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リアクション
第4章 街・時計塔〜バルバトスとロノウェ、ヨミ
街で一番の高所である時計塔。それは街の中心でもあった。
どの方角からも見えるように、ドーム型の屋根には巨大な時計盤が四方を向いて設置されている。ドームの下に吊り下げられているのは、時告げる鐘。音色を邪魔することのないよう、やはり四方に石窓が開いている。
そのひとつから、魔神 バルバトス(まじん・ばるばとす)は塔の中へ着地した。
「はーい、とうちゃ〜く」
にこにこ笑って両腕に抱いていた魔神 ロノウェ(まじん・ろのうぇ)とヨミを床に降ろす。
そのつま先が床につくかつかないかのうちに、ロノウェは隅の暗がりから気配を感じとった。
「そこにいるのはだれ! 出てきなさい!」
「……私、です……」
過剰なまでに厳しい叱責の声にとまどいつつも、月光の届く位置まで出てきたのは、バルバトスの部下だった。名前までは知らないが見覚えのある顔だ。バルバトスの側近の1人として、何度かロンウェルの街にあるロノウェの居城を訪れたこともある。
「ああ、気にしない気にしないっ。ロノウェちゃん、今ちょーっとおかんむりなだけだから〜」
手をひらひらさせてそちらへ近づくバルバトス。
「それで? ちゃんと用意してある〜?」
「はい。ロノウェ様も、どうぞお確かめください」
差し出されたのは、エメラルドグリーンの自分の服だった。その下に、ヨミのポンチョやズボンがある。そして、彼の背後の壁にたてかけられているのは、迎賓館の部屋に置いてきたはずのハンマー……。
「すべて最初から仕組んでいたんですね」
「えええっ? ロノウェちゃん! まさか本気で人間なんかと対等のテーブルについて話し合うつもりだったの〜?」
バルバトス、超びっくり〜。と言わんばかりに目を丸くして、大げさに驚いて見せる。
そう言われると、ロノウェとしては返す言葉がなかった。
東カナンからの講和会議の申し出を受諾してから、この地へは人間と話し合いにきたのだと……そのことを不愉快に思いこそすれ、それ以外思いつきもしなかった。自分がそれだけうぶだということか。
しかし……。
「あなたは、私を囮として利用した」
「囮って〜? あーんな豪華な部屋にいて、ちやほやされる以外、何か危険があったとでも言うの〜?」
バルバトスの言葉はいちいちもっともで、ロノウェは口を閉じる。
もう何を言ったところで無駄だ。言葉は返される。バルバトスはとうにこちらの言いそうなことに対する返答を用意済みだ。
思えば、彼女に口で勝てたためしなどないのだ。冗談でも、本気でも。
すべては、用意済みだったのだ。
不快さがそこにあることを、どうすれば伝えられるのか……。
「まぁまぁ。いいから、着替えちゃいなさいよ〜。いつもの格好に戻れば、気分も一新できるわよ〜。んねっ?」
「ロノウェ様……」
「……行きましょう、ヨミ」
促されるまま階下に下りて、借り物のドレスから自分の服に着替える。
あのときは口にしなかったが、とてもきれいなドレスだった。美しさは、人間の物だろうと魔族の物だろうと変わりない。洗練された、美しいドレス。肌触わりもやさしく、足にふわふわとまといつく裾の感じが気持ちよかった。
しかし、脱いで初めて気づいたことだが、胸元のレース飾りに血が飛び散っていた。バルバトスに切り裂かれたアナトの血だ。このドレスが似合うと言ってくれた、アナトの血……。
汚れてしまったとはいえ、こんな場所に捨てていくのもなんだか惜しい気がして、ロノウェは丁寧にたたんだドレスを手に、ヨミと再び最上階へ戻る。
そこにはもう、バルバトスしかいなかった。
バルバトスは石窓から火の海と化した街を見下ろして、クスクス嗤っている。
「ふふっ。見て見てロノウェちゃん。あんなにどこもかしこも炎に包まれて……人間たちが逃げ惑ってる。巣を壊されたアリみたいじゃない? 罠は完成して、どこにも逃げ場なんかないのに〜。ああ、おっもしろーいったらないわぁ♪
こんな都、跡形もなくすべて灰と化せばいいんだわ〜。人間なんて、1人残らず苦しんで、苦しんで、もがきながら死んでいけばいいのよ〜」
オレンジの光に照らされた横顔。
ここはほんの手始めにすぎない。これをカナン全土で……いいや、必ずパラミタ中の人間をこうしてやると、その横顔は言っていた。
同意も否定もせず、黙して立つロノウェ。
やがて、何者かが横の石窓に降り立った。どうせまたバルバトスの配下の悪魔だろう、そう思いつつそちらを向く。しかしそこにいたのは、秋葉 つかさ(あきば・つかさ)だった。
黒煙吹き上がる街を飛んできたためか、ツインテールの髪は乱れ、服もすすけている。
「バルバトス様……」
つかさはせつなげにその名を口にし、塔の内部へ飛び降りた。彼女の目にはロノウェもヨミも映らず、バルバトスしか見えていない。
「あら〜、ウサギちゃん。こんなとこまで追ってきたの〜? かわいいコね〜。そんなに私の尾が気に入ったってワケ〜?」
コツコツとハイヒールの音をたてて歩み寄ったバルバトスは、ぴしりと尾を打ち鳴らす。
「バルバトス様、どうか私を置いて行かないでくださいませ……!!」
バルバトスがいなければ、身も世もない。体裁も、自尊心もかなぐり捨てたかのように、つかさはその足下に身を投げ出してすがりつく。
「おそばに置いてくださるのであれば、誠心誠意、この身を持ってお仕えさせていただきます。いかようにもお使いくださいませ」
そう言いつつ、つかさは肩越しに背後のロノウェを盗み見た。
ロノウェはこの騒動に全く興味が持てないと言わんばかりの無表情でそっぽを向いて石窓に腰かけ、膝上のヨミと一緒に下の街を見下ろしている。
だがつかさは、あの会議室で見せたロノウェの反抗を忘れていなかった。バルバトス本人は気にもとめていないようだが。
ロノウェはバルバトスを裏切る。たとえそれが今でなくても、近いうちに。必ず。
まるで本に書かれた文字を読むように、つかさには確信があった。そしてそのとき、バルバトスを守るのは自分しかいないと。
「んふっ。ほんと、健気なウサちゃんよね〜」
その忠誠心を見抜いてか、バルバトスは満面の笑みで、くい、とあごを持ち上げ上を向かせる。うっとりと自分を見つめるつかさを見下ろして、唇に指を這わせた。その指をつかさはなめ、しゃぶり、くわえる。
一心に指を吸うつかさはまるで気付いていなかったが、彼女を見るバルバトスの笑みは、酷薄なものへと変わっていた。
「何かほしいというんだったら、それなりの働きを見せなきゃ〜。賢いウサちゃんなら分かるでしょ〜?」
バルバトスの瞳が明度を増した。水色の虹彩がまるで銀のようになり、瞳孔のみが異様に目立つ。
「ご褒美は、そ・れ・か・ら♪」
「はい……バルバトス様……」
応えるつかさの声から、一切の感情が消えた。
それまで足にすがりついていた手がぱたりと落ちる。
「私はバルバトス様の忠実なしもべにございます。何なりとご命令ください」
そしてつかさはふらふら立ち上がると、一礼し、石窓から飛び立った。居城へ向けて。
バルバトスから受けた命令――居城にいる人間を皆殺しにするために。
「ロノウェちゃん、知ってる? ペットのいいところはね〜、かわいくて、健気で、従順で。そしていくらでも取り換えがきくってことなのよね〜。オモチャと同じで、いらなくなったら壊しちゃえばいいし〜」
捨てるのは駄目よね、無責任だわ。
「あ、ほらほらっ。見てよ、ロノウェちゃんっ。あそこ! 城へ向かってるバカがあんなに〜。あ、あそこにもいるー♪ ほーんと、いいエサになってくれてるわよね〜、あの裏切り者たち。
ふふっ。仲間にしてくれだの、勝手にまとわりついてきたりしてかなりうっとうしかったけど、そういう意味ではあの者たちも少しは役に立ったというわけね〜。これなら、あとは城を壊すだけですみそう〜」
「え? ですが、それでは彼女も一緒に――」
「だから? たかが人間じゃなーい。もう用済みだし〜。巻き添えでやられたからってなんだっていうの〜?
ロノウェちゃんたらさっきからおかしいわよ〜? 人間なんかをかばったりして。どうなったっていいじゃない、あんな者たち。それとも例の会談とやらで、やつらに感化されちゃったとかぁ?」
「違います」
人間などの味方をする気は毛頭ない。あれは敵だ。魔族の数千年来の悲願の前に立ちふさがる者。
だが、これは……。
「さあロノウェちゃん。さっさと城を壊して、ここの者たち全員殺して、帰りましょ〜。ここで見てるのも楽しいけど、なんだかすすけてきちゃった。今日はいろいろと動いてもう疲れちゃったから、早く帰ってシャワー浴びたいのよね〜」
手櫛で髪を梳き、もつれ具合にふうと息をつく。
バルバトスは、ロノウェの様子に全く意を払っていなかった。次の瞬間までは。
「それはご命令ですか、バルバトス様」
その言葉に、バルバトスは一瞬目を瞠った。ほんの一瞬だけ。
「命令よ、ロノウェ」
「分かりました。
ヨミ、全軍に通達を出しなさい。目指すは領主の居城一点。あれが陥落すれば、勝利はわが軍のもの。些事にかかわることはありません。あれでは展開のしすぎよ。全軍を編成し直して、居城につながる大道のみの8隊にしなさい。向かってくる者のみに対処し、逃げる者は放置。むしろ彼らが退路を求めて散じていれば、それだけ邪魔をする者たちの手をふさげるわ」
「は……は、はいなのですっ」
目を合わせない2人の魔神をきょろきょろと見比べたあと、ヨミは屋根の上を走った。
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