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とりかえばや男の娘

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とりかえばや男の娘

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 青白い月の光が、岸壁を照らしている。
 その頂上の、ほの白く輝く巨大な岩の上に立ち、竜胆は1人笛を吹いていた。
 細く震えるような音色……。
 それは、木々の梢をかすめ、渓谷を越え、山々に響き渡って行く。
「奇麗な音色だな」
 不意に、背後から声がした。驚いて後ろを振り向くと、そこに黒髪でショートウェーブの少年が立っていた。大岡 永谷(おおおか・とと)だ。
「あ、俺大岡 永谷。……驚かしちまったかな? あんまり奇麗な笛の音色だったから思わず誘われちまってさ。もう、やめちゃうの?」
 永谷の言葉にうなずくと、竜胆は笛を手に言った。
「幼い頃から、悲しい時や、辛い事があった時には、こうして、いつでも笛を吹いて心を慰めていたのです。不思議な事に、この笛を奏でると、どんな悲しみも苦しみも次第に消えて行ったのです」
「分かる気がする。とても癒される音色だったもんな」
「けれど、今日だけはどれだけ笛を吹いても苦しみが消えませぬ」
「突然、色んな事が起きたからだろう。忍者の襲撃とか……恐かっただろ?」
「はい。里見の村では平穏な暮らしが続いておりましたゆえ」
「そっか……」
 永谷は少し考え込むと、
「そうだ……!」
 と懐からお守りを出した。
「これ、渡そうと思ってたんだ」
「これは、お守り?」
「禁猟区のお守りだ。危険な相手が近づくと、俺にも知らせてくれる」
「それは、心強い事。ありがとうございます」
 竜胆は、礼を言って受け取った。
「姫君の護衛は軍人の本分だからな」
 永谷そう言うと、またしばらく考え込んだ。
 そして……
「なあ、竜胆さん」
「はい?」
「実は、こんな風だけど、俺……女なんだよ」
「え?」
 竜胆は驚いて永谷を見た。どう見ても少年としか思えない。
「そう。つまり、竜胆さんとは逆パターンの仲間みたいなもん。ただし、俺自身は自分で選んだ道だからさ。だから、時と場合によっては、女の格好に抵抗はない。けどさ、竜胆さんは、大人の都合で強制的にやってるんだろう? きつくないのかなと思って……」
「辛くないといえば嘘になります」
 と、竜胆は答えた。
「物心ついた時には、既にこんな姿をさせられていて、ずっとそれが当たり前だと思っていました。それが、十の時、突然、お前は本当は男なんだと知らされて、とてもショックを受けました。男なのに女として生きる自分が許せず、さりとて、養父母の意向で男として生きる事は許されず、あの時からずっと悩み続けています」
「選択の自由がない辛さは俺も分かるよ。実は、俺の実家は神社でさ。子供の頃から神社を継ぐのが当たり前といわれてたんだ」
「親の意図で生き方を定められているというのは、確かに似ていますね」
「ああ。けど、俺の場合は、親に言われたとおりに、神社を継ぐのが正しいか? って考えてさ、それで、自分を見つめてみたいと教導団騎兵科に入学したんだ」
「そうですか。永谷さんは強い方なのですね」
「え?」
「私には、この運命に逆らおうと思うほどの強い意志もありませんでした。その前に、自分が何をしたいのかも分からないのです。男として生きたいとは思います。でも、それ以上、何をしたいのか、それ以上に自分自身さえよく分からないのです。けれど、今日一つだけはっきりとした事がありました」
「はっきり?」
「はい。私は自分で思っている以上に弱い人間だったという事です。あの、戦いのさなか、私は恐ろしくて恐ろしくて仕方なかった。私は剣をふるう事すら恐ろしいのです。このような事で、男として生きる……ましてや、一家を背負って生きる事などできるのかと、我が身をふがいなく思います」
「確かに、これから若くして一家の主となろうという者が男の娘だというのは、少しばかり問題があるか」
 突然、声がしてエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)がぬっと現れる。
「ああ。俺はエヴァルト・マルトリッツってもんだ。こんな暗い森で単独行動しちゃ危ないぜ」
「エヴァルト?」
 竜胆は大きく目を見開き、エヴァルトの姿をまじまじと見た。
「どうした? このサイボーグ体が気味悪いか?」
「そ……そんな事」
「それに、見た目もやや上だが、おじさんは勘弁してくれよ。これでもまだ18なんだぞ?」
「おじさんだなんて、思いませんってば……」
 そう言うと竜胆はクスクスと笑い出した。その顔を見て、エヴァルトは「よし」とうなずく。そして言った。
「しかし、無理に男になろうと自分を追いつめてはいけない。まずは、だ。誰かに憧れたりするのは良いが、意識しすぎると不自然になってしまうので、注意することだ。
すぐに変わろうとするのではなく、徐々に慣らしていくようにすればいい」
「徐々に?」
「ああ。徐々に……だ。それと、女性には優しく、失礼のないようにすることだ。年齢や身分の上下に関係なく、な。これは男として重要な事だぞ」
「はい……」
「また、『漢』になりたいなら、友も大切にしなければな」
「……はい!」
「まあ、さほどためになるわけでなく、心構えの問題ではあるが……」
「いいえ、そんな事ありません。とても、ためになりました」
 と、その時、またもや別の誰かの声がする。
「ねえ。竜胆さん。よかったら、男らしくなる修行、一人でやるより二人でやってみないですか?」
「え?」
 竜胆は驚いて声の方を見た。すると、そこにセルマ・アリス(せるま・ありす)が立っていた。
「俺、セルマ・アリスと言います。竜胆さんが男らしくなりたいって気持ちはよく分かるんです。俺も、周囲に女の子だの男の娘だの言われすぎて、もう少し男らしくなりたいから。なにより……守りたい人も居るし……それに、一緒に修行する相手が居ればいい競争相手になって修行の効果がもっと見込めるかもしれない……」
 セルマの言葉に嘘偽りはない。しかし、彼の発言の真意はそれだけではなかった。何より同じ想いをする相手が居ると言うことで、竜胆の寂しさが少しでも癒されのではないかと、セルマは思ったのだ。
 竜胆は、始めのうちぽかんとしてセルマの言葉を聞いていたが、次第にその顔に笑顔が浮かんで来た。
「そうですね。それはいい考えだと思います。ぜひ一緒に頑張りましょう」
 今だ不安な気持ちを抱えながらも、竜胆は心が温かくなってくるのを感じていた。自分以外にも、複雑なものを抱えた人間がいる事が分かったし、何より皆の気遣いが嬉しかったのだ。