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オランピアと愛の迷宮都市

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 こういう特殊な状況下では、角を曲がるときは細心の注意を払わなければならない。
 雫澄も漠然とそのことに気づいてはいたのだが、用心が足りなかった。
 美夜と自分の相棒たちをなだめすかし脅し、あらゆる手段を講じてその気にさせて、ここまで来た。
 どうしても動きたがらないエーリヒには、美夜がものすごい形相で「愛する相手は命をかけて自分で守れ」と言い聞かせた。
 それで何か事態が好転した訳ではなかったのだが、どこかで気を緩めていたのかもしれない。
 角を曲がりしなにぶつかってきた少年……皆川陽が、メガネ越しに潤んだ瞳で自分を見つめているのに気づいて、雫澄は今日何度目かの嫌な予感を感じた。
 そして、もちろん、それは的中した。
「今度こそ、奇跡が起きたんだ……」
 陽は尻餅をついた姿勢のままでそう呟くと、さっと身を起こしてその場に座り直し、雫澄を真っ直ぐに見つめて叫んだ。
「生まれる前から好きでした! 責任取って! 結婚してくれなきゃ鼻から風呂水飲み尽くして死んでやる!」
 ……どこから突っ込んだらいいんだろう。
「どうかなさいましたか?」
 声もなく呆然と立ち尽くす雫澄の傍らに、エーリヒ・ヘッツェルが愛しいティーポットを抱きかかえるようにしてやって来た。
 陽はエーリヒを一目見ると、悲し気に顔を歪める。
「ごめんなさい、貴方の気持ちは嬉しいけど……ボクにはもう心に決めた人がっ」
 そう言って、雫澄の腕にひしと抱きつく。
「えええ?」
「……はぁ、それは誠に、何とも……」
「いいえっ、気になさらないでくださいなっ!」
 辺りに響き渡る声とともにどこからもなく現われたユウが、呆然と意味のない相槌を打つエーリヒの視界を遮った。
 大きなリボンをひらめかせて平らな胸をどこか誇らし気に反らし、エーリヒを見上げる。
「その子はちょっと混乱しているんですの。貴方の運命の相手はこの私!」
 そして、可愛く小首をかしげてユウは不敵に笑った。本人としては、婉然と微笑んだつもりらしい。
「ご飯にする? お風呂にする? それともわ・た・し?」
 可愛く笑って、家庭的なところをアピール。
 ……勝った。
 我ながら見事な作戦、とユウは頃の中でほくそ笑む。
 エーリヒの顔が情けなく歪んだ。僅かに後ずさり、救いを求めるように周囲を見回す。ユウはずいと身を乗り出し、エーリヒの顔を覗き込んだ。
「どうしたの? さあ、二人で手に手を取って、共に愛の世界へランデブー!」
「ままま待ってください、わ、わたしにも、心に決めた方が……っ」
 心に決めたティーポットをひしと抱きしめて、エーリヒが情けない声を上げる。
「……うわぁ」
 口を挟めない雰囲気に、背後で様子を見ていた美夜がとうとう頭を抱えて声を上げた。
「ないわ……ヘッツェル……マジで気持ち悪い……」
 ユウの瞳がギラりと光った。
「……ちっ、メス付きか……」
 ジャキッ。
 物騒な音を立てて、どこからともなく取り出した見慣れないライフル状の武器を構える。
「……排除」
「えええっ」
「うわ、美夜さんっ」
 蒼白になる美夜を雫澄が咄嗟に庇おうとしたが、陽がその足にしがみついて叫んだ。
「ボクを捨てるの!? あなたはその女に騙されているんだ!」
「ちょ、いや、捨てるとかそういう……」
「ククク、女、来世はイケメンに生まれて来るんだな」
 謎の捨て台詞とともに、ユウはトリガーに指を掛けた……その時。

 キィン、と乾いた音を立てて、ユウの手から銃が弾き飛ばされた。

「フッ、小娘……少々やんちゃが過ぎるのではないかな?」
 頭上から、笑いを含んだ声が降ってくる。
「……なにぃ!?」
 銃を弾き飛ばされた手を押さえ、ユウが声の方を見上げた。
「何者だ、貴様」
 太陽を背に、柱の上にすっくと立ったドラゴニュートの影が不敵に笑う。
「我は愛に生き、愛を尽くす者……我が名は、ギャドル・アベロン(ぎゃどる・あべろん)!」
 そして「とぅ!」と古典的なかけ声とともに空に舞い上がった。

「うっわ、ギャザオきっつ……」
 ルファン・グルーガ(るふぁん・ぐるーが)の腕にしがみついて、イリア・ヘラー(いりあ・へらー)が顔をしかめた。
「……どうなっちゃってるんだ、アイツ」
 ウォーレン・シュトロン(うぉーれん・しゅとろん)も、華麗に宙返りを決めるギャドルを見上げて呟く。
 あまり物事に動じる方ではないルファンも、今は端正な顔を微かに引き攣らせている。
「さ、さすがにあれは少々……怖いのう」
 普段のギャドルは、戦う事に生き甲斐を感じるような男だ。間違っても「我は愛に生き、愛を尽くす者」と名乗りを上げるキャラではない。
 まだしも凶暴化でもしてくれた方がマシ、というレベルで寒気のする怖さだった。
「見なかったことにしとくか」
 ウォーレンの台詞にルファンが思わず苦笑を零す。
「……いや、しかし放っておく訳にもいくまい。本気で戦闘にでもなったら事じゃ」
「仕方ねぇなぁ」
 ウォーレンは、ぼさぼさの頭を掻きまわしてため息をついた。

「小娘よ……押し付けるばかりが愛ではないぞ」
「笑止!」
 凄みのある笑顔でギャドルを睨みつけたまま、足元に転がった銃を蹴り上げ、手に取る。
 そして、再び構え直して、言った。
「愛とは力で奪い取るもの! 貴様こそ、人の恋路を邪魔する無粋な輩……成敗してくれるわ」
 
「……ん、なんか、ユウがちょっと変?」
 雫澄にしがみついたままで、陽がちょっと首を傾げる。
 何か、時代劇の悪役というか、特撮の悪の幹部みたいな変な台詞回しになっている。
 それを聞いた美夜が引き攣った笑いを浮かべた。
「はは……あれで、ちょっと変、なんだ」
「っていうか、これ……止めるべき?」
 雫澄が呟くと、シェスティンがずいと一歩踏み出して「アンドリュー」の柄に手を掛けた。
「では私とアンドリューで……」
「いやいやいや、火に油だから、それ」
 美夜と雫澄が慌てて彼女を諌めている背後を、風が通り過ぎた。
「……まあまあ、双方拳を収めなさい」
 穏やかな声に振り返ると、一触即発の状態で睨み合うユウとギャドルの間に、ルファンが笑みをたたえて立っている。
 何事もないような顔をしているが、その結い上げた黒髪と和服の袂が風をはらんでふわりと落ちる様子が、動きの素早さを物語っていた。
「ちょ……あ、危ないんじゃ……」
 ヒーローショーの真ん中に観客の良い子が紛れ込んだような光景に、思わず美夜が声を上げる。
「へーきへーき。あいつ、口も腕も達者だから心配ないぜ」
 イリアとともにやってきたウォーレンが、そう言って笑った。
「面白そうだから、見物しようぜ」

「ギャドル、愛に生きるそなたなら、拳を交えるべき敵は他にいると思うがのう」
 穏やかな声で、ルファンが言った。
「なん……だと?」
 ルファンはびしりとギャドル指差す。
「そなたの拳は、そなたの愛する者……そなたの運命の相手を守る為のもの……違うか!?」
 何かに打たれたように立ちすくむギャドル。
「あああ、やっぱりダーリンかっこいい!」
「いや、言ってることが微妙に……むしろ焚き付けてないか、あれ」
 
 口の中で「俺の、運命の相手……」と呟いて虚ろになっているギャドルから視線を移して、ルファンはユウを見た。
「さて、そなたはどうする、少年?」
 びしっ、とユウの表情が引き攣った。
 背後に陽の「あー言っちゃった」という声を聞きながら、ユウは邪悪な笑みを浮かべた。
「く……よくぞ見破った……俺の前に立ったこと、後悔させてやるぞ、女っ」
 手にした銃を構え直す。
 それでも涼しい顔で身構えようともしないルファンを睨みつけ、ユウは叫んだ。
「排除だっ」
「ダーリン、危ないっ」
 イリアの悲鳴が響き渡った。
 ……しかし、銃声は響かなかった。
 ユウは銃を構えたまま、硬直したように立ち尽くしている。
「ま、まさか……貴様……」
 ユウの口から、絞り出すような声が漏れる。その目は驚愕に見開かれていた。
「うん?」
 不思議そうな顔でルファンが軽く首を傾げると、ユウはがくりと膝を折った。
「負けた……オレの完敗だ」
 
「……貴様の女装、見切れなかったッ」

「女装勝負だったのかよ!」
 ウォーレンの突っ込みが、その場の全員の気持ちを代弁していた。
 ただ一人を除いて。
「わぁい、やっぱりダーリンは強いですー」
 ぱたぱたっとルファンに駆け寄ったイリスが、そう言ってその腕にしがみつく。
「ちょ、女装勝負に強いって、それ惚れ直すポイントなのか?」
「いや、わしは別に女装は……」
「もちろん! だって私のダーリンだもんっ」
「いや、じゃからこれは女装では……」
 幸せそうなイリアとものすごく複雑な顔をしているルファンを交互に見て、ウォーレンはため息をついた。
「お前ってぶれねぇなぁ……ある意味尊敬するぜ」