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【神劇の旋律】其の音色、変ハ長調

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【神劇の旋律】其の音色、変ハ長調

リアクション

 1.――



     ◆

 辺りの濃紺が“万物”の輪郭を有耶無耶にする時刻――平たく言えば宵の闇。
その中に、随分と際立った影が、確かに『此処に人がいる』と言う事のそれ自体を主張していた。
 斎藤 邦彦(さいとう・くにひこ)ネル・マイヤーズ(ねる・まいやーず)は広場にいた。二人はただの一点を見つめ、彼等は沈黙のままに同じ方向へと目を向けていた。既に明かりは疎らで、広場からやや離れた場所にある民家の明かりと、申し訳程度にある広場の街頭だけが、二人に光を照らしていた。宛らスポットライトの様に。
「そんなに怖い顔をしても、だからと言って待ち人が早く来る訳でもないでしょう?」
 まるでたった今、陰から生まれ出た様に現れた彼、アルテッツァ・ゾディアック(あるてっつぁ・ぞでぃあっく)の声が、明かりに照らされている二人に向けられて暗闇を彷徨う。
「にしてもさぁ……ちょっと本当に遅いんじゃないのぉ? 急に呼び止められたから急ぎの様かと思ってみれば、当人たちがまだってって、どういう事よ」
ヴェルディー作曲 レクイエム(う゛ぇるでぃさっきょく・れくいえむ)がアルティツァの脇から、うんざりだとばかりの表情を浮かべながらにそう呟き、その後ろでは親不孝通 夜鷹(おやふこうどおり・よたか)が何が面白いのかケタケタと笑っている。
「短気は損気、だぎゃ。なんだいおめーら知らねーだぎゃ? 遅れてんだぎゃー! ぎゃはははは!」
 広場にある噴水の淵、そこに胡坐を書きながら笑う彼を見て、四人はため息をついた。
「ともあれ――」と、話を切り出したのはアルティツァである。
「今宵は一体何を行うんです? 一応呼び止められてからこっち、僕たちは事の詳細を全く聞かされていない。今から何が起こり、そして今から我々が何をするのか……そのあらましくらいは説明合っても良いとは思いますが?」
「……それもそうか。いやなに、ちょっとそこまで泥棒をしに」
 暫く考えていた邦彦が、随分と面倒そうに呟いた。本人ともすれば、それは面倒事、と呼べるだけの物ではないのだろうが、傍から見れば幾分か疲れの様な物があり、ふらふらと上体を揺らしながらもシニカルな笑顔を浮かべ、口を開いている。
「泥棒ですって! まあ! あたしたちに犯罪の片棒を担がせよっての!? 心外だわ、偉く心外。帰りましょうよ。ゾディ」
「何々。安心しなよ。此処にほら、偶然マスクがあるんだ。これを被れば平気じゃない? 保障、ないけど」
 ネルは真顔で三人にマスクを差し出すが、どうやらそれは遠慮しているのか、アルティツァとレクイエムは苦笑ながらに手を振った。
「そのマスクを被ると、一体何が平気なんだぎゃ? つーかかっこいいマスクだぎゃ! わしが被ってやるぎゃ! ぎゃはは」
 どうやら夜鷹はそのマスクを気に入ったらしく、ネルからそれを受け取って早速被ってみる。
「それで? どうしてその泥棒を僕たちが手伝わなくてはならないです?」
「ちょっとゾディ!」
「事情くらいは聴いても、多分罰は当たりませんよ」
 目配せしながら邦彦とネルへと目を向ける彼。その視線はどこか、二人を値踏みしている様なそれだ。
「私が首謀者ではない、知っているとは思うが。だから細かい話は知らないが、どうやら楽器らしい。ハープだ」
「ハープ!? わざわざそんなもの盗みに行くの?」
「ああ。それで、数人の協力を仰ぎながら、と言っていたか。此処で落ち合うのは私達だけだが、人数が多い方が物事は良く運ぶ」
「盗み、ならば人数が多いと逆に怪しまれますよね?」
「ただの盗みなら、まあそうだとは思うよ。でもね、私達が今日やる盗みは、単なる盗みじゃないって事さ。そのくらいなら君、わかりそうなもんだけどねぇ?」
「初対面ですよ? 貴女にそこまで過大評価されるのは嬉しいですが、それは詰まるところで過大評価に他ならないんです」
 値踏みに値踏みで返したネルへ、アルティツァが笑いながらに述べた。苦笑ではなく、愛想笑い。
故にネルは「ふぅん」とだけ呟き、再び視点を広場の一角へと戻す。
「なあなあ! はーぷってなんだぎゃ?」
 マスクの被り方を色々と間違えている夜鷹の質問に、レクイエムが頭を抱えながらに返答した。
「あんたねぇ、少しは自分の頭を使うって事、少しは覚えなさいよ。ったく」
「自分の頭、だぎゃ? ……ふんふん、ああ、良く紅茶とかみたいにして飲む――」
「それはハーブです。ハープは楽器ですよ。その一文字の違いは圧倒的な差異を孕みます。全く……」
「アル、オメーの説明は丁寧でいいんだぎゃ……聞いてるこっちが七面倒だぎゃ」
「ならば少しは自分で学ぶ事を覚えなさい」
「ちぇ……まあいいぎゃ。それで? そのはーぷとかっていう楽器、どんなやつだぎゃ?」
 己の疑問に興が削がれたのか、夜鷹が邦彦へと質問する。
「それは今から来る彼女たちに聞くといい。私よりかは少なくとも、細かい詳細を教えてくれるだろう」
 顎で指した先――そこには、今回の首謀者であるトレーネ・ディオニウス(とれーね・でぃおにうす)と、彼女と共にやってきたパフューム・ディオニウス(ぱふゅーむ・でぃおにうす)の姿ある。
やはり周りに闇を纏い、やはり周囲の陰から出でて、二人の首謀者はやってきた。
「あら? 考えていた人数よりも些かですが、多い様に見受けますが」
「ほんとだよ……あれ、どうしたもんか」
「遅かったな。彼等は私が呼び止めたのだが、不味かったか?」
 五人の元にやってきたトレーネとパフュームに対して邦彦が尋ねる。トレーネは別段困った様子もなく、やんわりとした笑顔を彼等へと向けてその問いに答えた。
「いえ。人数が多いに越したことはありません。皆様のご助力、心より感謝申し上げますわ」
「そうか」
 短く返事を返した邦彦。
「事情は得ませんが、しかし目的ならばたった今。どうも初めまして、アルティツァ・ゾディアックと申します。以後、お見知りおきを」
「あたしはレクイエムよ。よろしく」
「ぎゃぎゃ!? お、おう! わしは夜鷹だぎゃ! ぎゃはは、なんだぁオメー、ちっけーぎゃ! ぎゃはは」
「う、うるさいな! あんたに言われたくはないよ!」
 夜鷹がケラケラと笑いながらパフュームに言うと、彼女は頬を膨らませて返事を返す。
「ともあれ、これで此処に用はありませんわ。参りましょうか? 皆様」
「そうそう! あ、でもあたしたちは遅刻はしてないかんね! 時計見ればわかるけど、待ち合わせ時間ぴったりだから! そこんとこよろしく!」
「はは。そんな事はただの一言だって言ってやしないよ」
 ネルが腰を上げ、笑いながらにパフュームへと言う。
「どうするのさ、ゾディ」
「自己紹介、してしまいましたしね。首謀者が此処までお美しい方たちだ。何か事情があるのでしょう」
「あら、お上手ですわね」
「え、何!? それってあたしも含まれちゃってるの?!」
「ええ、勿論」
「良かったですわね、パフューム」
「そうよねそうよね! あたしだって立派なれでぃだからねっ! ふふふん」
「ぎゃははは! 何処がレディだかわかったもんじゃないぎゃ! ぎゃははは」
 パフュームに睨みつけられた夜鷹。
彼の笑い声だけが、静まり返った広場に響き渡っている。



     ◆

 住宅街、と言う場所は、それだけで既に静まりかえった場所であり、なお時間帯によっては完全な静寂に包まれる場所である。
それが夜ともなれば、更に音は限定され、静けさに包まれる。微かな音でも反響している様な、そんな錯覚にさえ陥るその場所で――。
シェリエ・ディオニウス(しぇりえ・でぃおにうす)の姿があった。
 単身、彼女は辺りを見渡しながら、とある屋敷に目を向けている。
『豪邸』と言って全く遜色ないその屋敷。が、警備が恐ろしい程に手薄なその屋敷。彼女がこの屋敷へと近づいたのはこの日で二回目。前日にも違う場所からではあったが、その屋敷の様子を確認しに来ていた。が――。
「親御さんがお金持ち、なのかしら……」
 それが、彼女が率直に思う感想。が故に、誰が居るわけでもないのに一人呟く。
そしてそれを呟いた後、彼女は踵を返してその場を後にした。
 この住宅地は周囲一帯が小高い丘の上にあり、屋敷はその頂付近にあった。シェリエは丘を下りながら、自身の目的地へと向けて足を進めている。と、不意に声を掛けられた。あまりに虚を突かれた為に彼女は思わず身構えるが、シェリエが振り返ると騎沙良 詩穂(きさら・しほ)が立っていた。ふんわりした笑顔を浮かべながらに首を傾げ、一人焦っているシェリエを眺めていた。
「貴女は………?」
「うん? どうかしましたっ? あ! えっとね、詩穂です! 騎沙良 詩穂って言います! よろしくね」
 緊迫した表情のままでいるシェリエとは対照的に、彼女はやはり穏やかな笑顔を浮かべてそう言った。


「ふんふん、成る程。それでこの時間にあんなところをお一人で……」
 腕を組みながら、シェリエと共に歩く詩穂が頷きながら足を進める。
「でも、なんでまたあのお宅に盗みを働こうと?」
「うん……ちょっとね、探し物があるの。ワタシ達としても本当は平和的に解決したいところ、なんだけど」
「探し物……なるほど! 貴女とお話していると、確かに悪さをする様な人ではないとお見受けします! きっとなかなか人には言えない事情がおありなのですね! わかりました! 詩穂、少しでも協力します! うん! します!」
「え、今何で二回……」
「こ、細かい事は気にしないでくださいなっ!」
 二人で苦笑しながら、尚も歩く。暗闇を、静寂を、歩く。歩きに歩いていた二人の前に、今度は柳玄 氷藍(りゅうげん・ひょうらん)真田 大助(さなだ・たいすけ)が現れた。何を意識するでもなく、ただただ目の前の路地から出てきて、故にシェリエが声を上げた。
「あ! おーい!」
「ん?」
「あ、シェリエさんではありませんか。こんばんはー」
 彼女の声に気が付いた氷藍は目だけでシェリエと詩穂を捉え、氷藍の隣を歩いていた大助が二人にお辞儀する。
「どうした、こんな時間に」
「いや、それはこっちのセリフよ?」
 氷藍があっけらかんとした顔で手を僅か張り振りながら、シェリエと詩穂に近付いてくる。彼女の発言に対してシェリエがツッコむと、氷藍共々近付いてきていた大助が嬉しそうに返事した。
「今、母上と一緒に夜のお散歩だったんです! 今日は夜空が綺麗だから、と、稽古をしていた父上が教えてくれて」
「ああ、成る程ね」
「それよりシェリエ。お前たちこそ一体何をやっている? こんな時間に」
 言い辛そうにしながら、しかし氷藍の言葉に対して口を開いたシェリエは、二人にもこれから自分たちが何をしようとしているかを話し始めた。
「へぇ、そうか。だったら少しくらいは力になってやる。大事なものなんだろう?」
「そうなの。助かるわ」
「じゃあ詩穂と一緒に、シェリエちゃん達のお手伝いですねっ! それに、何でもそのお宅、かなり豪邸らしいのですよっ! 楽しみだなっ! ふふっ」
「豪邸……ですか! 探し出すの、一苦労ですね」
「まあそうなるな。で? その盗みに入る家ってのは、ここら辺なのか?」
 大助が暫く考え込む横で、氷藍がシェリエに向かって尋ねたのは、屋敷の所在地であり、遠回しにそれは『誰の家に入るのか』と言う意味の質問。シェリエは何の迷いもなく、しかし辺りを少しだけ気に掛けながら、三人に聞こえるだけの声を放ち、伝える。
「空大の学生さんでね、確か……“ランドロック”とか何とか……」
「え?」
「母上!? もしかしてそのお宅って……」
「何々? もしかして二人とも知り合いなの? その子と」
 シェリエの言葉を聞いた二人――氷藍と大助が思わず硬直する。固まって、暫くの後に彼女の質問に答えるのだ。
「知り合い。と言えば知り合いだ……な」
「母上、どうしましょう……何だか、今から生きた心地がしないです……!」
「それってどういう――」
「……やれやれ、仕方がないな。乗りかかった船だ。今更断る訳にも行かない。あの二人に話を着けに言ったところで、そう易々と事を運んでくれそうな人柄では、ないしな」
 尋ねかけたシェリエの言葉に言葉を被せ、その質問を遮った氷藍が苦笑ながらに三人を見やった。
「シェリエ。それから詩穂、とやら。気をつけろよ? この相手、一筋縄じゃあ、行かないだろうからな」
 緊迫した笑顔に変わり、彼女は呟く。
氷藍と大助の知る人物。 ラナロック・ランドロック(らなろっく・らんどろっく)。彼女の家は――難攻不落。