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リアクション
お茶会の会場となったホールの隅っこで、ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)は気難しい顔をして、腕を組んでいた。
(うーん、戦況は芳しくないわね。まったく舞ったら、空気な生徒会長でいいとは言ったけど、空気な生徒会長候補でいいなんて私は一言も言ってないわよ……。
やっぱり舞が何と言おうと最初から私がプロデュースするべきだったわ)
ブリジットの苛立ちとは別に、当の橘 舞(たちばな・まい)はのほほんとした雰囲気で、会場の飾り付けを手伝っていた。のだが……。
「──緊急作戦会議するわよ、舞。私の言うとおりにすれば、当選間違いなしよ、って……どこ行くの?」
「ちょっとお花を摘みに」
何故だかブリジットの視界から徐々に逃れるようにして、こそこそと会場を抜け出そうとするパートナーにブリジットが問えば、不自然な回答が返ってきた。
不自然な回答と不自然な態度。いつもと変わらないおっとりとした様子に見えるが、そこはパートナーだ、何か隠している、ということくらいは検討が付く。
そう……どうも、自分たちには見られたくないらしい。
ブリジットは、もう一人のパートナー金 仙姫(きむ・そに)と顔を見合わせ、黙って頷いた。二人して、そうなのー、とか言っておいて、片づけを手伝うフリをして、視界をわざと外した。
隠しきれたと思ったのか、舞はそのまま会場を抜け出す。その後を、ブリジットたちは尾行した。
やがて舞がスタッフ用のカフェの近くで、桜子を呼び止めているのが見えた。
ブリジットたちは通路の影から顔を出して、様子を伺う。何だか張り込みをしている気分だ。
「うーむ、あれはなぁ……。舞はどう考えても、圧力をかけたりする性格ではないからのう」
「舞だからね。桜子じゃなければ、逆に圧力かけられかねないわ。むしろ言いくるめられるかも」
「ふぅ、放っておけば自滅してくれるものを、敵に塩を送るか……。だが、溺れる犬を棒で叩くような人物では、付き合いを考えねばならんところじゃからな」
「いやでも。なんでよりによって守旧派の対立候補の桜子を励ましてるのよ」
たっぷり間をおいて、ブリジットはちょっとだけ呆れたように言った。
「…………まぁ、舞らしいって言えばらしいけどね」
それはお人よしのパートナーのことを、口では色々と言いながらも、本当は暖かく見守っている彼女の気持ちが表れていた。
──が。
「そうじゃな、舞だけに……これが本当の舞ペース」
仙姫の渾身のギャグに、二人の間を一陣の涼風が吹き抜けた。
「桜子さん、お昼はお疲れ様でした。無事に終わりましたし、夜までもう少し頑張りましょうね」
舞に話しかけられて、桜子はぺこりとお辞儀をした。
「はい、お疲れ様です」
「私も私らしく、精一杯の真心を込めたおもてなしをしたいと思っています。皆さんの理想を聞いてみたところ、誰が生徒会長になっても期待できそうです」
舞は穏やかな笑顔を浮かべながら、桜子に本心を伝える。
ただそれは、舞にしてはちょっとした苦言を呈するということでもあった。
「でも──桜子さん。立候補演説では、百合生の代表たる生徒会長職と学院への真摯さと熱意が感じられて、新入生なのにと感心したのですが……お茶会の席での桜子さんからは、それが感じられませんでした」
桜子は、ズバリと指摘されて、言い淀む。彼女にも多少なりとも自覚があったことだった。
初めての大きな試練の前で、多くの候補者たちの中で、誰かに頼ってしまってばかりで──自分で考えた自分らしいおもてなしが出来ていないのではないか、と。
「……それは……」
「伊藤さんを真似ているのかもしれませんが……借り物の姿と言葉で、今のまま仮に当選しても、この先ずっと自分を偽りながら生徒会長を続けるのは、とても辛いと思いますよ」
舞は思わず俯きそうになる桜子の小さな手をそっと包み込んだ。
「……大丈夫、飾る必要なんてないですよ。あなたの信じる道を、あなたの言葉と行動で示していけば、その想いはきっと皆に伝わります。
私は対立候補である以前に同じ百合園の先輩ですからね。目の前に悩んでいる後輩がいたら肩を叩いてあげるのは当然じゃないですか」
舞にとって、それはただ「同じ百合園の先輩として」の気遣いだったけれど……もしかしたら、かつて「似たような思いをした先輩」としての言葉だったのかもしれない。
どちらかというと、桜子よりはアナスタシアに似ていた舞ではあるけれど。誰かを演じたり、自分ではない誰かになろうとして──何者でもなくなってしまった過去を持っていたから。
「……ありがとうございます」
「選挙、お互い最後まで頑張りましょうね」
それ以上多くは語らず、笑顔を残して、舞は会場へと戻った。幸いパートナー達はまだ会場で備品の入れ替え作業をしている。
(もしかして、気づいているのかもしれませんけどね)
舞は遅くなりました、と言って、彼女たちの話の中に入っていく。
──桜子は、去った舞の手の温かさと柔らかさを握りしめながら、ああ、いい人なのだな、と感じていた。
確かに誰が会長になっても、大丈夫かもしれない。だが、自分自身がなっても、なれなくても。それまでの過程、そこから続く自分の道はまた別にきちんと存在するのだった。
「……私、パラミタの百合園に来て良かったって思います」
春佳の背中を追いかけてここまで来た桜子は、自身でも、彼女になれないことは分かっていて、だからこそいつの間にかその影に重なろうとしていたのかもしれない。
自信がない部分があって、経験がない部分が多くて。そうしていれば間違いがないと思っていたのだ。けれどそこにあてはめようとして見ても、影はぴったりと重なることなどない。影に心を動かされる人もいない。
自分に暖かな声をかけてくれた人は皆、彼女自身気づいていなかった、桜子の姿を見てくれたのだと──。
きゅっと掌をもう一度握りしめ、彼女は控室へと身支度をしに行った。
髪と服を整えて、新しいエプロンを付けて……それからもう一つだけ。買っておいたのになかなかつけられなかったヘアピンを髪に挿すために。
(──易経に曰く「君子豹変、小人革面」)
アナスタシアの隣で。宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)は心中で、古い言葉を思い出していた。
桜子の後姿を見送る、アナスタシアの視線からは、小馬鹿にしたような色は感じられない。
「『君子豹変す』とはいうけど、ここまで切り替えや飲み込みが速いとはね」
話しかけられ、アナスタシアは眉をひそめた。
「……まだ、何かありますの?」
さっき電話番号を交換して話は終わったはずだと、そう言いたげだった。先程交わしていた会話は、まるで喧嘩のようになってしまっていたから。
「……悪かったわ。さっきはきつめの、攻撃的な物言いだったもの。ごめんなさい」
祥子は、昼間の会話を彼女に謝罪した。
「いえ、いいですわ。……よく考えてみれば、シャンバラの方々に疑問を持たれても仕方ありませんもの。私は、帝国の出身ですから。誰がそれを行ったにせよ、『古代から、エリュシオン帝国はシャンバラへの侵略を行っていた』ことに間違いありませんわ」
アナスタシアは肩をすくめた。
「私は、私の祖国の全員が悪人ではないことを知っていますし、戦争という者は複雑な事情が絡みますから、エリュシオンが絶対的に悪で、シャンバラが絶対的に善だという価値観は全く信じていませんの。たとえどのような中傷を受けようと私が攻め込んだわけではありませんもの、いわれなき言葉に屈する必要はないと思っていましたの。永遠の謝罪など真っ平でしたから。
けれど、だからこそ跳ね返しすぎたのでしょうね──実際に侵略され傷ついた方々の心情を思いやったり、そういった方たちの立場からの視点を忘れていたのですわ」
「……それで、提案なんだけど。『日本の一部のマナー』のことをもう少し深く識ってみたらどうかしら? 先程の話に出た、桜子さんの心、っていうのをね」
「貴方がご存じなの?」
「私も日本人だから。
日本のおもてなしは如何に客を気持ちよくするか、心の癒しを提供できるか? にある。茶道に大切な『人と人の調和』はホストと客の信頼関係が一層豊かになるように互いに良い関係へつながるように考える。
──貴女ならこれだけで今回の試験がどういうモノかわかると思うわ」
(百合園での作法やマナーの教育がそのまま外交交渉に利用できる。まあ、それを叶えるだけの実力も必要なのだけど)
アナスタシアは、祥子の意図を量り兼ねているようだったが、彼女は言葉を続ける。
「だからといって頑なに墨守するのがいいとは言い切れないけどね。どんなに清らかな水も流れずに留まれば淀み濁るのだから」
ところで、と、祥子は話題を変えた。今までの話はアナスタシアが聞いて、彼女なりに判断すればいいことだ。
できるなら、成長してゆく彼女を見てみたいけれど。
「百合園にいる地球人と契約する意思はある? 契約者だから良いとかでなく、より深く異文化に触れる一つの契機として。お互いがより大きく成長するための契機として、ね」
「契約……」
アナスタシアは意外な言葉を聞いたように、少しだけ目を丸くした。
エリュシオン人だからといって、契約できないわけではない。歴史上、シャンバラと地球との接触が深かったということと、必要に迫られた人々が多かったというだけだ。
「……いいえ、今は考えていませんわ。というより、考えていられませんの。今は私が私個人として、会長として為すべきことをするだけですわ」
彼女は席を立ち、手すりに手を付き、軽く体重を乗せた。
「そして今は、契約者としての力も立場も必要としてはいませんわ。契約せずとも、誰かと会話はできるのですもの。それは後のお楽しみにしておきますわ」
アナスタシアが将来帝国へ戻るか、地球へ行くか、ここに留まるかも、彼女は決めていない。もし契約すれば、きっとそれは彼女を縛ってしまうだろう。
そうして彼女が手すりから手を伸ばした時──、
「おい、引っ込め!」
「きゃあっ!」
少年の手に引かれて、アナスタシアは甲板に倒れ込んだ。
「な、何をなさいますの──っ!?」
抗議の声をあげて、顔を上げて、目の前を通り過ぎた銀の鋭い輝きが、通り過ぎて、彼女は息を呑んだ。
手を引いたのは、白銀 昶(しろがね・あきら)だった。
「ちっ、相手が水の中じゃ、俺の鼻も効きにくいってワケかよ! おい、そっちは!?」
ティーポットを置いた清泉 北都(いずみ・ほくと)が展開した“禁猟区”がびりびりと震えた。
「敵は一体──いや、まだ二、三体、来るかな」
銃型HCを起動し、警備担当者に知らせつつ、彼は返答した。
時と共に深い色になり、見通せなくなる水面付近。“ダークビジョン”で視界を確保しながら、目を凝らす。
銀の輝きは水面に吸い込まれ、水中を回遊し、再び水を跳ね上げた。輝きは鱗と、そして長く鋭いヒレによるものだった。魚らしい無機質な瞳。開いた口には、鋸のように鋭い牙が並んでいる。
「おい、どうした? いいから下がれ!」
アナスタシアを庇いつつ立つ昶が問ったが、彼女は首を振るばかり。
「こ、腰が抜けて……立てませんわ」
「なんてこった……よっ、と」
刃魚は口を大きく開き、昶の元へとやってくる。跳躍力は意外にも高かった。
彼は引き抜いたテーブルクロスを巻き上げて、身代わりにした。“空蝉の術”だ。布は一瞬にして食いちぎられ、刃魚はデッキに跳ねた。
アナスタシアの口から悲鳴があがりかけるが、北都が“則天去私”を打ち込んで、一匹を昏倒させる。
「なるべく静かに、血を流さないようにねぇ」
北都に言われ、昶は分かってる、と頷いた。こういう場合でなければ、魚の腹を掻っ捌いた方がお好みなのだが。
「来賓が居る船上で暴れるのは良くないからな」
アナスタシアが背後にいて、動きが取りづらい。感覚を集中させ、水の音を聞く。
昶は彼女の前に立ちはだかると、その黄金に輝く両眼を──見開いた。
同時に、水面から飛びかかろうとした二匹の刃魚は、その眼に囚われた。びくびくと体を震わせうねらせると、そのまま海に逆戻りをする。
“鬼眼”で彼らを追い払ったのだ。
そしてもう一匹、背後からの敵は、
「アナスタシア様!」
マリカ・メリュジーヌ(まりか・めりゅじーぬ)の“バイタルオーラ”──かざした掌からエネルギー弾が放って、海へと落下していった。
「ふう、……大丈夫か?」
危機が去り、昶はアナスタシアに振り返った。
「このくらい平気ですわ」
彼女は気丈にそう言い放った。だが、立ち上がろうとしても、なお腰を抜かしているらしい。
「……っ」
顔を赤らめるアナスタシアに、彼はプライドが高い彼女には照れがあるのだろうと、その姿を本来の──狼の姿に変えた。
「なんだ、まだ立てないのか。……もふる?」
「……は、はしたないですわ」
「もふもふってはしたない行動なのか。でもまあ、もふりたい時は遠慮なく言ってくれよな」
「そ、そこまで言うなら……もふらせて差し上げても宜しいですわよ」
と、言って。彼女はその手を耳の間にちょっとだけ差し込んで、おっかなびっくり彼の頭を撫でる。
「ふわふわ、……ですわ。
……。
……言っておきますけれど、これは私が貴方の要望を叶えた、だけですわよ! ……でも、救っていただいて、ありがとうございます」
そうして彼らは魚は縛って警備に引き渡すことにして、北都は再び、彼らに落ち着くためのお茶を出すことにした。
もうすぐ休憩も終わりだ。今度彼女にお茶を入れるのは、選挙が終わった時になるだろう。
(選挙は部外者だけど、選ばれた人には「おめでとう」を。 落選した人には慰めの言葉もないけど、落ち着けるハーブティーくらいは淹れてあげられるかな)
北都はそんなことを考えながら、破れたテーブルクロスの後始末をする。
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