分たちだけの世界に浸っていた。
 結局この後の調査によって、このスペースには何も無いことが判明した。

 実験棟内に設けられた仮眠室は多少広く、カーテンで仕切られた小型のベッドが4つある。逆に言えばそれだけで、それ以外には特に何も無い。
 だが何も無いからこそ、この状況下においては何かがあったりするものなのだ。
「えへっ、夜の校舎ってドキドキするよね」
 その1階の仮眠室を捜索しようとしている2人組の1人が、さも楽しそうに笑う。
「いかにも何か出そうだよね」
 もう片方がこれまた笑みを浮かべながら、その手から光の玉を浮かび上がらせる。
「あっ、光術使ったらオーブみたいだね。智緒、幽霊って光術使えるのかな?」
「それは無いよ理知。本に載ってなかったもん」
 桐生 理知(きりゅう・りち)とそのパートナー北月 智緒(きげつ・ちお)の2人は共に仮眠室を捜索するメンバーだった。ただし彼女たちが探すのは、犯人は犯人でも、特に「幽霊」である。
「う〜ん、夜な夜な何かが出るとか、幽霊がいるかもとか聞いてたけど、いるのは人ばっかりだね……」
 他の調査メンバーと同じくダークビジョンのスキルを利用して暗闇を見通し、その上「光術」によって生み出した光球を浮かべて照明とし、2人は仮眠室へと入ったのだが、ここに来る途中で見かけたものといえば、同じく調査を行う「人間」ばかりで、幽霊など影も形も見当たらなかった。
 もちろんその調査メンバーにも幽霊を見かけたかどうかを聞いてみたが、返答はすべて期待外れのものだった。
「幽霊、いないなぁ……」
「ねぇ理知、ちょっと思ったんだけどさぁ」
 仮眠室の中を覗き込みながら、智緒が本を片手に問いかける。
「ん、何?」
「やっぱり幽霊って、着物着てるのかな?」
「えっ、着物?」
「うん、お化けの本にそう書いてあるし……」
 智緒の持っていた本には確かに「お化け」に関することが書かれており、どうやら彼女はそこから知識を得ているらしい。
「どうなんだろうねぇ。日本だと着物を着ているのが多いみたいだけど……」
「あ、もしかしたらシーツをかぶってて、足が無かったりして?」
「あはは、それはどっちかといえばポルターガイストかなぁ」
 などと談笑しながら、2人は仮眠室の奥の方へと足を進める。
 パラミタにおいて「幽霊」とは、一種のモンスターとして扱われるのが一般的である。それは時には彼女たちが想像している姿で現れたり、時には普通の人間と大して変わらない姿で現れたり、時にはまったく違う異形の存在として襲いかかってくることがある。今彼女たちがいるのはパラミタとつながっているとはいえ、あくまでも地球の一区画。着物姿をした幽霊が現れる可能性は十分にあった。存在していればの話だが……。
「……いい加減ポルターガイストでもいいから何か出てきてほしいよ」
「あはは、襲ってきたら大変だけどね――ん?」
 ふと智緒が仮眠室の奥の方に目を向ける。壊れてはいるがまだ原形をとどめているベッドの1つ、その上に何かがいるのが見えた。
「ねえ理知。あれって……」
「え、もしかして幽霊!?」
 ついに求めているものが姿を現したか。2人は喜び勇んでベッドに駆け寄るが、次の瞬間には期待が落胆に変わっていた。
「これってどう見ても……」
「うん、幽霊でもフラワシでもないよね……」
 ベッドの上に寝転がり、完全に熟睡していたのは、ジェンド・レイノート(じぇんど・れいのーと)という智緒と同じヴァルキリーだった。彼女たちは知らなかったが、このジェンドはパートナーと共に捜索に参加したものの、夜だからといって勝手に仮眠室に忍び込み、そのまま寝入ってしまったのである。
「なぁんだ、幽霊じゃなかったのかぁ……」
 1階仮眠室における収穫は、ベッドに横たわるヴァルキリーの少年ただ1人だけとわかり、理知と智緒は揃って肩を落とした。
 ちなみにそのジェンドはその後、幽霊を目当てにしていた女2人から完全に無視されることとなる……。

「というわけで、ルカたちが頑張って調査するから、ダリルは頑張ってレポートよろ♪」
「どういうわけだ」
 1階研究室Aの前にてルカルカ・ルー(るかるか・るー)ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)の4人が集まっていた。集まってすることといえば1つ、調査である。
「よその学校の訪問なんてそうそうできる機会は無いし、そもそも心の乱れは風紀の乱れに現れるわけで、学生の本分たる勉学に励むためには、何よりも余計な雑念の元を排除するに限るってもんさ」
 この発言の主はエースである。薔薇の学舎、蒼空学園と渡り歩き、今は空京大学に籍を置く、地球では当主と呼ばれるこの男は、その生真面目な性格ゆえに今回の騒動を見過ごせなかったのだ。もっとも、シャンバラの建国が完全に成立した今、いつぞやの東西建国の時とは違いいつでも他の学校に遊びに行けるようになっており、まして今回の騒動は「心の乱れ」などというレベルではなかったのだが……。
 そこで天沼矛の防衛作戦や、シャンバラアイドルマーセナリープロジェクト、通称「S@MP」絡みの騒動で天御柱学院に関わりのあるルカルカを先頭にして、この実験棟の調査に乗り出したのだ。気分はまさに風紀委員である。
「というわけで委員長、データは渡すから後は頼むぜ」
「誰が委員長か」
 レポート作成のために天御柱学院に残っていた委員長ことダリルだが、残念なことに実験棟に向かわされることとなってしまっていた。それというのも、今回の調査の責任者である教官からこのように言われたからである。
「どうせレポート作成は後日やる予定でしたし、今ここで徹夜する必要はありませんよ。正確な記録があれば、そっちの方が助かります」
 要するに、体よく追い出されたのである。
「まあ自前のパソコンでそれなりの仕事はできるがな……」
「ま、報告書を作るのは得意分野でしょ。頼むよ、頭脳労働担当」
「誰が頭脳ろ……いやそれは合っているのか」
 からかうメシエに思わずツッコミを入れそうになったが踏みとどまった。確かにダリルの専門は肉体労働ではなく頭脳労働である。レポート作成といった業務は彼の担当になるのは必然といえた。
「では、早速調査を始めるとするかね。……と思ったらいきなり壁か。実験室の扉が完全に壊れてて開きそうにない」
「事故」の影響か、目の前に立ちふさがる扉は鍵も含め全体的に壊れており、たとえピッキングで鍵をこじ開けたとしても開きそうになかった。
「じゃ、ここはやっぱりルカの出番かな」
 待ってましたと言わんばかりにルカルカが扉に手をかけ、力を入れる。その肉体から発揮されるドラゴンの身体能力は、重い扉をあっさりとはがし、人間が通れるだけの空間を生み出した。
「おおっと、不幸な事故発生♪」
「楽しそうに事故を起こす奴がいるか」
 完全に笑顔のルカルカに対し、呆れ顔を隠さずにダリルは額を押さえる。
「というか、いくら開かないからといって、そうホイホイと他校を壊すのはいかがなものか……」
「いいじゃない別に。どうせ廃墟なんだしさ」
 同じくこめかみに手をやるタシガンの吸血鬼の言葉にも軽く返す。確かに彼女の言う通り、このイコン・超能力実験棟は完全な廃墟である。壁や設備が多少壊れたところで特に痛手にはならないのだ。最初から壊れているのだから。
「さぁて、それじゃ内部の調査開始ね。デジカメを、赤外線モードにして、と……」
 ルカルカが研究室内の様子を記録するべくデジタルビデオカメラを起動するが、画面に映るのは完全な暗闇だった。
「あら? なんで暗闇なの? 赤外線モードで映るはずなんだけどなぁ」
「当たり前だ。デジタルビデオカメラにそんなご都合主義な機能があってたまるか」
「……やっぱり?」
 残念ながら、デジタルビデオカメラにそのような都合のいい機能は存在しない。ダリルの指摘は至極まっとうなものだった。
「まさかとは思うが、それに頼り切って、この暗所を乗り切るための他の方法が無いとか言わないだろうな?」
 少しばかり不安になったダリルが全員を見回す。ちなみに彼自身は「ダークビジョン」の使い手だった。
「あ、ダークビジョンできます」
「それなら良し」
「殺気を看破することならできます」
「明かりとかは?」
「持ってないぜ。則天去私ならできるけど」
「やめとけ。それではただのテロになる」
「私はノクトビジョンを持ってます」
「あ、それ使ったらルカのデジカメ――」
「却下。やってやれなくはないかもしれんが、ややこしいことするな」
 とりあえずエース以外の面々は暗闇対策ができることがわかり、それはそれで安心できるダリルだった。
「さて、気を取り直して調査を続けましょ」
 ルカルカの先導により、実験室内の調査が進められる。
 1階実験室Aの内部はかなり荒れており、書類棚は中身が回収されたのか空の状態で立てられており、記録用に使われていたであろうコンピュータの類は床に落ちて大破していた。ガラスの破片や瓦礫がそこら中に飛び散り、人が身を隠すには都合のいい場所とはいえなかった。
「ん〜、誰もいないっぽいね」
「扉の前で暴れてたのに人が動く気配がしなかったからな。殺気を感じなかったってことは、やっぱりここにはいないんだろうぜ」
 暗がりを見通すルカルカに、肩をすくめながらエースが答える。彼は最初、夕方から調査を開始するつもりでいたのだが、教官に「不審者が動きやすいように、できれば深夜からの方がいい」と言われてしまい、他の調査メンバーと足並みを揃えて参加した。しかし案の定部屋の1つには誰もいなかった。これはやはり、無理を言ってでも夕方から調査を行うべきだったか……?
「サイコメトリにも反応なし。少なくともこの部屋で誰かが何かをやってた、っていうのは無さそうね」
 落ちていたコンピュータに手を触れながら、ルカルカは頭を振った。
「その『サイコメトリ』だが、どの程度前まで調べられるんだ?」
「う〜ん、最大でも1週間ってとこね。だから少なくともここ1週間は誰もここに来てないってことになるわね」
 サイコメトリ――物品に触れることで、その物品に残された思いや出来事を読み取るスキル。だが万能というわけではなく、読み取れる思いは最大でも1週間前が限界なのだ。
「ひとまず、ここには何も無いということがわかっただけか……。扉が1枚壊れた以外は」
「ひっどいわね、あれは最初から壊れてたの」
 メシエ軽口にルカルカが目を細めて睨みつける。
「まあ何も無いならそれでいいのよ。犯人は穏便に捕まえたかったんだしね」
「穏便に、ねぇ……」
 ルカルカ以外の3人の声が揃った。教導団で「最終兵器」などと揶揄されるこの自称乙女の一挙手一投足が本当に穏便であればいいのだが……。
「なによう、ルカはか弱い普通の乙女なんだから荒事はしたくないのよ」
「自称すぎ」
 再び3人の声が重なる。普通の乙女がドラゴンアーツのパワーを披露するはずがない。ついでに言えば、ルカルカは荒事になった場合、真空波やブライトマシンガンの乱射で大人しくさせようと決めていたという……。

 結局その場では求めるものが手に入らず、4人の調査は結果的にそこで終了することとなった。1階研究室Aにおける情報はダリルの持つ「シャンバラ電機のノートパソコン」に集められ、後日、彼の手によってレポートとしてまとめられる。