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誰がために百合は咲く 後編

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誰がために百合は咲く 後編

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第2章 休憩の続き


 休憩用のカフェ──薔薇の学舎の生徒清泉 北都(いずみ・ほくと)によって設営された一角に、アナスタシア桜子は戻ってくると、そこでは生徒会について、熱い議論が繰り広げられているところだった。
 中央で熱弁を振るっているのは、レロシャン・カプティアティ(れろしゃん・かぷてぃあてぃ)だ。船が出港してから今まで、休憩室でうっかり眠りこけていた分、体力気力共に充分である。
「私は今の百合園にはお姉様的存在がいないと思うんですね〜」
 レロシャンの話は、丁度選挙から(これは彼女にとって前座に過ぎなかった)百合園に必要な、理想の人物像について、という話題に移っていた。
「お姉様的存在ですか?」
 その気迫に若干気圧されながらも、会計に立候補した村上 琴理(むらかみ・ことり)は尋ねる。
「そう例えば、私が地球にいた頃読んでた百合小説『ゴッド様がみてる』のような……」
「何のお話ですの? 百合小説……とは何ですの? その『ゴッド様がみてる』はどんなお話なのでしょう?」
 琴理や桜子は聞いたことがある、という顔をしたが、エリュシオン帝国出身のアナスタシアには、日本の小説はなじみがない世界だ。
 守旧派の桜子や琴理たちが知っていることが気になったのか、彼女はレロシャンの隣に座って尋ねた。
「川百合会って生徒会の中に金銀銅のローズ様がいて、中でも金ローズ様の伊豆幸子様という方がすごいカリスマがあって素敵だったんですよ〜、ってこれ以上は長くなるからまた今度に」
 アナスタシアは顔に疑問符を浮かべたが、ここでやめておかないと、レロシャンはいつまでも語ってしまいそうだった。
 何といっても『ゴッド様がみてる』は、原作が40巻近くにも及び、アニメ化・DVD化され、パラレルなアンソロジーまで含めると山あり谷あり笑いあり涙あり、膨大な量のエピソードがあるのだ。
「私がこの学園に入学したのも『ゴッド様がみてる』みたいな百合百合な学園生活に憧れたからなんですね〜、あの本を読んでなかったら蒼空学園に入ってたかも。あの小説とこの百合園は共通点がいっぱいあるんだけど……」
「ですけど?」
「決定的に違うのはカリスマ溢れるお姉様キャラがいないことなんです!」
 レロシャンは拳を握りしめた。
「それが残念でならないのです。ああ一度、素敵なお姉様に『レロシャン、アホ毛が曲がっていてよ』とか言われたいなあ……」
「お姉様ねえ……ラズィーヤさんに神楽崎さんとか今でも十分いると思いますが」
 パートナーネノノ・ケルキック(ねのの・けるきっく)の指摘に、ちっちっち、とレロシャンは指を振った。
 ちなみに、神楽崎さんとは、生徒会執行部白百合団の副団長・神楽崎 優子(かぐらざき・ゆうこ)のことだ。
「ラズィーヤさんはちょっと乱暴だから違うと思います。美緒さんは美しいけどすぐ脱げるからカリスマないし……。美緒さんの魔鎧のお姉様は影が薄いし……」
 以前レロシャンは泉 美緒(いずみ・みお)に興奮というかムラムラすると言っていたけれど、それはカリスマとはまた違う。
「一番理想に近いのは優子さんかな。お嬢様口調だったら完璧だったんですけどね」
「お嬢様口調がいいってそりゃただのアンタの好みでしょうが!」
 ネノノが突っ込むが、レロシャンはいつの間にか、一人で妄想に浸っていた。
「本当どこかに和風美人でお淑やかで上品でプライドの高いお姉様いないかなあ〜」
「プライドといいますか、誇りと言いますか……執行部の団長桜谷 鈴子(さくらたに・すずこ)さんなら、全てに当てはまっていると思いますよ」
 琴理が言ってみるが、レロシャンの注文は厳しかった。
「うーん。もっと攻撃的な……ツン要素が欲しいですね」
 黙ってやり取りを聞いていたアナスタシアが、再び口を挟む。
「百合というのはつまり、女性が女性に恋愛感情を抱く、ということで宜しいのかしら?」
「そうですね。女性同士の恋愛──恋愛まで行かなくとも、それに近い友情のこともありますね。
 昔の日本では、女学校に通う生徒は、卒業後親の決めた結婚をすることが多かったそうです。そこで、ささやかな疑似的な自由恋愛を、美しいお姉様と慕う妹、といった姉妹関係──エス、といったそうですが──で楽しんでいたそうですよ」
 レロシャンに代わり、琴理が彼女に答える。
「レロシャン。話題が『今後の百合園に必要な理想の人物』から『今自分が欲してる妄想の人物』になってます」
 ネノノが言うも、夢見るレロシャンは聞いていない。
(起きてても寝ていても夢ばっかりですね、レロシャンは。ましてや革新、守旧、中立といった世の流れとも無縁のようです)
 今回の選挙の投票だって、真面目に票を入れる相手を考えたのはネノノの方だった。いや、もちろんレロシャンもちゃんと彼女なりに考えてはいるのだけど。

「ツン要素……それでしたら、ここにもいらっしゃると思いますけれど。ツンデレ兼備の頼れるお姉様ですよ」
 琴理が視線で示したのは、崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)だった。
 注目を浴びても動じることはない。
 パートナーマリカ・メリュジーヌ(まりか・めりゅじーぬ)がナプキンを渡したり、ポットに入ったお茶を注いだりしているのを、当然と言った風に、優雅にカップを傾けている。生粋のお嬢様っぽい所作だ。
 逆にマリカは主人である亜璃珠は勿論のこと、メイドらしく、アナスタシアや桜子、そして同席した面々のお世話をしている。
「だって亜璃珠さんにはもう妹がいますし……」
「百合はひとまずおいておいて、百合園に必要な人物像、の話に戻りましょうか。勿論可愛い子のお話は好きですけれどね?」
 亜璃珠はそこまで話が進んでから、ようやく口を開いた。
 アナスタシアと桜子の二人に、またここで、とお茶に誘ったのは彼女だったのだ。
「……私は、生徒会長にはアナスタシアを推したいと思っていますの。元々のリーダーシップ、組織の運営手腕……それに今回のお茶会でどうやら帝国万歳の意識も変わったみたいだしね。そこから見える成長性ね」
 アナスタシアの顔には微笑が、桜子の顔には緊張が現れる。
「あの、私の至らないところを、教えていただいても宜しいでしょうか」
「敢えて厳しく言わせてもらうわ。あなたの考え方自体には私は共感できる。でも、それを体現できる?」
「……」
「今までの在り方を守るためには、その分強くなければいけない。責任、判断力を問われる役目に押し潰されない自信はある?」
「それは……出来るように努力します」
「アナスタシアは契約者でもなく、ついこの間まで敵国の娘だった……風当たりはよくなかったはず。でも自分の在り方を見失わなかった。どんな主張でも、貫き通さなければ意味がないのよ」
 そう。実際、アナスタシアに対して表立ってではなくとも、陰口を叩くような人間だっていたはずなのだ。こういう性格だから余計に。
 だが彼女は、帝国に帰りもしなかったし、シャンバラにある百合園で、自身の考えを憚ることなく主張していた。
「とは言ってもね」
 亜璃珠は桜子に微笑んで、次にアナスタシアにそれを移した。
「この子にも学ぶべき点はあるでしょう。このままでは新たな生徒やマナーを受け入れる前に、また争いになるわ。ほら、アナスタシアって自己主張の仕方がちょっと強すぎるもの。
 これまでの百合園が育んできた、形のない女性の在り方……それは桜子が知っているんじゃないかしら」
「つまり、それはどういうことですの?」
「桜子にはない強さ、アナスタシアにはない心。選挙の結果はどうあれ、二人がそれを補完しあえば、もっといい百合園が作れるのではなくて?」
 そこまで言って、亜璃珠はその微笑を、面白そうなものを見る目に変えて。
「例えば……大和撫子って、いい嫁の条件でもあるわね。旦那に尽くしてみるのもいいんじゃない?」
「旦那?」
「そう……アナスタシア、とか?」
 疑問形で言っておいて、彼女はちっとも疑問形ではない表情だった。楽しそうで、ちょっとした意地悪が混ざっているような顔だった。
「それはいわゆる女房役、サポートをするということですよね」
「さあ、どうかしら? パラミタでは同性同士結婚もできるのよ?」
 亜璃珠ははぐらかす。さっきの百合の話を思い出して、桜子の顔が赤くなる。
「私はあまり難しい話はわからないですが……そうですね。きっと、すぐに仲良くなるのは難しいし、本当に大変なのはこれからかもしれませんけど……」
 マリカは儚げな顔に控えめな微笑を浮かべた。
「それでもちゃんと受け入れてくれるのが、この学院のいいところなのではないかな、と思います。私もその……魔族ですけど……今は幸せですよ。またこうして皆さんにお茶をお出しできれば、嬉しいです」
 たとえ選挙が終わっても、また再び二人が同じ席に着くことを願っているのだと、それが分かって、桜子のその線の細い顔立ちにほっとしたような、でもぴしっとした緊張感が生まれる。
「でも、そうですね。落選してもどう百合園に貢献していくかは大事、ですよね。生徒会でしかやれないこともありますけど、生徒会でなくてもやれることはありますから……。
 落ちたら何もしない、というのは違うと思うんです。自分の中で。生徒会役員のサポート的なことができればいいと思います。その、アナスタシアさんが良ければ、ですけれど。周りにサロンの方がたくさんいらっしゃいますし」
「いえ、私も、思想が同じ人間だけでは視野が狭くなると思いましたの。私に共感して下さる方は、もちろん大事ですわ。けれどそうでない方もまた、大勢いらした……。
 今回のお茶会に参加して、様々な方たちにお会いして、それが少しだけ分かったような気がしましたわ。というか、あれだけ諭されて全く変わらない、そんな人間にはなりたくありませんでしたから。全部分かっているとは言えないでしょうけれど……」

(恐れ入りますが、生徒会長の立候補は辞退させて頂きます。皆様にご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません)
 真口 悠希(まぐち・ゆき)は探していたアナスタシアと桜子、二人の姿を見つけると、彼女たちの前で立ち止まった。
(理由は色々あるけれど……静香の問題で不安に思う人がいるかもという事もあるし、それに二人の事も気になる……)
 そして彼女たちに向かって話し始めた。
「立候補は辞退しました……情けない様ですが、ボクは…こんな状況になると、つい……自分の事より他の方が落ちる事が心配になってしまって」
「けど最初は自分がやらなきゃと思い立候補しましたが、今の皆様を見る限り……大丈夫な気がして」
「落ちると言えば……ボクが感じる限りお二人のような強い拘りを持つ主張の方は受け入れられにくい気がしています。
 今は多くの方は……どちらにも偏らない中立で皆仲良くという百合園を望んでいると感じるので……」
「でも…勿論貴女達の拘りが間違っている訳ではなくて」
「大切なのは……落ちてもめげずに頑張る事、あ……考えの違う周囲の方も大切にして、そうしたら今は十分浸透してないお二人の事も認めてくれる方は増えてくると思います」
「アナスタシアさまが本質が大切という事に気付いた事、桜子さまが自分を変えようとなさっている事……」
「ボクは……思えば相手の方に信頼して欲しい力になりたいと思う余り、頑張って主張しようと背伸びし過ぎていたかも。もっと……こうして自然体で接すれば良かったのかもしれません。
 ……この選挙は皆が自分を見つめ直したり互いに理解し合う良い場になりましたね」
 黙って話を聞いていたアナスタシアだったが、髪をかきあげ、にっこりと、完璧で華やかな微笑を浮かべた。
「そうですの。貴方のお考えは、これ以上言葉を交わす必要がないくらい、よく分かりましたわ。……では、ごきげんよう」
 桜子は、ぺこりと頭を下げただけだった。
 悠希は、そのままこの場を去っていく。辞退を他の候補者にも告げることが、今の目的だったからだ。
「では、私も一足先にお茶会に戻りますね。……アナスタシアさん、私はまだ負けるつもりはありませんよ」
 桜子は礼をして、お茶会会場に戻ろうとした。アナスタシアにはまだ話したそうな人たちがいたからだ。
 琴理もまた少しだけ時間差を置いて、席を立ち。小さく呟いた。
「誰が会長になったとしても、こういう場だけは──お茶会の予算だけは、何とか計上しなきゃ、ね。それが百合園のいいところだから」
 それとも実際に会計になれたとして、もし資金繰りに頭を悩ますことになったら、安くて美味しくて素敵なお茶会を計画するのも仕事になるのだろうか?
 まるで主婦みたいだな、と彼女は一人思うのだった。

 そして桜子がカフェを出て、身支度を整えようと控室に行こうとした時──。
「──あの、済みません」
 彼女の背中に声をかけたのは、同じく生徒会長に立候補した、長い黒髪の、淑やかな少女だった。