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 その頃。
「うわあーーっ」
 別の場所で、彼らと同じく団子状になって落っこちて行った3人が、地面に辿り着いていた。
「……え、えっと」
 椅子に座ったまま、春日美夜は聞いた。
「……どちらからいらっしゃいました?」
 起き上がりながら、その落ち着き払った美夜の顔を見た雫澄の心臓が、ドキッと跳ねた。
 ショートカットのサイドを金のピンで留めている意外、見事に何の特徴もない普通の少女。
 それが、何の補正が掛かったのか、ひどく輝いて雫澄の目に映ったのだ。
 雫澄は、まだ抱きついて来ようとするナギをようやくひっぺがし、立ち上がった。
「いやぁ、ちょっとバルコニーから落ちました」
「あー、それは災難でしたね。……あ、どうぞ」
 空いた椅子を引いて美夜が勧めると、雫澄はぺこりと頭を下げてそこに座る。
 ……ふう。
 ようやく、穏やかな時間が訪れた。
「いやいやいや!」
 思わず叫んで、雫澄は立ち上がった。
「落ち着いてる場合じゃないですよ!」
「落ち着いてるんじゃなくて……脱力してるんです」
 見ると、落ち着き払ったように見えた美夜の瞳は、いやに虚ろだ。
「あの……?」
「聞いてくれますか」
「はあ」
 曖昧に打った相槌を承諾と受け取ったのか、美夜は大きくひとつため息をついて、言った。
「実は、相棒が、腑抜けになっちゃいましてね」
「相棒……うわっ」
 美夜の背後にぼーっとつっ立っているエーリヒ・ヘッツェルに気づいて、雫澄は飛び上がった。まったく気配がなかったのだ。
 視線を空に漂わせたまま、美夜が言った。
「……ヘッツェル、何か異変があったみたいね?」
「左様でございますね」
「調査か脱出か、行動した方がいいよね?」
 はっと息をのんで、エーリヒが手にしたティーポットを庇うように抱きしめた。
「いけません、この方を危険に晒すようなことは、断じてお断りします! この方にもしものことがあったら、私は生きてはいられません……」
 今にも泣き崩れそうに声が震え、気のせいか、目も潤んでいる。
 美夜がもう一度深々とため息をつく。
「……こんな状態で、クソの役にも立ちやがらないんですよ、これが。いつもはクソ性格の悪いクソ執事なんですけどね……」
 エーリヒが軽くよろめいた。
「そんな……く……クソ、などと連呼なさるなんて……ああ、こんな主人に仕えねばならない我が身が呪わしい……」
「……あー、もう好きにして」
 呻いて頭を抱えてしまう美夜に、雫澄は少しだけ共感した。
 何しろ目の前では相変わらずシェスティンがアンドリューなにがしとミュージカルをやっているし、レキは手当たり次第のものにキス&ハグを繰り返している。
「ほんと、困りましたね……」
 美夜がようやく顔を上げて、雫澄を見た。
 二人の間に、不思議な連帯感が生まれた……ような気がした。
 
 
 一方、広場から一本路地を入ったところ。
 観光客相手の酒場の並ぶ通りを、一人の女性が歩いていた。
 コツコツと澄んだ足音を響かせる規則的で大きめの歩幅は軍人を思わせる。良くプレスされたコートの下は、素肌に鮮やかなブルーのビキニだ。
 つい先刻まではこの辺りも祭りに集まった人々で賑わっていたのだが、いつの間にか人通りが絶えている。
 彼女……セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)の靴音が不意に止まった。
 鋭く辺りに投げられていた視線もピタリと止まり、道の端にある消火栓を見つめて動かない。
「……なんてこった」
 セレンは絶望的に呻いた。
「こんなところでお前に会うとはな……ベアトリーチェ!」
 ベアトリーチェと呼ばれた消火栓は、真っ赤になって黙っている。
 セレンはそっと手のひらでその肌に触れる。ひんやりと冷たい。
 ふっ、と自嘲気味の笑みを零し、セレンは言った。
「相変わらず、おまえは冷たいな」
 そして、その場に膝をつくと、目を閉じ、消火栓に頬を寄せた。
「……私のこの熱い思いで、おまえを温めてやりたい……」
 
 端から見れば完全に突っ込み待ちのセレンに、突っ込みを入れるべき人物は、その目と鼻の先にいた。
 彼女のパートナーであり、恋人。
 突っ込むべき権利と義務を有した唯一の人物セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)は、しかしこの時、それどころではなかった。
「わかっていたんだ、この想いが届かないことは」
 憂いに満ちた声が、暗い路地に響く。
 セレンが消火栓と恋を語らっている目と鼻の先で、セレアナはモップ相手に届かぬ想いを嘆いていた。
「所詮、私とおまえは結ばれぬ運命。おまえの心の中に、自分が入り込む余地がないという事は判っているんだ」
 苦し気に目を伏せ、セレアナは絞り出すように悲痛な声で叫んだ。
「もう会わない……さようなら、私のモップ!」
 セレアナは身を翻し、走り去ろうとした。しかし……
「何故だ! 何故止める!」
 セレアナの纏った漆黒のスーツの裾に、モップの端の金具が引っかかっている。
「やめてくれ……私の思いに答えるつもりがないのなら、つまらぬ情けなど掛けないでくれ!」
 ……こんな辛い恋を、私はなぜしなければならないのか。
 いつまでこの苦しい思いに身を焦がさねばならないのか。
 悲嘆にくれたセレアナががくりと地面に頽れた横を、セレンが駆け抜けて行った。
「おお、待っておくれ、私の小鳩! 戻っておくれ、優しいロザリンデ!」
「ああ、モップ!」
 どうにも、困ったことになっている二人だった。