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【ザナドゥ魔戦記】アガデ会談(第2回/全2回)

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【ザナドゥ魔戦記】アガデ会談(第2回/全2回)
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第2章 迎賓館・会談会議室

 窓の向こう、アガデが燃えていた。
 迎賓館は賓客のプライバシーを守るため、街からは少し離れた高台にある。坂を挟み、正門、前庭を挟んだこの距離からでもはっきりと見える吹き上がった炎――民の臨時避難所とされた大聖堂が燃える様を、バァル・ハダド(ばぁる・はだど)は声もなく、ただ見つめていることしかできなかった。
 重厚なカーテンの影から、カルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)を石化させて戻ってきたマッシュ・ザ・ペトリファイアー(まっしゅ・ざぺとりふぁいあー)が上半身を出す。
「えへへっ♪ 領主サマの石像っていうのも面白いかもー?」
 ペトリファイを放とうとしたマッシュの手に、緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)の我は射す光の閃刃が飛ぶ。
 クスクス笑って猫のようなしなやかな動きで影にまた潜り込むと、マッシュは部屋の下手にいるシャノン・マレフィキウム(しゃのん・まれふぃきうむ)の影から飛び出した。
「バァル! しっかりしろ! 呆けてる場合じゃないだろ!」
 今しも石像にされかかっていたというのに何の反応も返せずにいたバァルの胸ぐらを掴み、七刀 切(しちとう・きり)が揺さぶる。
「まだ何も終わっちゃいないんだ!!」
「あ、ああ……すまない……」
 そう、言葉では返しつつも、バァルに衝撃から立ち直った様子はまだなかった。
 切が手を放した途端、バランスを崩して倒れてしまいそうな彼を見て、猫のようにうずくまったマッシュが目を細めてくつくつ嗤う。
「バルバトス様、足止めって言ったしー。なんだったら全員足だけ石化させよっかー?」
 できるかできないか分からないけど、できたら面白いよねー。
 試しにやってみるのもいいかも。マッシュは斬りかかるアナト=ユテ・アーンセトの相手で手いっぱいのルカルカ・ルー(るかるか・るー)の足元に、戯れでペトリファイを放とうとする。しかしその刹那、視界の隅で動くものを感じて、反射的後ろへ飛びずさった。
 一瞬遅れて志方 綾乃(しかた・あやの)の手が、マッシュのいた場所で振り切られる。その手に握られているのはティアマトの鱗。触れる物全てを切り裂く鋭利なそれを両手に持ち、綾乃は動きを途切れさせることなくマッシュに迫り、遠心力を利用した円の動きで彼を追い詰めていく。
 彼女のパワーと速度を、袁紹 本初(えんしょう・ほんしょ)が歌い上げる怒りの歌がさらに底上げした。
「ちょっとちょっと待ってよ。じょーだんだよー。何マジになってるのさー」
 それを聞き入れている様子は皆無だった。ヒュッと空を切って、ティアマトの鱗が横なぎする。かろうじて胸を裂かれずにすんだものの、マッシュの左腕に炎が走ったような感覚が起きた。しかし、こんなかすめた程度の傷は、リジェネレーションが瞬く間に癒してしまう。
「もうっ! いいかげんにしてよねっ!」
 傷よりも服を裂かれたことに憤慨して、マッシュはアボミネーションを発動させる。それを叩きつけようとした腕の肘を蹴り上げた綾乃は、間髪入れず空いたわき腹を切り裂いた。
「うわっ……マジ?」
 マッシュの血が綾乃のほおにも数滴飛び散る。
 攻撃に、ためらいがなかった。
 綾乃は完全に彼を殺す気で一撃一撃を繰り出している。
 彼に固定したまま視線を揺らすことなくほおをぬぐった動作が、それと伝えていた。
「……もう誰も殺させやしない……その前に、私がみんな殺し尽くしてやる……」
 すぐ正面にいるマッシュの耳にすら届くことのない、小さなつぶやき。彼女の内にある冷めたい怒りを表すのは、冴え冴えとした両眼のみだ。
 再びティアマトの鱗をふるい始める綾乃。無言で攻撃を繰り出す彼女の猛攻は凄まじく、マッシュはいったん距離をとるべく後方へ跳ぼうと試みる。しかしそれも見越していたように、綾乃はマッシュの動きに合わせて踏み込むとレガースで膝蹴りを放つ。
 痛みを知らぬ我が躯があるから少々の攻撃なら大丈夫、とたかをくくっていたマッシュの頬をかすめたのは、伸ばされたつま先。
 その瞬間、パキンと硬いものが割れるような音が体内でして、綾乃のシーリングランスによるスキル封じがきまった。
「えっ……?」
「これで終わりよっ!」
 蹴りそのものよりもスキルを封じられたことへの驚きによろけた後頭部を狙って、綾乃の上段回し蹴りが飛ぶ。キレのいい一撃。決まればマッシュは声を発することもできず、沈んだに違いない。しかし刹那に感じとった殺気が、綾乃の攻撃を止めさせた。
「……ッ!」
 綾乃の足が離れた一瞬後に、天の炎が床を焦がす。
「うちの子をいじめるのは、そのへんでやめてもらえるかな?」
「わーい、シャノンさーんっ」
「たしかに悪ノリのすぎる子だが、これでも結構重宝していてね。使えなくされると少々困る」
 シャノンの後ろに飛び込んだマッシュが、あっかんべーっと舌を出すのを見て、綾乃のこめかみがぴくりとはねる。
「これ以上するというなら私が相手になろう」
「……どうせ、全員殺るつもりだったもの。だれだろうが同じよ」
 低く構えをとる綾乃に、本初がますます歌声を張り上げる。彼女を、神速の使い手魄喰 迫(はくはみの・はく)が突如死角から襲った。
「なっ……!?」
「おまえの相手はあたしだ!」
 いつの間に回り込まれていたのか。そちらを向き、驚く暇もあらばこそ、迫の閻魔の掌がすぐ目の前に迫っている。必殺の一撃を防いだのは、彼女が握り締めていたヴォルケーノ・ハンマーだった。
「ちッ」
 ヴォルケーノ・ハンマーの柄にこぶしが当たり、威力を殺されたことに迫が舌打ちを漏らす。
 防げたのは全くの偶然だった。本初自身、どうして防げたのか分かっていない顔で目をぱちぱちする。そんな彼女に向かい、再び攻撃を仕掛ける迫。
 そのとき、横の白壁を破壊して、廊下から高性能 こたつ(こうせいのう・こたつ)が加速ブースターで突入してきた。
「皆さーーーーん! 伏せてくださーーーーい!!」
 かわいい声で警告を叫ぶこたつ。
 こたつ布団をなびかせる、彼女は、こたつだった。比喩でも隠喩でもなく、正真正銘、赤外線ヒーターとこたつテーブルとこたつ布団をフルセットで備えたコタツ型機晶姫である。あとはみかんかごと猫さえあれば、完璧だったろう。
 それが、壁を突き崩していきなり乱入してきたのだ。
 あっけにとられて、つい、こぶしの動きを止めた迫に、こたつは容赦なく2門のレーザーガトリングによるクロスファイアを放った。
 犬のように主人の元へ駆け戻る迫を追って、火線が流れる。
 そちらにシャノンの視線が流れた隙をついて、綾乃が仕掛けた。
「はぁっ!」
 かさがけに振り下ろされるティアマトの鱗。だがシャノンに触れるはるか手前、何もない空間で、キィンと鋼同士がぶつかり合うような澄んだ音がして、ティアマトの鱗が砕けた。
「シャノンにはそんな無骨な物など、髪ひと筋たりと触れさせたりはしませんよ」
 後方の東園寺 雄軒(とうえんじ・ゆうけん)が、穏やかな声で宣言する。
 ごく一部の者を除き、大多数の者の目には、ティアマトの鱗が突然破砕したようにしか見えなかっただろう。だがコンジュラーである綾乃の目には、はっきりと見えていた。雄軒の鉄のフラワシが、シャノンを覆うようにして背後から守護している……。
「ラグナ、行って!」
「おう!」
 綾乃の呼び声に応じて、ラグナ・レギンレイヴ(らぐな・れぎんれいぶ)が飛び出した。同時に綾乃もまた、ヒロイックアサルトを発動させてシャノンとシャノンを守るフラワシに挑んでいく。
 フラワシがこちらを守っているということは、術師本人は無防備だ。彼らは非武装でこの会議室に入っている。自身を守るためにフラワシを呼び戻すか、それともあくまで恋人を守ることを優先するか。
 バーストダッシュで一気に距離を詰めたラグナは曙光銃エルドリッジを構え、雄軒の顔面に向かい、ためらうことなくトリガーを引き絞った。
 うす暗い室内を走り抜けるビーム弾。その全てを、間に割って入ったドゥムカ・ウェムカ(どぅむか・うぇむか)が受け止める。突っ込んでくるラグナを掴み止めようと伸ばされたドゥムカの腕を、ラグナは笑ってすり抜けた。
「なに!?」
 エルドリッジで床を撃ち、生まれた推力を利用して壁に飛んだのだ。
「ばかか! てめぇが邪魔してくるのなんざ承知の上に決まってんだろ!」
 バーストダッシュの勢いを殺さず、ラグナは壁を走り、天井を蹴って雄軒の真後ろに着地した。間髪入れず、銃口が雄軒の後頭部を狙う。
「ぶちまけやがれ!」
 敵は殺すのみ。その冷徹な意志は、わずかの迷いも指先に生み出しはしなかった。
 雄軒は振り返ろうとしていたが間に合わない。放たれたビーム弾が、彼の頭を撃ち抜くのはほぼ確実に見えたのだが。
 雄軒にはもう1人、ドゥムカと双璧を成す機晶姫がいた。バルト・ロドリクス(ばると・ろどりくす)だ。ビーム弾を発射する寸前にバルトの腕がラグナの手首を掴み、動線をそらせた。ビーム弾は天井を穿ち、わずかに肩口を裂いたのみにとどまる。
 このまま握りつぶしてやろうか……そう言わんばかりの目がラグナを見下ろす。
 ラグナは、不敵に見返した。
「かかったな」
 握られたままの腕を軸とし、ラグナは跳んだ。ヴァルキリーの脚刀がバルトの兜にわずかに開いたスリットを狙う。反射的、頭を後方へ退いたところを見計らって掴んだ腕に至近距離から撃ち込んだラグナは、すかさず緩んだ手から腕を引き抜き、ツインスラッシュで蹴り飛ばした。
 体勢を崩していたこともあり、バルトは壁に激突する。
「俺の狙いははなからてめぇだよ、でかぶつ。
 こたつ、本初! そっちは任せたぞ!」
「はいっ!!」
「任されたのじゃ!」
 本初がヒロイックアサルトを発動させて、ヴォルケーノ・ハンマーを手にドゥムカに突き込んでいく。そしてこたつのレーザーガトリングが、雄軒、迫、マッシュを襲った。




 綾乃とそのパートナーがザナドゥ側についた者たちと死闘を繰り広げている同じ部屋の一角では、いまだルカルカ・ルー(るかるか・るー)がアナトとやり合っていた。
 とはいっても、ルカルカはもっぱらレーザーナギナタの柄を用いての防戦一方だ。アナトのふるう双剣をかわせるだけかわし、かわせなければすり流す。
 「やめて」と口にするのはもうやめていた。
 魔神 バルバトス(まじん・ばるばとす)に殺害され魔神 ロノウェ(まじん・ろのうぇ)に魂を奪われた以上、今のアナトはザナドゥ側。自由意思は奪われ、彼女が望む・望まないに関係なく、魔神の命令には逆らえない。
 そしてバルバトスは、非情にも彼女の婚約者であるバァルや友人のルカルカたちを切り殺すよう命じて去った。
 今、その冷酷な命令が、アナトを支配している。
 彼女は東カナン12騎士の1家、アーンセト家の者。その血筋と生来の才から、繰り出す剣技は冴え、弧を描いて流れるような動きは剣舞を舞っているようにすら見える。それでいてルカルカの防御を突き崩すべく立てられる刃は速く、重い。おそらく彼女に勝てる者は、同じ騎士でもそうはいないだろう。
 しかし、いくら魔神の命令によりためらいが払しょくされているとはいえ、数々の死線をくぐり抜けてきたルカルカの敵ではない。ほんの数げき合わせただけで、それはだれの目にもあきらかだった。
 分かっていながらルカルカをためらわせているのはただ1つ。バルバトスが彼女に下したもう1つの命令――できなければ自らの首をはねろというものである。
 ヘタに反撃をして、それと判断すれば、彼女はためらわず自らの首をその剣ではねるだろう。
 魂を奪われ不死の肉体となっているとはいえ、首と胴体が別々となって生きていられるとは到底思えなかった。たとえ生きていたとしても、魂が戻った瞬間彼女は死ぬしかなくなる……。
 うまく動きを封じられればいいが、失敗すればアナトは死ぬのだと思うと迂闊な真似もできず、ルカルカはひたすら時間稼ぎをしているというわけだった。
 ああ、それにしても。
「泣かないで、アナト。こんなこと、あなたがしたくてしているわけじゃないのは分かってるから……」
 双剣が彼女をかすめてそこに小さな切り傷を作るたび、アナトのほおを伝い落ちる涙が、キリキリとルカルカの胸を締めつけた。
 負った先から消えていくようなこの程度の傷、なんともないと言ったところで無駄だろう。友を傷つけているということ自体が、アナトの心を傷つけているのだから。
 このままではいけないのは分かっている。だけどどんな方法がある?
 アナトを一切傷つけることなく、拘束する手段……。
「アナトさん……」
「さる!?」
 決断を下せずにいるルカルカのためらいを見て、姫宮 みこと(ひめみや・みこと)が意を決して前に出た。
 対象者を眠らせ、無力化させることができるスキル・子守歌を歌う。これならアナトを止められるのではないかと。
 しかし子守歌は精神に作用するもの。肉体と精神をつなぐ糸が分離しているも同然の今のアナトの動きを止めることはできなかった。
 それでも、ほんのわずかでいい、動きを止めること……そしてルカルカへの攻撃をやめさせることができればと、みことは懸命に歌う。そんなみことに、アナトが反応した。
 自分に向け、何かをしていることに気付いたのだ。
「危ない! 避けて!!」
 思わず伸ばしたルカルカの手の先、一気に距離を詰めたアナトの双剣が左右からみことめがけて振り切られる。
 受け止めたのは本能寺 揚羽(ほんのうじ・あげは)とバァルだった。
 クレセントアックスとバスタードソード、2人の剣が立てられ、阻止する。
「バァルよ、おぬしいつまでもここで何しておるのじゃ!」
 スウェーで受け流し、振り切って距離をとらせた揚羽が振り向く。
「さっさと城へ行かぬか!」
「しかし……」
 再び向かってくるアナトに身構えるバァル。パシッと音がして、アナトの左腕にダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)の羅英照の鞭が巻きついた。
「いいから行け、バァル! ここは俺たちでなんとかなるが、アガデはおまえにしか無理だ!」
「そうです、バァルさん」
 みことも頷く。
「アナトさんを救いたい気持ちは分かります。だけど、あなたには責任がある……そうでしょう?」
「――すまない」
 剣をおさめ、扉に向かおうとしたとき、破壊された壁の向こうに巨大な機械の竜――ジェットドラゴンが浮かび上がった。
「この竜は相乗り可能ゆえ、乗りたい者は乗れ!」
 夏侯 淵(かこう・えん)が手を差し出す。
 その向こう側では、彼によって石化を解かれたカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)が、自翼を用いて飛んでいた。
「いや、わたしたちを乗せていては速度が落ちる。きみたちは一刻も早く城へ向かって、上空の魔族から城の者たちを守ってくれ!」
 バァルの言葉に、淵は居城を見た。
 迎賓館とは街を挟んで相対にある城は今、内部で音と光を発し、黒煙を所々から吹き出している。
 そして上空を埋める、飛行型魔族。
「承知した」
 淵は固い表情で頷き、ジェットドラゴンを旋回させた。カルキノスの放つ天の炎がさながら天罰のごとく前方の魔族を撃ち落とす中、ジェットドラゴンもまた炎を吐きつつ居城へと向かう。
 そしてバァルも、扉へと身をひるがえしたのだが。
 鞭を一刀で切り捨て、魂を奪われた代償として跳躍力の増したアナトが揚羽とみことの頭上を跳び越えて、ドアノブに手がけたバァルに斬りつけた。
「バァル! くそっ……!」
 振り切られた剣を、切の光条兵器・大太刀『黒鞘・我刃』が鞘で受け止める。
 だがそれを見越していたというように、同時に繰り出されていた強烈な蹴りが腹部に入り、切をバァルごと背後に蹴り飛ばした。
「だれもこの部屋より出ることは許しません」
 扉の前に立つアナト。双剣は、ルカルカとバァルの血にうっすらと染まっている。
 すっと身を沈ませ、斬り込もうとした彼女に、王城 綾瀬(おうじょう・あやせ)が不意打ちでタックルをかけた。転がった椅子やテーブルの残骸を弾き飛ばしながら、強引に部屋の中央へと押し戻す。
「さあ、行きたいヤツはとっとと行って!」
 双剣を持つ両手首を床に固定し、振り払おうとするアナトの上に馬のりになって綾瀬が叫ぶ。
 バァルたちが退室していくのを見届けて、綾瀬は次に、ロノウェに吹き飛ばされて以来壁で呆けっぱなしのトライブ・ロックスター(とらいぶ・ろっくすたー)へと目を向けた。
「そこのばか! あんたもよ!」
 綾瀬の檄に、トライブがハッとなる。
「あんたにはまだやるべき事があるでしょ? ばかはばかな行動しかできないんだから、いくら考えたって無駄よ! いいからとっととばかやってきなさい!」
 まだ夢覚めやらぬといった表情で目をしぱたかせたトライブは、ぼんやりと両手を見た。アナトの血がべったりとついた手、上着、そしてぐっしょりと濡れた膝……。
 徐々にトライブの目に光が戻り始める。
 ぎゅっと手をこぶしにして立ち上がり、綾乃たちの戦闘をくぐり抜けて破壊された壁へと駆け寄る。そこから下へ飛び降りようとして、部屋の中を振り返った。
 床に組み伏せられたアナトを、強い決意を漲らせた目で見返す。
「姐さん……いや、アナト! 聞こえてるか! きっと俺が何とかする。だから絶対に諦めんな! 俺を信じろ!」
 バッと空中に飛び出し、バーストダッシュで館の敷地を抜けるや街の時計塔を目指した。
「……まったく。他人の女だっていうのに、あそこまで熱くなっちゃって」
 あきれたように綾瀬がつぶやく。その気がそれた一瞬を狙ってアナトの膝が割り入った。強化された足で強引に綾瀬を蹴りはがし、剣をひらめかせて距離をとる。
「ちぇっ。傷つけないようにやるって、ほんと面倒くさいわね」
 トライブがあんなに執心してなかったら、両腕とも骨ごと砕いてやったのに。
 でも、そうすればもう攻撃できないし自殺もできないから一石二鳥よね。
「……ああ。それがいいかしらね」
 あの足も凶器だから、折ってやれば飛びおりもできないし。どうせあとでフラワシ使えば治るんだから、ダルマにしてやってもいいんじゃない? 何やったって、死なない体なんだから。
 くつくつと笑って、離れる際に裂かれた手首から垂れた血をなめとる。
 殺人狂の彼女の不穏なつぶやきを聞き取ったルカルカが、素早くダリルに視線で合図を送った。
 ダリルがPキャンセラーをアナトにぶつける。
「!」
 驚き、足元に転がったそれを警戒する隙をついて、ゴッドスピードで背後へ回り込んだ。
「あっ!」
「来い、ルカ!」
 両腕を掴み、無理やり剣を手放させたあと固定する。そのときにはもう、ルカルカは飛び出していた。
「ごめんね、アナト」
 抱き締めて耳元にささやく。彼女の手元で、白光が輻射した。見る者の目を射るほどに強い、一瞬の光線。閉じた目を開いたときにはもうアナトの姿はなく、ルカルカの手の中、封印の魔石にその身を移していた。
「これでよし、と」
 手早くきんちゃく袋に入れたルカルカは、お守りのように首から下げて鎧の下に落とし込む。
「――どうやら引き時のようですね」
 雄軒の合図に合わせて全員がいっせいに綾乃たちに仕掛けた。後ろへ退いたところにまとめて雄軒のヒプノシスが放たれる。効果を確認することなく、マッシュたちはいっせいに背後の空間へ跳んだ。
「ひゃっほーいっ」
 身軽に着地する迫やマッシュ、地響きを立てて先に降り、雄軒やシャノンを受け止めるバルトたち。
「待つのじゃ! 卑怯者どもめ!!」
「いいわ、逃げるのなら放っておきましょ」
 置き土産とばかりに裂かれた肩口を押さえて、綾乃はつぶやいた。
「……にしても、あのバルバトスという女、何が望みなのじゃ?」あっという間に闇に闇に闇へと消えた彼らを見て、嘆息をつく本初。「あの状況でアガデの民とアナト殿を人質に取れば、極めて有利な講和条約だって結べたろうに……」
「この地を訪れたのは、講和が目的じゃないからよ」
 応じたのはルカルカだった。
 この壁を一撃で粉砕したあの魔神。思い出しただけで本能的な恐怖に全身がわななく。
 一片のぬくもりも感じさせない、あの氷のごとき憎悪の持ち主が、そんな穏やかな解決法を望むだろうか。
 飄々とした、一見道化師のようにも思える軽い言動に騙される者もいるだろう。だがルカルカは騙されなかった。正面から向き合えば、ひと目で分かる。彼女は凶暴な野獣さながらに、人間を心底憎んでいる……。
「そして多分、真の目的はアガデの壊滅や東カナンの降伏でもない」
「おぬし、分かるのか?」
「――あるいは。ひとつの可能性でしかないけど。
 でもそんなこと、関係ない。あの魔神についてはあと。今はアナトを元に戻してもらわなくちゃ」
 巨大な高炉と化したような街を見つめる。その中央に位置する、時計台を。魔神たちはあそこに向けて飛び去った。
 アナトの魂を持つロノウェは、あそこにいる。
「彼女は、アナトを死なせたくなかったからああしてくれたのよ。義によって命を助けてくれたんだわ……」
 誇り高き魔神ロノウェ。彼女なら、きっと話が通じるはず。
「俺は淵たちを追う。あいつらだけではさばききれないだろう」
 自らのジェットドラゴンに飛び乗ったダリルは、魔族が飛び交う空に一気に舞い上がると一路居城へ進路をとった。
「気をつけて」
 飛び去って行くダリルを見送ったあと。飛び降りようとするルカルカの横に、みことと揚羽がついた。
「ボクたちも行きます」